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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「雁風呂」

作者: 霧夜シオン


落語声劇「雁風呂がんぶろ


台本化:霧夜きりやシオン@吟醸亭喃咄ぎんじょうていなんとつ


所要時間:約25分


必要演者数:5名

      (0:0:5)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。


※劇中の関西弁については変換ツールなどを使用したものです。

 なので、現地の方からするとなんやこのエセ関西弁は!となるかもしれ

 ませんが何とぞ御容赦ください。



●登場人物


光圀みつくに:ご存知ぞんじ水戸黄門みとこうもんでお馴染なじみ、水戸徳川家みととくがわけ元副将軍もとふくしょうぐん徳川光圀とくがわみつくに

   これまたお馴染なじみのおとも二人と共に江戸えどを出て、遠州えんしゅう遠江とおとうみ・静岡

   県)掛川かけがわまで旅をして来ている。


すけさん:水戸黄門みとこうもんでお馴染なじすけさんこと、佐々木助三郎ささきすけさぶろう

    黄門こうもん様のおともをして掛川かけがわまでやってくる。


かくさん:すけさんとお馴染なじみ、かくさんこと渥美格之進あつみかくのしん

    黄門こうもん様の諸国漫遊しょこくまんゆうのおともをしている。


辰五郎たつごろう五代目淀屋辰五郎ごだいめよどやたつごろうせがれ六代目辰五郎ろくだいめたつごろう

    手代てだい喜助きすけを連れてかつて大名だいみょうに貸した金を返してもらおうと

    江戸えどへ向かう。


喜助:辰五郎たつごろう手代てだい。主人と共に大名だいみょうに貸した金を返してもらうべく

   共に旅をして来ている。


かりがね辰五郎たつごろうの話の中に出てくるかりがね


つばめ辰五郎たつごろうの話の中に出てくるつばめ


百姓ひゃくしょう1:函館はこだて百姓ひゃくしょうさんその1。


百姓ひゃくしょう2:函館の百姓ひゃくしょうさんその2。


語り:雰囲気を大事に。


●配役


光圀:

助さん・燕・百姓1:

格さん・雁・百姓2:

辰五郎:

喜助・語り・枕:


