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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「雁風呂」

作者: 霧夜シオン
掲載日:2024/08/27


落語声劇「雁風呂(がんぶろ)」


台本化:霧夜(きりや)シオン@吟囁亭喃咄(ぎんじょうていなんとつ)


所要時間:約25分


必要演者数:5名

      (0:0:5)

      (5:0:0)【性別準拠人数比率】

      (4:1:0)

      (3:2:0)

      (2:3:0)

      (1:4:0)

      (0:5:0)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。


※劇中の関西弁については変換ツールなどを使用したものです。

 なので、現地の方からするとなんやこのエセ関西弁は!となるかもしれ

 ませんが何とぞ御容赦ください。



●登場人物


光圀(みつくに):ご存知(ぞんじ)、水戸黄門(みとこうもん)でお馴染(なじ)み、水戸徳川家(みととくがわけ)の元副将軍(もとふくしょうぐん)、徳川光圀(とくがわみつくに)。

   これまたお馴染(なじ)みのお供(とも)二人と共に江戸(えど)を出て、遠州(えんしゅう)(遠江(とおとうみ)・静岡

   県)掛川(かけがわ)まで旅をして来ている。


助(すけ)さん:水戸黄門(みとこうもん)でお馴染(なじ)み助(すけ)さんこと、佐々木助三郎(ささきすけさぶろう)。

    黄門(こうもん)様のお供(とも)をして掛川(かけがわ)までやってくる。


格(かく)さん:助(すけ)さんとお馴染(なじ)み、格(かく)さんこと渥美格之進(あつみかくのしん)。

    黄門(こうもん)様の諸国漫遊(しょこくまんゆう)のお供(とも)をしている。


辰五郎(たつごろう):五代目淀屋辰五郎(ごだいめよどやたつごろう)の倅(せがれ)の六代目辰五郎(ろくだいめたつごろう)。

    手代(てだい)の喜助(きすけ)を連れてかつて大名(だいみょう)に貸した金を返してもらおうと

    江戸(えど)へ向かう。


喜助:辰五郎(たつごろう)の手代(てだい)。主人と共に大名(だいみょう)に貸した金を返してもらうべく

   共に旅をして来ている。


雁(かりがね):辰五郎(たつごろう)の話の中に出てくる雁(かりがね)。


燕(つばめ):辰五郎(たつごろう)の話の中に出てくる燕(つばめ)。


百姓(ひゃくしょう)1:函館(はこだて)の百姓(ひゃくしょう)さんその1。


百姓(ひゃくしょう)2:函館の百姓(ひゃくしょう)さんその2。


語り:雰囲気を大事に。


●配役


光圀:

助さん・燕・百姓1:

格さん・雁・百姓2:

辰五郎:

喜助・語り・枕:


※:枕は1セリフのみです。



枕:黄門(こうもん)様というと、皆さんは水戸黄門(みとこうもん)を思い浮かべるかと思います。

  諸国漫遊(しょこくまんゆう)、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)、弱い立場の者の尻(しり)押しをしてやる真ん中の

  肛門(こうもん)様…おっとこらぁ字が違いますな。

  痔(ぢ)をそのままにしてはいけませんので、早く治さなければなりません

  な…あいや、また字が違いましたな。

  ま、下(しも)の話しはこのくらいにしまして、ではこの水戸黄門(みとこうもん)の黄門(こうもん)とは

  何を意味するのか、と言いますと、昔の大臣の職に中納言(ちゅうなごん)というのが

  あります。

  その上にはアイスとかでよく聞く大納言(だいなごん)があるんですが、その中納言(ちゅうなごん)

