転生したら山姥でしたが、幸せになってみせますわ!
長いトンネルを抜けるような感覚があって、気づくとそこは異世界だった。
そして私は「山姥」に転生していた。
「異世界恋愛系が良かったのに、和風ファンタジー系に来ちゃった……」
思わずそうつぶやく。
『悪役令嬢ですが、幸せになってみせますわ!』シリーズでの予習が無駄になってしまった。
和風ファンタジーでもせめて知っている物語世界ならよかったのだが、現環境に全く心当たりもない。
セリフから分かるように、私の前世はどこにでもいる、ちょっとオタクよりの文系女子だった。社畜としてせわしない毎日を送っていた私は、いっけなーい地獄地獄!と通勤していた時に青信号の横断歩道で転生トラックとドーンして、もうどこみてー運転してんのよー、と薄れゆく意識の中思い、気が付いたら山の中に妖怪として転生していた。
「でもまあ、まだ条件としてはマシな方……なのかな?」
昨今のメディアの影響でもあるのか、山姥のくせに容姿は若い女性だったし、スライムとか蜘蛛に転生せずに済んでまだよかった……ということにしておこう。
あの名作2つ、タイトルは知っているけど、未履修だったからね。
だから断言はできないけど、きっと、今の自分よりも過酷な環境からのスタートだったろうし、自分が同じ環境に置かれたらサバイブできる気が全然しない。
それに比べれば現環境は、創意工夫次第で幸せになれる可能性は高いと言えるだろう……よし。
転生したら山姥でしたが、幸せになってみせますわ!
◇
さて、この世界について転生後の数か月で知り得た情報を一度整理しておこう。
以前言った通り、私はどうやら山姥に転生したらしい。山の中に突然発生して、麓の町の人とは全然違う橙黄色の髪で、身体が異常に強くて、火の通ったものが食べられず、はじめから纏っていた衣がなぜか脱げないことからそう判断した。
火は邪悪なるものを浄化すると言われており、妖は浄化されたものを食べられない。中学生の頃読んだ『鬼の橋』って本でそういう設定があった気がする、かなりうろ覚えだけど。
それに、むむむと目に力を込めてみれば、衣は薄っすら闇のオーラ的なものを纏っているようだった。それと一心同体になっている時点で人ではないよなーと判断。もしかしたら闇の衣が本体の別の妖怪の可能性は捨てきれないが、まあ大差ないだろう。
転生直後にみつけてリフォームを施した小屋のある山を下りると、小さな町がある。
私は山で採れたあれこれを持っていき、時々その町で行商をすることで生活基盤を築きつつ、この世界について把握していった。
やはり、この世界は和風の異世界ファンタジーらしい。私のような雑魚妖怪のほかに人を奴隷にして支配する大妖怪みたいなのもいて、「法力」という妖怪討伐のための力を持つ武家や寺院との間で力が拮抗しているのだという。
要は魔王と勇者と教会のような関係なのだろう。ちなみに妖怪は人を喰うことで力を増すらしい、もちろん私はカニバリズムなど絶対にごめんだが。
なお大妖怪の名前はまだ不明。なぜなら皆その名を口にしたがらないから。
名前をよんではいけない悪の魔法使いくらい恐れられている。
さて、今はそんな町から山に帰る途中で。人気のない道を歩いているところなのだが……
後をつけられている!?
ばっと振り返ると、10歳を少し過ぎた程度の、薄汚れた格好をした少年がびくっとするのが見えた。
正直、つけられる心当たりがないので「ミステリアスな女性」の仮面を被ってこちらから話しかけてみる。もしかしてナンパ?ないない。
「あら……今日は月がきれい、ね。いったい、どうしたのかしら。」
特に意味はない思わせぶりなセリフを枕詞に、質問する。
この数か月、町で詮索を避けつつなめられない為に、口数少ないミステリアスな女性としてふるまう練習を続けている。学生時代、演劇部に所属していた時期もあり、この手の演技はお手の物だ。
それから聞いた話を纏めると、どうやら少年は、天の道を守るだとかそんな感じの大層な名前のついた寺からの命令により、町で食べ物や財などを集める最中だったようだ。
「しかし、その途中で貴女を見つけたので後をつけてきた」
そういって、護身用に携帯しているであろう、腰につけた刀を抜く少年。
えっ?!ちょま、どういうこと!?
