48 ベッドイン
日が暮れる頃になって、やっとこさ屋敷に帰り着いた。
長い一日だった。
バカスカ殴られたことによる身体的疲労に加え、聴取だの現場検証だの終わりの見えない捜査協力で精神的にもガタボコだ。
そんなわけで、夕食もろくすっぽ喉を通らず、ボーッとしているうちに就寝時間がやってきた。
睡魔の野郎め、今日はいつになく張り切ってやがるな。
気を抜いたが最期、立ったまま永眠してしまいそうだ。
ベッドまでのあと3歩が、千里にも感じられる。
足は思うように動かないし、体なんて鉛を詰めた土嚢を背負わされているように重い。
まあ、重いのは疲労と睡魔のせいだけではないけどな。
俺は視線を落とした。
俺の脇には水色の頭が挟まっている。
ルマリヤときたら天幕で俺に飛びついて以来、今の今まで抱きつきっぱなしで一向に離れる気配がない。
こいつがダニなら、俺の血はとうに吸い尽くされているに違いないのだ。
「寝る。そろそろ離してくれ」
と言ってはみるが、ルマリヤは口をつぐんだまま首を横に振るだけ。
頑として離れようとしない。
雇用主の息子が目の前でボコボコにされたのがよほど堪えたらしい。
(もう、くたくただ……)
眠気はピークに達している。
今なら水の中でも眠れそうだ。
パジャマに着替えるどころか、ルマリヤを押しのけることすら大仕事のように思えてならない。
もー、いいや。
このまま、寝ちまおう。
まさか、こいつを自分からベッドに連れ込む日がやってこようとはな。
などと思いながら布団に手をかけ、――ばたり。
「ふーむ」
いつ眠ったのだろうか。
寝起き一番、俺は首をかしげた。
起きたということは寝ていたはずだが、眠るに至る記憶がない。
布団に触れた瞬間、意識が途切れている。
要するに、ベッドインと同時に眠りに就いたわけだ。
どんだけ疲れていたんだよ。
外はまだ暗い。
しかし、一眠りしたおかげか、頭のほうは収穫5日目のレタスくらいにはシャキっとしている。
だから、すぐにわかったね。
ルマリヤがまだ張り付いていることも。
股間のあたりをまさぐっていることも。
「ようやく落ち着いたみたいだな」
「取り乱してしまいました。申し訳ありません、若様」
過去形にするな。
お前は今も乱れている。
おそらく、これからもずっとだ。
「若様、もうどこも悪くないのですか?」
仰向けになったタイミングで、ルマリヤが接岸するアザラシのように俺の上に這い上がってきた。
心地よい冷たさの手で俺の頬を撫で、不安げに見つめている。
ずいぶん泣いたからな。
まぶたが腫れている。
ひどい顔だが、しおらしいところにはグッとくるものがある。
お前は下ネタを捨てて空いたスペースに悲恋みをありったけ詰め込むといい。
今みたいに、弱々しい瞳で見つめられたら俺の心のチェリーブロッサムはふたたび満開になること請け合いだろうぜ。
「ご無事で本当によかったです、若様」
しがみつきながら頬ずりしてくるルマリヤが急に可愛く思えてきた。
ふと魔が差してさらさらの頭を撫でてみると、
「んん……」
ルマリヤは猫の子みたいにくすぐったがる。
やっぱり可愛い。
なんだ……。
俺の頬が暖炉を覗き込んでいるみたいに熱くなってきた。
心臓も駆け足になり、鼓膜の裏側をドクンドクンと蹴ってくる。
「若様……」
「おう……」
「若様若様若様……」
そう、こいつは可愛い。
見慣れすぎて半ば忘れてかけていたが、俺の専属メイドはこんなにも可愛らしいのだ。
そんなルマリヤが、だ。
二枚貝みたいにぴったりと体を合わせてくるんだ。
こもった熱が血流に乗って頭をめぐり、俺の顔は赤熱する一方だった。
寝起きで自制が効いていない。
今、色仕掛けを食らったら、理性のほうはともかく、体のほうは素直になってしまいそうだ。
