5 フィアンセ、続々・・・
記憶喪失のフリというのは意外と簡単だった。
何を問われても首をかしげるだけでいいからな。
理路整然と嘘を並べ立てるより難易度は遥かに低い。
俺の有様を目の当たりにした両親は揃って頭を抱えていた。
でもまあ、未来で、変わり果てた姿となった息子とご対面するよりはマシだろう?
悪いが、俺は今日から記憶喪失者だ。
家督なんて継げないし、結婚も当面無理。
まずは、ナイフとフォークの持ち方から教えてくれ。
なるべく優しくな。
「覚えていらっしゃいますか、若様」
医者に3日ほど安静にしておくよう言い渡された俺は、自室のベッドに寝そべりシャキシャキのリンゴを頬張っているわけだが、その傍らでは、メイドのルマリヤが添い寝して俺の頬を撫でていた。
「精霊の舞い踊る夜の湖で、若様は私にこうおっしゃったのです。一生君を離さない、と」
まったく身に覚えのない思い出を持ち出してくるんじゃないよ。
過去にも未来にも俺がそんなセリフを吐くことはない。
見てきたのでガチだ。
「記憶をなくしても若様は若様です。私と二人で新しい思い出を作っていきましょう。いえ、三人で」
そう言うとルマリヤは愛おしそうにお腹をさすった。
まるで、そこに俺たちの子がいるかのように。
「名前を考えないといけませんね」
もちろん、俺たちに子供はいない。
俺が記憶喪失なのをいいことに、こいつは着々と既成事実を捏造しているのだ。
誰かこの痴女を締め出してくれ。
「アレン、意識が戻ったのですね……!!」
ばーんと扉が開かれて、フララが飛び込んできた。
どうやら走って来たらしく、肩で息をし、修道服はめくれ上がり、金の三つ編みもほどけかけていた。
ちなみにだが、今の一瞬のうちにルマリヤは添い寝をやめ、ベッド脇にて背筋ピンで直立している。
シーツにはシワひとつ残されていない。
なんという早業か。
「アレン、ごめんなさい。わたくしのせいで」
早くも涙目のフララである。
心苦しくはあるが、俺はこう返す。
「ということは、あなたがフララさんですか? お怪我がなかったようでなによりです」
「アレン、やっぱり記憶が……」
涙のダムが決壊した。
悪いな。
でも、俺は死にたくないんだ。
勘弁してくれ。
子供のように泣きじゃくるフララの肩を、ルマリヤがそっと抱いた。
「ありがとうございます、フララ様。私のフィアンセのために泣いてくださって」
図々しい奴め。
フララにまで嘘をつき始めたよ。
「ふぇ? フィアン、セ……?」
フララは眉尻を下げて困惑を表現している。
当然だ。
「ま、まさか、ルマリヤ……。あなたはアレンが記憶喪失なのをいいことに婚約を捏造したのですか!?」
そのまさかさ。
すごいよな。
さあ、修道女フララよ。
今こそ女神に代わり、この女豹に裁きの鉄槌を下してくれ。
なるべくキツイやつで頼むぜ。
「そうはさせませんっ!!」
ん、フララ?
なぜ俺に抱きつく必要がある?
そして、なにゆえ顔を真っ赤にして俺を見つめるのか。
「あ、アレン!」
はい。
「わたくしこそが、あなたの婚約者です!」
はい?
「教会で! 女神様の御前で! あなたが囁いてくださった甘い言葉をわたくしの耳は確かに覚えております!」
力強く言い切る割に、フララの金の瞳はブリに追われるイワシのように縦横無尽に泳ぎ回っている。
「一体どちらの言い分が正しいのやら。すみません、俺が記憶をなくしてしまったばかりに。婚約者を忘れるだなんて俺、最低だ……」
ちょっと面白くなってきたので、申し訳なさそうに頭を下げてみた。
すると、フララは騎虎の勢いで畳み掛けてきて、
「わたくしこそが本当のフィアンセです! ほら、アレン、あなたはこうして、わたくしを無理やり押し倒して……」
「押し倒して?」
「て、て……」
「て?」
「手を握ったではないですか!」
控えめだな、オイ。
プラトニックで大変よろしい。
ルマリヤが勝ち誇った顔でクスクスと笑っている。
「フララ様は純粋なお方ですね。手を握られたくらいで勘違いなさるなんて。でも、残念。私のお腹にはすでに若様の御子がいるのですよ」
「そ、そんな……。アレンひどい」
俺を浮気性のクソ野郎みたいに言うんじゃないよ。
……いや、まあ、その通りなのだが。
未来では実際に浮気し、それが原因で殺されたことも一度や二度ではない。
クソ野郎?
まさに、俺のことだよ。
その後もルマリヤとフララの見るに堪えない応酬が続き、二人は取っ組み合いに近い形で俺の部屋を出て行った。
俺と結婚すれば、ソーシア家の莫大な財産と王国内での重要なポストが手に入る。
さぞ魅力的な物件だろうよ。
しかし、あいつらはわかっていない。
俺のフィアンセになるということは、俺とともに地獄に落ちる覚悟が要るということだ。
死にたい奴だけついてきな。
なんてな。
「お兄様――――っ!!」
またしても扉がばーんして、見慣れた顔が飛び込んできた。
銀の髪をなびかせ一目散に俺に飛びついてきたのは、文武両道にして才色兼備、頭脳明晰でついでに眉目秀麗な我が妹。
アリエ・キゥク・ソーシアである。
王立魔法学院で寮生活をしているから、家に帰ってくることは稀なのだが、今日はダメな兄貴の見舞いにでも駆けつけてくれたのだろうか。
「……」
なんだ?
なぜ濡れた瞳で俺を見つめる。
その突き出した唇はなんだ?
「お兄様。いえ、アレン様」
「え、なに……」
「将来を誓い合ったわたしのキスなら、きっとなくした記憶を取り戻――」
待て、おまえ妹だろうが。
キス顔に枕を押し付け、シーツにくるんでポイする俺であった。