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第24話

「お義父さん!」

「君にお義父さんと呼ばれる筋合いはない!」

 こてこてのやり取りが繰り広げられる。ここだけ昭和に戻ったような状況は、ひとえに進の暴走から始まっていた。


 翼の家の前に車を停めた進は、彼女よりも先に家へと向かっていた。無駄なほどの行動力の塊、呆気にとられた翼が止めに走ったのは既にインターフォンが鳴らされてからだった。

『はい、どちら様でしょうか?』

「翼さんの学校の関係者です。少しお話をさせて頂きたくて」

「ちょ、待って。おっさん、どうした?」

『……翼?』

 玄関前で騒いでいれば中まで聞こえるのは自明であり、男性の声には惑いが含まれていた。

 ガチャリと扉が開く。なんとも気の弱そうな細身の男性、年齢は進を少し年取らせた程度だろうか、彼は見知らぬ男性の腕にぶら下がる翼の姿を見て、眉間の皺を深くしていた。

「……とりあえず、中へどうぞ」

「ありがとうございます。お邪魔します」

 進は一礼して男性の後に続く。未だ子ザルのように離れない翼を引きずるようにして。




 純和風の居間に通された進はちゃぶ台の前で正座をしていた。隣に座る翼は自分の家だと言うのになんとも居心地の悪そうな顔をしている。

 そこへ台所らしき方向から男性が来る。手に持っていたのは茶色い液体の入ったグラスであり、それを進の前に置きながら、

「どうぞ」

「いえ、お構いなく」

 社交辞令的な応酬だけでは話が進まない。

 男性は進の向かいに座る。そして、

「……娘が学校で何かしましたか?」

 進の自己紹介の仕方を考えればそのような問いになるのは当然である。

 それを進は即座に否定する。

「いえ、そういうことではないんです。すみません、言葉足らずで。私、翼さんの部活の顧問の知り合いでして、その縁で今色々と手伝いをさせて頂いているんです」

「はぁ……」

「ですので娘さんを幸せにさせてください」

「ブッ!?」

 進の隣と正面から同時に吹き出す音が鳴る。流石親子、反応がピッタリと一致していた。

 ですので、の前後で文脈が繋がらないのは致し方ないことだった。詳細に説明しようにも語れるほど長い時間を過ごしていなかったこと、一般的に見て接点が少なく、二人が築いた関係性を事細かに伝えようとしたならばえらく時間がかかるのだ。端的に言ってしまえば面倒くさがったとも言う。

「な、何……いや、本気なら……構わないけど……」

「本気だぞ」

 愚直なまでのはっきりとした言葉に翼はのぼせたらしく、顔にある穴から煙を吐くくらい真っ赤になる。

 愛娘のそんな姿をみたい男親などいるものか、進の向かいの男性は明らかに目を険しく問いかける。

「君、いくつだね?」

「三十五です」

「はぁ……そんなに私と歳が違くないのに、何が君をそうさせたのか」

「命の恩人ですから」

 これまたきっぱり、しかし進の中では事実を告げる。

 それは大人が軽々しく口にしていい言葉ではなかった。言ったが最後、なかったことには出来ず、それこそ死ぬまで貫き通さなければならない。進はその覚悟を目に宿していた、あるいは病的な程に。

 伊達や酔狂で言っていないことがわかると男性は、困ったと目で言う。道理を説いて説得するのも一苦労、ならばと視線を向けた先は娘だった。

「なんでこんなことになったんだか……翼、お前はどう思っているんだ?」

「私は――」

「お義父さん、中学生にそんなことを聞くのはまだ早いですよ」

 どの立場からそれをいうのか、そもそもこんな稚拙な状況を引き起こした本人が言うなんて悪い冗談にもならない。

 だんだんと疲れがにじみ始めた男性の顔を見て、進は考える素振りを見せていた。彼自身、歓迎されないだろうことは予期していたが、そこは珍しく我を通す、相手がまだ困惑している間がチャンスだった。

「お義父さん!」

「君にお義父さんと呼ばれる筋合いはない!」

「すみません、先に謝らなければならないことがありまして」

 進は無視して一方的に話を進める。

「先日の外泊、実は私の家に泊まったのです。そのことを早く伝えるべきでした」

「いや、なんとなくは察していたが。まさか手を出したなんて言わないよな」

「出しません、翼はまだ中学生ですよ?」

「出してないのか……」

「なんでちょっと残念そうなのさ」

 大人二人の会話を聞いていた翼が思わず口を挟む。

「あー……常識があってよかったと思う反面、この機を逃すと一生結婚できそうにないかもと思って。むしろお前みたいな子には年上がちゃんと引っ張るくらいでうまくいくんじゃないかと――」