慌てて水色の頭から手を離すと、指先に硬いものが触れた。
魔族の証。
角だった。
「はあん……っ」
ルマリヤが身悶えた。
子猫の鳴き声よりも甘美なる嬌声が頭の中で無限に反響している。
で、俺がどうなったのかと言えば、だ。
理性が吹っ飛んで上下逆転からのメイド服剥ぎ取りからのグヘヘヘヘ。
……などということは、なかった。
「はぅ……! 角はひゃぁん! あふん!」
むしろ、逆だ。
急速に冷え込んでいた。
高鳴っていた心臓も嘘のように静まり返り、今の俺は千年の修行も虚しく何の悟りも開けなかった僧侶と無二の親友になれそうなほど平坦な境地に置かれていた。
台無しだ。
わざとらしい喘ぎ声で一気に冷めた。
今、俺の上でくねくねしているこいつは、俺が守ってやらねば溶けて消えてしまうような雪の精霊ではない。
どんな下ネタをぶち込んでやろうかとウキウキする下品なビッチだ。
「そこ、らめぇぇ……」
そうだな、お前の頭はだいぶダメなことになっている。
自覚症状があってなによりだ。
名医に出会えることを祈って寝ろ、自室に戻ってな。
無理やり振り落として背を向けると、ルマリヤがぴとっと背中に張り付いてきた。
「若様」
なんだ?
「昔、こうして若様におぶっていただいたことがありましたね」
ルマリヤにしては神妙な声だった。
「そうだったか?」
「はい。若様と初めてお会いしたときのことです」
そう言われて思い出す。
薄暗い路地裏を。
肉の腐敗した臭いを。
呆然とうつむく角の生えた頭を。
ルマリヤと出会ったのは、もう10年も前の話になるか。
当時は、今よりもずっと魔族への風当たりが強かったと記憶している。
ルマリヤもそうだが、彼女の両親も魔族だった。
幼い娘を養うために身をすり潰すようにして働いていたそうだ。
そんなご両親が殺された。
通りすがりの酔っ払いどもに因縁をつけられ、殴り殺されたのだ。
その光景を間近で見ていたルマリヤの胸の内は俺の浅はかな脳みそでは推し量れそうもない。
ルマリヤはただ見つめていた。
抜け殻のようにうつむいたまま、来る日も来る日も見つめ続けた。
朽ちていく両親の亡骸を。
その傍らで。
それが、あまりにも不憫だったものだから、俺が彼女の手を取ったのだ。
立ち上がる気力もないルマリヤを背負い、屋敷へと連れ帰った。
見て見ぬふりを決め込む周りの大人たちへの反発心みたいなものが幼いながらあったんだよ。
今じゃこんなに曲がっちまった俺だが、当時はまっすぐだったのさ。
思い出補正でなければ、だが。
「若様は私の新しい家族になってくださいました」
家族。
その言葉で俺はハッとさせられた。
ルマリヤは、サンドラに殴られる俺をどんな気持ちで見ていたのだろう。
あるいは、両親の死と重ね合わせていたのではないだろうか。
事ここに至って、俺はようやく理解した。
涙のわけってやつを。
俺が思っていた以上に心配かけてしまっていたようだ。
今後はもう少し我が身を大事にするよ。
長生きしたいしな。
俺は寝返りを打って、ルマリヤの頭を抱いた。
今度はいやらしい気分は抜きで。
なんたって家族だしな、俺たちは。
ルマリヤは泣き腫らした目を柔らかく細めた。
「では、若様」
なんだね、ルマリヤ。
「ヤりますか、一発」
……なんだって?
「生還祝いに、いっちょ種付けでもどうですか。全力でご奉仕させていただきますので」
セリフの卑猥さに反してルマリヤは裁判長顔負けの無表情を貫徹していた。
普段のお前に戻ってくれたようで嬉しいよ。
ヤらないけどな。
こうして、俺史上類を見ない忙しい一日は去っていったのであった。
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