47 天幕と顛末
気がつくと、俺は金髪三つ編み美少女の豊かな膨らみを下から見つめていた。
清楚なはずの修道服を扇情的に着こなすこの少女を俺はよく知っている。
フララ・ラーラ。
幼馴染であり、天然ぽわぽわ系同級生でもある御仁だ。
なぜ、ルマリヤじゃない?
膝枕じゃない点も大きめのマイナスだ。
「目が覚めたのですね、アレン」
泣いているみたいな声だった。
たれた目尻には大粒の涙が辛うじて乗っかっている。
どうしたんだ?
司祭様に歯ブラシでも盗まれたか?
と、ここまできて俺はようやくある事実に気がついた。
痛くないのだ、どこも。
たしか、俺は万人から同情を引けるくらいには満身創痍だったはずだが。
しかし、焼きたてのパンみたいに膨らんでいるはずの顔は触診する限り普段と変わらない二枚目だし、そっぽを向いていた左手の指も元通りになっている。
全部夢だったとか?
はてなマークが鈴なりになっていた俺だったが、フララの修道服に血とおぼしき汚れを見つけたことで納得がいった。
彼女が魔法で癒やしてくれたわけだ。
いつぞや、脳天に石材が直撃したときと同じように。
大感謝だな。
俺は女神よりお前を信仰したいよ、フララ。
で、ここはどこだ?
支えられながら体を起こすと、どうやら天幕の中にいるようだった。
ベッドがいくつか並んでいて、俺以外にも傷病人が数名寝込んでいる。
明かり採りのスリットから見えるのは廃墟の町だ。
奥に設けられた祭壇では、控えめな女神像が両手を合わせて何かしら祈りを捧げている。
教会が運営する医療用テントといったところか。
場所は、旧市街。
被災者支援の慈善事業でもしていたのだろう。
うう、と嗚咽を漏らしながら金の頭が俺の胸の中に飛び込んできた。
「血まみれのあなたが運び込まれてきたときは頭が真っ白になりました。誰だかわからないくらい、ひどい有様だったのですよ」
それは、そうだろう。
荒ぶるゴリラの神とステゴロ一本勝負を演じていたわけだからな。
「ルマリヤは無事なのか?」
俺がこうしてピンピンしているあたり、ルマリヤも心配ないと思いたいが。
「今は、ほかの子の話はしないで! わたくしだけを見てください、アレン……!」
涙に濡れたハニーゴールドの瞳が一心に見つめてくる。
「とても心配したのです。あなたが目覚めるまで生きた心地がしなかったのですから……!」
それは、申し訳ない。
だが、その慈愛の心はここにいる他の連中にも分け隔てなく与えてやってくれ。
向こうの彼なんか脚が折れたまま所在なさげにしているぞ。
お前なら一発で治せるだろう。
「他の方と一緒になんてできません。アレン、あなたはわたくしの特別な人なのですから」
ひんやりした両手が俺の頬をサンドイッチし、目を細めた端正な顔が唇をくちばしみたいに伸ばしつつ迫ってくる。
「未来の旦那様なのですから……」
いや、違う。
たしかに、そういう未来もあるにはある。
だが、数多ある可能性の一つに過ぎない。
祝福について相談してからこっち、フララは何か妙な勘違いをしているようだが、お前もそろそろ目を覚ますべきなのではないだろうか。
『どうか最愛の人と結ばれますように』
女神像にそう祈っていたから自由恋愛願望があるのは知っている。
でも、何も俺じゃなくたっていいだろう。
広い視野を持て。
もっとマシな男は星の数ほどいるぞ。
俺なんて家柄がなければ虫けらみたいなものさ。
「浮気ですか、いけませんねえ。恋路も剣もまっすぐが一番ですよ」
焦点が合わない距離までフララの顔が迫ってきたそのとき、聞き覚えのある声がラブロマンスに水を差した。
天幕の入口でハゲ頭が陽光を照り返している。
ヒラーデだった。
いつも通りのシニカルな微笑みには、一周回って安心感すら覚えるな。
「ソーシア君、聞きましたよ。あのサンドラに素手で挑んで殴り勝ったらしいじゃないですか。私にはとても無理ですね。バケモノですか、あなたは」
そいつは、少しばかり違いますよ。
俺は脳筋じゃないんでね。
頭を使って勝ったんですよ。
まあ、運がよかっただけだ。
持ち上げたりしないでくださいね、俺の鼻は雨後のタケノコよりも元気なんですから。
俺が気絶してからの出来事をヒラーデは古代史の授業のように主だった出来事だけ教えてくれた。
あの後すぐ、ヒラーデ率いる衛兵団がアジトに突入したそうだ。
下っ端どもはあっという間に制圧され、地べたで伸びていたサンドラもそのまま御用となったらしい。
「ソーシア君、あなたの武勇は勲章ものですよ。さすが、大将軍閣下の御子息です。……などという言い方はふさわしくありませんね。私はあなた自身をリスペクトさせてもらいますよ。それでは、お大事に」
皮肉なのか本心なのか判然としないセリフに微笑みを添えると、ヒラーデは天幕を出て行った。
これでやっと二人だけの時間を過ごせますね的なオーラをフララが滲ませたところで、今度はリンネが水を差し入れにやってきた。
「聞いたわよ。学院のほうで何か大変なことがあったらしいわね。アレン、あなたも怪我したそうじゃない。見た感じなんともなさそうで安心したわ」
軽い。
圧倒的にリアクションが軽い。
もう治ったが、ここに担ぎ込まれたときの俺は誰だかわからないくらいグチャグチャだったらしいぜ?
泣き崩れろよ、とは言わん。
だが、せめてベッドに駆け寄って手を取ってほしかったよ、涙ながらにな。
ま、学院襲撃騒動に関しちゃリンネは一貫して蚊帳の外だったからな。
対岸の火事とでも思っているのだろう。
「せっかく花束を奮発してきたのにもったいないわね。今からでも返品できないかしら」
花ならウチの庭にいくらでも咲いている。
庭師が熱心だからな。
好きなのを持っていくといい。
だが、その花束は俺がもらう。
見舞いの品を返品するんじゃない。
悲しいだろうが。
「若様……」
春の陽気のようなフララと闇の化身のごときリンネが相反する存在感をせめぎ合わせながらガールズトークを始めた頃、第三の影が天幕にやってきた。
水色の髪のメイド美少女。
ルマリヤだった。
見た感じ怪我もないようで、なによりだ。
「よぉ」
俺が軽く手を挙げると、瞬時にして涙腺崩壊。
ルマリヤが隣の枝に飛び移らんとするムササビのように両手を広げてすっ飛んできた。
「わかぁ様ぁ……! ぁ様ああ……!」
声にならない声で何度も呼ばれる。
赤ん坊にも負けないボロボロのボロ泣き。
普段、無表情を徹底したメイドの大号泣にフララとリンネは完全に思考停止をきたしていた。
俺もだ。
だいぶ心配かけたようだな。
よしよし。
たぶん、ハッピーエンドだから安心しろ。
気が抜けたら、俺も一気に力が抜けてきた。
体をベッドに投げ出し、ルマリヤの重みに意識を向ける。
天幕の切れ目から差し込んでくる5月の日溜まりが心地よかった。