思いつつ少年を見ると、悲壮な表情をしていた。
そこで思い至る。
「なるほど……あなた、本心では、こんなことしたくはないのでしょう?」
「……っ!?」
少年が息をのむ。ビンゴのようだ。
オーケー、状況を整理しよう。
『寺からの命令により、町で食べ物や財などを集める』と言うのはきっと、托鉢の修行だろう。そう、彼は法力を身に着けるために修行中の、寺の小僧なのだ。
そして、その途中で雑魚妖怪である私を見つけた。修行中の身で、勝てる明確なビジョンなどないが、聖職者としての義憤駆られて見逃すこともできない。それで内心ビビりつつ、私への襲撃を企てていた……おそらくそんなところだろう。
うーむ、困った。いたいけな子供を返り討ちにするのも気が引けるし、童話『三枚のお札』なんかを参考にすると、小僧に手を出そうとする山姥は、怖―い和尚さんによって成敗される運命なのだ。
「ねえ?わたし、今のあなたの表情を見て、分かってしまったわ。大方、今いる所では『おい小僧』とか呼ばれて過酷な労働をさせられているのでしょう?でも、貴方は、本当はそんなことしたくないと思っている……ねえ、なぜあなたの様な子供がこんな事をしなければならないの?」
「……親は殺されて、他に行ける所もない。生きていくためには嫌でも従うしかない」
なるほど、お寺は妖怪に親を殺された孤児を引きとって、僧兵になるように教育しているわけね。そして、注意深く観察すれば、服は薄汚れているし、痩せていて傷も沢山あった。つまり寺の修行はなかなか大変な様子。彼は本心では過酷な修行をやめたがっているが、身寄りもないので従うしかないと……
よし、見えたわ。私の生存のストーリーが!
「ねえ、それなら……私のところにこない?」
私は、この子をデロデロに甘やかして懐柔することで、死亡フラグを回避する!
◇
そのあと多少の問答があったが、結局彼は家に来ることになった。
彼は、名乗れる名前がないと言った。おそらく、滅私で仏に仕えるとかそんな感じの寺の方針から名前を捨てたのだろう。しかし、後で「やっぱ仏に仕える身としてアンタ討伐するわ」とか言いだされても困る。
だから、我欲が芽生えるように名前を付けた。
「太郎……」
「そう……あのね、ここにいる間、貴方のことは『太郎』と呼ばせて頂戴。もしかしたら今は抵抗を感じるかもしれない。けれど貴方は誰かの所有物なんかではなく、大切な1人の……生きた人間なのだから。それを忘れないで。」
また寺では修行の一環として色々働いていたようだが、10歳かそこらなど、本当は仕事なんかせずに遊びたい、甘えたい、我がまま言いたい盛りだろう。
だから、努力を怠り修行に支障が出るように
「世界の理に背いてでも、私は貴方に優しくしたいの」
「ここでは辛い労働なんて、何もしなくていい。」
「お腹いっぱい食べて、元気に遊んで、ただ毎日幸せでいてくれたらいい。」
「お金なんて必要ないわ。遠慮もね」
そんなことを毎日伝え続けた。まるで子供を甘やかす母親の様に、とにかく優しくお世話をし続けた。そんな日々を2か月ほど続けると……
「ね、ねえ太郎……そんなに頑張ってくれなくても、いいのよ?」
「いえ、木蓮さん。お世話になっているので、これくらいしませんと。」
太郎はものすごく勤勉な働き者に育ってしまった。あれぇー?
こうやって徳を積むことで法力に目覚めて「やっぱお前のことを退治するわ」とかならないよね?ならないよね!?
