41 誰にも負けない武器
「よォ、お前ェ。ルマリヤを孕ませやがったガキであってるよなァ? なァ?」
この世で最も恐ろしいと思っていたリンネの眼光と比べても勝るとも劣らない眼差しが、俺の額を貫通して校舎に風穴を穿っている。
サンドラ。
今やその目には俺しか映っていないらしい。
じりじりと間合いを詰める衛兵に微塵の興味も示さず、ただ俺だけを凝視していた。
俺がツバメか何かの小動物なら、その視界を横切っただけで心停止をきたして地面にダイブしていたかもしれない。
そのくらい怖いのだ。
「孕ませ? ……ふぇ!? おめでたっ!? 本当ですか、お兄様!? ルマリヤと? いつから? わ、わたしってオバサンになるんですか!? ふぇ!?」
アリエがフララチックな、つまり、天然増し増しのリアクションを見せてくれたおかげで、俺もいくぶんか落ち着くことができた。
とにもかくにも、人と会ったらまず挨拶だ。
第一印象って大事だからな。
よ、よっす、サンドラの姉御。
ご無沙汰っす、チス!
今日はもうお帰りなんじゃないっすか?
なんなら自分、そこまで送るっすよヘヘ。
「殺す」
そっすか……。
ヘコヘコする奴はお気に召さない性分だそうだ。
俺とは完全に相性が悪い。
「サンドラ、退きなさい。私がいることをお忘れなく」
俺とサンドラの間で紺のローブがぶわりと膨らんだ。
視線を遮るように立ったのは、我が学院の教頭、ヒラーデだった。
なんだかんだ言って、生徒を守らんとする様は教師の鑑だ。
ありがたい。
サンドラはわずかに視線をさまよわせた。
リスクを取って俺という一発逆転の切り札を手にするか、それとも、安全に後退するか。
考えあぐねているようだ。
そのまま、考え続けろ。
沈思黙考だ。
考えすぎで他が疎かになり、気づいたら牢獄でした、てへっ的な可愛さがあってもいいはずだ。
そうだろ?
ギャップ萌えだ。
カッコイイからこそ刺さりまくるだろうよ。
「お兄様、お兄様」
今、俺の人生指折りの一大事なのだが、そんなことお構いなしに妹が脇腹をツンツンしてくる。
「本当にルマリヤとの間に赤ちゃんがっ!?」
「いるわけないだろ」
すべてまるっとあの変態の妄想だ。
真に受けるな。
頭いいのに馬鹿そうにしか見えないぞ、お前。
「んだとォ?」
ライオンが唸ったのかと思った。
サンドラがただでさえ怖い顔をより凶悪にしながら俺を睨んでいる。
「てんめェ……。認知しねえつもりかァ?」
へ?
認知!?
「やるだけやって、ガキができたらポイってか? あァ?」
ヒラーデがハゲ頭をぽりぽりしながらチラと視線をよこしてきた。
「ドン引きですね、ソーシア君。控えめに言ってクズすぎませんかね」
いや、違うんですよ本当に。
まったくの冤罪で俺の株が地の底に落ちていった。
あんまりだ。
「気が変わったぜ」
サンドラが剣に手をかけた。
まったく同じタイミングで、ヒラーデとアリエも柄を握った。
これは、あれだな。
一戦交えることになったらしい。
それも、爆心地は俺だ。
もちろん、木っ端微塵になるのも俺である。
「お前にはオレと来てもらうぜ? 連れ去るには重そうだからなァ。その両手両脚、ここに置いていってもらう」
鞘から滑り出した銀色の刃がギラギラと威圧的に明滅している。
それだけで100回くらい死ねそうだ。
「ゴンザ、ヒラーデのジジイを足止めしろ。リマトーニャは妹のほうだァ」
「おうよ!」
「御意」
金棒担いだ巨漢がゴンザ。
身軽そうな女がリマトーニャ。
どちらも一筋縄ではいかない相手だろう。
見ただけでわかる。
強い、と。
だが、結果のほうも見ればわかる。
10秒とかからずに勝負がつくから。
問題は俺のほうだ。
その10秒を耐えられるのか、この木剣で。
相手はサンドラだ。
ヒラーデが警戒心を覗かせる相手。
一介の衛兵が束になっても敵わない強敵だ。
俺では勝てない。
それは、間違いない。
無駄と知りつつも、俺はチラッとヒラーデに視線を送った。
助けてー、という目で。
普段と同じ柔和な微笑みが俺を見つめ返していた。
つまり、ノーってことだろ?
