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第13話

 ただ証言は一つしかなく、それを数少ない証拠として判断するほかなかった。

「裁判長、いかがでしょうか」

「うーん、黒よりの黒ね」

 つまり真っ黒、進に変態のレッテルが貼られた瞬間だった。

 茶化すまうみに雪緒が乗っかる。その程度の問題だということへの安堵が現れていた。

 ただ、そのなかで面白くないと感じていた人物が一人いた。

 翼である。

「……さくら、今の話ほんと?」

「え、まぁ、うん……」

 歯切れの悪い返答であるが翼にとっては関係ない。

 むしゃくしゃしていた。

 それこそ今すぐ飛び出しそうになるくらい。

 原因は、誰もわからない。しかし少女の決意を固くしたことだけは確かだった。

「ごめん、今日部活いけなくなった」

「は? なんでよ?」

「なんでも。今日行ったら皆に迷惑かけるから」

 たいした説明もなく無茶ばかり、雪緒が不機嫌になるのも仕方がない。

 そこへ助け舟を出したのは吹奏楽部部長、まうみだった。

「大事なことなんでしょ。じゃあしょうがないよね」

「まうみ、ありがとう」

「ちょっと、もう野球部の試合まで時間ないのにそんなんでいいの?」

「いいの。友達だもん」

 友達、そういわれてしまえば雪緒とて強くは言えない。

 許可はおりた。理解ある友達に感謝しながら翼はその時まで悶々とした時を過ごしていた。





 時刻は変わり、午後六時前。

 陽が落ち始め、夜の気配を色濃くする頃。街には帰宅を始める人の群れが見受けられるようになっていた。

 進もその中の一人。月曜から飲みに行くなどというセレブリティな行為は出来ず、帰路の途中にあるスーパーへ立ち寄って食材を買って出たところだった。一人暮らしを始めて早十数年、米を炊いている間に簡単な野菜炒めと鰹節を乗せただけの冷ややっこを作るなど手慣れたもの、もはや面倒という発想すら湧いてこない。

 今日も今日とて雑な男飯。最近はラー油を足してのピリ辛風味が個人的にお気に入り。その日その日で手に入る安い食材を使っているため味に振れ幅が大きいが、それなりに食えるものが作れるようになっていた。

 マンションにつきエレベーターに入る。生気の宿らぬ目で見つめるのはエレベーター内にある電光板の、大きくなっていく数字だけだった。

 ドアが開き、自宅へと向かう。ビニール袋を持ち直したところで進は異常事態に気付いた。

 誰かいるのである。

 立ち止まる。見間違いかと考えて二歩下がるが間違いはない。自宅のあるマンション、階も合っている。

 ならばなぜ自宅のドアの前に人が座っているのだろうか。

 道迷った、ならば外に出て警察にいくべきである。

 体調が悪い、警察にいけ。

 ドアが開かない。管理人室にいけ、そもそも他人の家の前だ。

 強盗か、なら自分が警察に行かなければ。

 いくつか候補を出してみても色良い答えは出てこない。進は慎重に曲がり角から頭を出して様子を伺うと、どこか見覚えがあることに気付いていた。

「……翼?」

 そこにいたのは先日ぶりとなる少女だった。横に大きなバッグを置いて体育座りをする彼女は、進の声に顔を上げる。

「遅い」

「遅くねえし。てかなんの用だよ」

 開口一番苦情を漏らす翼に反論する。あの日忘れ物をするほど物を持っていた訳じゃない、進は皆目見当もつかないでいた。

 理由がわからない行動をされると人間呆れや恐怖を覚えるものである、それを畳み掛けられたなら尚更だった。

「今日、泊めてよ」

「嫌だけど」

 正確には無理なのだ、二人が許しても世間が許さないから。

 取り付く島もなく断った進はあからさまに憤慨する翼の前に立ちドアの鍵を解錠する。その無防備にさらけ出した足を小突かれながら、

「……とにかく、入ってから話しようか」

「……うん」

 なんだかんだ追い返さないだけ、優しいところもあった。





「飯は食った?」

「食べてない……」

「雑なもんしか出せないけどそれでもいいなら作るぞ。それとも外で済ますか?」

「それでいい」

 しおらしく椅子に座る翼は覇気なく答える。いつもの態度からは想像できない弱さを前に、進はただやりにくいと感じていた。

 それでも必要以上に声をかけることはない。ここ数日の態度から人並み外れた鈍感さを持ち合わせている進でも好意を持たれていること自体は自覚していた。しかしその道は茨が敷き詰められている、自分から深追いする気などなかった。

 料理も出来上がり、テーブルに並べる。予定通り野菜炒めに冷奴、あとはインスタントの味噌汁。簡単なものと言って誇張なく簡単なものを出すところが進らしいが他に食材がないのだから仕方ない。

「いただきます」

「いただきます……」

 お互い確信に触れないまま、食事が始まる。二人で食事しているというのに空気は死んでいて、カチカチと食器が合わさる音だけが嫌になるほど響いていた。あまりの息苦しさに全身むず痒くなりそうである。

