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7 見舞い客


「いらっしゃったみたいですよ、お兄様!」


 俺の膝の上でのんびりしていたアリエが、飼い主の帰宅を嗅ぎつけた犬のように駆けていった。

 行き先は、玄関だろう。

 さっき、ドアノッカーを鳴らす音が聞こえてきたから。

 一体全体誰がいらっしゃったのかと言うと、それはあいつしかいない。

 あいつだ。

 俺を殺した、あの……。


 気づけば、俺は自室のベッドの下に潜り込んでいた。

 枕で頭を守り、息を殺して目をつむる。

 どうしてこんなことをするのかというと、そりゃ怖いからさ。


 刺された腹から噴き出る血。

 振りかざされる血濡れの刃。

 振り乱した髪にらんらんと光る目。

 俺が死ぬ瞬間の記憶……。

 全部覚えている。

 まざまざとな。


 見舞いだかなんだか知らないが、これからここにやって来るのは俺を刺し殺した張本人だ。

 未来でありとあらゆる殺され方をした俺はとっくに死への耐性を獲得しているが、初めての臨死体験だけは格別だ。

 トラウマってやつさ。

 恐ろしくてたまらない。

 それで、このザマってわけ。


 ルマリヤがお掃除上手でよかった。

 ベッド下のスペースにはホコリひとつ見当たらない。

 おかげで、鼻がムズムズしてヘックショーンなどという間抜け極まりない位置バレはしなくてすみそうだ。


 足音が迫ってくる。

 俺の喉はすでにカラカラ。

 ギュッとつむったまぶたで目が潰れてしまいそうだ。


 ガチャ――。


 扉が開かれた。

 入ってきた気配は二つ。

 一つは妹。

 もう一つが誰のものかなんて考えたくもない。


「あれ、お兄様? 見当たりませんね」


 おう、俺は留守だ。

 居留守という名のな。

 だから、アリエよ。

 客人には帰るように伝えてくれ。

 後生だ。

 頼む。


 しかしまあ、こんなときほど祈りは届かないものだ。


「スラにゅん! お兄様を探しなさいっ!」


 そんな妹の声が聞こえてきた。


 スラにゅん?

 もしかして、あのスライムのことか?