ちなみに私は木蓮さんと呼ばれている。
少し打ち解けてきて名前を聞かれた時、近くに生えていた金木犀をみて「金……木蓮よ」と答えたからだ。
いやね、前世の名前はこの世界には不自然な洋風キラキラネームだったし、金木犀って名乗ると明らかに偽名っぽいし、金で一度止めちゃったからそのままだと木犀って語感の悪い名前になるし……で、とっさに出てきたのが木犀をすこしもじった木蓮だったのだ。
だから私の名前は「金 木蓮」
和風ファンタジーなのに、ちょっと中華風になっちゃった……
「すみません、法力が使えるようになれば、もっとお役に立てるのですが」
「前にも言ったでしょ。法力なんて発現しなくて、全然かまわない。ただ、美味しいものを食べて沢山笑って……そうやって幸せに暮らしてくれればそれで……」
そうしてストレスなく余裕のある日々に満足し、小僧時代の教えを忘れ、寛容な心を育んで私のような小物妖怪のことを見逃し続けてくれたら、これに勝る喜びはない。
願いを込めてそう告げると、太郎ははっとしたように息をのみ、目に涙を滲ませた。
『よわっちい君のままでいて頂戴』って煽った風に聞こえちゃったかな……
「あ、才能がないって言っているわけじゃないのよ。ただね、そうではなく……妖怪と闘う以外の素敵な人生もあると、たとえば恋や結婚をするとか……選択肢は無数にあると知ってほしいの。たしかに、命を危険にさらす、辛く過酷な修行をすれば法力に目覚めるかもしれないけど……私は貴方をそんな境遇に置きたくない」
「……木蓮さんは、本当にそう思っているんですね。僕が妖と戦う力に目覚めなくてもいい、ただ、幸せに生きてほしいと」
「もちろん」
なにせ私はわが身が可愛かった。
と、同時に、この子のことが可愛くなってきたのも本当だ。
太郎は最初こそツンツンしていたが、打ち解けてみれば素直で、器用で、働き者だ。気だって良く回る。それに、身ぎれいにして、しっかり食事をとるようになった今では見目麗しい美少年で、行商の時も彼がいると売り上げがとてもよくなるのだ。
保身を抜きにしても、このままずっと一緒に暮らすのもいいなと思える位には、私は彼のことを気に入っていた。
◇
太郎と暮らし始めて5年が過ぎた。
彼は「修行なんてしなくていい」とのたまう私をしり目に、よく学び、よく鍛えていた。
もちろんこの5年、私も手をこまねいて見ていたわけではない。あの手この手で修行を妨害しようとはしてきたのだ。しかしどういうわけか、全て裏目に出てしまう。
例えば「動物と触れ合ってきなさい」と命令した時があった。きっと、戦いに対する向上心の源は親を妖怪に殺された恨みとかだろうから、アニマルセラピーで寛容に育ってもらおうと考えたのだ。白雪姫が小鳥や小鹿ときゃっきゃっするイメージである。
だというのに、「形象拳が~」、「けだものの呼吸が~」、「先日、やっと熊を投げ飛ばせて~」なんて、逆に修行を加速させる結果になってしまった。(白目)
そんな彼はいつしか、少年の美しさと大人の強さを併せ持つ、青年期特有のしなやかな美しさまで溢れさせるようになった。
「精進料理なんかクソくらえ」とばかりに奮発してお肉もたくさん食べさせていたら、身長もすくすく伸び、いつの間にか筋肉はしっかりと鍛え上げられ、均整がとれていながらも武術の巧みさを誇る、完璧な体つきになったのだ。
また出会った当初短髪だった彼の黒髪は、今では肩にかかるくらいの長さに切りそろえられて色気を振りまいている。長髪の方が坊主っぽくなくて修行を妨げるのではないかと勧めてみた結果だ。そのおかげか、今のところ法力は発現していないんだけど、中性的な美貌がいっそう際立ち、別の意味で心臓に悪い。
「ねえ、太郎。貴方は今、元気?幸せ……?」
「もちろんです」
主に自分の将来が気になって尋ねると、彼はくすぐったそうに笑った。
「本当?人間関係の悩みでも、なんでも相談してね。例えば恋とか……ほら、この前町に降りた時、可愛い町娘に声をかけられていたじゃない。あの子とか……」
「べつに、行商ついでの雑談です。何もありませんよ」
恋愛関係に話を振ると、途端に機嫌が悪くなるのもいつものことだ。
まあ確かに、年頃の男の子には恥ずかしい話題かもしれない。プライバシーへの配慮は大事だね、反省反省。
しかしまあ、生活は今のところおおむねうまくいっている。
私は火の通ったものを食べられないので食事を共にすることはない。それに対して彼は残念そうにしながらも「食べられない理由はうすうす分かっています。でも、どうか今は、なにも言わないでください。」と言ってくれた。
妖怪であることを黙認してくれるという意思表示だろう。
こうして二人はなあなあでいつまでも仲良く暮らしましたとさ
めでたし、めでたし
とは問屋が卸さないのが和風ファンタジー世界のようで……
まだ肌寒い3月。
太郎が山奥へ芝刈りに出ているときに、不思議な雲を見た。
それは、浮世絵のような形をした、赤い雲だった。
その雲から松明や油壷がどんどん降って来たかと思うと、めぐり合わせたかのようなタイミングで強い風が吹き、山は業火につつまれた。
「きゃあぁぁ!」
や、やばっ?!