「部活はどうした?」

「……休んだ」

 とうとう耐えきれず、進が尋ねる。あまりに短い返答は負い目があることを示しているようにも見えた。

「……土曜に言ってたことは嘘だったんだな」

「嘘じゃない、嘘じゃないし……」

「今やるべき事はなんだ? こんなところまできて外泊することじゃないことぐらい理解しているだろ?」

 進は珍しく強い言葉を選んでいた。あえて突き放すように言うのは怒っているからではなく、その先に後悔しかないことがわかっているからだ。短気は損気、そういうことだった。

 翼とて馬鹿じゃない。一時的な感情に振り回されているなら落ち着くまで時間が必要で、聡明な――学校が教える勉強とは違う分野で――彼女なら理解してくれると信じていた。

 だから声も出さずにポロポロと涙を流すなんて想定出来なかったのだ。

「どうして、そんなこと言うの……さくらは受け入れた癖に……」

「何の話だ?」

「唇を奪われたって……」

 翼の台詞が進を殴りつける。

 事実無根だった。

 冷静に考えれば分かることである、ろくに接点もない大人が相手のホームで不埒を行う、露呈しない理由がなかった。だからありえない。

 恐ろしいのは翼がその妄言を信じたことだ。実際のところはよく聞かずに彼女が勘違いしているだけなのだが、進には分からない。ただ根も葉もない噂が独り歩きして公然の事実となっているとしたら、今週末に待っているのは楽しい部活動の手伝いではなく、紀美による拷問じみた詰問だろう。

 だから進が行うべきはどうにかして翼の誤解を解き、なおかつ御学友を説得しなければならないと考えていた。

「誤解だ」

 悲しきかな、言葉足らずである。

「じゃあさくらが嘘ついたってこと?」

「嘘……なのかどうかはちょっとわかんないけど、少なくとも記憶にないんだ。信じてくれよ」

 浮気を疑われた夫のように両手を合わせて進は懇願する。彼の中ではさくらの唇に指を触れたことなど、一瞬の出来事すぎて忘れてしまっていた。

 本気で頭を下げる進、このままだと土下座までしかねない本気さがあった。その様子に唇を真一文字に結んでいた翼は、「……わかった、信じる」と渋々頷いていた。わざわざ進の家まで押しかけた割に、なんだかんだ甘いところは彼女の将来を不安にさせる。

 なんにせよこれで無事問題は解決の様相を呈した。安堵に気を安らげた進は一度置いた箸を持ち直す。

「じゃあ今日のところは送っていくから、飯食ったら帰れよ」

「それは嫌」

「なんでだよ」

「もうパパに言っちゃったし……なにか不都合ある?」

「あるに決まってるだろ。逮捕されたらどうすんだ」

「別に誰が見てるわけでもないんだし、バレないから平気でしょ」

 見通しの甘さはまだまだ子供だった。それでも翼の状況を自分に置き換えた時、意固地になる理由も進には理解出来ていた。

 友達の家に泊まる、現在一つ嘘をついているのだ、当たり前だが嘘なんてつかないほうがいいに決まっているが、それを二つにしてしまえばその分あらが出る。痛い腹をこれ以上探られないために嘘を重ねることを避けたいのだ。

 それより言っておかねばならぬことがある。さすがになあなあで済ませるには翼の行動力を見誤っていた。

「……あのな、ひとつはっきりさせておくが、今お前の感じていることは全部気のせいだ」

「気のせい?」

「たかだか三週間、それもちょっと顔を合わせただけの奴に心を許すなんてありえない、そういうことにしておいてください」

 最後へりくだった言い方になったのは、これまた複雑な男心からだった。

 恋愛とはなにか、進は明確な答えを持ち合わせていない。よく恋は麻疹のようなものと例えられるが、そもそも麻疹とはなんだっただろうか、昔のことすぎて記憶にもない。多分熱にうなされるかなにかだろうと今必要ないことへ熟考する程度には縁のない話だった。

 よくわからないことをさも経験豊富のように語るなど虚しいだけで相手にも響かない。一目惚れという文化も知っているし、どれだけ長く愛し合っていても突然大吹雪に見舞われたように冷めることもある、翼の感情を真っ向から否定できる材料がなかったのだ。それはそれとして、何もかもをかなぐり捨てて受け入れる度胸も義理もない。

「迷惑だった?」

「つうか怖い。歳をとるとな、何をするにも色々考えてからじゃないと上手く受け入れられないんだよ。若い奴とは生きる早さがちがうんだ」

「嫌とは言わないんだ」

 真っ向から酷いことを言われているはずなのに、翼の口から出たのはいいとこ探しだった。

 進は思わず口ごもる。ばつ悪そうに眉間に皺を寄せ、乾いた喉を震わせた。

「……仕方ないだろ。嫌だって言えるほど人から好かれたことがないんだから」

 生まれてこの方異性だけでなく同性含めお付き合いをした事がなかった。一方的に好かれることへ猜疑心がありながらも、味わったことのない気分を好いていた。

 とにかく時間、時間が必要だった。今後どうするにしても、ある程度時間が解決する部分はある。関係が好転悪化するにしても、今答えを出すより絶対に上等な結果になると信じていた。

 なのでこれ以上話し合うことはやぶ蛇、進は箸をまた掴み直して、ずいぶん捨て置かれた食事に取り掛かる。

「ほら早く食べちまえ、冷めると美味くないからな」 

「……豆板醤ある? 私辛党なの」

「気が合うな。俺もそう思ってたんだ」

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