わかってましたよ。
「ソーシア君、心苦しいのですがね、子守りは専門外です。自分の身は自分で守ってくださいね。5秒で終わらせますから、それまでは」
ヒラーデは無遠慮に歩を進めた。
巨大な金属塊を振りかぶり雄々しく笑うゴンザに向かって、こう言い放つ。
「あなた、遅そうですね」
それは、未来視でもってしても視認不可能だった。
いつの間にかヒラーデは剣を抜いていて、ゴンザの片脚が根元から斬り離されていた。
わずかに遅れて爆音が轟く。
音速を超えた一撃が生み出す衝撃波が。
ゴンザも然る者。
悲鳴の一片も上げずに、金棒に百人力を乗せて振り下ろした。
その両腕が爆発した。
人知を超えた剣速が生み出すのは「斬る」というより「爆ぜる」といったほうがふさわしい摩訶不思議な現象だった。
ゴンザの巨体は見るも無惨に砕け散り、赤い団子になってぶちまけられた。
その頃にはすでに、アリエのほうも決着をつけていた。
剣すら抜かずスライムの拳でタコ殴りにし、おそらく最初の一撃で気絶したであろうリマトーニャを燻製肉のように吊るしている。
さすが学院が誇る天才剣士の二人だ。
勝負にすらなっていない。
でも、時間稼ぎにはなった。
二人の手が塞がった数秒の間隙は、サンドラが間合いを詰めるには十分すぎた。
俺の目と鼻の先に、欠けた雷角と修羅の形相で笑う女剣士が見えている。
深く低い構えから伸び上がるような一撃。
このひと振りは岩をも両断するだろう。
木剣で止められようはずもない。
――俺の膝上を撫でた剣が、左肩口を経て右肩口を通過する。
そして、俺は立つことも受け身を取ることもできずに倒れ伏す。
そこから先は、涙でよく見えない。
(だがな……)
今の俺は、妹に負けて腐っていた頃の俺じゃない。
アリエに勝ち、ヒラーデをも唸らせた新しい俺だ。
舐めるな。
俺には才能なんてありゃしない。
だが、一つだけ誰にも負けない特技があるんだよ。
時渡りの祝福、『未来視』の魔眼がな。
俺は木剣を放り捨てた。
そうすることが、唯一生き残る方法だからだ。
カラになったその手でサンドラの角を鷲掴みにする。
未来を見たから知っている。
この刹那の時間で何十通りも検証したからわかるんだ。
お前は嫌なんだろう?
こうして、角に触れられるのが。
折れた角を触られるのが。
なぜかは知らん。
だが、知っている。
こうすれば、お前が止まるということを。
「……ッ!!」
今にも剣を振り抜こうとしていたサンドラが、その凶暴な笑みを一瞬にして凍りつかせた。
その表情は、どこか恐怖に怯えているようにも見えたが、どうだっていい。
俺は覚悟を固め、思い切り奥歯を食いしばった。
いつだったか、ルマリヤが言っていたっけな。
『若様、私の角、掴みやすそうだと思いませんか? ここをこう持って、こういう感じで……』
本当にその通りだ。
実に掴みやすい。
だから、こんなことだってできてしまうんだ。
俺はサンドラの角を強引に引き寄せた。
そんでもって、その鼻っ面に渾身の力で叩き込んでやった。
頭突き、ってやつをな。
「ぎゃガッぁ!!」
バギッ、と。
枝が折れるような音の後、これ以上ないくらいの至近距離で、どギツイ悲鳴が上がった。
ぐらつく俺の視界には、後ろ向きに倒れるサンドラの姿が映っていた。
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