※:枕は1セリフのみです。



枕:黄門こうもん様というと、皆さんは水戸黄門みとこうもんを思い浮かべるかと思います。

  諸国漫遊しょこくまんゆう勧善懲悪かんぜんちょうあく、弱い立場の者のしり押しをしてやる真ん中の

  肛門こうもん様…おっとこらぁ字が違いますな。

  をそのままにしてはいけませんので、早く治さなければなりません

  な…あいや、また字が違いましたな。

  ま、しもの話しはこのくらいにしまして、ではこの水戸黄門みとこうもん黄門こうもんとは

  何を意味するのか、と言いますと、昔の大臣の職に中納言ちゅうなごんというのが

  あります。

  その上にはアイスとかでよく聞く大納言だいなごんがあるんですが、その中納言ちゅうなごん

  の職にいていた人が隠居いんきょする、つまり表舞台おもてぶたいから引退いんたいすると黄門こうもん

  、そう呼ばれるわけです。

  で、水戸黄門みとこうもん、本名は徳川光圀とくがわみつくにと申されるのですが、御三家ごさんけの一つ、

  水戸徳川家みととくがわけの二代目当主であり、隠居いんきょ後は大日本史だいにほんし編纂へんさんに追われて

  関東地方から出るという事はなかったんです。

  ところが江戸時代後期から講談こうだんやなんやらで、今の我々が良く知る、

  頭巾ずきん十徳じっとく姿につえをついて左右にすけさんかくさんを従え、全国を漫遊まんゆう

  るという、史実しじつとはことなる水戸黄門みとこうもん様が確立かくりつしたわけでございます。

  さて黄門こうもん様こと徳川光圀とくがわみつくに公、例のお供二人と共に遠江とおとうみ、現在の静岡県

  の一部である掛川宿かけがわしゅくに差しかりまして。 


助さん:ご隠居いんきょ遠州えんしゅうに入ってしばらくになりますな。


光圀:うむ、かつてこの地は今川治部大輔義元いまがわじぶたゆうよしもと公がおさめ、その死後、

   東照大権現とうしょうだいごんげん様が統治なされた。

   祖先の偉大な足跡そくせきを思うと、感慨無量かんがいむりょうじゃな。


格さん:そのお言葉、権現ごんげん様もいずこかで聞いて笑っておられましょう。

    そういえば、この掛川かけがわの地は茶が美味うまいと耳にしております。


光圀:そうじゃ、我が祖父そふ大権現だいごんげん様も、関ケ原の合戦かっせんにて東海道とうかいどう

   西上せいじょうせしおり、この掛川かけがわにて山内一豊やまのうちかずとよより茶をけんじられたと聞く。


助さん:はい、はるか後年こうねんになりますが、掛川かけがわの茶は正式に掛川茶かけがわちゃという

    名で商標しょうひょうとして登録とうろくされるとか。


光圀:?? 飄飄ひょうひょうとして耄碌もうろく

   すけさん、いくらそなたでも言って良い事と悪い事があるぞ。


格さん:いえ、ご隠居いんきょ助三郎すけさぶろうはそう申したのではありませぬ。

    すなわち、特許庁とっきょちょうと申す所から掛川茶かけがわちゃと言う名前が正式に認めら

    れたと、こういうことにございます。


光圀:?? とっきょちょう?

   ご公儀こうぎにそのような役儀やくぎ発足ほっそくしたとはついぞ聞いておらぬぞ。


助さん:は、なにぶん、はるか後年こうねんの事になりますゆえ…。


格さん:おぉご隠居いんきょ、むこうに茶屋ちゃやが見えまする。

    あれにて休息がてら昼食ちゅうじきをとり、その後くだんの茶を賞味しょうみいたし

    ましょう!


光圀:む、うむ…。

   とっきょちょう…うーむ、やはりわからぬ…。


助さん:頼もう!

    昼食ちゅうじきを三人ぶん頼む!


    ご隠居いんきょ、奥がいているそうです。

    こちらへ。


語り:水戸徳川家みととくがわけ二代目当主にして先の副将軍ふくしょうぐんともなれば、旅の宿や食事

   は本来は陣屋じんやであったでしょうが、ここでの水戸みと黄門こうもん様は世間せけん

   一般お茶の間に浸透しんとうしている黄門こうもん様でありますため、おごった事は

   大嫌い、街宿場まちしゅくば粗末そまつ立場茶屋たちばちゃやにもこうしておいでになられる

   次第しだいであります。


助さん:ご隠居いんきょ、もうよろしゅうございますか?


光圀:うむ、馳走ちそうになった。

   いや、こう温かい物をいただくと体が内側から火照ほてってくるのう。


格さん:ではご隠居いんきょ、窓を開けて少し風を通しましょうや?


光圀:そうじゃの。

   少しばかり涼もうではないか。


助さん:では…。


光圀:ほう、これは良い景色じゃ……む、これは…。


格さん:このにおいは…ご隠居いんきょ、どうやら庭のすみ肥甕こえがめがあるようで。


光圀:むむむ、せっかくの景色が台無だいなしじゃの。

   すけさん、屏風びょうぶを借りてきなさい。


助さん:心得こころえました。


    【二拍】


    ご隠居いんきょ、店主がこころよく貸して下さいました。

    さっそく立てまわしまする。


光圀:おおそうか、ありがたいことじゃ。

   よしかくさん、こういてくれ。


格さん:はっ、しばしお待ちを…。


    【二拍】


光圀:うむ、これでにおいも気にならぬし、ながめの邪魔にもならぬの。

   田野でんやの景色はまた格別じゃ。


   …む?

