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第27話

 授業中の事だった。

 授業態度というのは如実に分かるものであり、性格や普段の態度からだいたいは予想が着くというもの。近頃では珍しく翼が前向きになったが、成績下位を独占する元野球部三人とまうみはいまいち集中力に欠けていた。

「――というわけで日本は日露戦争に勝利し――」

 しかしまこと眠くなる授業である。板書、チョークが黒板を叩くビートはチルアウトのように睡魔を誘い、大人になってから使う場所もない雑学は子守唄のよう。過去を学び自身のルーツを知る大事さはわかるのだが、如何せん盛り上がりに欠けるというか、興味を引く内容ではなかった。歴史好きなら教科書に乗らない逸話などを自分から収集しているし、真面目な生徒なら独自の暗記法を確立し、不真面目な生徒は言わずもがな。窓から差し込む陽を浴びながらの日光浴となるのでした。

 まうみもその例に漏れず、三十分を超えてうつらうつらと船を漕ぎ出し始めていた。残り時間もそれほどないなか、どうにか頑張ったのも十分足らず、残りの時間は腕を枕にして夢の世界へと向かっていた。


 学生に人気の授業とはなんだろうかと聞かれれば大半の人は体育と答えるであろう。堅苦しいことに頭を悩ませる必要はなく、時間の進みも早い。そうとう運動が苦手でない限り、教室を飛び出してのびのびと身体を動かせる喜びが表情に現れていた。

 昼前最後の授業ということもあり、凝り固まった身体を解すように準備体操をする。今日の科目はバトミントン、体育館での実施だった。

 なにせ生徒数は七人しかいないのだ、サッカーやバレーボールなどは人数不足が明確で、できる競技はどうしても限られてくる。卓球、ドッジボール、夏なら水泳と。大人数に対する憧れはあるが、広い体育館を独占できるというメリットも存在していた。

「いくよー」

 掛け声とともにまうみがラケットを振る。ガットから飛び立ったシャトルは高い放物線を描いて翼の頭上を通り過ぎようとしていた。

「はい」

 領空侵犯です、と言わんばかりに翼は床を蹴り、最高点で腕がしなる。風切り音を置き去りにしてシャトルはさくらの顔目掛けてロケットの如く直線を描いていた。

「きゃあっ!」

 当たってもたいして痛くないとはいえ眼前に何か飛来すれば人は避けようとするもの、さくらも奇声を上げてラケットを手放し、あまつさえしりもちをついていた。

 見るからにどんくさい。ゆっくりと近寄ってきたまうみはからからと転がったラケットを拾い、彼女に手渡していた。

「大丈夫?」

「へへ……うん、へいきっ!?」

 無事をアピールしようと振った手がこわばる。誰がどう見ても無事とは言えないのはその引きつった表情を見れば一目瞭然だった。

 転んだ際、変な腕のつき方をしたようだ。幸いなことに折れている様子はないが、それでも痛みに歯を食いしばる様から、無事とも言い難い。

「どうしたの?」

「さくら、手、痛めたみたい」

「だ、大丈夫だから――」

「大丈夫なわけないでしょ。先生、さくらが怪我したみたいなので保健室連れていきます」

 雪緒は無事なほうの腕を掴むと、さくらを強引にもち上げる。そして白熱する男子を見ていた体育教師に一声かけると、そのまま体育館を後にする。

「大丈夫かな……」

「……まずかった? 狙ったわけじゃないんだけど」

「しょうがないよ。授業が終わったら保健室いこう」

 遅れてやってきた翼はばつ悪そうな表情を浮かべていた。事故、そうただのちょっとした事故だ。気に病む必要はないと、まうみは自分に言い聞かせるように翼を慰めていた。


「捻挫、二週間は安静にしてね」

 昼、給食前のこと。

 授業が終わるまで帰ってこなかったさくらの様子を見るべく、女子三人は保健室に訪れていた。

 そこで告げられたのはなんとも言い難い結果だった。

「さくら、ごめん」

 テーピングを終え、椅子に座り焦点の合わない目で虚空を見つめるさくらへ翼が頭を下げる。

 コンテスト間際、二週間ということはギリギリ間に合うが、状況次第ではどうなるかわからない。利き手の右手に巻かれた包帯はそれを痛々しく物語っていた。

「先生、部活は――」

「馬鹿言ってんじゃないよ。今日は整形外科行って、ちゃんと治してもらいなさい。親御さんに連絡して来てもらうようにするから」

「でもコンテストが近いんです」

 まうみがなおも食い下がると、バンッと机を叩く音が鼓膜を揺さぶる。初老ちかい養護教諭の顔は般若面をつけたように歪み、固定されていた。

 睨み、一言。

「子供が責任も取れないのにガタガタ抜かすんじゃないよ。それとも一生面倒見るっていうのかい?」

「……」

 たかだか捻挫程度と思うかもしれないが、変に癖が着くと症状が長引いたり特定の動かし方が出来なくなったりもする。たった一度のコンテストのために今後の人生重荷を背負うなど、それほど大きな舞台でもないのだからやめておけ、ましてや外野が決めることではないという大人の目線からの言い分だった。

