落語声劇「雁風呂」
落語声劇「雁風呂」
台本化:霧夜シオン@吟醸亭喃咄
所要時間:約25分
必要演者数:5名
(0:0:5)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
※劇中の関西弁については変換ツールなどを使用したものです。
なので、現地の方からするとなんやこのエセ関西弁は!となるかもしれ
ませんが何とぞ御容赦ください。
●登場人物
光圀:ご存知、水戸黄門でお馴染み、水戸徳川家の元副将軍、徳川光圀。
これまたお馴染みのお供二人と共に江戸を出て、遠州(遠江・静岡
県)掛川まで旅をして来ている。
助さん:水戸黄門でお馴染み助さんこと、佐々木助三郎。
黄門様のお供をして掛川までやってくる。
格さん:助さんとお馴染み、格さんこと渥美格之進。
黄門様の諸国漫遊のお供をしている。
辰五郎:五代目淀屋辰五郎の倅の六代目辰五郎。
手代の喜助を連れてかつて大名に貸した金を返してもらおうと
江戸へ向かう。
喜助:辰五郎の手代。主人と共に大名に貸した金を返してもらうべく
共に旅をして来ている。
雁:辰五郎の話の中に出てくる雁。
燕:辰五郎の話の中に出てくる燕。
百姓1:函館の百姓さんその1。
百姓2:函館の百姓さんその2。
語り:雰囲気を大事に。
●配役
光圀:
助さん・燕・百姓1:
格さん・雁・百姓2:
辰五郎:
喜助・語り・枕:
※:枕は1セリフのみです。
枕:黄門様というと、皆さんは水戸黄門を思い浮かべるかと思います。
諸国漫遊、勧善懲悪、弱い立場の者の尻押しをしてやる真ん中の
肛門様…おっとこらぁ字が違いますな。
痔をそのままにしてはいけませんので、早く治さなければなりません
な…あいや、また字が違いましたな。
ま、下の話しはこのくらいにしまして、ではこの水戸黄門の黄門とは
何を意味するのか、と言いますと、昔の大臣の職に中納言というのが
あります。
その上にはアイスとかでよく聞く大納言があるんですが、その中納言
の職に就いていた人が隠居する、つまり表舞台から引退すると黄門と
、そう呼ばれるわけです。
で、水戸黄門、本名は徳川光圀と申されるのですが、御三家の一つ、
水戸徳川家の二代目当主であり、隠居後は大日本史の編纂に追われて
関東地方から出るという事はなかったんです。
ところが江戸時代後期から講談やなんやらで、今の我々が良く知る、
頭巾と十徳姿に杖をついて左右に助さん格さんを従え、全国を漫遊す
るという、史実とは異なる水戸黄門様が確立したわけでございます。
さて黄門様こと徳川光圀公、例のお供二人と共に遠江、現在の静岡県
の一部である掛川宿に差し掛かりまして。
助さん:ご隠居、遠州に入ってしばらくになりますな。
光圀:うむ、かつてこの地は今川治部大輔義元公が治め、その死後、
東照大権現様が統治なされた。
祖先の偉大な足跡を思うと、感慨無量じゃな。
格さん:そのお言葉、権現様もいずこかで聞いて笑っておられましょう。
そういえば、この掛川の地は茶が美味いと耳にしております。
光圀:そうじゃ、我が祖父大権現様も、関ケ原の合戦にて東海道を
西上せし折、この掛川にて山内一豊より茶を献じられたと聞く。
助さん:はい、はるか後年になりますが、掛川の茶は正式に掛川茶という
名で商標として登録されるとか。
光圀:?? 飄飄として耄碌?
助さん、いくらそなたでも言って良い事と悪い事があるぞ。
格さん:いえ、ご隠居、助三郎はそう申したのではありませぬ。
すなわち、特許庁と申す所から掛川茶と言う名前が正式に認めら
れたと、こういうことにございます。
光圀:?? とっきょちょう?
ご公儀にそのような役儀が発足したとはついぞ聞いておらぬぞ。
助さん:は、なにぶん、はるか後年の事になりますゆえ…。
格さん:おぉご隠居、むこうに茶屋が見えまする。
あれにて休息がてら昼食をとり、その後くだんの茶を賞味いたし
ましょう!
光圀:む、うむ…。
とっきょちょう…うーむ、やはりわからぬ…。
助さん:頼もう!
昼食を三人ぶん頼む!
