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第1話

 母校が廃校になる、という話を聞いたのは唐澤(からさわ) (しん)が実家に帰った時のことだった。

 少子化と若者の田舎離れに歯止めがかからなかったという、いかにも現代風な問題は、時代遅れの田舎にも影響するというなんとも風刺的(ふうしてき)な話である。

 齢三十を超え、そろそろ初老も見えてくる歳の頃だった。進は母親の言葉にたいした感慨(かんがい)もなくへぇと気の抜けた返事をするばかり。それも仕方の無いことだった、彼にとって中学時代というのは大きく人生を変える転機になった訳でもなく、何ら思い出に残らない三年間だったからだ。

 ゴールデンウィーク、たまには顔を見せなさいと女手一つで育ててくれた母親の言いつけを愚直(ぐちょく)に守り続けて早十数年、それなりに整った顔である――少なくとも不快感を与えるような顔つきでは無いことを自他ともに認めているにもかかわらず、今まで異性どころか同性すら連れてこずに一人で帰ってくる愚息(ぐそく)に母である夏希(なつき)は期待することも忘れていた。帰る予定を告げた時、一人かどうかを聞かれなくなったのはいつの頃からだろうか、いや最初からなかったのかもしれない。初めのうちはまだ若く、晩婚化(ばんこんか)が進む世の中で焦る必要もないという親心も、いつしか浮いた話に縁がない星回りなのだろうと諦められていた。

 今年も一人、売り手に困る十年落ちの中古車に乗って来た進が、久々に人の作る朝食へ舌鼓(したつづみ)を打っているときの事だった。



「懐かしいなぁ」

 郷愁(きょうしゅう)に思いふける言葉を進は呟いて見せるが、内心では言葉ほど心揺れていなかった。

 朝食を食べ終え、何をする訳でもなくただ居間でごろごろと堕落(だらく)(むさぼ)っていた時のことである。洗濯に掃除と忙しく働く母親の目に耐えきれず外へと飛び出したはいいものの、行く宛てもなくさまよい続け、なんの気の迷いか話に出た中学へと足を伸ばそうと考えついたのだ。

 久方ぶりに見る母校、市立中学は当時よりも小さく見えていた。まるでミニチュアサイズのジオラマを眺めているようで、懐かしさよりもその細部に目を奪われていた。

 年月が風景を褪せさせるということもあるだろうが、単純に十数年の間雨風に(さら)されて出来た(ほころ)びのようなものが目立つ。このままなら廃校になった後の活用は容易でないだろうなと、他人事のように進が考えていた時のことだった。

 プオンという音が響く。それも一つではなく、二つ、三つと追いかけるように続いていた。

 音を線で例えるなら初めはバラバラに三本飛んでいたものが次第に交差しその隙間を短く、やがては1本の綱となる。音を合わせるチューニング、それも音色からするに金管楽器である様子から、進はほうと興味を持っていた。

 それは中学時代自身も同じく楽器を演奏していたから、ではなく季節先取りの炎天下、これからもっと暑くなるであろう時間にもかかわらず外練(そとれん)をするという酔狂にも似た行為にだった。

 学校を覆うフェンス沿いを音の方向に向かって歩く。徐々に大きくなるそれは来客用の駐車場のところから聴こえていた。

「……」

 その光景を見て、進の動きが止まる。思わず敷地内にまで入ろうとしていた自分を(いさ)めながら、思わず笑みが零れていた。

 在りし日、同じように外練をしたことがあった。中華鍋の中のような暑さの下、運動部の応援の練習のために休日まで学校に通うことを恨む程度には不真面目であった。

 当時から在学生の人数に(かげ)りの見えていた中学では部活動の種類も多くなく、当時人気だったアニメなどにあやかって増えた部活の裏には部員不足で消えていく部活もあった。特に文化部はその傾向が大きく、進が入学した時にはブラスバンド部の一つしかなかったのである。

 嫌な言い方をすればなんでもそつなくこなす子供であったと言われ育ったが、どうにも本人の意欲が運動というものに向かなかったため、いやそれすらも単なる言い訳か、体育会系と評される厳しい上下関係を想像し堅苦しさから逃れるように文化部の門を叩いたのだった。当然楽器経験など音楽の授業でリコーダーを吹いたり鍵盤(けんばん)ハーモニカを叩いたりといった経験しかなく、どんな楽器があるかすら知らなかった。そもそもブラスバンド部が何をする部活かの知識もなかったのだ、それでも運動部よりは楽だろうという浅はかな考えは実に年相応であり、そのツケは早晩(そうばん)払わされることとなったのだが。

