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21 その手を取るのは


 ダンスホールは立錐の余地もないほどの生徒たちであふれかえっていた。

 関係ない。

 肩をぶつけながら俺は突っ走る。


 ドレスのないリンネに恥をかかせずにすむ方法が一つだけある。

 そのために、どうしてもアレがいるのだ。

 家に取りに帰る時間なんてない。

 ならば、持っている奴に借りるまでだ。


「ああ、美しき僕の宝石、ジュリエット。どうか君だけでもパーティーを楽しんでおくれ」

「嫌よ、ロミオ。わたしは暗い夜の中にいるの。あなたという月光なくしては決して輝けないのよ」

「しかし、僕の光は君を照らすにはあまりにも頼りない。僕に衣装さえあれば、すぐに君の手を取れるというのに」

「星空の下で踊りましょう、ロミオ。あなたのいる場所こそがわたしの晴れ舞台よ」

「ああ、ジュリエット……!」

「ローミオぉー!」


 探していたバカップルをホールの入口付近でようやく見つけた。

 今まさに立ち去ろうとする二人を俺は強引に呼び止めて、


「来い!」

「うわ、なんなんだ君は……!?」

「ああ、わたしのロミオ! 行かないで!」


 ジュリエットには申し訳ない。

 だが、ちょっとロミオ君を借りていくぞ。

 急いでいるんだ、早く来い。


 恋人の名を絶叫するロミオを、俺は大窓の脇に垂れ下がるカーテンの裏に引きずり込んだ。

 そして、言う。


「脱げ!」

「は?」


 当然、ロミオは困惑する。

 重ねて言おう。


「脱げ! その制服を!」


 夜道で変態に遭遇したかのごとき目が俺を愕然と見つめている。

 変態で結構。

 実際、すでに俺は下を脱いでいるしな。


「単直に言う。お前の制服を俺にくれ。俺は代わりにこの衣装をお前にくれてやる」


 祖父の代から受け継いできた伝統と格式のある正真正銘の一級品だ。

 これがあれば、どこに出てもお前を笑う者はいない。

 愛しのジュリエットと好きな場所で思う存分踊るがいい。


 俺は脱ぎたてホカホカの一張羅をロミオの胸に押し付けた。


「これがあれば、僕はジュリエットと……。でも、こんなに高価なものを本当にいいのかい?」

「早くしろ、青春は待っちゃくれないぞ」

「名も知らぬ善き人よ、どうか言わせておくれ。ありがとう、と」


 芝居らしい動きで一揖すると、ロミオはパンイチになって俺の衣装に潜り込んでいった。


「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます」


 照明が落ちたホールに、リンネの硬い声が響く。

 もう時間がない。

 新入生への祝辞の後、否応なくそれは始まる。

 幕開きの舞という名の公開処刑が。


 早くもホールはざわついた空気になっている。

 制服のままで舞台に上がったリンネへの困惑の声。

 これが、やがて嘲笑の渦に書き換わっていくのだ。

 その前に早く。


 着々と進んでいく祝辞と迫り来るタイムリミットに急かされながら、俺は慣れない他人の制服に手足を突っ込んだ。

 かいた汗で生地が張り付き、遅々として進まない着替えのなんと、もどかしい……。


「それでは、挨拶はこのくらいにして、ダンスパーティーの幕を開けましょう」


 リンネの声の後で、パラパラと熱のない拍手が起こった。

 マズイ、始まってしまう。

「喜劇」の幕が上がってしまう。

 まだだ。

 あと少しだけ待ってくれ。

 股間のファスナーがまだ……。

 うォ、ボタンもかけちがえとる!?


「まずは、生徒会長たる私、リンネ・イー・エトナリーが在校生を代表し、ダンスを披露したいと思います」


 カーテンに阻まれ、リンネの姿は見えない。

 だが、一段と硬くなった声からも伝わってくる。

 こわばった顔を必死に押し殺した、リンネの微笑。

 その裏にある怯えが。


「新入生の皆さん」


 待ってくれ。

 少しでいいんだ。


「どうか私と――」


 ほんの少しでいい。

 このやたらと頑固なファスナーを引き上げるだけの時間をくれ。

 頼む……!


 しかし、無情にもそのときはやってきた。



「私と踊っていただけませんか?」



 リンネの声がホールに響き渡った。

 結果はもう知っている。


 寒気を覚えるような静寂――。


 それが、答えだった。

 間に合わなかった。

 俺はカーテンに爪を突き立てた。


「ウオーッホッホッホッホッホッ!!!」


 今一番聞きたくない笑い声が静寂を切り裂いた。


「いいざまですわね、エトナリーさん!」


 ワルイージュがここぞとばかりにまくし立てる。

「余興」を盛り上げるために。

「喜劇」を楽しむために。


「うかがっておりましてよ。あなたのお家は財政難にあえいでいますわよね。ずいぶんと貧相な身なりをしたあなたのママ上様が、わたくしのパパ上様を訪ねて参りましたの。お金を貸してほしいと頭を下げておりましたわ。見るに堪えないとはまさにウホホ、このことでございますわ、ウオーッホッホッホ!」


 生徒たちの間に冷たいさざなみが広がっていく。


「あらァー? エトナリーさん。今日はドレスではありませんのね。もしかして、買えなかったのではありませんこと?」

「制服で来たのには、ちゃんと意味があるわ」


 強がってはいるが、リンネの声にいつもの鋭さはなかった。

 ほかの奴らにはわからずとも、俺にはわかる。

 お前の動揺が痛いほど。

 幼馴染だからな。


「あら、強気ですこと。でも、ドレスすら買えないあなたのような貧民と踊りたい新入生がこの中にいるのかしら」


 あーッ、もういい!!