ご隠居、奥が空いているそうです。
こちらへ。
語り:水戸徳川家二代目当主にして先の副将軍ともなれば、旅の宿や食事
は本来は陣屋であったでしょうが、ここでの水戸の黄門様は世間
一般お茶の間に浸透している黄門様でありますため、奢った事は
大嫌い、街宿場の粗末な立場茶屋にもこうしておいでになられる
次第であります。
助さん:ご隠居、もうよろしゅうございますか?
光圀:うむ、馳走になった。
いや、こう温かい物をいただくと体が内側から火照ってくるのう。
格さん:ではご隠居、窓を開けて少し風を通しましょうや?
光圀:そうじゃの。
少しばかり涼もうではないか。
助さん:では…。
光圀:ほう、これは良い景色じゃ……む、これは…。
格さん:この臭いは…ご隠居、どうやら庭の隅に肥甕があるようで。
光圀:むむむ、せっかくの景色が台無しじゃの。
助さん、屏風を借りてきなさい。
助さん:心得ました。
【二拍】
ご隠居、店主が快く貸して下さいました。
さっそく立てまわしまする。
光圀:おおそうか、ありがたいことじゃ。
よし格さん、香を焚いてくれ。
格さん:はっ、しばしお待ちを…。
【二拍】
光圀:うむ、これで臭いも気にならぬし、眺めの邪魔にもならぬの。
田野の景色はまた格別じゃ。
…む?
これはまた珍しい。
かかる場所にはふさわしからぬ屏風じゃ。
筆勢は…土佐じゃな、土佐将監光信と見たがどうじゃな?
助さん:さすがはご隠居、お目利き恐れ入りました。
確かに光信にございますな。
光圀:うむ、そうか。
…将監はよう描くのぅ。
雁がこう翼を広げた具合などは、絵と思えぬほどじゃな。
しかし、松に雁とは…松ならば鶴、葦に雁を描くべきであるに、
これはいかなる意味を持つのか。
助さん、格さん、そなた達は存じておるか?
格さん:さ…それがしも存じませぬ…。
助三郎、お主は?
助さん:いや…それがしも光信の作とはまでは分かったが、
それ以上の事は…。
語り:絵と言いますものは、ちゃんと組み合わせが決まっております。
松や日の出には鶴を、月や葦には雁を描くというのが不文律になっ
ているというのに、この松に雁というのはどうにも解せない。
黄門さまご一行が主従雁首並べて首をひねっているところへ、
大阪風の町人二人、茶屋の暖簾をくぐって来ました。
辰五郎:ごめんくださいよ。
喜助:店主、休ましてもらうよ。
辰五郎:しんどかったなあ、一服して…ああ、もう昼時やな。
飯にしよか。
喜助:ほなら荷物さんと合わして三人前注文しまっさ。
酒はどないします?
辰五郎:ワイはいらへん…あ、そや、荷物さんは呑むやろ。
一本だけでええ、あんまり吞ますとまた歩きにくなるからな。
一本付けといてや。
あぁ一服して…疲れたなぁ。
喜助:せやけど旦那、ここまで来たら江戸も近なったなぁ。
もう掛川でっせ。
辰五郎:おお、もう遠州やなぁ。
これから駿河路入ると富士見ながらの旅やけど、
これが遊び半分の旅やったら面白おかしゅう笑う事も出来るやろ
うが、こないして胸に一物…なんか分かれへんが、
その日その日ぃだんだんとこう、身にしみるように疲れるなぁ。
喜助:旦那、そないにくよくよして…弱気になってはあきまへん。
人間言うもんは七こけ八起き。なるようにしかなれへん。
しゃあないんです。
辰五郎:ははは…そうか。
これ言うたら自分に叱られるけどな、
七こけ八起き言うけど、こう落ち目になってくるともう、
七こけ八こけで、ええことあれへんで。
!あぁいや、はははは…もうええわええわ、
言うたらまた叱られるわ、ははは…。
しかしなぁ……お?
喜助、喜助。
喜助:え? なんでっしゃろか?
辰五郎:自分にええもん見したろか?
喜助:えっえっ、おなごで?
辰五郎:なに言うてんねん。
そやない、奥に屏風があるやろ?
どや?
喜助:あ、ほんまや。
よう描けてまんなぁ。
辰五郎:ははは…感心しとるけど、自分はあれがなんか知ってるんか?
喜助:へへへ殺生やなあ。
あれくらいのもん、知ってるか言うたら知ってまっせ。
あれは雁風呂でっしゃろ?