  の職に就(つ)いていた人が隠居(いんきょ)する、つまり表舞台(おもてぶたい)から引退(いんたい)すると黄門(こうもん)と

  、そう呼ばれるわけです。

  で、水戸黄門(みとこうもん)、本名は徳川光圀(とくがわみつくに)と申されるのですが、御三家(ごさんけ)の一つ、

  水戸徳川家(みととくがわけ)の二代目当主であり、隠居(いんきょ)後は大日本史(だいにほんし)の編纂(へんさん)に追われて

  関東地方から出るという事はなかったんです。

  ところが江戸時代後期から講談(こうだん)やなんやらで、今の我々が良く知る、

  頭巾(ずきん)と十徳(じっとく)姿に杖(つえ)をついて左右に助(すけ)さん格(かく)さんを従え、全国を漫遊(まんゆう)す

  るという、史実(しじつ)とは異(こと)なる水戸黄門(みとこうもん)様が確立(かくりつ)したわけでございます。

  さて黄門(こうもん)様こと徳川光圀(とくがわみつくに)公、例のお供二人と共に遠江(とおとうみ)、現在の静岡県

  の一部である掛川宿(かけがわしゅく)に差し掛(か)かりまして。 


助さん:ご隠居(いんきょ)、遠州(えんしゅう)に入ってしばらくになりますな。


光圀:うむ、かつてこの地は今川治部大輔義元(いまがわじぶたゆうよしもと)公が治(おさ)め、その死後、

   東照大権現(とうしょうだいごんげん)様が統治なされた。

   祖先の偉大な足跡(そくせき)を思うと、感慨無量(かんがいむりょう)じゃな。


格さん:そのお言葉、権現(ごんげん)様もいずこかで聞いて笑っておられましょう。

    そういえば、この掛川(かけがわ)の地は茶が美味(うま)いと耳にしております。


光圀:そうじゃ、我が祖父(そふ)大権現(だいごんげん)様も、関ケ原の合戦(かっせん)にて東海道(とうかいどう)を

   西上(せいじょう)せし折(おり)、この掛川(かけがわ)にて山内一豊(やまのうちかずとよ)より茶を献(けん)じられたと聞く。


助さん:はい、はるか後年(こうねん)になりますが、掛川(かけがわ)の茶は正式に掛川茶(かけがわちゃ)という

    名で商標(しょうひょう)として登録(とうろく)されるとか。


光圀:?? 飄飄(ひょうひょう)として耄碌(もうろく)?

   助(すけ)さん、いくらそなたでも言って良い事と悪い事があるぞ。


格さん:いえ、ご隠居(いんきょ)、助三郎(すけさぶろう)はそう申したのではありませぬ。

    すなわち、特許庁(とっきょちょう)と申す所から掛川茶(かけがわちゃ)と言う名前が正式に認めら

    れたと、こういうことにございます。


光圀:?? とっきょちょう?

   ご公儀(こうぎ)にそのような役儀(やくぎ)が発足(ほっそく)したとはついぞ聞いておらぬぞ。


助さん:は、なにぶん、はるか後年(こうねん)の事になりますゆえ…。


格さん:おぉご隠居(いんきょ)、むこうに茶屋(ちゃや)が見えまする。

    あれにて休息がてら昼食(ちゅうじき)をとり、その後くだんの茶を賞味(しょうみ)いたし

    ましょう!


光圀:む、うむ…。

   とっきょちょう…うーむ、やはりわからぬ…。


助さん:頼もう!

    昼食(ちゅうじき)を三人ぶん頼む!


    ご隠居(いんきょ)、奥が空(あ)いているそうです。

    こちらへ。


語り:水戸徳川家(みととくがわけ)二代目当主にして先の副将軍(ふくしょうぐん)ともなれば、旅の宿や食事

   は本来は陣屋(じんや)であったでしょうが、ここでの水戸(みと)の黄門(こうもん)様は世間(せけん)

   一般お茶の間に浸透(しんとう)している黄門(こうもん)様でありますため、奢(おご)った事は

   大嫌い、街宿場(まちしゅくば)の粗末(そまつ)な立場茶屋(たちばちゃや)にもこうしておいでになられる

   次第(しだい)であります。


助さん:ご隠居(いんきょ)、もうよろしゅうございますか?


