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40 完封勝利


 木剣を握る手が汗で湿地帯を形成している。

 額は熱帯雨林で、背筋は亜寒帯だ。

 ケツの穴なんて毛穴みたいに縮み上がっているよ、トホホ……。


 俺は今、学院の正門広場で木剣を握り締めたまま待っている。

 何をってそりゃ、襲撃を目論む過激派連中をさ。

 最悪の待ち合わせ相手だろ。


 隣じゃ、頬を紅色にした妹のアリエが俺に体をあずけてモジモジしている。

 馬車待ち用のベンチで身を寄せ合う俺たちは、傍目には駆け落ち前夜のカップルのように見えるだろう。


 スライムを連れて妹と恋の逃避行か。

 ゾッとしない。

 でも、もうそれでいい。

 馬車も荷馬車とかでいいから、さっさと乗り込んでここじゃないどこかへ行きたい。

 具体的には、死亡率が低そうなところへだ。


 今現在、俺たちはカップルを装い、襲撃犯を待ち伏せている。

 来てほしくないものをジッと待っていないといけないなんてな。

 生きた心地がしない。

 胃液の分泌過剰で五臓六腑がまとめて溶け落ちそうだ。

 恨むぜ、ヒラーデ。


「お兄様、わたし、知っているんです。実はわたしたち、血が繋がっていないってことを。――だから」


 アリエが目を細めて唇を突き出してくる。

 メンタルオバケかよ、お前は。

 これから、命のやり取りが始まろうってときに、禁断の兄妹ラブロマンスにうつつを抜かせるその神経は誰譲りのものだ?

 マジに血の繋がりを疑いそうになる。


 だが、言うまでもないが、血は繋がっている。

 繋がってしまっている。

 慚愧の念に堪えない。

 忸怩たる想いだ。


(まあ、落ち着け俺……)


 俺の参戦は夢になかったことだ。

 つまり、今歩いているのは、まったく未知の未来ということになる。

 その結果は、俺にさえわからない。


 だが、戦力が減るのならともかく、増えているわけだからな。

 俺とアリエの二人分だけだが。

 加えて、夢で見た敵情をもとに陣を敷き直したから、防衛ラインはより強固なものになっている。

 この防波堤ならどんな大波でも跳ね返せるだろう。


 かかってこい。

 ……いや、くんな。

 この鉄壁の布陣を見て恐れおののき、来た道をとって返してくれ。

 頼む。


「お越しのようですよ」


 つぶやくようなヒラーデの声が、開戦の銅鑼よりもはっきりと正門広場に響き渡った。

 生徒に扮した衛兵たちが一斉に殺気立ち、さすがのアリエも目つきが変わる。

 戦士の目に。

 すごいな、俺の妹は。

 そんな目、練習しても俺にはできんよ。


 ――――――ドドッ。


 開け放たれた正門の向こう。

 砂塵が舞い上がっている。

 猛然と何かが近づいてくる。


 ――ドドドドドドドッ。


 それは、馬だった。

 馬の群れ。

 馬群。

 通行人を蹴散らすようにして、まっすぐにこちらへやってくる。

 その背には、スカーフで顔を覆った黒衣の集団の姿があった。


 ついに、来た。

 来てしまった。

 彼らが。

 彼女らが。

 魔族解放戦線――。

 テロリストどもの一団が、ついに。


「今です! 引きなさい!」


 暴れ馬が大挙として正門をくぐり抜けようとした、まさにその瞬間だった。

 ヒラーデの号令で、門番役の衛兵が手にしたものを引き上げた。


 砂を裂いて走るロープ。

 その、たった1本のロープで、馬群は巨人の平手打ちをくらったシャンパンタワーのように砕け散った。


 つんのめるようにして宙に投げ出された人馬が、重力の無慈悲な吸引力で硬い地面に叩きつけられる。

 そのうめき声も上がらぬうちに、全校生徒が一斉に抜剣した。

 奴らが事態を呑み込むよりも早く。

 立ち上がろうと地面に手をつくよりも早く。

 衛兵の波が黒ずくめの集団に覆いかぶさった。


 夢で見たよりも遥かに鮮やかな手管だった。

 もはや戦いとも呼べない一方的制圧劇。

 一網打尽。

 口上を上げることすら許さない完璧な幕切れだった。

 作戦通り。

 試合終了。

 俺の出番なし。

 無傷。

 生きてる。

 やったぜ、ヒョー!