   これはまた珍しい。

   かかる場所にはふさわしからぬ屏風びょうぶじゃ。

   筆勢ひっせいは…土佐とさじゃな、土佐将監光信とさしょうげんみつのぶと見たがどうじゃな?


助さん:さすがはご隠居いんきょ、お目利めきき恐れ入りました。

    確かに光信みつのぶにございますな。


光圀:うむ、そうか。

   …将監しょうげんはようえがくのぅ。

   かりがねがこう翼を広げた具合ぐあいなどは、絵と思えぬほどじゃな。

   しかし、松にかりがねとは…松ならばつるあしかりがねえがくべきであるに、

   これはいかなる意味を持つのか。

   すけさん、かくさん、そなた達は存じておるか?


格さん:さ…それがしも存じませぬ…。

    助三郎すけさぶろう、おぬしは?


助さん:いや…それがしも光信みつのぶの作とはまでは分かったが、

    それ以上の事は…。


語り:絵と言いますものは、ちゃんと組み合わせが決まっております。

   松や日の出にはつるを、月やあしにはかりがねえがくというのが不文律ふぶんりつになっ

   ているというのに、この松にかりがねというのはどうにもせない。

   黄門こうもんさまご一行いっこう主従しゅじゅう雁首がんくび並べて首をひねっているところへ、

   大阪風おおさかふう町人ちょうにん二人、茶屋ちゃや暖簾のれんをくぐって来ました。


辰五郎:ごめんくださいよ。


喜助:店主、休ましてもらうよ。


辰五郎:しんどかったなあ、一服いっぷくして…ああ、もう昼時ひるどきやな。

    めしにしよか。


喜助:ほなら荷物にもつさんと合わして三人前さんにんまえ注文しまっさ。

   酒はどないします?


辰五郎:ワイはいらへん…あ、そや、荷物にもつさんはむやろ。

    一本だけでええ、あんまりますとまた歩きにくなるからな。

    一本付けといてや。

    あぁ一服いっぷくして…疲れたなぁ。


喜助:せやけど旦那だんな、ここまで来たら江戸もちかなったなぁ。

   もう掛川かけがわでっせ。


辰五郎:おお、もう遠州えんしゅうやなぁ。

    これから駿河路するがじ入ると富士ふじ見ながらの旅やけど、

    これが遊び半分の旅やったら面白おもしろおかしゅう笑う事も出来るやろ

    うが、こないして胸に一物いちもつ…なんか分かれへんが、

    その日その日ぃだんだんとこう、身にしみるように疲れるなぁ。


喜助:旦那だんな、そないにくよくよして…弱気になってはあきまへん。

   人間言うもんはななこけ八起やおき。なるようにしかなれへん。

   しゃあないんです。


辰五郎:ははは…そうか。

    これ言うたら自分にしかられるけどな、

    ななこけ八起やおき言うけど、こう落ち目になってくるともう、

    ななこけこけで、ええことあれへんで。


    !あぁいや、はははは…もうええわええわ、

    言うたらまたしかられるわ、ははは…。

    しかしなぁ……お?

    喜助きすけ喜助きすけ


喜助:え? なんでっしゃろか?


辰五郎:自分にええもんしたろか?


喜助:えっえっ、おなごで?


辰五郎:なに言うてんねん。

    そやない、奥に屏風びょうぶがあるやろ?

    どや?


喜助:あ、ほんまや。

   ようけてまんなぁ。


辰五郎:ははは…感心しとるけど、自分はあれがなんか知ってるんか?


喜助:へへへ殺生せっしょうやなあ。

   あれくらいのもん、知ってるか言うたら知ってまっせ。

   あれは雁風呂がんぶろでっしゃろ?


辰五郎:ほぉ、偉いな。

    さすがは喜助きすけや。

    雁風呂がんぶろやと一目ひとめで分かったか。

    しかも将監しょうげんのほんまもんやで、あれ。

    なんでこないな店にあんなええ屏風びょうぶがあるんやろうか。

    うーむ…どや、かりがねがこう構えて、

    今にも飛び立ってピューッと抜けてくるようや。

    はあ~…ほんに、名人とはこれやな。

    せやけど、あないようけとっても、この絵は評判が悪い言う。


喜助:なんででっか?