光圀:うむ、馳走(ちそう)になった。

   いや、こう温かい物をいただくと体が内側から火照(ほて)ってくるのう。


格さん:ではご隠居(いんきょ)、窓を開けて少し風を通しましょうや?


光圀:そうじゃの。

   少しばかり涼もうではないか。


助さん:では…。


光圀:ほう、これは良い景色じゃ……む、これは…。


格さん:この臭(にお)いは…ご隠居(いんきょ)、どうやら庭の隅(すみ)に肥甕(こえがめ)があるようで。


光圀:むむむ、せっかくの景色が台無(だいな)しじゃの。

   助(すけ)さん、屏風(びょうぶ)を借りてきなさい。


助さん:心得(こころえ)ました。


    【二拍】


    ご隠居(いんきょ)、店主が快(こころよ)く貸して下さいました。

    さっそく立てまわしまする。


光圀:おおそうか、ありがたいことじゃ。

   よし格(かく)さん、香(こう)を焚(た)いてくれ。


格さん:はっ、しばしお待ちを…。


    【二拍】


光圀:うむ、これで臭(にお)いも気にならぬし、眺(なが)めの邪魔にもならぬの。

   田野(でんや)の景色はまた格別じゃ。


   …む?

   これはまた珍しい。

   かかる場所にはふさわしからぬ屏風(びょうぶ)じゃ。

   筆勢(ひっせい)は…土佐(とさ)じゃな、土佐将監光信(とさしょうげんみつのぶ)と見たがどうじゃな?


助さん:さすがはご隠居(いんきょ)、お目利(めき)き恐れ入りました。

    確かに光信(みつのぶ)にございますな。


光圀:うむ、そうか。

   …将監(しょうげん)はよう描(えが)くのぅ。

   雁(かりがね)がこう翼を広げた具合(ぐあい)などは、絵と思えぬほどじゃな。

   しかし、松に雁(かりがね)とは…松ならば鶴(つる)、葦(あし)に雁(かりがね)を描(えが)くべきであるに、

   これはいかなる意味を持つのか。

   助(すけ)さん、格(かく)さん、そなた達は存じておるか?


格さん:さ…それがしも存じませぬ…。

    助三郎(すけさぶろう)、お主(ぬし)は?


助さん:いや…それがしも光信(みつのぶ)の作とはまでは分かったが、

    それ以上の事は…。


語り:絵と言いますものは、ちゃんと組み合わせが決まっております。

   松や日の出には鶴(つる)を、月や葦(あし)には雁(かりがね)を描(えが)くというのが不文律(ふぶんりつ)になっ

   ているというのに、この松に雁(かりがね)というのはどうにも解(げ)せない。

   黄門(こうもん)さまご一行(いっこう)が主従(しゅじゅう)雁首(がんくび)並べて首をひねっているところへ、

   大阪風(おおさかふう)の町人(ちょうにん)二人、茶屋(ちゃや)の暖簾(のれん)をくぐって来ました。


辰五郎:ごめんくださいよ。


喜助:店主、休ましてもらうよ。


辰五郎:しんどかったなあ、一服(いっぷく)して…ああ、もう昼時(ひるどき)やな。

    飯(めし)にしよか。


喜助:ほなら荷物(にもつ)さんと合わして三人前(さんにんまえ)注文しまっさ。

   酒はどないします?