 なんにせよ、この場に用はないと後にしようとした時だった。進が振り返った先に当時と変わらぬ制服を着た女子生徒が立っていた。

 当然目が合う、その距離数歩と言ったところだろう。腕には金色が眩しいトランペットを抱え、塗装の剥げた楽譜台を持つ少女はしばらくの睨み合いの後、熊と遭遇してしまったようにゆっくりと後ずさる。こんなドがつく田舎でも防犯意識が高いことを好ましいと思うやら、そんな社会になってしまったことを憂うやら、どちらにせよこのままではよろしくないことになると考え、進も一歩後退する。

 そして、刺激しないよう言葉を選びながら慎重に口を開いた。

「あー……怪しくないよ?」

「怪しい……」

 バッドコミュニケーションだった。ここに来てアドリブ力のなさが露呈してしまったことに一抹の後悔を感じながら、進はどうにか取り繕うと言葉を紡ぐ。

「えっと、自分ここの卒業生でさ。閉校になるって言うから見に来たんだけど、懐かしい音が聞こえてね。ブラバンでしょ、俺もそうだったから」

「と言うことは……先輩ですか?」

 少女が驚いて目を丸くする。確かにその言葉を否定する要素を進は持ち合わせていなかったが、それにしても歳が離れている。こんなことになるまで縁もゆかりも無かった人を先輩として敬えという気には到底なれなかった。

「いや、ただのおっさんだよ。先輩なんて大層なもんじゃないし」

 少女の純真な目から逃れようと、進は断るように手を振りながら視線を逸らす。(けが)れなき瞳は一点、進の顔を捉えて離れず、熱視線に穴があきそうだと進は感じていた。まだ怪しまれているのだろうか、内心のヒヤヒヤが汗となって(にじ)み出ている頃、ようやく少女の気配が薄れていた。

 その安堵もつかの間のことだった。

「じゃあ練習見ていきますか?」

「そうはならないでしょ!」

 進の口から思わず本音がこぼれ落ちる。

 田舎特有の距離感というのだろうか、ご近所だと分かれば、いや害がないと判断すると急に垣根を飛び越えてくるきらいがある。都会に出ていった進にとって懐かしくもあり、その馴れ馴れしさに馴染めなくなった自分もいた。

 若干十数歳の子供に押されるという情けない姿を見せる進は早々に話を切り上げるつもりで手を振る。郷愁もあるがそれは二十年前のこと、記憶も放置したセーターのごとく色褪せ虫食いも多い。何より彼女には関係のないことだった。

「じゃあ練習頑張って――」

 言いきれずに言葉が詰まる。くだんの少女が何かした訳ではない、その後ろから歩いてくる人物の姿を目に捉えたからだった。

 それは中学生にしてはいささか老けて見えていた。それもそのはずである、制服ではなくスーツ姿の女性は学生ではなく教師だったのだから。

 彼女はその腕に楽譜の束を抱えながら声をかけるでもなく進へと目線を注いでいた。まるで新種の生物を発見したように、とくに顔だけは念入りに、舐めまわすように見られては気分のいいものではない。不審に見えるだろうが不審者ではないのだ、(やま)しいことはないためムッとする気持ちを抑えてそそくさと退散「……進?」――思考を遮られていた。

 聞き間違えでなければ自分の名前だと進は考える。一方的に個人情報を握られているという恐怖は都会を生きる上で(つちか)われた能力であり、アレルギーのように強烈な拒否反応を起こしていた。

「……そうですけど」

「え、マジ? 久しぶり! どうしたのこんな所で」

 女性はつかつかとパンプスを鳴らして歩み寄る。同年代くらいだろうか、化粧の下にも浮かび上がる年輪のようなものを見つけ進は見当をつけていた。

 ……誰?