辰五郎:松にかりがねちゅう絵はあれへん。

    将監しょうげんも腕に甘んじて絵空事えそらごといたとけなす人がいてるちゅう。

    そんな人に見られたら、将監しょうげんが気の毒や。


喜助:ああ、そらほんまやね。

   うちらみたいな物の分かれへん人間ならしゃあないけど、

   二本差にほんさしたさむらいかて分かれへん人が多いんでっせ。

   もっともあんなんは武士ぶしやといったところで、かつぶしにもなりまへ

   んよ。

   大小だいしょうしてる言うたって、あんなん丸太まるたをぶら下げてるようなも

   んや。

   ぇあっても節穴ふしあなみたいなもんや。


辰五郎:おいおい、おっきな声出すんちゃう。


語り:声高こわだかに話す男とそれをたしなめる、大阪から来たであろう二人組。

   その話の内容がまさに知りたがっていた屏風びょうぶについてであった。

   二人の話を耳をそばだてて聞いていた黄門こうもん様、たりとばかりに

   ひざたたきます。


光圀:……ほほほ。

   一同、あの話を聞いたかの?

   この絵が分からぬ者は武士ぶしではないと申す。

   だいぶ、節穴ふしあなそろうたのう。


助さん:恐れ入りました。


光圀:どうじゃな、

   あの二人にここへ来てもらい、絵解えときをしてもらおうかの。


格さん:これはまたおたわむれを。

    わざわざあのような町人ちょうにんに――


光圀:【↑の語尾に喰い気味に】

   これこれかくさん。

   今のわしは越後えちご縮緬問屋ちりめんどんや隠居いんきょ光右衛門みつえもんじゃぞ。

   それに、聞くは一時いっときはじ、聞かぬは一生のはじと申すではないか。

   すけさん、あの二人を呼んで、屏風びょうぶ絵解えときをしていただこう。


助さん:はっ、しばしお待ちを。


    あ~もし、そこのお二人。


辰五郎:!へい。

    【声を落として喜助に】

    それぃ、自分があんまりおっきな声出すさかい。


    【助さんに・標準語で】

    これはまたお休みとも存じませんでつい、高声たかごえでお耳障みみざわりでござ

    いましたでしょう。


助さん:あぁいやいや、そのことをとがめるのではない。

    実はあの屏風びょうぶの絵であるが、何の意味で松にかりがねえがいたものか、

    それが分らぬ。

    あれにおるは手前てまえの主人、越後えちご縮緬問屋ちりめんどんやのご隠居いんきょなのだが、

    ぜひ屏風びょうぶ絵解えときをしてほしいと申している。

    それゆえ、ちょっとあれへ参ってくれぬであろうか。


辰五郎:へへへ、これはまたおたわれでございまして。

    ええ、ご承知しょうちないことはございません。

    町人ちょうにんのなま物識ものしりをなぶってやろうと、それは悪いお考えでござり

    ますので、どうぞひとつ、ご勘弁かんべんを。


格さん:いやいやいや、そのようなことではない。

    ぜひあれへ参って、話をしてくれ。頼むによって。


辰五郎:いえいえ、何にも存じませんものでござりますので、

    どうぞご勘弁かんべんを。


喜助:【声を落として】

   ッ旦那だんな旦那だんな


辰五郎:【声を落として】

    何をするんや。

    何や?