辰五郎:ワイはいらへん…あ、そや、荷物(にもつ)さんは呑(の)むやろ。

    一本だけでええ、あんまり吞(の)ますとまた歩きにくなるからな。

    一本付けといてや。

    あぁ一服(いっぷく)して…疲れたなぁ。


喜助:せやけど旦那(だんな)、ここまで来たら江戸も近(ちか)なったなぁ。

   もう掛川(かけがわ)でっせ。


辰五郎:おお、もう遠州(えんしゅう)やなぁ。

    これから駿河路(するがじ)入ると富士(ふじ)見ながらの旅やけど、

    これが遊び半分の旅やったら面白(おもしろ)おかしゅう笑う事も出来るやろ

    うが、こないして胸に一物(いちもつ)…なんか分かれへんが、

    その日その日ぃだんだんとこう、身にしみるように疲れるなぁ。


喜助:旦那(だんな)、そないにくよくよして…弱気になってはあきまへん。

   人間言うもんは七(なな)こけ八起(やお)き。なるようにしかなれへん。

   しゃあないんです。


辰五郎:ははは…そうか。

    これ言うたら自分に叱(しか)られるけどな、

    七(なな)こけ八起(やお)き言うけど、こう落ち目になってくるともう、

    七(なな)こけ八(や)こけで、ええことあれへんで。


    !あぁいや、はははは…もうええわええわ、

    言うたらまた叱(しか)られるわ、ははは…。

    しかしなぁ……お?

    喜助(きすけ)、喜助(きすけ)。


喜助:え? なんでっしゃろか?


辰五郎:自分にええもん見(み)したろか?


喜助:えっえっ、おなごで?


辰五郎:なに言うてんねん。

    そやない、奥に屏風(びょうぶ)があるやろ?

    どや?


喜助:あ、ほんまや。

   よう描(か)けてまんなぁ。


辰五郎:ははは…感心しとるけど、自分はあれがなんか知ってるんか?


喜助:へへへ殺生(せっしょう)やなあ。

   あれくらいのもん、知ってるか言うたら知ってまっせ。

   あれは雁風呂(がんぶろ)でっしゃろ?


辰五郎:ほぉ、偉いな。

    さすがは喜助(きすけ)や。

    雁風呂(がんぶろ)やと一目(ひとめ)で分かったか。

    しかも将監(しょうげん)のほんまもんやで、あれ。

    なんでこないな店にあんなええ屏風(びょうぶ)があるんやろうか。

    うーむ…どや、雁(かりがね)がこう構えて、

    今にも飛び立ってピューッと抜けてくるようや。

    はあ~…ほんに、名人とはこれやな。

    せやけど、あないよう描(か)けとっても、この絵は評判が悪い言う。


喜助:なんででっか?


辰五郎:松に雁(かりがね)ちゅう絵はあれへん。

    将監(しょうげん)も腕に甘んじて絵空事(えそらごと)を描(か)いたと貶(けな)す人がいてるちゅう。

    そんな人に見られたら、将監(しょうげん)が気の毒や。


喜助:ああ、そらほんまやね。

   うちらみたいな物の分かれへん人間ならしゃあないけど、

   二本差(にほんさ)した侍(さむらい)かて分かれへん人が多いんでっせ。

   もっともあんなんは武士(ぶし)やといったところで、かつ節(ぶし)にもなりまへ

   んよ。

   大小(だいしょう)を差(さ)してる言うたって、あんなん丸太(まるた)をぶら下げてるようなも

   んや。

   目(め)ぇあっても節穴(ふしあな)みたいなもんや。


辰五郎:おいおい、おっきな声出すんちゃう。


語り:声高(こわだか)に話す男とそれをたしなめる、大阪から来たであろう二人組。

   その話の内容がまさに知りたがっていた屏風(びょうぶ)についてであった。

   二人の話を耳をそばだてて聞いていた黄門(こうもん)様、得(え)たりとばかりに

   膝(ひざ)を叩(たた)きます。


光圀:……ほほほ。

   一同、あの話を聞いたかの?

