35 プレゼン
研究テーマが決まった。
名づけて、「ダンジョン産業の振興による旧市街再生と貧富の格差解消」――。
深い意味がありそうで無さそうなタイトルである。
だが、名前なんぞどうだっていい。
大事なのは中身のほうだ。
その中身を共同研修者のリンネと夜を徹して煮詰めていった。
気づけば、輝かしい休日は黄金の尾を引いて去りゆき、俺は連休明けの噛み合わない心体にムチ打って馬車の座席に背を預けていた。
見上げると、そこには鍋の蓋みたいな厚い雲が垂れこめている。
針で突くだけで雷雨の土砂が落ちてきそうだ。
梅雨には少し早いはずだが、隣じゃすでに梅雨モードが本格化しつつある。
「プレゼンが失敗したらエトナリー家はおしまいだわ……」
リンネは貧血をこじらせた吸血鬼みたいな顔色で親指の爪をかじっている。
プレゼン当日――つまり、今日が近づくにつれて、こいつの陰気は指数関数的に増大していった。
この曇天もリンネが呼び寄せたものに違いない。
わかるぜ?
プレゼンターは俺だもんな。
一族の命運を俺なんぞに委ねたと知れば、ご先祖様一同、棺の蓋を蹴飛ばして這い出してくるだろうよ。
間違いないね。
「あなたに不満はないわ、アレン。いざという時にはやってくれる人だもの」
そう?
そうかも。
そうあるべきだ。
まあ、安心しろ。
昨晩見た夢によると、俺は今晩鼻歌をふかしながら風呂に入ることになっている。
きっと大成功だったんだろうよ。
大失敗でヤケ風呂を決め込んでいる可能性も無きにしも非ずだがな。
馬車は学院の敷地を滑るように進み、本校舎の前で静かに停まった。
見上げた校舎が魔王城に見えるのは、ここが決戦の地だからだろう。
いざ、ゆかん。
俺は(ルマリヤに尻を揉まれながら)長い螺旋階段を昇りきった。
本校舎7階。
生徒は原則立ち入り禁止のフロアだけに静かなものだった。
いつの間にか、外はザンザン降りの雨。
まるで天に見放されたと暗示しているようではないか。
縁起の悪い。
階段にほど近い場所にある一室の前で俺たちは足を止めた。
応接室という札がかかっている。
ここで、プレゼンを行うことになっている。
魔王城でいうならば、玉座の間であろう。
古めかしい樫の木で作られた両開きの大扉は雰囲気抜群である。
「私はここまでよ。これは、あなたの研究だもの。ドアの外で耳をそばだてているから安心しなさい」
リンネは俺の背中に喝を入れつつ、そう言う。
後ろから刺されそうで、逆に安心できないのだが。
「若様、このプレゼンから無事お戻りになられたら、私のお尻も揉んでくださいませ」
ルマリヤはというと、ただでさえ短いスカートをたくし上げていらっしゃる。
大変素晴らしい提案で是非とも前かがみで検討させてもらいたいところだが、死亡フラグに聞こえるセリフ回しはいかがなものかと思うよホント。
俺は頼もしい(?)仲間たちに背を押され、大扉を押し開けた。
そこは、いかにも応接室といった部屋だった。
学び舎にふさわしい質素なインテリアが並んでいる。
だが、そんなことはどうだっていい。
魔王がいた。
魔王が。
部屋の最奥。
窓際の席にどっかりと。
その魔王は、人の良さそうな老爺の姿をしていた。
柔らかな微笑をたたえ、しかし、薄く開かれた目の奥には背筋が泡立つような冷たさを秘めている。
俺はその魔王の名を知っている。
王立魔法学院の教頭にして剣術科の学科長。
俺を特待生に推薦してくれた恩師。
そう。
ヒラーデ教頭だった。
「ソーシア君、お久しぶりですね。学院生活にはもう慣れましたか?」
柔和に笑いながら、ヒラーデはこう続けた。
「実は私、あなたのことを心配していたのですよ。最近、まるで活躍を聞きませんからね」
皮肉は健在のようだな。
ヒラーデの傍らには四天王が控えていた。
どこの学科の教員かは知らないが、いずれも学院のお偉方だろう。
ただ座っているだけだというのに幾多の戦士たちを葬ってきたと言わんばかりのオーラを放っている。
恐ろしい。
俺は今からここでプレゼンテーションとやらをしなけりゃならんのか。
「さあ、それでは聞かせてもらいましょうか。皆さんもよく耳を澄ませてくださいね。彼は私が唯一推薦した期待すべき生徒なのですから」
わかりやすいプレッシャーだが、効くんだよ、これが。
俺はカチコチの体をカクカク曲げて一礼してから、縮みきった喉を無理やり唾で湿らせて冒頭挨拶を述べた。
その一連の肩肘張った動きを魔王がニヤニヤしながら高みの見物している。
そんなヒラーデだったが、俺が「旧市街の再生」というワードを出した瞬間、わずかにだが笑顔を引き攣らせた。
ヒラーデだけではない、ほかの面々もだ。
だがまあ、俺は見事なまでに魔王の術中にハマっていたために、他人のことなんぞ気にかける余裕はなかった。
途中何を話しているのかわからなくなり、視界はぐるぐる、セリフも飛んだり跳ねたりキャッチしたり、てんてこ舞いだった。
しゃーねえだろ!!
そう叫びたい。
なんせ俺の双肩には王国の存亡がかかっているのだからな。
エトナリー家の没落なんて些事にすぎない。
事と次第によっちゃ、何万もの家々が焼け落ち、何十万もの命が灰と消えゆくのだ。
緊張して当然だ。
ま、さすがに10分も話していたら落ち着いてきたがな。
「不足する資金は各商業組合から援助を募るつもりでいますが、主導権を奪取されないよう、こちらとしても相応の元手が必要となります。それを研究費の名目で支出してはいただけないかと思う次第でありまして」
俺の言葉から嘘みたいに賢そうなワードが飛び出してくる。
ちょっと気持ちよくなって、ジェスチャーとかまじえているくらいだ。
どう?
今の俺カッコよくない?
まあ、リンネの台本をそらんじているだけだがね。
「以上でプレゼンを終わります。ご清聴ありがとうございました」
最後のセリフを言い終えた俺はホッとしながら頭を下げた。
そして、顔を上げたそのとき、信じられない光景を目の当たりにした。
泣いていたのだ。
魔王が。
ヒラーデが。
ハンカチで目頭を押さえて。
すすり泣く声を上げながら。
……いや、よく見れば嘘泣きにしか見えないが。
「ソーシア君、あなたはやはり素晴らしい生徒ですよ! ええもう、私は感動のあまり涙がええ! 住処を失った旧市街の住民のために立ち上がろうとするその高潔なる意志に私は胸を打たれましたよ、ええ! 本当に素晴らしいですよ、はい!」
あのヒラーデが唾を飛ばしながら賛辞のシャワーを浴びせかけてくる。
四天王連中も感銘を受けたふうな顔で何度となく頷き、身を乗り出して拍手を寄越してくる。
どうしたんだ、あんたら……。
「いいでしょう! 学院はあなたの研究に巨額の費用を提供しましょう! さあ、皆さん、ソーシア君に惜しみない拍手を!」
割れんばかりの拍手喝采を一心に受けながら、俺は押し寄せてくる不信感の荒波に揉まれていた。
考えずともわかる。
(裏があるな……)
でもま、とりあえず、立てた親指を扉のほうに向けておくか。
二人分の目が何事かと覗いているからな。