 原始的な細胞の塊でしかないあの粘体生物に特定の何かを見つけ出すなどという高等技能が備わっているはずがない。


 と、たかをくくっていた俺の前に、第三の気配が現れた。

 恐る恐る目を開けてみると、半透明の何かがニュルニュルしているではないか。

 もちろん、スラにゅんである。


 お前、探知能力とかあるのか。

 さしずめ、匂いでも嗅ぎ当てたってところだろう。

 無駄に優秀な奴だよ。


「お兄様、ここにいらしたのですね。もしかしてドッキリを企んでいたのですか?」

「そんなところだ。ユーモラスだろ」


 俺はもう一つの気配のほうをなるべく見ないようにしながらベッドの下から這い出して、今度はカーテンの裏に逃げ込んだ。

 今日の俺は人見知りの猫みたいなもんだ。


「記憶喪失というのは本当なのね。たしかに、いつもの彼じゃないみたいだわ」


 妹のものとは違う女の声が聞こえてきて、俺は爆竹をくらった野良猫のごとく飛び跳ねた。

 この声は、そう。

 やはり、あいつだ。

 いる。

 この部屋の中に。

 目と鼻の先に。

 俺を惨殺した女が。


「もう! お兄様ったら隠れないでくださいよ!」


 もう、妹ったらカーテンめくらないでくれよ。

 ついに隠れるところがなくなってしまったではないか。

 おまけに、スラにゅんが俺の体に巻きついて拘束してくる。

 こいつ、意外に力が強いな。

 動けないのだが。


 命運は尽きた。

 観念するしかないか。

 まぁ、今すぐ殺されるわけでもなし、縮こまるだけ無駄ってもんだ。


 俺は見舞い客の前にそろりそろりと歩み出た。

 そいつは、王立魔法学院の制服を身にまとい、家庭訪問に来た教師のように行儀正しく佇んでいた。

 顔は見えない。

 なんせ、俺は下を向いているからな。


「これ、見舞いの花束よ。かくれんぼする元気があるのだから要らないようだけど」


 聞き馴染みのある硬質で冷たい声とともに、束というほどでもない花束を押し付けられる。

 腹の高さで受け取ったせいか、刺されたところがずきりと痛んだ。

 おっと、礼ぐらい言わないとな。


「あ、ありがとう。見舞いに来てくれて」


 俺は渾身の力を顔面に込めて笑顔を作り上げた。

 そして、重い頭をなんとか持ち上げて目の前の少女を見る努力をする。

 墨に漬け込んだような黒髪が見え、固く引き結んだ口を経て、スッと筋の通った鼻が見える。

 町を歩けば万人が振り返るような器量よしだ。


 ただ、彼女をまじまじと見つめ続ける者はそういないだろう。

 なんたって、目つきが悪い。

 いや、悪いなんてものじゃない。

 最悪だ。

 先祖の恨みを果たすべく生を受けたような、そんな呪詛にまみれたドス黒い目が俺を睨みつけていた。


 彼女の名は、リンネ・イー・エトナリー。

 我が家の向かい隣に住む幼馴染にして、未来の妻。

 俺にトラウマを植え付けた張本人様である。


 それにしても、すごい目だ。

 やっぱ逃げたい。

 離してよ、スラにゅん……。


「お見舞いに来てやったというのに、その嫌そうな顔はなに? まあ、私も嫌々来たクチだからお互い様かしら。家同士の付き合いというのも面倒なものね」


 険悪な表情のまま、リンネは肩をすくめる。


「確認させて。あなた、本当に記憶をなくしたの?」

「ああ、そうみたいだ」


 俺がへっぴり腰で頷くと、リンネは顔の影を強めてニンマリと笑った。


「そう、よかった。今年一番の朗報だわ」

「ああそう」


 なんだろうな。

 ルマリヤといい、俺の記憶喪失を喜ぶ奴が一定数いるのだが。

 普通に傷つくよ?


「上爵家の跡取り息子としてのあなたは、もう終わりね。山のように届いていた縁談もパッタリと途絶えるわ。あなたがみんなを忘れたように、みんながあなたを忘れていくの」


 お前は俺を見舞いにきたのか、それとも泣きっ面を刺しに来たのか。

 どっちだ?

 どう見ても後者だな。


 この時点で、これほどのヘイトを向けられているのだから、未来で殺されるのも納得というものだ。


(でも……)


 未来視で見たリンネはもう少し柔らかい表情をしていた気がする。

 俺の腕の中で頬を染め、背伸びしてキスを求めてくる彼女の顔が、たしかに俺の記憶の中に存在しているのだ。


 そうだ、俺たちは相思相愛の関係になる。

 どんなイベントを経てそうなるのかはわからない。

 だが、いずれ愛が芽生えて実を結ぶ。

 ま、その愛を裏切り、ルマリヤとおイタをした挙句、ぶっ殺されるのが俺なんだけどな。


 ともかく、長生きしたければ、彼女とは極力関わらないほうがいいだろう。

 未来はサイコロの目みたいなものだ。

 何が出るのか振る前にわかっていたとしても、振り方ひとつで出目が変わってしまう。

 だから、未来視スキルがあっても絶対はない。

 万全を期すなら関係そのものを持たないのが吉だ。


 そのためにも、だ。

 俺はあえてこう言おう。

 リンネの目を見て、真正面から、とびっきりの笑顔で。

 言ってやる。



「うるせえよ、ブス」



 俺の乾いた声が部屋にこだました。

 スラにゅんが一瞬にして凍りつき、アリエは口をあんぐりと開けたまま固まってしまった。


 驚かせてすまん。

 だが、必要なことなんだ。

 これだけの大失言だ。

 今後、二度とリンネが俺に近づくことはないだろう。

 結婚の可能性は完全にゼロになったと言っていい。

 つまり、俺が浮気をして刺されることもないし、リンネが人殺しになることもないってことだ。

 みんなハッピーだな!


 バッチィィ――――ンンッ!!!


 耳の横ですごい音がした。

 俺はたたらを踏んで壁にすがりつく。

 リンネが右手を振り抜いた姿でこちらを睨んでいた。


「最低」


 そう吐き捨てると、彼女はツカツカと去っていくのだった。


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