   この絵が分からぬ者は武士(ぶし)ではないと申す。

   だいぶ、節穴(ふしあな)が揃(そろ)うたのう。


助さん:恐れ入りました。


光圀:どうじゃな、

   あの二人にここへ来てもらい、絵解(えと)きをしてもらおうかの。


格さん:これはまたお戯(たわむ)れを。

    わざわざあのような町人(ちょうにん)に――


光圀:【↑の語尾に喰い気味に】

   これこれ格(かく)さん。

   今のわしは越後(えちご)の縮緬問屋(ちりめんどんや)、隠居(いんきょ)の光右衛門(みつえもん)じゃぞ。

   それに、聞くは一時(いっとき)の恥(はじ)、聞かぬは一生の恥(はじ)と申すではないか。

   助(すけ)さん、あの二人を呼んで、屏風(びょうぶ)の絵解(えと)きをしていただこう。


助さん:はっ、しばしお待ちを。


    あ~もし、そこのお二人。


辰五郎:!へい。

    【声を落として喜助に】

    それ見(み)ぃ、自分があんまりおっきな声出すさかい。


    【助さんに・標準語で】

    これはまたお休みとも存じませんでつい、高声(たかごえ)でお耳障(みみざわ)りでござ

    いましたでしょう。


助さん:あぁいやいや、そのことを咎(とが)めるのではない。

    実はあの屏風(びょうぶ)の絵であるが、何の意味で松に雁(かりがね)を描(えが)いたものか、

    それが分らぬ。

    あれにおるは手前(てまえ)の主人、越後(えちご)の縮緬問屋(ちりめんどんや)のご隠居(いんきょ)なのだが、

    ぜひ屏風(びょうぶ)の絵解(えと)きをしてほしいと申している。

    それゆえ、ちょっとあれへ参ってくれぬであろうか。


辰五郎:へへへ、これはまたお戯(たわ)れでございまして。

    ええ、ご承知(しょうち)ないことはございません。

    町人(ちょうにん)のなま物識(ものし)りを嬲(なぶ)ってやろうと、それは悪いお考えでござり

    ますので、どうぞひとつ、ご勘弁(かんべん)を。


格さん:いやいやいや、そのようなことではない。

    ぜひあれへ参って、話をしてくれ。頼むによって。


辰五郎:いえいえ、何にも存じませんものでござりますので、

    どうぞご勘弁(かんべん)を。


喜助:【声を落として】

   ッ旦那(だんな)…旦那(だんな)。


辰五郎:【声を落として】

    何をするんや。

    何や?


喜助:【声を落として】

   旦那(だんな)はそれやさかいあかんのです。

   なんでも旦那(だんな)は遠慮(えんりょ)して…

   向こうが知れへんから聞かしてくれ言うて頼んでまんねや。

   話したらええやないですか。

   何があんな親爺(おやじ)にわかるもんかね。

   あれやかて、やっぱり節穴(ふしあな)のクチで――


辰五郎:【↑の語尾に被せ気味に声を落として】

    何言うてんのや。


    【助さんに・標準語】

    それでは…お言葉に甘えまして…。


助さん:おぉすまない、さ、上がってくれ。


辰五郎:へい。あ、店主、足は洗わんかて、その雑巾(ぞうきん)を貸してんか。

    あぁおおきにおおきに。


    それでは、ごめんくださりまして…。


光圀:おお、遠慮(えんりょ)はいりません。

   もそっとこちらへ。

   松に雁(かりがね)、将監(しょうげん)とは見たものの、いかなる意味か存じませぬ。

   まことに申しかねたのだが、あの絵解(えと)きをしてもらえませんかな。


辰五郎:これは恐れ入ります。

    ご隠居(いんきょ)様のご承知(しょうち)ないこともありますまいが、

    まぁ、商人(あきんど)の片言(かたこと)を聞いて笑(わろ)うてやろう、

    何も旅の徒然(つれづれ)じゃと思(おぼ)し召(め)してご勘弁(かんべん)のほどを願いまして。


    これは将監(しょうげん)が苦心して描(か)いた絵じゃと、親どもが話しましたのを

    又聞(またぎ)き致(いた)しましたもので、間違いましたらお詫びを申し上げます

    。

    描(か)かれてありますこの松は、函館(はこだて)の浜辺(はまべ)にある、俗(ぞく)に『一木(ひとき)の松』

    と申すのだそうでございます。

    日本を離れました、はるか遠い所に常磐(ときわ)という国がござりまして

    、秋になりますと日本へ雁(かりがね)が渡って参り、春になると常盤国(ときわのくに)へ

    戻ります。

    燕(つばめ)は春に日本に参りまして、秋に常盤国(ときわのくに)へ帰ります。

    雁(かりがね)の参りますのと燕(つばめ)の帰りますのが、波の上で行きあいます。


燕:そこへ行くのは雁(かりがね)ではないか?


