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第18話

「で、注文何にする? 俺は刺身定食」

「進君、ちょっと真面目に話してもいい?」

「いいけど、克樹がみきすけとまき、どっちも選ばなかったってだけの話だろ? 人生長いんだしそういうこともあるだろ」

 ペラペラと気が済むまでメニュー表をめくった後、隣の紀美に放り渡した進は自信満々に自身の推論を語っていた。もう終わったことなのだから、折り合いが必要なのは確かだ。

 もっとも、その推論が当たっていたらの話だが。

「……なんの話?」

「さあ?」

「どこからそんな発想になったんだよ……」

 紀美、真喜子、克樹と順に反応するが、首を傾げていることは同じ。隠し事のために口裏を合わせている気配はなく、初めてキュビズムを見た子供のような、意味不明さから何かを理解しようとする姿勢がみてとれた。

 ……やらかした?

 反省するには遅く、後の祭りである。

 いまさら撤回なんてできはしないのだ。

 先程までの傲慢さは何処へやら、気恥ずかしさで進の顔は真っ赤に染まり、胸元が燃えるように熱くなる。恥の多い人生を歩んでいても進んで恥をかきたい訳ではないのだ。

 じゃあなんなんだよと逆ギレも出来ず、進は不貞腐れるように注文のベルを押す。精神的に一旦仕切り直ししたかったという下心が丸見えであった。

 勝手に押されたとて、店員が来ることを止められはしない、納得のいかない顔をする三人も自分が頼むメニューを決めなければならなくなっていた。

「……刺身定食でいいや」

 消極的に紀美が言えば他二人もじゃあそれでと追随する。その妥協に普段なら進も一つ二つ言葉を差し込むところだが、今は借りてきた猫のように大人しい。

「お待たせしました。注文をお伺いします」

 ノック、そして開いた戸からまだ若いアルバイトの女の子が顔を覗かせる。代表して紀美が注文を言い渡すと、確認後彼女は少々お待ちくださいと戸を閉めていた。

 途端、静かになる。流れが途切れたことによりお互いとっかかりを探して右往左往、出来れば誰かに主導してほしいという願いに空間が支配されていた。

「――俺はこの二十年、特に面白く話せることなんかねえぞ。短大出て適当なところに就職したけどまだ社会経験に慣れてなかったからだいぶ苦労して五年くらいかな、そこ止めて今のところに落ち着いた感じ。恥ずかしながら浮いた話一つないしな。そういう意味では結果はどうであれ子供のいるお前らがうらやましいよ」

「短大? 何系?」

「経済系、ま、何か役に立った印象はねえけど」

 克樹の問いに進は笑いながら答える。現職が福祉系の一般事務であるから、本当に短大時代の知識を役立てたことはなかった。むしろ、前職で培った社会人としての心構えと仕事の手の抜き方のほうがよほど今を有意義なものとしていた。

 この中で一番話しやすいということで進は過去を語っていた。死んだ、とすら思われていたのだ、誰も知らないことは保証済み、その中でも言いやすいことだけ選んでいた。

 先手を打ったのだから、と進は克樹を見る。男同士、言いたいことは目線である程度伝わるものだ。

「……こっちの芸大に真喜と一緒に入ってさ。卒業してからも楽団に入って音楽やってた。小さいところだから給料は安かったけどそれなりに慣れてきた頃かな、真喜の妊娠がわかったんだ」

「お前の子?」

「当然だろ。で、結婚するから挨拶に行ったんだ。真喜の親父さんはほとんど反対しなかったけど、唯一仕事に関しては口を出してきてさ。まぁ確かに安いし今後上がっていく予想もないしで、金に苦労させるような男は認めないって言われて……」

「で?」

 だいたい話は読めてきた中で進は聞く。人生山あり谷あり、思い通りにいかなかったというだけの話に帰結することは確定しているのだから。

 克樹は苦笑しながら、お茶で唇を湿らせたあと、また話し始める。

「それで音楽は止めたよ。真喜にも苦労はかけてたしな」

「そんな人のせいにする言い方しないでよ」

「仕方ないだろ、そうしなきゃ認めてもらえなかったんだから」

 夫婦喧嘩、いや元夫婦喧嘩が始まろうとしていた。

 克樹は自分と家族を天秤にかけ、家族をとった。他にやりようがあったとしてもそれは外野が言えることで、克樹は間違っていない。しかしそれは真喜子に負い目を感じさせていたようだ。