周囲からいろんなものが焼けるにおいがして、煙が目に染みる。
熱がチリチリ肌を焼く。
あわてて必死に逃げるが、周りはどこも火、火、火。
なすすべもなく四方を火に囲まれ、やがて完全に逃げ場を失った。
「え、うそ……」
火に浄化されているのか、四肢から力が抜けていく。
衣の裾に火が付いたのが見えた。
え、私の人生これで終わり?
生き残るために必死でやって来たのに、終わるときはあっけないものだ。
火の勢いが強いが、太郎は無事だろうか?
いや、きっと大丈夫だ。芝刈りをしている場所の近くには小川があるし、彼は泳ぎだって達者だ。川に潜って、きっと生き残ってくれるだろう。その後だって、もう一人で逞しく生きていけるはずだ。
なら、自分のこと以外には、もう心配することも、思い残すこともない。
ああ、せめて楽に死ねますように。死後は楽園に行けますように。楽園では美形の神々に見初められて逆ハーレム物の主人公になれますように……
ごうごうと、風のうなる音が聞こえる。
視界の端に黒い塊が見えた。
突風が吹きすさび、炎をかき消す。
「えっ……?!」
朦朧とする意識の中見たのは、斧を片手に熊に跨った太郎の姿だった。
「なんで……」
そこで私は意識を失った。
気が付くと、知らない天井だった。
「どこよ、ここ……あっ、いたたた……体、重っ」
身体を起こそうとするが、どうにも調子が悪い。
この妖怪ボディになって以来、初めての感覚に戸惑い、身体をあらためて検分する。
なんと、いつも着ていた衣ではなく、白い病衣を纏っていた。やけどや打ち身があるのか、所々に湿布を貼られているし、煙で喉がやられたのか素で演技中みたいな話し方になってしまうが、どうやら重症箇所はなさそうだ。
「ああ、起きたかい。よかった、丸2日も寝たままだったから、心配していたんだよ。」
「あなたは、町医者の……」
ふすまが開き、人が入ってくる。
行商で街に出たときによく薬草を買ってくれるおじさんだった。
「そろそろ起きるかと思って、おかゆを用意していたんだ。ほら、食べられるかい?」
「いえ、私は……え?!」
火を通ったものが食べられないのでお断りしようと思ったが、なぜか直感的に「食べられる」と分かった。
身体が食事を求めていた。
勧められるままにおかゆを口にする、生のままの野菜や魚とは全然違う、何年ぶりにもなる、火の通った人間らしい食事だ。
お、おいしい……!
