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24 再びの馬車内で


 ガタンゴトンと馬車がゆく。

 ダンスパーティー以来、初めての通学路だ。

 俺の隣では、今日もリンネが腕と脚を組み、迫力満点のしかめっ面で鎮座ましましていた。


 だが、気のせいだろうか。

 車内に絶えず立ち込めていた陰気と冷気の濃霧が今日は澄み切っている気がする。

 夏の青空のように晴れやかに。

 ビクビクしつつ窃視してみれば、リンネの横顔はどこかご機嫌に見えなくもなく……。


「よく考えれば、私はあなたの妻になるべきなのよ」

「……?」


 今なんと?

 ツナにハム?

 妻になる?

 いつになく真剣な顔しちゃってさ。

 まるで本気で言っているみたいじゃないか。

 アハハー、ウケる。


 リンネは肩をすくめてフフっ、と笑うと、


「やっぱり嫉妬はダメね。適度な嫉妬心は成長の助けにもなるけれど、こじらせるのはダメ。性格がねじ曲がって攻撃的になってしまうもの。私みたいに」


 次の瞬間だった。

 信じられないことが起きた。

 刺されるよりもありえないことが。


「ごめんなさい、アレン」


 リンネが頭を下げていた。

 あの、リンネが。

 座席の上でとぐろを巻く長い黒髪が、今にも蛇に化けて飛びかかってきそうで怖い。

 いや、そんなのどうでもいい。

 俺の目の前には、頭頂部つむじがあった。

 リンネ・イー・エトナリー。

 お前をこの角度で見たのは初めてだ。


「鬼の霍乱、ですか?」

「なぜ敬語なのよ」

「迂闊に触ると爆発するかと思って」

「失礼ね。改心しただけよ」


 リンネは黒蛇をさっと肩にかけると、頬杖の上に涼しい顔を乗せた。


「私は嫉妬をこじらせていたの。あなたに対する嫉妬をね」


 嫉妬か。

 非才で無学、非力で意志薄弱な俺のどの辺にそんな感情を抱く余地があるんだ?


「私の家は日に日に貧しくなっていくのに、あなたの家はいつも裕福だったじゃない。美味しいものを食べて、欲しいものを買ってもらえて。羨ましかったわ、心底ね。私は大切なものを切り売りして、少しずつ失っていったのに」


 ギリリ、と音がした。

 奥歯を噛み鳴らす音が。


「ずるいと思ったの。なにより、怖かったのよ。あなたに置いていかれる気がして。だから、ずっと失礼な態度を取っていたの。すべては嫉妬よ。私は汚い女だわ」


 汚い女か。

 そこは、ある意味、同意だ。

 未来のお前は汚いプレイをいろいろと求めてきたからな。

 あんなもの顔に塗りたくられて本気でヨがれるのはお前くらいのものだ。


「あなたと制服で踊ったときに気づいたの。ないものを恥じるより、あるもので何ができるかを考えるべきなんだって。そう思うと、無いものねだりしている自分がとてもちっぽけに思えてきたわ」


 だから、改心した、と?

 それが、一体全体どう結びつくというのだ。

 俺の妻になるという突飛な発想に。


「だって、あなた裕福じゃない。私が欲しいものを全部持っているステキな男性だわ。加えて私には幼馴染というアドバンテージと隣人という地理的優位がある。あなた以上の物件は存在しないわ」


 リンネは神妙な面持ちでそう言うと、座席の上で尻を滑らせ、俺の肩に……うわっ。

 頭を預けてきやがった。

 そのまま、恋人のようにしなだれかかってくる。


「意外と悪くないかしらね」


 そうか?

 最悪だろ。

 触れている部分から凍っていきそうだぞ。


 赤い顔のリンネが間近に見つめてきた。


「アレン、あなた顔が青いけれど大丈夫? 馬車酔いする人だったかしら」


 お前の冷気で急性低体温症を発症しただけだ。

 離れろ。

 そうすりゃ即座に元気マックスさ。

 シッシ。


 リンネは名残惜しそうに身を引くと、寒気のするようなウィンクを飛ばしてきた。


「とにかく、私を射止めたいならもう少し強い人になりなさい。私はパワフルな人が好みなのよ」


 それは、そういう意味でのパワフルか?

 パワーを振るわれたい的な。


 俺は引き攣った自分の眉間を指で揉みほぐした。

 夢で見たとおりになりつつある。

 リンネルートだ。

 この先には幸せな結末が待っている。


 でも、どうなんだろうな。

 ここで俺がリンネの肩を抱いて強く引き寄せ、唇に視線を向ければリンネルートは確定的なものになる気がする。

 ただ、ハッピーエンドが確定するわけではない。

 未来はほんの些細なきっかけで大きく変わることもあるから。

 迂闊に飛びついた先が底なし沼なんてこともあるかもしれない。

 ここは、とりあえず、キープして様子を見るのが無難だろうか。

 女の子をキープするような奴が幸せになれるかどうかは女神のみぞ知るところだが。


「最初の査定は夏休み前よ。あなたが何に取り組むのかは知らないけれど、勉学のことなら任せて。私がいくらでもアドバイスしてあげられるわ」


 リンネはさりげない仕草で俺の手に触れた。


「図書館のテラス席で勉強会でもどうかしら? ……恋人みたいに」


 ふと夢で見た光景が蘇った。

 娘たちに絵本を読み聞かせる、あの幸せな時間が。


「わ、若様が満更でもない顔しています……」


 本気でこの手を握り返してやろうかと思ったところで、御者台のほうで禍々しい二つの目玉がぎょろりと動いた。

 御者なら前を見ろ、ルマリヤ。

 歩行者をひいたらどうする?


「リンネ様の手がそんなにいいですか。私の素股は拒んだくせに」


 おい、なんてことを言うんだ。

 あらぬ誤解で俺が刺されたらどうする!?


 恐る恐るリンネを見たが、彼女は別段機嫌を崩したふうではなかった。


「拒んだのでしょう?」

「もちろんです……!」

「なら、褒められたものじゃない。女の色香に惑わされなかったのだから、あなたはやっぱり好物件だわ」


 おお、株が上がった。

 デカしたぞ、ルマリヤ。

 お前の下ネタもたまには人類の役に立つんだな。


「それにしても、相変わらず下品なメイドね」

「ひ……っ」


 黒い目に射られたルマリヤが大蛇に出くわした亀のように身を縮めた。

 彼女は、スキルで角を隠匿かくしている。

 目を凝らそうが逆立ちしようが見破れないほど完璧に。

 それでも、怖いよな。

 あの黒い目に睨まれると心の奥底どころか前世の記憶さえも見透かされている気分になる。

 すべてを看破する魔眼の持ち主。

 それこそが、恐怖の大王リンネ・イー・エトナリーなのだ。


 しかし、最近そのリンネが実は、超ドMなインモラル・ビッチなのではないかという疑惑が急速に台頭、濃厚になりつつある。

 灰色を飛び越えて、すでにほぼ黒と言っていい。

 俺は以前、彼女に暴言を吐いたことがあったが、あれも実は悦んでいたのではなかろうか。


 リンネと結婚か……。

 悪くないように思えるが、この恐ろしい女に毎晩ムチを入れねばならないとなると今から胃が痛む。

 俺も父上のごとく若ハゲの道をたどることになるかもしれない。

 考えものだ。

 などと思っているうちに学院が見えてきた。


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