20 ダンスパーティーの夜に
春を彩った桜が最後の花弁を散らせてゆく。
やがて、新緑の若葉が枝を覆っていくだろう。
今宵、学院では新入生歓迎のためのダンスパーティーが催される。
俺にとっては記憶をなくしたことにして以来、初めての社交の場だ。
振り付けは都合よく体が覚えていたことにするつもりだが、ボロを出さないように気を引き締めて望まないとな。
というわけで、シックでダンディな一張羅に身を包んだ俺は、ダンスホールの前で煌びやかな立ち姿を披露しているのであった。
「アレン様よ! 今日は一段と素敵ですわ!」
「ダンスもお上手でいらっしゃるのでしょうね!」
「どうか、わたくしをパートナーに選んでくださいませ。ああ、アレン様!」
ふふふ。
俺の周りには、高貴なる輝きに惹きつけられた蝶たちの輪ができている。
ドレス姿のなんと麗しい。
俺の伸びがちな鼻の下は今宵もとどまるところを知らないようだ。
この輝かしい月明かりの下で、彼女らと踊れたならどれほどよかったろう。
しかし、俺のパートナーは――、
「あぁン! アタクシのアレン様ぁンーっ!」
ウオッホホ、と奇怪な笑いを轟かせるこちらの御仁。
いじめっ子令嬢ことワルイージュである。
「アタクシのドレス姿、いかがでございまホホ?」
ワルイージュは愛くるしい仕草……いや、鼻につく仕草でクネクネしている。
ケバケバしいピンク色のドレスだった。
紫の髪と致命的に合っていない。
花飾りやらレースやら宝石類やら、見ていると胸焼けを覚えるほど盛りに盛っている。
それと、胸元開きすぎじゃないか。
大斧で縦一文字にぶった斬られでもしない限り、そうはならないだろう。
「今日のためだけに、一流デザイナーに作らせましたのよ。イメージは『夜桜』ですの。アタクシは永遠に咲き誇る美しき花ですわ。ウオーッホッホッホ!」
そうなのか。
てっきり『夜桜の爆発』でもイメージしているのかと思った。
そのくらいひどい。
俺はこいつと踊らにゃならんのか、それも公衆の面前で。
得られるものはタイ1本。
実りなきダンシングナイトになりそうだ。
本ッ当に嫌々ながら、俺はワルイージュの手を引きダンスホールへとエスコートした。
活きのいいタコのように指を絡めてくるワルイージュには、もはや悪寒以外に抱く感情がない。
タイを奪還したら、お口直しにピコリーあたりと踊るんだ。
そうしよう。
「どうして、あなたがいるのよ」
ホールに踏み入って間もなく、そいつは俺の前に現れた。
いるはずのない俺という存在に驚愕していた顔は、やがてドスの利いた真っ黒な表情に塗り変わっていった。
そう、リンネだ。
闇の底に繋がっていそうな目が瞬きもなしに俺を睨みつけている。
「はぁ……」
と俺の口から自然とため息がこぼれ出た。
一体なんだというんだ?
俺がパーティーに参加するのがそんなに許せないのか?
なんの説明もしなかったくせに、黒いものだけ押し付けてくるなと言いたいね。
「アタクシがお呼びしましたのよ!」
ワルイージュが耳障りな声とともにしゃしゃり出てくる。
……が、圧縮した闇の塊みたいな目に睨まれて即座に転進。
俺の背中に逃げ込んだ。
「リンネ、参加しないという約束を反故にしたことは悪いと思っている」
俺は枕詞的に謝罪を口にした。
その上で、言わせてもらおう。
「でも、俺もこの学院の生徒だ。参加する権利はある。そうだろう?」
俺のことが嫌いというなら好きにしろ。
だが、追い払われる筋合いはないね。
と思いつつも、俺は防刃ベストを着込んでこなかったことを痛切に後悔していた。
お腹痛い……。
「……」
リンネからの返答はなし。
だが、俺を睨んでいた真っ黒な視線が床に落ちた。
それは、俺の参加を黙認めてくれたってことでいいのか?
いいよな。
じゃあ、問答は終わりだ。
もう食ってかかってくるなよ。
お前と口論すると古傷が痛むんだ。
「そういえば、リンネ」
張り詰めた空気を和らげるべく、俺は努めて明るい声で言った。
「なぜドレスじゃないんだ?」
リンネは、いつもの制服姿だった。
久々にドレス姿を拝めるんじゃないかと俺は楽しみにしていたんだけどな。
なんだかんだ言って美人だ。
ドレスが似合うんなよな、こいつは昔から。
しかし、またしても返答はなし。
だが、シカトしたわけでもなかった。
リンネの顔がさっと紅潮した。
唇は小刻みに震え、俺を見る目には明らかな動揺がある。
それを隠すようにリンネは鬼の形相を作った。
「ウオッホッホ、怖い顔ですわね」
俺の脇の下から生えてきたワルイージュの生首が嘲笑うように言う。
「アレン様をお誘いした甲斐がありましたわ」
そいつは、どういう意味だ?