雁:おお燕(つばめ)、お前帰るか。

  俺はこれから日本へ渡るのじゃが、ちょっと忘れた用があるので、

  この文(ふみ)を届けてもらいたい。


燕:おぉいいとも。

  わしも日本へ言い残してきたことがある。

  お前が着いたらちょっと言付(ことづ)けをしてくれまいか。


辰五郎:と、へへへ…まさか鳥がものも申しますまいが、その辺(へん)を取りま

    して「燕(つばめ)の便(たよ)り、雁(かりがね)の文(ふみ)」というのは、これからできました言葉

    だそうにございます。

    燕(つばめ)は体が小さいので、疲れて参りますと打ち合う波頭(なみがしら)や漂(ただよ)ってい

    るゴミの上で羽交(はがい)を休める事もできますが、雁(かりがね)は体が大きいので

    そういう方法がとれません。

    それゆえ常盤国(ときわのくに)を出る時に柴(しば)を一本くわえて来るのだそうで。

    疲れるとその柴(しば)を海に落とし、それにとまって羽を休めます。

    それを幾(いく)たびも繰り返し、雨に降られ、風には吹かれ、波にさら

    され、苦労に苦労を重ねて函館(はこだて)の浜辺(はまべ)にござります、

    この「一木(ひとき)の松」まで辿(たど)り着き、


雁:ああ、やっと日本に着いた。もう柴(しば)はいらん。


辰五郎:とばかりに柴(しば)を松の上から捨て、日本中を飛び回るのでございま

    す。

    そうして松の下にはぎょうさん柴(しば)の枝の山ができるわけですが、

    春に帰るときにまた使うだろうと、土地の者がそれを集めて直し

    ておいて、春になると松の下に出しておくのです。

    するとこの松で柴(しば)を落とした雁(かりがね)たちが、また一本ずつくわえて

    常盤国(ときわのくに)へ戻っていくのだそうです。

    しかし、松の下にはまだぎょうさんの柴(しば)が残るのだとか。

    すると、


百姓1:ああ、今年もこれだけ日本で雁(かりがね)が落ちたのか…。


百姓2:こないにも死んだのだな…哀れだな。


辰五郎:と、雁(かりがね)の亡くなりますのを土地の者が憐れみまして、その柴(しば)で

    風呂(ふろ)をたてます。

    行(い)き来(き)の難渋(なんじゅう)の者、または修行者などに一夜(いちや)の宿を致(いた)しまして

    この風呂(ふろ)に入れます。

    何がしかの金を持たせて発(た)たせまするのも、雁追善供養(かりがねついぜんくよう)の為と

    未(いま)だに言い伝えております、函館(はこだて)の雁風呂(がんぶろ)というのはこれだそう

    です。

    それを将監(しょうげん)が描(か)きましたもので、

    『松に雁(かりがね)という絵はない。腕に甘んじて絵空事(えそらごと)を描(か)いた』

    などと言われては苦心をした将監(しょうげん)が気の毒じゃと、親どもが話し

    ていたのを又聞(またぎ)きしたものでして、間違っていたらお詫(わ)びをいた

    します。

    これは半双(はんそう)もので判(わか)りにくいかと存じますが、一双(いっそう)ものになりま

    すと函館(はこだて)の天守台(てんしゅだい)をちょっと描(か)きまして、その下に紀貫之(きのつらゆき)様の歌

    があったように覚えております。


    「秋は来て 春帰りゆく雁(かりがね)の 羽交(はがい)休めぬ 函館(はこだて)の松」


    でございましたか。

    これは『函館(はこだて)の雁風呂(がんぶろ)』と申すものです。


助さん:うぅーむ…。


格さん:なるほど…そのようないわれが…。


光圀:ふうむ…話には聞いておったが、函館(はこだて)の雁風呂(がんぶろ)であったか…。

   なるほど、これは良い話を聞かせていただきました。

   して、そなたはいずれの生まれで、名は何と申されますかな?