喜助:【声を落として】

   旦那だんなはそれやさかいあかんのです。

   なんでも旦那だんな遠慮えんりょして…

   向こうが知れへんから聞かしてくれ言うて頼んでまんねや。

   話したらええやないですか。

   何があんな親爺おやじにわかるもんかね。

   あれやかて、やっぱり節穴ふしあなのクチで――


辰五郎:【↑の語尾に被せ気味に声を落として】

    何言うてんのや。


    【助さんに・標準語】

    それでは…お言葉に甘えまして…。


助さん:おぉすまない、さ、上がってくれ。


辰五郎:へい。あ、店主、足は洗わんかて、その雑巾ぞうきんを貸してんか。

    あぁおおきにおおきに。


    それでは、ごめんくださりまして…。


光圀:おお、遠慮えんりょはいりません。

   もそっとこちらへ。

   松にかりがね将監しょうげんとは見たものの、いかなる意味か存じませぬ。

   まことに申しかねたのだが、あの絵解えときをしてもらえませんかな。


辰五郎:これは恐れ入ります。

    ご隠居いんきょ様のご承知しょうちないこともありますまいが、

    まぁ、商人あきんど片言かたことを聞いてわろうてやろう、

    何も旅の徒然つれづれじゃとおぼしてご勘弁かんべんのほどを願いまして。


    これは将監しょうげんが苦心していた絵じゃと、親どもが話しましたのを

    又聞またぎいたしましたもので、間違いましたらお詫びを申し上げます

    。

    かれてありますこの松は、函館はこだて浜辺はまべにある、ぞくに『一木ひときの松』

    と申すのだそうでございます。

    日本を離れました、はるか遠い所に常磐ときわという国がござりまして

    、秋になりますと日本へかりがねが渡って参り、春になると常盤国ときわのくに

    戻ります。

    つばめは春に日本に参りまして、秋に常盤国ときわのくにへ帰ります。

    かりがねの参りますのとつばめの帰りますのが、波の上で行きあいます。


燕:そこへ行くのはかりがねではないか?