感動していると、バタバタ足音が聞こえ、一人の美しい青年が入って来た。太郎だった。
「太郎!無事、だったのね」
「目覚めたんですね、木蓮さん……っ!?食事を、口に……衣も燃えてしまったし、完全に人間になってしまわれたのですね……」
その言葉で思い至る。火で炙られ浄化されたためか、私は人間になったらしい。
「ああ、そっかあ……私、人間に」
嬉しさの余り、ぽろぽろと涙が出てきた。
「そんな怪我までさせてしまって……全部僕のせいだ。本当に申し訳ありません。」
「な、何を言っているの!・・・・・・・けほっ、そんな、はずないじゃない。いい、貴方は……私を、助けてくれたのよ。本当に感謝している。それに私……ずっと人間になりたいと、思っていたのよ、こんなに嬉しいことってないわ。」
「貴女って人は……本当に……」
その後、太郎から話を聞くと、彼はどうやら山火事の中で法力に目覚めたらしい。命の危機に潜在能力が開花するなんて、まるで少年漫画の主人公みたいだね。
以前の私だったらいつ討伐されるかびくびくだったろうけど、人間になれた今ではその心配も無用だ。
その後、太郎は「すみません、自分にはやるべきことができました。木蓮さんはとにかくこの場でしっかり療養してください。」なんていって、足早に席を立ってしまった。
しかし私はその時太郎の内心に気づかず、「これで後顧の憂いなく一緒に暮らせるね」「転生したら山姥でしたが、幸せになってみせますわ!」なんて浮かれていた。
しかし太郎は翌日になっても、そのまた翌日になっても帰ってこない。
嫌な予感がして町医者のおじさんに聞くと、法力が目覚めたことで武家にスカウトされ、一緒に妖怪退治に旅立ったそうだ。
ちなみに私の治療費と当面の生活費は払ってくれたらしい。それを聞いて、手切れ金、という言葉が頭に浮かんだ。
そっかー、彼はもともと妖怪と闘うべく修行していた寺の小僧だものね。法力に目覚めた今、本来の使命を果たす道に戻ったのだろう。
本来、小僧と山姥で交わることのなかった道。
危険でいつ討伐されるかびくびくしていた関係が円満に解消されて、喜ばしいことじゃないか。
そう、彼が立派になって……
「よかった、本当によか……っ、うっ、ううっ」
だというのに、おかしいな。
「うっうっ……」
嗚咽がとまらない。
どうやら私は、危険と知りつつもズルズルと生活を共にし続けた結果、けなげな彼にすっかり情が湧いてしまっていたらしい。
「泣くほど嬉しいかい」
町医者が話しかけてくる。
「はい……彼には立派に活躍してほしい……でも、寂しい。また会いたい、会いたいよぅ……」
「まあ、不安だしさみしいよな……でも、大妖怪を退治して褒美をもらったら、必ずアンタのことを迎えにいくって言ってたからな、信じて待っててやんな」
「はい……はい?!」
ちなみにこの一か月後、彼は歴史に名を残す大英雄となり、そのまま私に求婚してくることになる。
しかしこの時の私は、そんなこと、つゆほども予想していないのだった。
◇
「別れは済ませたかい。」
「はい、お待ち下さりありがとうございました。」
「いや、こちらこそ君が仲間に加わってくれて、実にありがたい。」
木蓮と離れた太郎が、男と話している。
男の氏は『源』。大貴族である。
同時に、妖怪退治を担う一流の武芸者でもあった。
先日、部下から「将来有望な若者がいた」という報告を聞いた源は、「大妖怪の討伐に協力してほしい」と太郎の勧誘に来て、驚いていた。
報告で聞いていた以上の傑物だったからだ。
彼は聡明でよく身体も鍛えられている。
のみならず、なんとこの若さで『法力』にまで目覚めていた。
法力とは仏の力、その源は『他者に対する無償の愛』
ゆえに我欲の強い若者や復讐に燃える人物には決して発現しない力なのだが、親を妖怪に殺されたという彼はなんと、若くして高僧を上回る強力な法力を会得していた。
「『足柄山の天女』と言うのは、噂以上の、本当に素晴らしい人物だったようだね」
「はい、母のようで、姉のようで、そして……私にとってかけがえのない、愛しい女性です」
言いながら、太郎は金木蓮と暮らした過日を思い出す。
かつて、己の人生は泥だまりのようだった。
辺り一帯を支配する大妖怪に親を殺され、その相手に隷属させられた自分。
親の仇に小間使いとして馬車馬のように働かされ、悪事の片棒を担ぐ日々。普段はおい小僧、この坊主とさげすまれ、暴力をふるわれる。
命惜しさに逆らうこともできず、恥ずかしさと申し訳なさから親につけられた名前は捨てた。
「少し遠出し、足柄山のふもとの町で、食料と金品と女を調達してこい」
ある日そう命令され、向かった先で美しい天女と出会った。
人々が口に出すのも恐れている大妖怪の名を出し、刀を抜き脅す自分に、彼女は動じることなく、全てお見通しと言う風に言った。
――あなた、本心では、こんなことしたくはないのでしょう?
――わたし、今のあなたの表情を見て、分かってしまったわ。大方、今いる所では『おい小僧』とか呼ばれて過酷な労働をさせられているのでしょう?でも、貴方は、本当はそんなことしたくないと思っている
――それなら……私のところにこない?