「店の中で喧嘩すんなよ。で、それが離婚の原因?」

 声量が大きくなっていく二人に、進は水を差していた。もういい大人なのだ、分別のつく二人は揃って首を前に倒していた。

 ……なるほど。

 事情はそれなりにわかった、と進は一息つく。克樹は音楽に未練があり、真喜子にとってそれが目障り、恩着せがましく見えていた。だから別れた、お互い少しは我慢しろよとも思うが、実際に生活してどうしても耐えられなかったのだろう。外から口を出す話じゃない。

 そう、これは夫婦の問題なのだ、だからなおさら紀美まで怒る理由がわからない。

「で、紀美はなんの関係があるんだ?」

「なんでって……結婚式で御祝儀出してんのよ? デキ婚しといて五年で別れたなんて納得できるか!」

「……え、金の問題?」

「出てない人にはわかんないでしょうね!」

「……ちなみにいくら出したの?」

「十万」

 ひぇ、と進の息が詰まる。まだ二十代半ば、そんな中での十万は決して安いものではない。

 友人代表として、心から慶事を祝っていたのだ、その為に見栄っ張りな金額を出してもいいと考え、それがたった五年で終わりを迎えた、裏切られたと感じても納得がいくというものである。卑しいと言うなかれ。

「確かに俺には何にも言う権利はないけどよ。離婚したことは仕方ないし、今はお互い自分の好きなように生きられるんだろ。もう忘れて、やりたいことやればいいじゃねえか」

 過去に縛られても息が詰まるだけ、わざわざ辛いところばかりに目をやらず、楽しくいようというのが進の考えである。

 それは正しいことだった。少なくとも人前で言い争いをするよりかはずっと。

 しかし、納得いかない人物が一人、紀美である。

「私のお金……」

「結婚して取り返せ」

「あの時代の十万円の話!」

「アインシュタインにでも頼むんだな」

 過去には戻れないのだ。少なくとも進の力では。

 過去との決別などすぐには無理だろう、そんなに早く気持ちの整理が出来ていれば離婚後、約十年くらい関係が険悪になどなっていない。それでももう少し楽観的に考えることができれば少しは生きやすいというものである。

 くそめんどくせぇ……。

 結局、進の感想はそこに帰結していた。




「そういやさ」

 進が箸を止めてそう前置きする。四人分並んだ定食をつまみながらぎこちない会話を楽しんでいる時だった。

 進が見た先には克樹がいた。彼はその人の良い顔で見つめ返す。

「なんだ?」

「今一人暮らしなん?」

「まぁな。しがないマンション暮らし」

「楽器はやらんの? 別に趣味で演奏するだけなら自由だろ、それも出来ないくらい忙しいってんなら別だけど」

 過去にプロとして活動していたのだ、子供が出来たからといって全て断つというのももったいない。セカンドライフという訳ではないが、子供を真喜子が引き取っている以上、自分の為に時間を使ってもいいはずだ。

 ただの興味本位の言葉に、克樹はあー、と歯切れの悪い返事をしていた。

「……どうだろう?」

「どうだろうってなんだよ。お前のことだぞ」

 と言っても克樹は愛想笑いするばかりで煮え切らない。その視線は真喜子の様子を伺っていた。

「……別に。私に遠慮することじゃないじゃん」

「そうだぞ」

 進が言うと、隣に座る紀美から拳が飛んでくる。それは見事に肩を抉り、鈍い痛みが尾を引くよう。

 日に日に遠慮というか暴力で従わせる傾向が強くなっていた。これでは嫁の貰い手を期待することも難しい。

「あんたは黙ってなさい。夫婦の問題よ」

「元、夫婦だろ。他人じゃん」

 無神経男の発言は、良く研がれた包丁のように鋭く刺さる。ぐうの音も出ないほど正論なのだが、このままでは心の出血多量で病院送りになりそうな人が二人ほどいた。

 そんなこと先に気づければ口にしない訳で、進はまだまだ口撃の手を緩めない。

「こうやって離婚してからも子供の行事には参加してるくらいちゃんと親やってるんだ、上等だって。まぁ中学くらいになると世の中わかってくるもんだから、喧嘩してた両親が自分のために我慢してる姿は寒々しい通り越して痛々しく見えるもんだけど」

「……そういやあんたの両親も離婚してたんだっけ」

「まぁな。別に子供としては気にしてないのに、イベントの時だけ気を使われるってのもめんどくさいもんだぜ。そんな気を使うならそもそも別れる前に夫婦で気を使い合えよって話だし。二人とも構いすぎには気をつけろよ」

 子供と同じ目線に立てる進だからこそ言える言葉もある。元夫婦はそれを黙って聞いていた。

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