辰五郎:大坂の町人(ちょうにん)にございます。

    名は…皆様の前で申し上げる事のできない、不浄(ふじょう)の身でございま

    すので、それだけはご勘弁(かんべん)願います。


光圀:いやいや、津津浦浦(つつうらうら)へ参ろうとも、名の無いというものはありませ

   ん。

   雁風呂(がんぶろ)の話を聞かせていただいた、そなたの名を覚えておきたいの

   です。遠慮(えんりょ)せずに申してくれませんかな?


辰五郎:いえ…それだけは…。


助さん:これこれ、さように辞退するはかえってご無礼(ぶれい)にあたるぞ。

    このお方(かた)をどなたと心得(こころえ)る。


格さん:これに渡らせられたもうは、前(さき)の天下の副将軍(ふくしょうぐん)、水戸光圀(みとみつくに)公

    にあらせられるぞ。

    この紋所(もんどころ)が目に入らぬか。


辰五郎:ええっ!?

    はっははーーーッ!!


喜助:へ、へへーーーっ!!


光圀:これ、さようなことは申してはならぬと言いつけてあったであろう

   。

   たわけたやつらじゃ、ははは…。


   ああこれこれ、さように土間(どま)に飛び降りては着物が汚れる。

   元の席へ戻ってくれ。

   いかにも、余(よ)は徳川光圀(とくがわみつくに)である。

   今日まで雁風呂(がんぶろ)の話を知らぬであった。

   教えてくれたそちの名を記憶致(きおくいた)したいによって、どうか名乗ってく

   れい。


辰五郎:へっ…へへっ…恐れ入りましてございます!

    さようなお方様(かたさま)とも存じませんで、最前(さいぜん)からの無礼(ぶれい)の段(だん)、

    なにとぞお許しを願いたいのでござります。

    この上ご辞退(じたい)を致(いた)しましては、かえってご無礼(ぶれい)でございますゆえ

    、ご直答(じきとう)は恐れ多いことで、ご家来衆(けらいしゅう)様までに申し上げます。

    華奢(かしゃ)に耽(ふけ)りました咎(とが)で、お取り潰(つぶ)しになりました

    大坂町人(おおさかちょうにん)、淀屋(よどや)の五代目辰五郎(ごだいめたつごろう)が倅(せがれ)、六代目辰五郎(ろくだいめたつごろう)めにございます

    。


光圀:ほう、淀屋辰五郎(よどやたつごろう)、名は聞きおよんでおる。

   そちは倅(せがれ)であるか。

   して、これからいずれへ参るのじゃ?


辰五郎:い、いや、それは——


光圀:苦しゅうない、直答(じきとう)を許す。

   いずれへ参る?


辰五郎:江戸(えど)へ下(くだ)りますのでござります。


光圀:ほう、江戸(えど)への。

   立ち入った事を聞くが、何用(なによう)で参るのじゃ?


辰五郎:親共(おやども)が存命中(ぞんめいちゅう)、柳沢美濃守(やなぎさわみののかみ)様に三千両(さんぜんりょう)の金子(きんす)をご用立(ようだ)て致(いた)しまし

