第16話
「あっ……」
進が思わず声を上げたのは、見つめていた先、男性が立ち上がり、あろうことか進の方向へと向かっていたからだった。何かほかに用があるかとも期待していたが、その目論見は甘く崩れさる。
数十メートル先からバッチリと目が合っていた。男性は一瞬たりとも視線を離さず、細い道を渡るように脇目も振らず進の前まで来ていた。
ぽかんと、逃げるなんて想像すらしていなかった進に、男性が話しかける。
「何か御用ですか?」
その顔からは警戒の色がはっきりと見て取れる。座っていた進は直ぐに立ち上がると、いや、あの、と意味にならない言葉を口にしてから、
「五味……克樹さんだったりしませんか?」
恐る恐る、暗闇に手を差し込むような怯え方で尋ねていた。
しかし見れば見るほど似ていると進は考える。当然年相応に老けているが、当時の人がよさそうな面影はしっかりと残っていた。
間近で見た事によりそれは確信へと変わる。むしろここまで同じだと他人であるほうが難しい。こんな狭い町に二人も同じ顔がいるなんて逆にどうかしてると進が思うのも無理はない。
男性は訝しげに目を細めて、「そうですが」と猜疑の目を強めていた。しかし進にとってそんなことはもうどうでもよく、旧友だとわかったことに安堵して一歩近づいていた。
「あー、良かった。よお久しぶり」
「……どちら様ですか? どこかであったことありました?」
「んだよ、つれないなぁ。同中の進だよ、忘れたのか?」
「……進? 進ってあの? まじで、生きてたのかよ!?」
……ふむ。
同級生であり同じ部活の、しかも唯一の同性から何故かあの世行きを疑われていたことに進は世にも奇妙な顔をしていた。そんな資格ないのに、今日まで知人の誰とも連絡を取りあっていなかったのだからさもありなん。
それより今は進以上に再会を喜ぶ克樹が両手を広げていることの方が、彼にとって重大なことになってしまっていた。意図するところは痛いほどわかる、わかるがそれをやっていいのは女性同士か洋画の中でのみ許されることであり、学生の時の若々しさを失った、たるんだ肌のおっさんがやっていいことではない。
「待て、早まるな。その先に待っているのは薔薇の園だぞ、それでもいいのか?」
「あ、あぁ。そうだよな。この歳になってやることでもないか」
進の気持ちをわかってくれたようで、克樹は花が萎れるようにしゅんと引き下がる。ただ名残惜しそうに下がりきらない腕をみるとそれだけ再会を喜んでいることが汲み取れた。他に他意はないと信じたい。
また、克樹はこの歳になってというが、進の名誉のために言えば学生時代も抱き合って感動を分かち合うなんて過去の一度もなかった。都合よく記憶が置き換わるなんてこともあるが、進にとっていい迷惑だった。
話したいことはたくさんあった、今までどうしてたとか、今どうしているとか。思い出が強烈に掘り起こされる中、それら全てを差し置いて、
「――お前、卒業前に貸したゲーム返せよ」
「……あ、ごめん。売った」
進は克樹の柔らかい腹を殴っていた。
その後三発ほど殴り返され、と言っても軽くだが、身体能力の違いに進は打ちひしがれていた。やり返そうにも不意を突いた一発目以外は軽くいなされ、カウンターと言わんばかりに、執拗に腹を殴打されていたからだ。
「俺が女だったらどうすんだよ……」
「気持ち悪いこと言うな」
馬鹿みたいな会話が実に子供らしく、進は懐かしさを覚えていた。まるで成長していない証拠でもあるのに何故か誇らしげに笑う。
「で、こんな所でどうしたんだ? 野球に興味あるなんて聞いた事なかったけど」
「応援だよ。一応母校が出てるしな」
正確に言えば応援の応援である。いや応援かどうかも怪しい、ただの便利使いといったところが妥当だろう。
母校といえば当然克樹にとっても母校である。しかし彼はん? と眉をひそめていた。
「対戦相手、二中じゃないのか?」
「人数足りないから混ぜて貰ってんだよ。まぁベンチ入りですら一人しかいないからそう思うのも仕方ないけど」
進の言う通り、グラウンドに母校の生徒の姿はない。実力もあるが、わざわざ人数が揃っているのに他校の生徒を使いたがらないというのは監督として当たり前のこと、しかしこうも展開が決定的なら思い出代打くらいの機会はあるかどうかといったところ。そのため試合のどこにも母校の名前の記載はなかった。