 中学生、法律上はまだまだ子供だとはいえ、分別がつく年頃である。まうみは黙る以外出来ずにいた。

「ほら、さっさと出ていきな。怪我人以外用はないんだよ」

「……失礼しました」

 給食の時間である、もとより長居は出来ず、三人は後ろ髪引かれながらすごすごと退散する。その後ろ姿をぼおっと眺めていたさくらに養護教諭の目が向いていた。

「あんたもいつまでそうしているんだい? 腕以外は無事なんだからシャキッとしな」

「先生、お願いがあるんですけど――」

 珍しくさくらから問いかける。

 その要望は二つ、養護教諭の女性は渋い顔をしながら頷いていた。


 午後になり、さくらが早退。多分大丈夫と深くを語らずに去った席は物悲しさに包まれていた。

 とはいえ授業は進む。午後は(ふた)コマ、その間の休憩時間のことだった。

「……無理だって」

 スマホの画面を見つめていた翼が告げる。相手は進、片手が使えなくともどうにかする方法がないかを相談した、その回答だった。

 トランペットなら片手で持てないこともないが、安定して演奏するならそれ相応の筋力が必要で、しかも利き手と反対というのは現実的ではない。トロンボーンならどちらの手でも可能であるが、ピストンではなく管の長さで音程を調整する楽器をコンテストまでに習熟させることは不可能。その他楽器も利き手を使わなければならないと、匙を投げるのも当然だった。

 土台無理な話であるとわかっていても、明言されてしまえば現実となるようで、三人は明るく振る舞うことが出来ずにいた。特に翼は罪悪感でもともと少ない口数もほぼ皆無となっていた。

「どうしようか」

「藤田先生に相談するしかないわよ」

 まうみの相談に雪緒が答えるが、明るい期待は持てないと言うように表情は硬い。それもそうだろう、同じ音域で同じような楽器と言えばトランペットしかない、それが駄目なら打つ手なしと少し考えればわかってしまったのだから。

 明確な解決策が出ないまま授業が始まる。クラスの半分が死んだような表情をする授業は、担当の先生を困らせるに十分だった。


「そ、仕方ないわね」

 部活前、部長としてまうみが報告に行くと、紀美から帰ってきたのはその程度の素っ気ないものだった。

 三人では合奏という訳にもいかず、個人的に弱い所を復習するだけ。指揮者も立たず行われた部活はなんとも身の入らないものとなった。

 まるでこの先を示唆しているような感覚に襲われながら部活も終わり、外は日も長くなってまだ夕暮れ時、それぞれ帰宅の途に着くのでした。

 胃もたれのような苛立ちを抱えてまうみは通学路を歩く。本来ならば自転車を飛ばして家に向かうところだが何となくそんな気分になれなくて町の方へとふらふら誘われるように歩いていた。

 町と言っても寂れたシャッター街に毛が生えた程度のもの。電車に乗って数駅行けばもっと活気に満ちたショッピングモールがあるけれど、放課後にいくには時間がかかりすぎる。それなりに人の往来があるだけでも、なにかしらの気晴らしになるかと思っていた。

 しかし結果は芳しくない。こんなことなら早く帰ればよかったと後悔し始めた時だった。

「……さくら?」

 遠く、見間違いを疑うような距離に見知った姿を見つけていた。さくらであると確信したのは手に包帯を巻いていたから。

 方向としては総合病院の方から来たのだろう、半ばご老人の溜まり場と化しているからか診察まで非常に時間がかかることで有名で、それでも町にひとつしかない総合病院には町民が必ず世話になっていた。さくらも腕の件で訪れたのだろう。

 普段のまうみなら一目散に駆け寄っていたはず、ただ今回その場に留まっていたのには理由があって、隣にやや背の低い少年の姿があったからだ。

 弟だろうか、いやそれはないなとまうみは否定する。年の離れた妹がいることは知っているが、弟がいるなど聞いていない。それにぎこちなく指先が触れる程度の手繋ぎにあるわけもないセンサーがビンビンとたっていた。

 ……ほうほうほうほう。

 専門家のようなしたり顔、うぶなチャンネーのフリして裏ではなかなかやるではないかとよく分からない言葉が脳内を汚染していた。

 さくらの姿はすぐに人混みに紛れ見えなくなる。いやーええもん見させて貰いましたわ、と顔を綻ばせながら、悩んでいたことも忘れてまうみは家路に着くのでした。


 その夜。

 母親の作った夕食を済ませ、風呂上がりの事だった。

 髪をさっと乾かしリビングへ向かったまうみが見たのは両親がソファーではなく先程まで食事をしていたテーブルに顔を付け合わせている。普段から恥ずかしくなるほど仲がいい夫婦にしては異様とも言える光景だった。

 良くないことは重なるなんて迷信だが、今ばかりは信じてしまう。まうみはそんなことをお首にも出さず明るく声をかけていた。

「上がったよー、どうしたの?」

「まうみ、座りなさい」

 父親の声は相応に暗い。聞きたくない、が聞くしかなかった。

 身に覚えはない、それだけは断言出来る。よってこれから話される内容は独力ではどうにもならないことなのだとまうみは悟っていた。

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