    たところ、今もってお下(さ)げ渡(わた)しがござりませぬ。

    昔日(せきじつ)ならともあれ、今の淀屋(よどや)でござりますので、

    その金子(きんす)、何ほどでも返しいただきたいと、

    これから江戸屋敷(えどやしき)へ嘆願(たんがん)に参るところでございます。


光圀:ふうむ、美濃守(みののかみ)が三千両(さんぜんりょう)を借りてそのまま返さぬと…、

   大名(だいみょう)が金子(きんす)を借りて、返さずとも良いという事はない。

   これは美濃守(みののかみ)の存(ぞん)じた事ではあるまい。

   しかし不憫(ふびん)であるな。

   そちには雁風呂(がんぶろ)の話を聞かせてもろうた礼をいたそう。

   これ、かようにしたためて遣(つか)わせ。


助さん:ははっ。


格さん:助三郎(すけさぶろう)殿、硯(すずり)と料紙(りょうし)じゃ。


語り:助(すけ)さんが右筆(ゆうひつ)をつとめ、筆を執(と)るやサラサラサラッと走らせます。

   終われば末尾(まつび)に黄門(こうもん)様の印形(いんぎょう)がどんと鎮座(ちんざ)いたします。


助さん:淀屋辰五郎(よどやたつごろう)、柳沢美濃守(やなぎさわみののかみ)の江戸屋敷(えどやしき)へ参り、

    もし三千両(さんぜんりょう)の金子(きんす)お下(さ)げ渡(わた)し無き時は、当家(とうけ)の江戸上屋敷(えどかみやしき)へ願い

    出(い)ずるべし。


格さん:さすれば、金子三千両(きんすさんぜんりょう)お下(さ)げ渡(わた)しに相成(あいな)るであろう。

    これがその目録(もくろく)である。

    ありがたく拝領(はいりょう)いたすがよい。


辰五郎:は、ははァーーーーーッッ!!!

    あ、ありがたきしあわせに存じまするーーーーッ!!


光圀:上方(かみがた)へ参るならば同道(どうどう)致(いた)したいところながら、

   江戸(えど)へ参るならば道が違うでな。

   道中(どうちゅう)気を付け、あまりクヨクヨいたすなよ。身のために相成(あいな)らぬぞ。

   さて、あまり長座(ちょうざ)いたしては店にも彼らにも迷惑であろう。

   助(すけ)さん、格(かく)さん、そろそろ参りますかな。


格さん:ははっ。


助さん:店主、お代はここに置くぞ。


光圀:では両人(りょうにん)とも、達者(たっしゃ)でのう。


語り:そのまま黄門様御一行(こうもんさまごいっこう)は上方(かみがた)へ向けてお発(た)ちになられ、

   淀屋辰五郎(よどやたつごろう)、喜助(きすけ)と共にその後(うし)ろ影(かげ)を伏(ふ)し拝(おが)んでおります。


辰五郎:ははーっ、ご老公(ろうこう)様、ありがとうごぜえます、ありがとうごぜえ

    ます…!


喜助:ッ旦那(だんな)!!


辰五郎:うわッ、びっくりした…!


喜助:おらァ水戸(みと)のご老公(ろうこう)様て聞いた時にどっからなんで飛び降りたか、

   夢中やったで。


辰五郎:偉(えら)いもんやでな。

    ワイもご老公(ろうこう)様て聞いた時に、おっきな石でぐーっと抑(おさ)えられたよ

    うな気ぃしたで。

    せやけど喜助(きすけ)、自分も偉(えら)いで。

    水戸(みと)のご老公(ろうこう)様を節穴(ふしあな)にしたのは自分ばっかりやで。


喜助:はっははは、いや、知れへんが仏で、えらい事を言うた。

   せやけど旦那(だんな)、喜んどくんなはれ。

   これから柳沢(やなぎさわ)様にお願いしたとこで、なんじゃかんじゃと延(の)びた果

   てが、百両(ひゃくりょう)か二百両(にひゃくりょう)の涙金(なみだきん)で戻るのか思(おも)てましたけど、

   けったいな所で水戸(みと)のご老公(ろうこう)様にお目にかかったなぁ。

   これで旦那(だんな)、柳沢(やなぎさわ)様が払わんでも水戸(みと)様のお屋敷へ行って、

   どっちにこけても取りっぱぐれのあれへん三千両(さんぜんりょう)、

   生(なま)で握(にぎ)ったのも同じことでっせ。

   せやけど、雁風呂(がんぶろ)の話(はなし)一つで三千両(さんぜんりょう)…高い雁(かりがね)「借り金」ですな。


辰五郎:そのはずや。

    貸(か)し金(がね)を取りに行くんや。




終劇



参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


三遊亭圓生(6代目)




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