進からすればなんの思い入れもない他校と他校の試合を眺めているだけになっているのだ、応援も冷めるというものである。
てっきり克樹も同様だと思い込んでいた進は、噛み合わない話に疑問を持つ。
「そっちも応援じゃないの?」
「いや応援だよ……子供の」
不自然な空白を空けて克樹は告げる。耳に茶碗一杯分の耳くそが詰まっているのではないかと噂されるほど鈍い進でも、それくらいは気付いていた。
こと家族の話題にたいして言い淀む奴は何か抱えているというのが経験上分かっていた。進の母親、夏希が離婚話を切り出した時もそうだったからだ。嫌な経験則である。
「おぉ、そうか。じゃあ一緒に見に来たのは奥さんか?」
「あぁ、元嫁だけど」
やらかした。
後悔するにはもう遅く、進の表情がひび割れる。楽しく話をして他愛のないことで笑い合いたかっただけなのに、どうして……世の中が彼に厳しすぎた。
もうゲームなんてどうでもいい、進は適当に相槌して帰る心積りだった。これ以上面倒事に付き合っていたら心身ともに衰弱する。
それを阻止したのは、一人の女性だった。
「克樹……どうしたの?」
それは克樹と微妙な距離を空けて並んで座っていた女性だった。克樹の言葉を信じるならば元嫁、つまり面倒事である。
適当に挨拶して帰ろう、進はそう心に決めていた。しかし口を開く前に、
「進だよ。中学の時の同じ部活だった」
「進……進!? 生きてたの!?」
まさに天丼、しかし進にツッコむ気力はなかった。
何となく、近くで顔を見てうっすらと勘づいたことがある。どこかで見た顔、どこかで聞いた声。記憶の中よりややふっくらとした彼女の雰囲気だけは昔と変わらずにいた。
「真喜……だよな?」
「そうそう、久しぶり……ねえ太ったんじゃない?」
自分のことは置いといてよく言う。そう思っても進は、「かもな」と乾いた笑いをしていた。
真喜、本名は上原 真喜子。旧ブラスバンド部に所属していた同級生で担当はフルート。トロンボーンの克樹と合わせてこれで四人、全員が揃ったこととなる。だからなんだというのだ、一刻も早く帰ってやる、そう決意するほど面倒に巻き込まれることが嫌いだった。たとえかつて親友と呼んだ仲であっても、だ。
「じゃ、また」
「おいおい、久々にあってそれはないんじゃないか? この後暇だろ?」
何故か断定的に言われるが、進は内心ほくそ笑んでいた。
「いや、申し訳ねえ。この後吹奏楽部の子達を送っていかなきゃなんだ。また今度な」
これで逃げられると、表裏で笑う進に、真喜子はえー、と不満をたれる。しかしその一方で克樹は急に押し黙っていた。
その不審な行動は直ぐに見つかり、真喜子はどうしたのという目で見あげていた。直ぐに耳打ちされ答えを聞いた彼女は、「……あぁ、紀美の」と呟き顔色に影を落とす。
一連のやり取りを見て、進は食傷気味だった。ほぼ確信したのは、紀美が何らかの関与をしている、もしくは二人の事情に明るいということ。約一ヶ月前での家飲みで二人の話題に噛み付いてきたのはそういうことか、と納得する。もっと早く思い出せとも。
くそ、謀ったな、と一体誰に向けたものか分からない悪態をつく。
「紀美は……元気にしてる?」
「あー……うん、まぁそこそこじゃないかな。悪くないと思うよ」
真喜子の問いにうーん、と違和感を覚えながら進は曖昧に答える。気が入っていないのは、そろそろ終わりそうな試合がこの土壇場で異様な粘りを見せていたからだ。九回表、ここでスリーアウトなら試合終了という場面でヒットが二回、三人目はアウトながらファールを重ねて投球回数を稼いでいた。変に期待を持たせるから応援の熱も上がり、相手も釣られるようにつまらないミスを重ねていた。
いよいよ失点かと言う時、審判が立ち上がりタイムをかける。ここで一度気持ちを入れ替えてあと二つのアウトを取りに行く、要は負けなければいくら失点してもいい、いつもの調子に切り替えることが大事だった。
おそらく試合はあと少しで終わる。横目でその状況を確認する、気もそぞろな進を傍目に克樹と真喜子はひそひそと内輪で話始めていた。
大人三人がそれぞれの思惑を抱えているなか、試合は唐突に終わりを迎えていた。満塁策をとった相手チームがきわどいところを攻めて、打者も思わず手が出たのだろう、ぼてぼての当たりはピッチャーの手前に転がり、二塁一塁とゲッツーという、なんとも締まらない結果となっていた。