雁:おおつばめ、お前帰るか。

  俺はこれから日本へ渡るのじゃが、ちょっと忘れた用があるので、

  このふみを届けてもらいたい。


燕:おぉいいとも。

  わしも日本へ言い残してきたことがある。

  お前が着いたらちょっと言付ことづけをしてくれまいか。


辰五郎:と、へへへ…まさか鳥がものも申しますまいが、そのへんを取りま

    して「つばめ便たより、かりがねふみ」というのは、これからできました言葉

    だそうにございます。

    つばめは体が小さいので、疲れて参りますと打ち合う波頭なみがしらただよってい

    るゴミの上で羽交はがいを休める事もできますが、かりがねは体が大きいので

    そういう方法がとれません。

    それゆえ常盤国ときわのくにを出る時にしばを一本くわえて来るのだそうで。

    疲れるとそのしばを海に落とし、それにとまって羽を休めます。

    それをいくたびも繰り返し、雨に降られ、風には吹かれ、波にさら

    され、苦労に苦労を重ねて函館はこだて浜辺はまべにござります、

    この「一木ひときの松」まで辿たどり着き、


雁:ああ、やっと日本に着いた。もうしばはいらん。


辰五郎:とばかりにしばを松の上から捨て、日本中を飛び回るのでございま

    す。

    そうして松の下にはぎょうさんしばの枝の山ができるわけですが、

    春に帰るときにまた使うだろうと、土地の者がそれを集めて直し

    ておいて、春になると松の下に出しておくのです。

    するとこの松でしばを落としたかりがねたちが、また一本ずつくわえて

    常盤国ときわのくにへ戻っていくのだそうです。

    しかし、松の下にはまだぎょうさんのしばが残るのだとか。

    すると、


百姓1:ああ、今年もこれだけ日本でかりがねが落ちたのか…。


百姓2:こないにも死んだのだな…哀れだな。


辰五郎:と、かりがねの亡くなりますのを土地の者が憐れみまして、そのしば

    風呂ふろをたてます。

    難渋なんじゅうの者、または修行者などに一夜いちやの宿をいたしまして

    この風呂ふろに入れます。

    何がしかの金を持たせてたせまするのも、雁追善供養かりがねついぜんくようの為と

    いまだに言い伝えております、函館はこだて雁風呂がんぶろというのはこれだそう

    です。

    それを将監しょうげんきましたもので、

    『松にかりがねという絵はない。腕に甘んじて絵空事えそらごといた』

    などと言われては苦心をした将監しょうげんが気の毒じゃと、親どもが話し

    ていたのを又聞またぎきしたものでして、間違っていたらおびをいた

    します。

    これは半双はんそうものでわかりにくいかと存じますが、一双いっそうものになりま

    すと函館はこだて天守台てんしゅだいをちょっときまして、その下に紀貫之きのつらゆき様の歌

    があったように覚えております。


    「秋は来て 春帰りゆくかりがねの 羽交はがい休めぬ 函館はこだての松」


    でございましたか。

    これは『函館はこだて雁風呂がんぶろ』と申すものです。


助さん:うぅーむ…。


格さん:なるほど…そのようないわれが…。


光圀:ふうむ…話には聞いておったが、函館はこだて雁風呂がんぶろであったか…。

   なるほど、これは良い話を聞かせていただきました。

   して、そなたはいずれの生まれで、名は何と申されますかな?


辰五郎:大坂の町人ちょうにんにございます。

    名は…皆様の前で申し上げる事のできない、不浄ふじょうの身でございま

    すので、それだけはご勘弁かんべん願います。


光圀:いやいや、津津浦浦つつうらうらへ参ろうとも、名の無いというものはありませ

   ん。

   雁風呂がんぶろの話を聞かせていただいた、そなたの名を覚えておきたいの

   です。遠慮えんりょせずに申してくれませんかな?


辰五郎:いえ…それだけは…。


助さん:これこれ、さように辞退するはかえってご無礼ぶれいにあたるぞ。

    このおかたをどなたと心得こころえる。


格さん:これに渡らせられたもうは、さきの天下の副将軍ふくしょうぐん水戸光圀みとみつくに

    にあらせられるぞ。

    この紋所もんどころが目に入らぬか。


辰五郎:ええっ!?

    はっははーーーッ!!


喜助:へ、へへーーーっ!!


光圀:これ、さようなことは申してはならぬと言いつけてあったであろう

   。

   たわけたやつらじゃ、ははは…。


   ああこれこれ、さように土間どまに飛び降りては着物が汚れる。

   元の席へ戻ってくれ。

   いかにも、徳川光圀とくがわみつくにである。

   今日まで雁風呂がんぶろの話を知らぬであった。

   教えてくれたそちの名を記憶致きおくいたしたいによって、どうか名乗ってく

   れい。


辰五郎:へっ…へへっ…恐れ入りましてございます!

    さようなお方様かたさまとも存じませんで、最前さいぜんからの無礼ぶれいだん

    なにとぞお許しを願いたいのでござります。

    この上ご辞退じたいいたしましては、かえってご無礼ぶれいでございますゆえ

    、ご直答じきとうは恐れ多いことで、ご家来衆けらいしゅう様までに申し上げます。

    華奢かしゃふけりましたとがで、お取りつぶしになりました

    大坂町人おおさかちょうにん淀屋よどや五代目辰五郎ごだいめたつごろうせがれ六代目辰五郎ろくだいめたつごろうめにございます

    。


光圀:ほう、淀屋辰五郎よどやたつごろう、名は聞きおよんでおる。

   そちはせがれであるか。

   して、これからいずれへ参るのじゃ?


辰五郎:い、いや、それは——


光圀:苦しゅうない、直答じきとうを許す。

   いずれへ参る?


辰五郎:江戸えどくだりますのでござります。


光圀:ほう、江戸えどへの。

   立ち入った事を聞くが、何用なにようで参るのじゃ?