「がああああああ……ッ!!」


 悲鳴が上がった。

 落馬の拍子に両手両脚を開放骨折した可哀想な奴が、馬の下敷きになってギャン泣きしている、とかならよかったのだが。

 違った。

 衛兵が一人、宙に浮かんでいた。

 蜘蛛の巣に引っかかった虫のように手足をバタつかせながら。

 なんでそんなことになってしまっているのかというと、それはだな、見たままを言えば、衛兵の首根っこを掴んでいる奴がいるからだ。

 そいつは、人間を洗い終えたシーツか何かだと思っているのか、軽々と放り投げて木に吊るしてしまった。


 ひと仕事終えたとばかりに長い腕をぐるんと回し、次はどいつだァ、と剣のような目が獲物を探している。

 その頭上で、イカズチのごとき片角が天を突いていた。


 サンドラだった。


 1日ぶりだが、今日も強そうでカッコイイ。

 そして、昨日より虫の居所が悪そうだった。


「どう見ても待ち伏せだなァ。そうか、ルマリヤはオレを売ったかァ。ハッハッハ! それでこそ、オレのルマリヤだ!」


 うちのメイドに逆恨み(ヘイト)が向いていないようでなによりだ。

 そうさ。

 ルマリヤは悪くない。

 ちょっとばかし、えっちなだけだ。


「何人動ける?」


 サンドラは衛兵の波を徒手空拳で蹴散らしながら、そう問いかけた。

 馬の下から巨漢が一人這い出してきた。

 それから、正門の支柱石に飛びついて落馬を免れた身軽そうな女が一人。

 サンドラを入れて、計3名だ。


 対するこちらは1000名。

 すでに、包囲は完了し、アリの這い出る隙間もない。

 観念しろ。

 未来が見える俺に勝つ方法など存在しないのだ。

 と、数にものを言わせてイキる俺である。


「『雷角』のサンドラ、やはりあなたでしたか」


 ヒラーデが静かな物腰で歩み出た。

 ベンチの陰でイキっている俺と違って、まとっている空気が違う。

 強そう。


「『斬首卿』ヒラーデ……。そういや、ここはお前の根城だったなァ」


 サンドラは渋面に汗を滲ませている。


「卿はやめてくださいね。アイデンティティーなんですよ、平民出であることが私のね」

「ツンルー要塞じゃ、たった一人で1000人も斬り殺したってなァ。そのお前が大軍を引き連れてお出迎えたァ耄碌したもんだぜ」

「正確には、1286人ですがね。あれはまあ、汚名ですよ。兵糧攻めも夜襲も私の流儀ではない。二度と持ち出さないでくださいね、殺したくなります」

「奇遇だなァ。オレもお前を殺りてえ」

「そうですね。奇遇ですねえ」


 急激に氷点下まで叩き落とされた空気がジリジリと震えている。

 これが殺意の応酬。

 戦場の空気か。

 吸いすぎると肺を悪くしそうだから、さっさと投降してくれサンドラ。

 今なら手錠に花飾りを添えてやるからさ。


「気兼ねなく殺り合いてえところだが、チッ。旗色が悪すぎんなァ……」


 サンドラが頭をワシャワシャしている。

 この光景には既視感がある。

 夢で見た。

 ここで、サンドラは両手を広げて首をすぼめるのだ。

 で、たぶん負け惜しみを言う。


「まあ、今回はオレたちの負けでいい。だが、必ず報復してやる。後悔させてやる。オレたちの怒りを、恨みを、お前たちの痛みで精算する。じゃねえと合わねえだろうが、帳尻ってやつがよォ」


 ほらな。

 襲撃から制圧までの流れには多少の差異もあったが、結末は変わらないらしい。

 サンドラは敗走する。

 ヒラーデは無理に追わない。

 追えば、少なくない人的被害が生じることを知っているから。


 サンドラが踵を返した。

 忌々しそうに唾棄し、群がる衛兵を目で牽制する。

 完全に夢で見たとおりだ。

 よかった。

 俺の参戦で未来が変わってしまうのが最大の懸案だったが、どうやら杞憂に終わりそうだ。


 俺はホッ、と安堵の息を漏らした。

 その小さな吐息が、やけに大きく感じられた。


 ――サンドラが振り返った。

 数瞬先の未来で。

 おかしい。

 お前はそこで振り向かず、去っていくはずだ。

 本来なら。


 ――サンドラが俺を見た。

 それも、おかしい。

 だって、俺は今日ここにいないはずだったのだから。


 ――サンドラがニタァ、と笑みを浮かべた。

 おかしいだろ。

 なぜ、俺を見てそんなにも嬉しそうに笑うんだ。

 俺なんて、ただの貴族令息だろう。

 この学院にごまんといる、そのうちの一人だ。

 個性と言えば、一つだけ。

 父親が大将軍。

 たったそれだけ。

 それだけだ。


「………………」


 いや。

 いやいや。

 十分。

 十分だ。

 十分すぎるだろ。

 敵方の総大将トップの息子。

 それだけで十分じゃないか。


 人質にとれば、形勢を一発で逆転できる。

 すべてをひっくり返せる。

 この俺という存在こそが、奴らに残された唯一の勝ち筋。

 勝機。

 それをむざむざ見過ごす奴らではない。


 サンドラが振り返った。

 完全に目が合った。

 口が耳まで裂けた。


 ――未来が変わった。


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