「幕開きの舞、楽しみにしておりますわね。生徒会長のエトナリーさん! ウオーッホッホッホ!」
狂乱の咆哮を轟かせるワルイージュに引っ張られる形で、俺はリンネに背を向けた。
人ごみに紛れる前に振り返ってみた。
うつむき加減のリンネの背中が、ずいぶんと小さく見えた。
事ここに至って、ようやく俺は思い出した。
ワルイージュがいじめっ子だという事実を。
そして、先日聞いたあの言葉が蘇ってきた。
『それに、余興がもう一つありますの。アレン様にもきっと楽しんでいただけると思いますわ』
余興ってなんだ?
パンツを見せてくれるわけではないってことは決定的に明らかだが。
「まあっ! こんなところに平民がいますわ! ご覧あそばせ、アレン様!」
ワルイージュが声を弾ませる。
たしかに、礼装にまじって制服姿の生徒が若干名いるようだが、珍獣じゃあるまいし指差すことはないだろうに。
失礼な奴め。
「制服で参加だなんてみっともない。ドレスコードというものをご存知ないようですわね。これだから、平民は」
別に制服でいいだろう。
と思ったのは俺だけだったらしい。
ほかの連中、特に貴族の子弟を中心に同意を示す嘲笑の声が上がっている。
哀れ平民の生徒たちは背中を丸めて逃げ出した。
もっとも、他人の動静など意にも介さない奴もいるようだが。
どろんこ白衣のファンシーガールが床に魔道具をぶちまけて、夢中でネジを締めている。
完全に自分の世界の住人だな。
出過ぎた杭は打たれないってのは、こういうことを言うのだろう。
「ごめん、ジュリエット。平民の僕には衣装を買うお金がないんだ。ダンスパーティーには参加できそうもないよ」
「そんな、ロミオ。わたしは、あなたさえいてくれたらそれでいいのに」
「桜の結晶のように輝く君のドレス姿に、僕の制服姿はあまりにも釣り合わない。ああ、僕にも衣装があればこの美しき夜を君とともに過ごせるというのに」
「ロミオ……」
「ジュリエット……」
二人組が抱き合って泣いている。
平民彼氏に貴族の彼女といったところか。
えらく芝居がかっているが、演劇部か何かか?
もらい泣きしている生徒もいるが、涙腺どうなってる?
ユルいならピコリーに締め直してもらうといい。
「ところで、幕開きの舞ってのはなんだ?」
「あら、ご存知ありませんの?」
ワルイージュに問うと、彼女はニタァと嫌な笑みを浮かべた。
「パーティーの初めに、生徒会長が新入生をダンスに誘うのですわ。シャル・ウィ・ダンスですわね。毎年の恒例ですのよ」
在校生と新入生のデュエットか。
新歓らしい催しだな。
「本当にロマンチックですわよね。きっと最高の喜劇になりますわ」
「喜劇?」
「だって、そうでしょう? 制服姿のエトナリーさんと踊りたがる物好きなんて、いるはずがありませんもの」
「……」
その言葉で、俺は心臓が凍るような感覚にとらわれた。
制服姿のリンネを見たとき、どうしてすぐに思い至らなかったのだろう。
なぜ気づいてやれなかったのだろう。
気づいていれば、あんなにも無神経なことを口走ることなんてなかったのに。
俺の脳裏には、みすぼらしいドレスに身を包んだリマ夫人の姿が浮かんでいた。
それを恥じ入るリンネの姿も。
赤貧にあえぐエトナリー家にドレスを買う余裕なんてあるのか?
いや、ない。
そんなこと、考えずともわかるだろうに。
『なぜドレスじゃないんだ?』
なんて馬鹿なことを聞いてしまったんだ俺は。
自分の顔面を糞まみれの手でぶん殴りたい気分だ。
(いや、そんなことより……)
リンネは誰と踊るんだ?
制服姿でダンスを申し込んで、受けてくれる奴なんているのか?
俺はカラカラになった喉に唾を流し込んで、未来視を発動した。
――見えた。
新入生に手を差し出すリンネの姿が。
その手を取る者は、
――誰もいなかった。
ワルイージュが悪魔のような顔で笑っている。
居合わせた生徒たちも釣られて笑い出し……。
笑い声は聞こえなかった。
だが、耳と目を塞いでしまいたくなる光景がそこにあった。
あのプライドの塊みたいなリンネが目を押さえて駆け去っていく。
『お願いだから参加しないで』
その言葉の意味が今ようやく理解できた。
幼馴染である俺の前でだけは恥をかきたくなかった。
そういうことなんじゃないのか。
幕開きの舞まで、後2分――。
気づけば、俺は駆け出していた。
未来を精査する余裕はない。
今、俺にできることをするんだ。