戸惑いながらもその救いの手をとってから、太郎の生活は激変した。
――世界の理に背いてでも、私は貴方に優しくしたいの
――ここでは辛い労働なんて、何もしなくていい
――お腹いっぱい食べて、元気に遊んで、ただ毎日幸せでいてくれたらいい
――お金なんて必要ないわ。遠慮もね
彼女はそんな言葉を毎日かけてくれた。
そしてまるで母親の様に、とにかく優しく世話をし続けてくれた。
親の仇討ちをする気概も持てない臆病者を一言も責めることなく、安全な家と食事を与え、叱ることも何かを要求することもなく、ただそっと傍にいてくれた。
半月ほどで栄養状態は改善して、1月ほどで体力がつき、2月もすると少しずつ未来について考えることができるようになった。親の仇に復讐をせねば、それにもっと彼女の役にも立たねばと焦燥感が募り、法力が使えるようになればとこぼす太郎に彼女は言った。
――法力なんて発現しなくて、全然かまわない。ただ、美味しいものを食べて沢山笑って……そうやって幸せに暮らしてくれればそれで
――才能がないって言っているわけじゃないのよ。ただね、そうではなく……妖怪と闘う以外の素敵な人生もあると、たとえば恋や結婚をするとか……選択肢は無数にあると知ってほしいの。たしかに、命を危険にさらす、辛く過酷な修行をすれば法力に目覚めるかもしれないけど……私は貴方をそんな境遇に置きたくない
目をみれば彼女が嘘を言っていないことはわかった。彼女の言葉の一つ一つが、まるで闇にさす光の様に、心の奥底の一番やわらかな場所を、強烈な眩しさで照らし出してくれた。
(強くなりたい)
何をせずとも愛されている。そう信じられたからこそ、むしろ何かをしたいと強く思った。
(強くなりたい、この人に恥じないように。)
それから数年が過ぎ、いくらかは強くなれたと太郎は思う。
これもまた「山で動物と触れ合ってきなさい」と木蓮がその叡智でもって指針を示してくれたからだ。
しかし、法力に目覚めることはできなかった。
彼女との穏やかな日々がいつまでも続けばいいと願った。
しかしそうもいかないこともまた、分かっていた。なにせ彼女は、木蓮は……地上に舞い降りた天女なのだから。
両親が生きていたころ、海を渡ったはるか西、唐国のおとぎ話を聞いたことがある。
それは地上に舞い降りた際、羽衣を失い天に帰れなくなった天女の話だった。
木蓮は常に同じ衣を身に纏っている。
そして、衣からは人ならざる者の力を感じる。まるで妖怪と対峙した時のような恐ろしさだが、きっと法力を持たないからそう感じるだけで、本当は神聖なる天の羽衣に宿った力に対する畏怖なのだろう。
また、彼女は食事をとらない。
天上人にとって地上の食べ物は「穢れ」だときいたことがある。下界の物を食べると、羽衣を失った時と同様に、天に戻る資格を失ってしまうそうだ。
だから、本当はいつまでも二人で仲良く暮らしたいが、それはかなわない。
彼女は、下界の哀れな子供を保護してくれた天女。人の身を超越した偉大な存在。
いずれ汚れた下界を離れて天界に帰る運命だし、そうあるべき人だ。
それに比べて、己はどうだと太郎は思う。
力は強くなった。
剣術や学問だって、独学でそれなりに身に着けた。
けれど、彼女に対して浅ましい欲望を抱いてしまっている。
自分は彼女を愛している。夫婦になりたい。
けれども自分は彼女にふさわしくない。
彼女の負担にしかならない。
今は家族の様に一緒に暮らしているが、それ以上の関係にはなれない。
夫婦にはなれない。
母と子、よくて精々、よくできた姉と不出来な弟だろう。
はやく独り立ちして、彼女を自由にしてあげなくては。
でも、もう少しだけこのままで……
そんな浅ましい願いで日々を過ごしていた折に、あの事件が起こった。
山奥へ芝刈りに出ているときに不吉な雲を見た。
浮世絵のような形をした、赤い雲だった。
見覚えがあった。忘れるはずがなかった。親の仇の大妖怪の使う妖術なのだから。