辰五郎:ほぉ、偉いな。
さすがは喜助や。
雁風呂やと一目で分かったか。
しかも将監のほんまもんやで、あれ。
なんでこないな店にあんなええ屏風があるんやろうか。
うーむ…どや、雁がこう構えて、
今にも飛び立ってピューッと抜けてくるようや。
はあ~…ほんに、名人とはこれやな。
せやけど、あないよう描けとっても、この絵は評判が悪い言う。
喜助:なんででっか?
辰五郎:松に雁ちゅう絵はあれへん。
将監も腕に甘んじて絵空事を描いたと貶す人がいてるちゅう。
そんな人に見られたら、将監が気の毒や。
喜助:ああ、そらほんまやね。
うちらみたいな物の分かれへん人間ならしゃあないけど、
二本差した侍かて分かれへん人が多いんでっせ。
もっともあんなんは武士やといったところで、かつ節にもなりまへ
んよ。
大小を差してる言うたって、あんなん丸太をぶら下げてるようなも
んや。
目ぇあっても節穴みたいなもんや。
辰五郎:おいおい、おっきな声出すんちゃう。
語り:声高に話す男とそれをたしなめる、大阪から来たであろう二人組。
その話の内容がまさに知りたがっていた屏風についてであった。
二人の話を耳をそばだてて聞いていた黄門様、得たりとばかりに
膝を叩きます。
光圀:……ほほほ。
一同、あの話を聞いたかの?
この絵が分からぬ者は武士ではないと申す。
だいぶ、節穴が揃うたのう。
助さん:恐れ入りました。
光圀:どうじゃな、
あの二人にここへ来てもらい、絵解きをしてもらおうかの。
格さん:これはまたお戯れを。
わざわざあのような町人に――
光圀:【↑の語尾に喰い気味に】
これこれ格さん。
今のわしは越後の縮緬問屋、隠居の光右衛門じゃぞ。
それに、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥と申すではないか。
助さん、あの二人を呼んで、屏風の絵解きをしていただこう。
助さん:はっ、しばしお待ちを。
あ~もし、そこのお二人。
辰五郎:!へい。
【声を落として喜助に】
それ見ぃ、自分があんまりおっきな声出すさかい。
【助さんに・標準語で】
これはまたお休みとも存じませんでつい、高声でお耳障りでござ
いましたでしょう。
助さん:あぁいやいや、そのことを咎めるのではない。
実はあの屏風の絵であるが、何の意味で松に雁を描いたものか、
それが分らぬ。
あれにおるは手前の主人、越後の縮緬問屋のご隠居なのだが、
ぜひ屏風の絵解きをしてほしいと申している。
それゆえ、ちょっとあれへ参ってくれぬであろうか。
辰五郎:へへへ、これはまたお戯れでございまして。
ええ、ご承知ないことはございません。
町人のなま物識りを嬲ってやろうと、それは悪いお考えでござり
ますので、どうぞひとつ、ご勘弁を。
格さん:いやいやいや、そのようなことではない。
ぜひあれへ参って、話をしてくれ。頼むによって。
辰五郎:いえいえ、何にも存じませんものでござりますので、
どうぞご勘弁を。
喜助:【声を落として】
ッ旦那…旦那。
辰五郎:【声を落として】
何をするんや。
何や?
喜助:【声を落として】
旦那はそれやさかいあかんのです。
なんでも旦那は遠慮して…
向こうが知れへんから聞かしてくれ言うて頼んでまんねや。
話したらええやないですか。
何があんな親爺にわかるもんかね。
あれやかて、やっぱり節穴のクチで――
辰五郎:【↑の語尾に被せ気味に声を落として】
何言うてんのや。
【助さんに・標準語】
それでは…お言葉に甘えまして…。
助さん:おぉすまない、さ、上がってくれ。
辰五郎:へい。あ、店主、足は洗わんかて、その雑巾を貸してんか。
あぁおおきにおおきに。
それでは、ごめんくださりまして…。
光圀:おお、遠慮はいりません。
もそっとこちらへ。
松に雁、将監とは見たものの、いかなる意味か存じませぬ。
まことに申しかねたのだが、あの絵解きをしてもらえませんかな。
辰五郎:これは恐れ入ります。
ご隠居様のご承知ないこともありますまいが、
まぁ、商人の片言を聞いて笑うてやろう、
何も旅の徒然じゃと思し召してご勘弁のほどを願いまして。
これは将監が苦心して描いた絵じゃと、親どもが話しましたのを
又聞き致しましたもので、間違いましたらお詫びを申し上げます
。
描かれてありますこの松は、函館の浜辺にある、俗に『一木の松』
と申すのだそうでございます。
日本を離れました、はるか遠い所に常磐という国がござりまして
、秋になりますと日本へ雁が渡って参り、春になると常盤国へ
戻ります。
燕は春に日本に参りまして、秋に常盤国へ帰ります。
雁の参りますのと燕の帰りますのが、波の上で行きあいます。
燕:そこへ行くのは雁ではないか?
