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6 妹とぬらぬら


 記憶をなくしたことにして、1日が経った。

 トイレの場所を覚えていたり、誰に言われるでもなく自分の席についたりと早くも俺はボロを出しまくっている。

 それでも、記憶の断片がどうのと言い張れば誤魔化せるのだから、記憶喪失ってのは案外融通が利く。


「お兄様、次はわたしの部屋をご案内しますね!」


 今は、妹のアリエに家の中を案内してもらっているところだ。

 勝手知ったる我が家だけに、新しい発見は何一つない。

 まったくもって不毛な時間だが、アリエはというと、いつになく楽しそうだった。


「こうして、お兄様とベタベタできるのですから、記憶喪失も悪くありませんねっ!」


 不謹慎な奴だ、まったく。


「ほら! いつもみたいに、ほっぺにキスしてくださいよ、お兄様っ!」


 いつもどころか一度もそんなことをした覚えなどない。

 アリエが頬を寄せてくる分だけ、俺は背伸びして遠ざかる。


「んふふ! お兄様っ!」


 ええい、抱きついてくるな。

 と、まあ、杓子定規に嫌がってはいるが、寮暮らしのアリエとはすれ違いになることも多い。

 たまには、兄妹水入らずってのも悪くないな。

 さすがの俺も、妹と浮気して刃傷沙汰になる未来は未経験だ。

 現状、一番気を許せるのがこのアリエというわけである。


「ここがわたしの部屋です。この小さなベッドで毎晩のようにお兄様とおしくらまんじゅうしていたんですよ。覚えていますか?」


 覚えているもなにも、そんな事実など世界のどこにもありはしない。

 と言ってやりたいのは山々だが、へー、と話を合わせざるをえないのが記憶喪失の辛いところだ。


「さ、さ! お兄様!」


 アリエは俺の胸をずいずい押してベッドに腰掛けさせた。


「いつものあれ、お願いします!」


 いつのどれだ?

 皆目見当もつかないが。


「わたしを膝に乗せて後ろから抱きしめるやつですよ!」


 言うが早いか、兄に腰を下ろして、


「はぁ~、やっぱり落ち着きますぅ~!」


 などと猫のように伸びをする妹である。

 フリーダムだな。

 記憶喪失なんて設定にしたものだから、むちゃくちゃな嘘をつかれても否定できない。

 されるがまま。

 そのうち詐欺師とかやってくるぞ。

 結婚詐欺師なら、すでに3人ばかし押しかけて来たがな。


 ――にゅ!


「ふぉあ!?」


 俺は柄にもなく素っ頓狂な声を上げた。

 仕方ないだろう。

 アリエの首元から何の前触れもなく粘液状の物体が飛び出してきたのだから。


 そいつは、目もなければ口もなかった。

 しかし、明らかに意思を持って動き、こちらをじっと観察しているようにも見える。

 俺は驚きを呆れに変えつつ、長嘆息を吐き出した。


「アリエ、服の中でスライムを飼うなっていつも言っているだろう」

「お兄様! 記憶が戻ったのですねっ!」

「あ、いや」


 あまりのことに口が滑ってしまった。

 ほら、こんなときには記憶の断片ガーだ。


「断片だけでも嬉しいです。妹であるわたしのことを少しでも覚えていてくれたのですから」


 まあ、忘れろというほうが無理だろう。

 うちの妹はかなり特殊な奴だからな。

 アリエは生まれてすぐ精霊の祝福を授かった。

 天才にはよくある話だ。


従粘じゅうねんの祝福』――。

 スライムを従えることができるという、なんともまあ奇々怪々なスキルだった。


 スライムといえば、下等生物の代表格だ。

 悪食で知られ、死体だろうが棺桶の蓋だろうが、なんでも食べるクレイジーな魔物。

 時に、汚染されたものを丸呑みにすることさえある。

 スライムの体は病原菌の塊というわけだな。

 迂闊に触れようものなら、翌日には全身からカビが生えて死ぬこともある。

 ゴキブリのほうが万倍マシだ。


 そんな危険生物を服の下で飼育している妹を忘れるやつがあるか。

 来世でも覚えているだろうよ。

 主に、嫌な思い出としてな。


「そんな顔をしないでくださいよ、お兄様」


 俺の膝の上で器用に体を反転させたアリエは、ぷくーっと頬を膨らませている。

 我が妹ながら、実に可愛らしいご尊顔だ。

 ただ、服の隙間という隙間から粘体生物をニョロニョロさせるのはやめてくれ。

 怖い以外の感想が湧いてこないだろ。


「スライムの毒素を抜くには、人肌で温めるのが一番なんですよ。代謝が促進されますから。それに、保湿効果もあるんです。あと、胸も盛れます」


 アリエはスライムで服の胸元を押し上げて、


「ほら、これでわたしもフララ様っ!!」


 神聖なる修道女を巨乳の代名詞みたいに言うんじゃないよ。

 軽く握ったグーで妹の頭を小突こうとすると、スライムが伸びてきて、にゅむ、っとガード。

 うわぁ……、触っちゃったよ。

 明日の朝にはカビだらけの俺が屋敷のどこかで発見されることだろう。


「この子はたった一粒の細胞から培養したんです。毒性はありませんよ。わたしのことをママだと思っている可愛い子なんです」


 ぬらぬらと波打つスライムに頬ずりした挙句、甘噛みする始末。

 近隣の国々までその名を轟かす天才美少女のアリエだが、学院では浮いた話をこれっぽっちも聞かない。

 その理由がコレである。


 しかし、妬けるな。

 さきほどまで俺にべったりだったくせに、今はスライムに鼻の下を伸ばしている。

 俺はゴキブリ以下より下ってか。


「俺とスライム、どっちが好きなんだ?」


 こんなときの定番クエスチョンをぶつけると、


「スラ……お兄様です!!」


 アリエも定番アンサーで返してくれた。

 浮気性の兄貴はスライム以下だとよ。

 ま、納得だ。


「そういえば、お兄様」


 ふと思い出したようにアリエは言った。


「リンネ先輩もお兄様のことを気にかけておられましたよ」


 その名を聞いた途端、胃袋が逆転した。

 腹の底から突き上げてきた悪寒が口から噴き出しそうになるのを、俺は無理やり呑み込んだ。

 心臓が逃げろ逃げろと警鐘を鳴らしている。

 ひどいめまいで走れそうもなかったが。


「お見舞いにいらっしゃるそうですよ。覚えていらっしゃいますか、リンネ先輩のこと」


 覚えている。

 覚えているとも。

 忘れるはずがないだろう。

 なんせ、その名は、妻の名だ。


 未来で俺を手にかけた、最愛の妻の名前なのだから。


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