「なぜここに……」
言いながら、太郎には思い当たる節があった。
きっと目的は、見せしめだ。
逃げ出した自分がこの山にいると、奴らの情報網に引っ掛かったのだろう。それで、麓の町へ力を見せつけるついでに、山ごと自分を焼き殺そうとしているのだ。
その雲から松明や油壷がどんどん降って来たかと思うと、めぐり合わせたかのようなタイミングで強い風が吹き、山は業火につつまれた。
「……っ!木蓮さん」
彼女は天女だが、戦いにおいて特別な力を持つわけではない。飛んで逃げようにも上空には妖怪の焔雲。何より、彼女の性格からしたら芝刈りに出た自分の身を案じ、探そうとさえしかねない。
(助けなくては)
純粋にそう思った。
(愛する彼女を、なんとしても助けなくては)
ただそれだけを願った。
――ごおおお……っ
その時、心臓の奥から、足柄山の木々をゆらす山嵐のような音が聞こえた。
だがそれは、風の音ではなかった。
熱き血潮、そしてあふれ出す『法力』が立てる轟きなのだ。
その力の使い方も、本能で分かった。
それからすぐに川の主の巨鯉を調伏し、その髯をつかんで一緒に滝を登り、斧から衝撃波を飛ばして炎を蹴散らして道を作り、巨熊に跨って猛スピードで彼女の救出に向かった。向かいながら、法力の本質を悟った。
法力とは仏の力、その源は『他者に対する無償の愛』
いままで使えなかったのは当然だった。私怨を晴らしたい、彼女に見捨てられないようにいいところを見せたい、そんな我欲では、決して発現しない力だったのだから。
でも、今は違う。
「だって……貴女が僕に、愛を教えた!」
そうして業火に囲まれた彼女を救出し、町医者まで届けた。
しかし、なんと言うことだろうか!
天女の羽衣は焼けてしまっていた。
そして激しく消耗していた彼女は、やむを得ず下界の食べ物まで口にしてしまった。
「ああ、そっかあ……私、人間に」
天女から下天させられ、ショックからぽろぽろと涙をこぼす彼女に胸が締め付けられた。
しかし彼女は、悔いる太郎を一切責めることなく、笑って言ったのだ。
「な、何を言っているの!・・・・・・・けほっ、そんな、はずないじゃない。いい、貴方はっ……私を、助けてくれたのよ。本当に感謝している。それに私……ずっと人間になりたいと、思っていたのよ、こんなに嬉しいことってないわ。」
太郎は、己の中で、すでに上限に達していた木蓮への愛が天元突破したのが分かった。
(貴女って人は、本当に……)
強くなろう。
改めてそう思った。
天上世界まで勇名が轟くような武士となり、育ててくれた彼女の名前を未来永劫残そう。
天に帰れなくなった、可哀そうな天女。
ならばせめて、この地上で最上の栄華と、溺れるような愛を自分が彼女に差し出そう。
そのために大妖怪を打倒し、もう一度会えたら……その時こそ家族の一歩上、『夫婦』となるのだ。
その決意を伴った第一歩として、自分はこれから彼女の氏を使わせてもらう。
金 太郎
それがこれからの自分の名前だ。
◇
「では、ゆこうか金太郎。」
「はい、頼光さま」
目的地は大江山。
討伐対象、酒呑童子。
それは鬼の総大将。
両親の仇で、かつて己の支配者でもあった大妖怪。
しかし、金太郎はもう恐れない。なぜなら……
伝説の鬼退治を成した金太郎。その原動力は『愛』であったと言われている。彼が坂田金時となり、満開の桜の木の下で木蓮に求婚するのは、もう少しだけ先の話。
そしてその後、『自分は妻に育ててもらった』と熱弁する坂田金時と、『天女なんかじゃない……自分は元は山姥だった』と必死に主張する木蓮の話が歪んで伝わり『金太郎伝説』となるのは、もっとずっと未来のお話。
足柄山の 金太郎
源四天王 巨悪を退治
発気揚々 強かった
八卦良いよい 善かった
金太郎の正体、皆さまどのへんでお気付きになりましたでしょうか…!?
ぜひ感想欄などでお聞かせください(*´ω`*)