 今度は進の方からまじまじと見つめ返す。地元の知り合いとは縁が切れて久しく、思い出そうにも難儀(なんぎ)する。そもそも人の顔など積極的に覚えていかないと手指の間からすり抜ける砂の如し、十年以上前なら語らずもがな。

「……えぇ、忘れたの!? 同い年のブラバン部の紀美なんだけど」

「あ、あぁ、うん。覚えてる覚えてる」

 特大のヒントというか解答を貰って、ようやく進は頷いていた。しかし頭の中は深い霧に包まれており、まだその輪郭をはっきりと捉えることは出来ずにいた。

 ……紀美、紀美……。

 言われてみればそんな名前もあったと、進は一人納得する。当時同学年での部活仲間は四人しかおらず、女子は二人、そのどちらかでしかありえないわけで。

「……太ったな」

 どちらも線が細いことだけを思い出し、ようやく浮かんだことを嬉々として口にする。考えなしの言葉はもはや引っ込める術などなくて、

「やかましい!」

 往年のキックボクサーを彷彿させる鋭いローキックが太腿を叩く。

 空気の弾ける音に遅れて膝から崩れるような痛みが走る。何故だろうか、それが呼び水となって――「いってぇな、みきすけ!」――懐かしき記憶が呼び戻されていた。

「いきなり太ったとか、馬鹿なこと言うな!」

「太ったのは太っただろ! 現実から目を背けるなよ」

「あー、聞きたくないわー。太ってないけど聞きたくないわー」

 これが教職者としてあるべき姿なのだろうか、いっとき童心に返った女性の姿に進は深くため息をついた。

 藤田(ふじた) 紀美(きみ)。それが彼女の名前だ。中学生の時は進と同じ部活に所属し、担当はホルン。その後男子校へと進が行った為交流らしい交流はなくなっていた。

 それがどうしてか教師となっていた。社会の波に揉まれた姿は何度も洗ったシャツのようにくたびれを見せていたが、その裏には当時の面影をかすかに残していた。

 みきすけというのは愛称で、部活内での同学年同士による呼び名だった。きみ、という名なのにみきすけなのは進の呼び間違えが定着してしまったことと、女だてらに手、というより足癖の悪いことが要因だった。

「紀美ちゃん先生、その人と友達なんですか?」

「えっ、あー……友達じゃあないかな」

 旧知を確かめあっていた時、蚊帳の外だった生徒が声をかける。やや逡巡(しゅんじゅん)した後、紀美は苦笑いしながら否定すると、

「じゃあ……彼氏さん?」

「はぁ!? これと? 絶対いや!」

 付き合うくらいなら首を掻っ切って死んでやるというように喉を押さえる紀美を進は半目を開けて見ていた。昔から気があったわけではないが、たった四人で三年間やってきたのだ、それなりの信頼関係を築けていると思っていたのにそこまで拒絶されては面白くない。

 だからつい、売り言葉に買い言葉となってしまっても仕方がないのだ。

「へいへい、俺だって勘弁願いたいね。教師になっても生徒の前で暴力振るうようながさつさが治ってないんじゃなぁ」

「うっ……」

 さすがに急所を突かれたらしく紀美は息が詰まっていた。今更反省したとしても遅いのだが、ちらりと生徒のほうを見ると、

「……それは、ごめん」

 急にしおらしくなるものだから進もそれ以上言うつもりがなくなっていた。

 気まずい空気が漂う中、それを振り払う如くパーンと音色が響く。チューニングは終わり指揮者が来るまでの間適当に指を温める準備運動をしているのだろう、調和などを無視したそれぞれの練習が始まっていた。

 それはつまり、手持ち無沙汰になったということをも意味しているわけで、その原因は部活動をサボタージュして進とだべっている二人を待っているに他ならない。進ですらそのことに気付き、顎で音の方向を指す。

「顧問なんだろ、頑張れよ」

「言われなくても……あ、そうだ」

 こういう時の閃きはだいたい良くない事だと直感で進は捉えていた。まるで上司の無茶振りが如く、しかし退散するには間合いが近すぎた。

「練習、見ていかない?」

「……部外者だぞ?」

「大丈夫よ。卒業生が様子を見に来ることだって珍しくないし」

 それは他の運動部の話だろうと進は頭を搔く。少なくとも在学中出ていった先輩が顔を見せに来ることはなかったと記憶しているし、自身も卒業後に部活どころか校舎に入ったこともなかった。

 薄情者だと言われてしまうだろうが皆そんなもの、と自分自身を納得させてお断りする予定だった。

 それをさせなかったのはあのトランペットを持った少女だった。

 特に何か言った訳ではなく、純粋に期待を込めた目で見つめられていた。何故? 何かしただろうか? そんな疑念が進の脳内を駆け巡る。

 ……悪い癖だなぁ。

 人に請われると嫌と言えない性分、実に日本人らしい欠点に進は嫌気が差しながらも肩を落として頷く。失望されたくないという自己保身が感情よりも優先されているせいだった。

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