麻津乃さま快刀日記ミニ弐・・・忠臣
江戸の、とある辻(十字路)である。
男装の女剣客・松平麻津乃の姿が、あった。
「乗物(貴人が乗る駕籠)が来ますよ」
連れの弟分・早瀬小太郎が指をさす方を見た、麻津乃は、
「えらく豪華な造りだな。どこかの大名家のだろう」
呟く。
「あの紋所は、稲賀藩ですぜ」
近くを歩いていた町人の男が、そう言って道の隅に退いた。
「その方らも、邪魔だ。退きませい!」
「……」
先導の侍が偉そうに言うので、麻津乃たちも、素直に道の中央を譲る。
そこへ、
「でやぁ!」
と、怒鳴り声。
抜き身を振り上げた浪人者が、乗物に迫った。
「曲者!」
先程、麻津乃たちを邪魔者呼ばわりした奴を先頭に、警護の武士たちが抜刀して迎え撃つも、皆あっけなく斬られてしまう。
乗物を担いでいた中間たちは、すでに逃げてしまっていたので、その場には乗物だけが残されていた。
「乗っているのは、稲賀藩の若君だな?」
浪人が問うと、
「無礼者!」
乗物から出て来たのは、十歳くらいの少年。
「斬ってやる!」
と、叫んで刀を抜く。
「餓鬼が……」
それに笑って、浪人が刀を振り上げた時、
「待て!」
麻津乃が、叫んだ。
「白昼に天下の大道で暗殺とは、穏やかでないな」
浪人に刃を向ける。
「邪魔をすると、おぬしも斬るぞ」
脅す浪人に、
「面白い」
麻津乃は、返した。
「斬れるものなら、斬ってもらおう」
「抜かしたな。女」
斬りかかって来る相手の刃の下をくぐり、その胴を薙ぐ、麻津乃。
「ぐはッ」
浪人は、倒れた。
*
「大事ござらぬかな?」
案ずる、麻津乃に、
「余計なことをしおって」
若君らしき少年は、言った。
「こんな痩せ浪人、わたし一人で倒せたぞ」
「さようですか?」
笑って返す、麻津乃。
「冷や汗をかいておられる様だが」
「無礼な。わたしを稲賀吉松と知ってか?」
少年が、怒った時、
「若。命の恩人に無礼はなりませぬ」
浪人に斬られて倒れていた警固の警護の武士の一人が、なんとか立ち上がろうとする。
「いや。なんとも、勇ましい若君ですな」
と、麻津乃。
「お医者を探して、呼んで来ましょう」
道端の傍観者だった小太郎が駆けて行った後、騎乗の武士が飛んで来て、
「若!」
吉松少年に、呼びかけた。
「左近か。わたしなら、大事ないぞ」
また強がりを言う少年を無視して、
「稲賀藩剣術指南役、本間左近と申す」
武士は、名乗る。
「恐らく、おぬしが、ご嫡子さまの危ういところを救ってくれたもの、と存ずるが」
「まあ。そんなところだ」
麻津乃は、答え、
「わたしは、松平麻津乃」
名乗った。
「貧乏旗本の娘だ」
*
「ところで、本間どの」
稲賀藩の剣術指南役に問いかける、麻津乃。
「若君が襲われた理由を、お教え願えぬか?」
「藩の恥なので、あまり話したくはないのだが……」
初めは躊躇していた、左近だったが、
「いや。おぬしを女と見込んで、全て、話そう」
と、真剣な面持ちで、語り始める。
彼の話によると、稲賀藩には、正室である萌衣の方の産んだ嫡男(正妻の産んだ長男)・吉松の他に、側室・楓の方が産んだ次男の孫松がおり、楓の方の父である用人の飯沼大膳が、己が孫の孫松を自機藩主に据え、藩政を牛耳ろうと画策しているらしい。
「跡目争いか。大名家には、よくある話、と聞くが……」
述べる、麻津乃に、
「おぬしの腕、稲賀藩と吉松さまに貸してくれぬか?」
と、頼む左近。
それに対し、
「報酬次第だな」
麻津乃は、言った。
「貧乏旗本の娘は、小遣いにも不自由しているのだ」
*
松平邸。
小太郎と座敷でくつろいでいた、麻津乃を、
「お嬢さま」
下女が、呼んだ。
「稲賀藩のお迎えです」
「本間どののお使いだな」
麻津乃が、
「小太郎も来るか?」
問うと、
「はい」
答える、小太郎。
「後学のために、お大名家の暮らしぶり、というのを、見ておきたいですし、それに……」
「それに?」
「麻津乃さまと、ご一緒したいのです」
「そうか。可愛い奴」
お互いに赤面しつつ表へ出る、二人。
「麻津乃どの、ですな」
と、乗物を伴って待っていた、使いの藩士。
「左様だが」
答えた、麻津乃は、
「乗物は、一つか?」
「と、言われますと?」
「悪いが、もう一つ頼めるかな? この者を伴いたい」
小太郎を指す。
「わたしに、乗物」
はしゃぐ、小太郎。
乗物に乗れる事以上に、麻津乃が自分を尊重してくれた事が嬉しかった。
*
乗物にゆられ、稲賀藩上屋敷に着いた、麻津乃たちを、待っていたのは、
「江戸家老の袴田外記と申す」
と名乗る、初老の偉そうな男である。