 俺は出来損ないのファスナーからスライダーを引きちぎって、ぶん投げた。

 で、カーテンを蹴破る。

 舞台の上にリンネの姿が見えた。

 両目からあふれ出しそうになる悔しさを、奥歯で噛み殺した幼馴染の姿が。


「そこをおどきなさい、リンネ・イー・エトナリー! 幕開きの舞を踊るのは、アタクシとアレン様ですわ! ――あぁン、アレン様! アタクシの麗しき王子様ぁぁぁぁーーンッ!!」


 キラキラの瞳で手を差し伸べてくるワルイージュ。

 その脇を素通りして、俺は舞台の上に駆け上がった。

 そして、リンネの前に片膝をつき、手を取ってまっすぐに見上げる。

 で、言う。


「すまない。遅れてしまった」


 黒い瞳が涙の薄膜で揺れている。

 ギリギリセーフってことで勘弁してくれ。

 ちょっと遅れるくらいのほうがヒーローっぽくていいだろ?


「あなた、なんで……」

「泣きそうな顔しやがって。らしくもない」

「な、泣きそうなんかじゃないわよ。馬鹿じゃないの? 社会の窓も閉められないくせに」


 ほっとけ。

 でも、安心した。

 噛み付く気力が残っているなら、まだ踊れるだろ?


「踊るって、……私と?」


 そうさ。

 そのために、駆けつけたんだよ俺は。


「ちょっと待ってろ」


 俺は決然と立ち上がる。

 リンネの手を握ったまま、舞台の下を見渡した。

 人前ってのは緊張するな。

 ガラじゃない。

 だが、聞いてくれ。


「少し場違いかもしれないが、今日はこのとおり制服で踊ろうと思う」


 俺はそう語りかけた。

 案の定、ざわめきが起きる。

 だが、笑う奴がいなくてちょっと安心。

 自信を持ってこう続ける。


「ダンスというと、貴族の嗜みだ。だが、この学院は決して貴族だけの学び舎ではない。高価なドレスを着なければ参加できない新歓なんてフェアじゃないだろう。俺は出自の貴賎にかかわらず誰でも気軽に参加できるパーティーにしたいと思っているんだ。だからこそ、制服なんだ。この学院の生徒なら誰しもが持っているこの制服で踊る。そこに意味があると思うんだ。――リンネ、お前もそうなんだろ?」


 困惑のあまり目をシパシパさせるリンネに、俺はウィンクを送っておいた。


「そ、そうよ。だから私もあえて制服で来たの。買えなかったわけじゃないわよ。買おうと思ったら買えて……」


 それは、言わんでいい。

 言い訳がましくなるだけだ。

 賢いくせに馬鹿だな、お前は。


「ピコリー、後で俺と踊ってくれ」


 人垣の向こうで自分だけの世界に没入する幼女に俺は誘いを投げかけた。


「うぇ……っ!?」


 視線のスポットライトに照らされた幼い顔から眠そうな表情が吹き飛んだ。


「身分も国も種族だって関係ない。みんなで楽しめるパーティーにしよう」


 そんな言葉で締めくくると、間髪入れずに万雷の拍手が巻き起こった。

 貴族だけでなく、平民からも分け隔てなく。


「さすがアレン様だわ!」

「記憶をなくされたというのに、その高潔さには微塵の陰りもない」

「誰よ、ソーシア家は落ち目なんて言ったのは」

「あれが次期当主様だ! 器の大きなお方だ!」


 俺は鼻をすくすくと伸ばしつつ、傍らに立つリンネに顔を近づけた。


「どうだ? 上爵令息も捨てたものじゃないだろう? 俺が『海は赤い』と言えば、たいていの奴は『そうですね』と笑顔で返してくれるんだ」

「それでも、私は青いと言い張るわ。あなたの頬をひっぱたいてでも青いと言わせてやるかしら」

「それでこそ、リンネだ。で、踊るんだろ?」


 熱が戻ってきた幼馴染の手を、俺は強く握り返した。


「もちろんよ」


 さっきまでの泣きそうな顔が嘘のように、リンネの表情は溶け落ちそうなほどに柔らかだった。

 お前にドス黒くない目で見られるは本当に久しぶりだ。


 鳴り響く管弦楽器の滑らかなメロディに合わせて、俺たちは最初のステップを踏み出した。


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