雁:おお燕、お前帰るか。
俺はこれから日本へ渡るのじゃが、ちょっと忘れた用があるので、
この文を届けてもらいたい。
燕:おぉいいとも。
わしも日本へ言い残してきたことがある。
お前が着いたらちょっと言付けをしてくれまいか。
辰五郎:と、へへへ…まさか鳥がものも申しますまいが、その辺を取りま
して「燕の便り、雁の文」というのは、これからできました言葉
だそうにございます。
燕は体が小さいので、疲れて参りますと打ち合う波頭や漂ってい
るゴミの上で羽交を休める事もできますが、雁は体が大きいので
そういう方法がとれません。
それゆえ常盤国を出る時に柴を一本くわえて来るのだそうで。
疲れるとその柴を海に落とし、それにとまって羽を休めます。
それを幾たびも繰り返し、雨に降られ、風には吹かれ、波にさら
され、苦労に苦労を重ねて函館の浜辺にござります、
この「一木の松」まで辿り着き、
雁:ああ、やっと日本に着いた。もう柴はいらん。
辰五郎:とばかりに柴を松の上から捨て、日本中を飛び回るのでございま
す。
そうして松の下にはぎょうさん柴の枝の山ができるわけですが、
春に帰るときにまた使うだろうと、土地の者がそれを集めて直し
ておいて、春になると松の下に出しておくのです。
するとこの松で柴を落とした雁たちが、また一本ずつくわえて
常盤国へ戻っていくのだそうです。
しかし、松の下にはまだぎょうさんの柴が残るのだとか。
すると、
百姓1:ああ、今年もこれだけ日本で雁が落ちたのか…。
百姓2:こないにも死んだのだな…哀れだな。
辰五郎:と、雁の亡くなりますのを土地の者が憐れみまして、その柴で
風呂をたてます。
行き来の難渋の者、または修行者などに一夜の宿を致しまして
この風呂に入れます。
何がしかの金を持たせて発たせまするのも、雁追善供養の為と
未だに言い伝えております、函館の雁風呂というのはこれだそう
です。
それを将監が描きましたもので、
『松に雁という絵はない。腕に甘んじて絵空事を描いた』
などと言われては苦心をした将監が気の毒じゃと、親どもが話し
ていたのを又聞きしたものでして、間違っていたらお詫びをいた
します。
これは半双もので判りにくいかと存じますが、一双ものになりま
すと函館の天守台をちょっと描きまして、その下に紀貫之様の歌
があったように覚えております。
「秋は来て 春帰りゆく雁の 羽交休めぬ 函館の松」
でございましたか。
これは『函館の雁風呂』と申すものです。
助さん:うぅーむ…。
格さん:なるほど…そのようないわれが…。
光圀:ふうむ…話には聞いておったが、函館の雁風呂であったか…。
なるほど、これは良い話を聞かせていただきました。
して、そなたはいずれの生まれで、名は何と申されますかな?
辰五郎:大坂の町人にございます。
名は…皆様の前で申し上げる事のできない、不浄の身でございま
すので、それだけはご勘弁願います。
光圀:いやいや、津津浦浦へ参ろうとも、名の無いというものはありませ
ん。
雁風呂の話を聞かせていただいた、そなたの名を覚えておきたいの
です。遠慮せずに申してくれませんかな?
辰五郎:いえ…それだけは…。
助さん:これこれ、さように辞退するはかえってご無礼にあたるぞ。
このお方をどなたと心得る。
格さん:これに渡らせられたもうは、前の天下の副将軍、水戸光圀公
にあらせられるぞ。
この紋所が目に入らぬか。
辰五郎:ええっ!?
はっははーーーッ!!
喜助:へ、へへーーーっ!!