「ご正室さまが、お待ちじゃ」
通された座敷の奥には、見るからに高そうな打掛を羽織った、三十前の女が、例の吉松と並んで座っていた。
「萌衣じゃ」
女は、
「吉松の危うい所を助けてくれたのは、そなたか?」
「はい」
答える、麻津乃。
「旗本・松平伊豆介の娘で、麻津乃と申します」
「隣の若衆は、弟か?」
「け、家人・は、早瀬久馬が一子にて、小太郎と申します」
緊張した声の小太郎に、
「ほう。弟ではないのか」
と、萌衣。
「ともかく、吉松の遊び相手に丁度良いの」
すると、
「母上!」
突然、吉松が声をあげる。
「わたしに必要なのは、遊び相手では、ございませぬ」
そして、
「剣術の稽古相手です」
小太郎の背筋を、悪寒が走った。
*
「おい! これでは、稽古にならんぞ」
年下の吉松に打たれた、小太郎が、
「若君。これからは、剣術より学問ですよ」
と、抵抗している。
それを眺めていた、左近と麻津乃が、
「あの若衆(少年)、あれでも侍の子か?」
「小太郎は、あれで良い」
など語っていると、
「良き知らせじゃ」
江戸家老の袴田が、やって来た。
「もしや、飯沼を討つお許しがッ?」
「左様。殿も、とうとう、ご決心なされたぞ」
「それでは、早速、斬り込みます」
はやる左近に、麻津乃は言った。
「わたしも、ともに参るとしよう」
*
「曲者じゃ!」
「出合え! 出合え!」
刀を抜いた侍たちが、叫びながら群がって来る。
「行くぞ」
「ああ」
それを斬り捨てながら、飯沼の座敷に、たどり着いた、左近と麻津乃。
奥に座っていた男が立ち上がると、
「獅子身中の虫・飯沼大膳」
左近が、叫んだ。
「お家のため、この本間左近が、打ち取ってくれる!」
彼が斬り込むと、
「飛んで火にいる何とやらよ」
飯沼は、さらに後ろに下がり、
「大膳さまをお守りしろ!」
敵方の侍たちが、左近を取り囲む。
そこに飛び込んだ、麻津乃に、
「麻津乃どの。背中は預けた」
と、左近。
「任せろ」
と、麻津乃。
彼女が後ろの侍たちを防いでいる間に、前の侍を斬り、飯沼に迫る、左近。
「本間どの!」
叫ぶ、麻津乃。
「こ奴等は、引き受けた」
そして、
「悪党を斬られよ」
「うむ」
左近は、答え、
「己が孫を次期藩主に据え藩政を私しようと企む悪党。天誅と心得よ!」
飯沼を一刀両断。
それを見た一派の連中は、逃げ出した。
*
「ようやった」
飯沼を誅して戻った、左近と麻津乃を迎えた、江戸家老の袴田が、
「ところで、殿におかれては、楓の方の成敗も、我等にお任せになられたのじゃが……」
言った。
「やはり、葬っておいた方が、よいであろうな」
「無論」
と、左近。
それを、
「待たれよ」
麻津乃が、止める。
「楓の方さまのお産みになった孫松さまは、吉松さまよりも幼いとの事。その様な幼子から母を奪うというのか?」
「ふんッ」
それを聞いた、左近の顔に、侮蔑の色が浮かんだ。
「おぬしも、所詮は女子か」
そして、
「これも、お家のためだ」
「お家のため……、か」
悲し気に呟く、麻津乃。
「ご家老。本間どの。わたしは、貴殿たちの敵にならねばならぬ様だ」
「何ッ?」
左近と袴田、異口同音に叫ぶ。
「本間どの。勝負だ」
と、麻津乃。
「よいだろう」
答える左近に、
「左近。女ごときに、負けるでないぞ」
袴田が、激励。
先程までの同志は、互いに刀を取り庭に出て、にらみ合った。
*
「いざ!」
「おお!」
麻津乃と左近の決闘が、始まった。
二人は、互いに、にじり寄り、刃を交える。
数合打ち合ったのち、
「流石だな。わたしが見込んだだけの事はある」
「おぬしこそ」
言葉と共に、双方とも後ろに飛び退った。
「左近。遅れを取るでないぞ」
袴田の声援を無視し、左近は、下段に構え突っ込む。
麻津乃は、上段に構え、同じく突っ込んだ。
「夢刀流電光!」
叫びと共に、麻津乃は愛刀を振り下ろす。
左近の刀が振り上げられるのが、ほぼ同時だった。
「勝った……」
呟いた、左近。
次の瞬間に、ばたりと倒れる。
「危なかった」
かろうじて勝利した、麻津乃。
小袖の袖口が、いく寸か斬られていた。
*
「ご家老」
左近が負けたのを見て蒼ざめた、袴田に、話しかける、麻津乃。
「次は、ご貴殿が勝負なさるか?」
「いや」
袴田、答る。
「殿に進言致し、楓の方さまには、尼寺にて孫松さまを、お育て頂く、と致そう」
「それが、よろしい」
と、麻津乃。
「『稲賀藩の跡目争いは、これにて一件落着』か……」
その声には、友になりかけた侍を斬らねばならなかった、空しさが、こもっていた。
完