「では認めてくださるんですね?」

「そうとは言ってないだろ」

 城攻めは難航を示していた。

 しかしここまでは想定内である。今の進に抜かりはなかった。

 鞄から取り出したのはいくつかの紙である。それもただの白紙ではない、やたら小さな文字で書かれた数字の羅列は、大人であるならば一度は目を通したことのあるものだった。

 水戸の印籠よろしく進は王手というように最後、小さな二つ折りの本を取り出す。

「こちら通帳と間近一年の給与明細になります。今は他に資産など持っていませんが、私が先に死んだ後不自由ないよう不動産や株を用意する程度はできます。もちろん生命保険の名義も翼にしましょう」

 誠意とは金額、確かにその言葉は間違ってはいないだろうが、その行動に翼の父だけでなく翼ですら引いていた。

「怖いわ! 結婚どころか老後までケアしようとするその精神が怖いわ!」

「結婚なんて、まだこの先何があるかわからないじゃないですか、気が早いですよお義父さん」

「結婚じゃないなら預金通帳持ってくるなよ!」

「金銭面で不安が残るとお義父さんが心配すると思って」

「今は君の方が心配だよ……」

 ため息一つ、途中砕けた言い方になるのも全て進が悪かった。

 普段からは想像できない程明るく振る舞うのは、気分がいいから、ただそれだけである。何も悪い所がないようにも見えるがその逆、今までの反動で躁状態が強く出ているだけだった。

 そのことをわかっているからこそ、進はそのまま突き進んでいた。ここで生きがいを掴まなければ次の鬱で社会復帰が絶望的になる可能性は否定できない、自分のため、好いてくれている子のために無理でも通す場面だと判断していた。

「お義父さん、結婚を前提としたお付き合いか翼を養子にください。必ず幸せにしますから」

「はぁ……変に隠されて傷ついた事もわからないくらいならこれくらいぶっ飛んでるほうがまだましなのかもな。わかった、けど一つ条件を出したい」

 妥協に妥協を重ねて、男性は大きくため息をつく。心の芯から疲れきった表情で出された提示に進はどこまでも真っ直ぐ頷いていた。





「馬鹿じゃん」

 話を聞いた夏希はソファーに寝転びながら感想を漏らしていた。

 翼の父から告げられたのは、進の親の了承を得ることだった。ただそれだけである。

 その言葉にどれだけの意味が込められていたのか進は知らないまま、翼を連れて実家に帰っていた。

 またもや連絡をしないまま、しかし今度はしっかりと説明を、経緯まで細かく伝えた上で、夏希は笑っていた。

「馬鹿ってなんだよ。こっちは真剣に――」

「わかってるよ。だから言ってんの。惚れた腫れたなんて馬鹿になんなきゃやってられるか」

 それは経験からなのだろう、元既婚者としての答えだった。

 結局どういうことなのか、進は頭を巡らせる。認めたのか認めていないのか、笑顔の下に怒りを隠しているのか、読めずもやもや。まだ象やチンパンジーのほうが何を考えているのかわかりやすい。

 進が見つめる先にはだらしない格好のトドが一匹、彼女は当事者であるはずなのに蚊帳の外にいた翼へ目をつけていた。

「翼ちゃんだっけ。ありがとう、こんな馬鹿息子を助けてくれて」

「あ、いえ……何もしてないです……」

「いいのよ。馬鹿が勝手に恩を感じてるんだから、むしろ恩着せがましくしておきなさい」

 ははは、と夏希がふてぶてしく笑う。翼は若干どころではなく居心地悪そうに合わせた膝を細かく動かしていた。

 そして、夏希が身体を持ち上げる。

 ピリッと、粉山椒を散らしたような辛い空気に変わる。射抜くような目で見つめられ、翼が背筋を伸ばしていた。

「ありがとう。進を好きになってくれて」

「……はい!」

 一礼、座位ながら深々と下げた頭に翼がはっきりと答えていた。

「こっち来てくれる?」

 頭を上げた彼女は手招く。なんだろうと立ち上がった翼は突然大きく開かれた腕に絡め取られていた。

 固まるつばさ、その身体に頬擦りする変態トド女が一匹。

 猫吸いという言葉がある。ペットの猫に対して、その腹などに顔をうずめて匂いを嗅ぐ行為のことだ。アレルギー持ちを殺すような行動は、愛猫家のなかではよくあることと認識されつつあり、医師から推奨されない行為としても名高い。それを人間に対して行うというのはいかがなものだろうか。

「あぁー」

 ひとしきり、やたら長く堪能して、夏希は喉を鳴らしていた。その表情は笑顔というよりも蕩けているようで、

「やっぱり女の子はいいわぁ。ねえうちの子にならない? 養子でいいから」

 同じ選択肢が出るあたり、やっぱり親子だった。

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