光圀:これ、さようなことは申してはならぬと言いつけてあったであろう
。
たわけたやつらじゃ、ははは…。
ああこれこれ、さように土間に飛び降りては着物が汚れる。
元の席へ戻ってくれ。
いかにも、余は徳川光圀である。
今日まで雁風呂の話を知らぬであった。
教えてくれたそちの名を記憶致したいによって、どうか名乗ってく
れい。
辰五郎:へっ…へへっ…恐れ入りましてございます!
さようなお方様とも存じませんで、最前からの無礼の段、
なにとぞお許しを願いたいのでござります。
この上ご辞退を致しましては、かえってご無礼でございますゆえ
、ご直答は恐れ多いことで、ご家来衆様までに申し上げます。
華奢に耽りました咎で、お取り潰しになりました
大坂町人、淀屋の五代目辰五郎が倅、六代目辰五郎めにございます
。
光圀:ほう、淀屋辰五郎、名は聞きおよんでおる。
そちは倅であるか。
して、これからいずれへ参るのじゃ?
辰五郎:い、いや、それは——
光圀:苦しゅうない、直答を許す。
いずれへ参る?
辰五郎:江戸へ下りますのでござります。
光圀:ほう、江戸への。
立ち入った事を聞くが、何用で参るのじゃ?
辰五郎:親共が存命中、柳沢美濃守様に三千両の金子をご用立て致しまし
たところ、今もってお下げ渡しがござりませぬ。
昔日ならともあれ、今の淀屋でござりますので、
その金子、何ほどでも返しいただきたいと、
これから江戸屋敷へ嘆願に参るところでございます。
光圀:ふうむ、美濃守が三千両を借りてそのまま返さぬと…、
大名が金子を借りて、返さずとも良いという事はない。
これは美濃守の存じた事ではあるまい。
しかし不憫であるな。
そちには雁風呂の話を聞かせてもろうた礼をいたそう。
これ、かようにしたためて遣わせ。
助さん:ははっ。
格さん:助三郎殿、硯と料紙じゃ。
語り:助さんが右筆をつとめ、筆を執るやサラサラサラッと走らせます。
終われば末尾に黄門様の印形がどんと鎮座いたします。
助さん:淀屋辰五郎、柳沢美濃守の江戸屋敷へ参り、
もし三千両の金子お下げ渡し無き時は、当家の江戸上屋敷へ願い
出ずるべし。
格さん:さすれば、金子三千両お下げ渡しに相成るであろう。
これがその目録である。
ありがたく拝領いたすがよい。
辰五郎:は、ははァーーーーーッッ!!!
あ、ありがたきしあわせに存じまするーーーーッ!!
光圀:上方へ参るならば同道致したいところながら、
江戸へ参るならば道が違うでな。
道中気を付け、あまりクヨクヨいたすなよ。身のために相成らぬぞ。
さて、あまり長座いたしては店にも彼らにも迷惑であろう。
助さん、格さん、そろそろ参りますかな。
格さん:ははっ。
助さん:店主、お代はここに置くぞ。
光圀:では両人とも、達者でのう。
語り:そのまま黄門様御一行は上方へ向けてお発ちになられ、
淀屋辰五郎、喜助と共にその後ろ影を伏し拝んでおります。
辰五郎:ははーっ、ご老公様、ありがとうごぜえます、ありがとうごぜえ
ます…!
喜助:ッ旦那!!
辰五郎:うわッ、びっくりした…!
喜助:おらァ水戸のご老公様て聞いた時にどっからなんで飛び降りたか、
夢中やったで。
辰五郎:偉いもんやでな。
ワイもご老公様て聞いた時に、おっきな石でぐーっと抑えられたよ
うな気ぃしたで。
せやけど喜助、自分も偉いで。
水戸のご老公様を節穴にしたのは自分ばっかりやで。
喜助:はっははは、いや、知れへんが仏で、えらい事を言うた。
せやけど旦那、喜んどくんなはれ。
これから柳沢様にお願いしたとこで、なんじゃかんじゃと延びた果
てが、百両か二百両の涙金で戻るのか思てましたけど、
けったいな所で水戸のご老公様にお目にかかったなぁ。
これで旦那、柳沢様が払わんでも水戸様のお屋敷へ行って、
どっちにこけても取りっぱぐれのあれへん三千両、
生で握ったのも同じことでっせ。
せやけど、雁風呂の話一つで三千両…高い雁「借り金」ですな。
辰五郎:そのはずや。
貸し金を取りに行くんや。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
三遊亭圓生(6代目)