辰五郎:親共おやども存命中ぞんめいちゅう柳沢美濃守やなぎさわみののかみ様に三千両さんぜんりょう金子きんすをご用立ようだいたしまし

    たところ、今もっておわたしがござりませぬ。

    昔日せきじつならともあれ、今の淀屋よどやでござりますので、

    その金子きんす、何ほどでも返しいただきたいと、

    これから江戸屋敷えどやしき嘆願たんがんに参るところでございます。


光圀:ふうむ、美濃守みののかみ三千両さんぜんりょうを借りてそのまま返さぬと…、

   大名だいみょう金子きんすを借りて、返さずとも良いという事はない。

   これは美濃守みののかみぞんじた事ではあるまい。

   しかし不憫ふびんであるな。

   そちには雁風呂がんぶろの話を聞かせてもろうた礼をいたそう。

   これ、かようにしたためてつかわせ。


助さん:ははっ。


格さん:助三郎すけさぶろう殿、すずり料紙りょうしじゃ。


語り:すけさんが右筆ゆうひつをつとめ、筆をるやサラサラサラッと走らせます。

   終われば末尾まつび黄門こうもん様の印形いんぎょうがどんと鎮座ちんざいたします。


助さん:淀屋辰五郎よどやたつごろう柳沢美濃守やなぎさわみののかみ江戸屋敷えどやしきへ参り、

    もし三千両さんぜんりょう金子きんすわたし無き時は、当家とうけ江戸上屋敷えどかみやしきへ願い

    ずるべし。


格さん:さすれば、金子三千両きんすさんぜんりょうわたしに相成あいなるであろう。

    これがその目録もくろくである。

    ありがたく拝領はいりょういたすがよい。


辰五郎:は、ははァーーーーーッッ!!!

    あ、ありがたきしあわせに存じまするーーーーッ!!


光圀:上方かみがたへ参るならば同道どうどういたしたいところながら、

   江戸えどへ参るならば道が違うでな。

   道中どうちゅう気を付け、あまりクヨクヨいたすなよ。身のために相成あいならぬぞ。

   さて、あまり長座ちょうざいたしては店にも彼らにも迷惑であろう。

   すけさん、かくさん、そろそろ参りますかな。


格さん:ははっ。


助さん:店主、お代はここに置くぞ。


光圀:では両人りょうにんとも、達者たっしゃでのう。


語り:そのまま黄門様御一行こうもんさまごいっこう上方かみがたへ向けておちになられ、

   淀屋辰五郎よどやたつごろう喜助きすけと共にそのうしかげおがんでおります。


辰五郎:ははーっ、ご老公ろうこう様、ありがとうごぜえます、ありがとうごぜえ

    ます…!


喜助:ッ旦那だんな!!


辰五郎:うわッ、びっくりした…!


喜助:おらァ水戸みとのご老公ろうこう様て聞いた時にどっからなんで飛び降りたか、

   夢中やったで。


辰五郎:えらいもんやでな。

    ワイもご老公ろうこう様て聞いた時に、おっきな石でぐーっとおさえられたよ

    うな気ぃしたで。

    せやけど喜助きすけ、自分もえらいで。

    水戸みとのご老公ろうこう様を節穴ふしあなにしたのは自分ばっかりやで。


喜助:はっははは、いや、知れへんが仏で、えらい事を言うた。

   せやけど旦那だんな、喜んどくんなはれ。

   これから柳沢やなぎさわ様にお願いしたとこで、なんじゃかんじゃとびた果

   てが、百両ひゃくりょう二百両にひゃくりょう涙金なみだきんで戻るのかおもてましたけど、

   けったいな所で水戸みとのご老公ろうこう様にお目にかかったなぁ。

   これで旦那だんな柳沢やなぎさわ様が払わんでも水戸みと様のお屋敷へ行って、

   どっちにこけても取りっぱぐれのあれへん三千両さんぜんりょう

   なまにぎったのも同じことでっせ。

   せやけど、雁風呂がんぶろはなし一つで三千両さんぜんりょう…高いかりがね「借り金」ですな。


辰五郎:そのはずや。

    がねを取りに行くんや。




終劇



参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


三遊亭圓生(6代目)




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