2 教会の君
「若様が変な女に引っかかりませんように」
手をうねうねさせたルマリヤがスピリチュアルな波動を送ってくる。
毎度恒例となっている出かける前の儀式だ。
俺はいつもの呆れ顔で行ってくると告げ、家を出た。
行く先は、教会だ。
祝福について知人に相談してみようと思ったわけである。
たかが夢と一笑に付してもいいのだが、事は俺の命にかかわる……かもしれない。
危機感ゼロで呆けていて本当に腹に刃物が生えてしまっては笑えない。
昨夜見た惨劇がフラッシュバックして暗澹たる思いの俺とは裏腹に、朝の町は穏やかな春の陽気に包まれていた。
ここは、貴族街。
家の外観にはなるべく多くの金を費やすべきだと考える連中が暮らしているだけあって、通りにはゴミひとつ見当たらず、塀の上を歩く野良猫ですら優美なもんだ。
俺の屋敷は、中でも一等見晴らしがよく、日当たりのよい場所にドカンと建っている。
これでも、王国に数えるほどしかない上級貴族家の令息なので、通りをゆく下位の貴族たちは俺を見つけるや馬車を降りて手をコネコネ、尻をフリフリ擦り寄ってくる。
社交スマイルを絶やす間もないのだから面倒なことだ。
表情筋が疲れを訴えてきた頃、教会のある下町に到着。
飾り気のない庶民の町のド真ん中に、小山のような構造物がでーんとそびえ立っている。
国教たる聖ミスティーヤ教の総本山。
ミスティーヤ大聖堂である。
警備の厳重さも相まってパッと見、要塞だ。
アリ1匹通れそうにない場所だが、幸いにして俺の用事はこっち。
巨大建築物の陰にひっそりと佇む小さな教会のほう。
精霊だのスキルだのに詳しい奴がここにいるのだ。
開け放たれた大扉から中には入る。
お目当ての人物はすぐに見つかった。
ボリューミーな金髪を太い三つ編みにした修道女が、女神像の前で静かに手を合わせている。
ステンドグラスの鮮やかな光の中で一心に祈る姿には思わず見とれてしまうような美しさがあり、煩悩など微塵も感じられない。
彼女はいつもああして祈っている。
王国のすべての民が平和でありますように、と。
「どうか最愛の人と結ばれますように」
「違った。思っクソ煩悩の塊だったな」
「ふぇわっ……!?」
可愛い悲鳴がこだました。
普段はたれ眉たれ目の愛くるしい顔立ちなのだが、驚愕のあまり、5歳児が描いた似顔絵みたいな顔になっている。
彼女は、フララ・ラーラ。
この教会の修道女だ。
なんでも1000年に一度の才女らしいが、赤ら顔で目を回す姿からはとてもそうは思えない。
「あ、アレン……! もしかして、今の聞いて……」
「聞いたね。そりゃもうバッチリと」
「ふぇぇ……」
まあ、そう赤らむな。
自由恋愛なんて夢物語なのが貴族社会だ。
最愛の人と結ばれたいってのは至極まっとうな願いだろうよ。
女神が叶えてくれるといいな。
あまり人に聞かれたくない話なので、懺悔室に場所を移す。
別に懺悔することなどないので、俺は夢で見た内容について、かいつまんで話した。
「アレンが結婚……。お相手はどなたなのですか」
幼馴染だが?
そんなのはどうでもいいだろう。
「よくありませんよぅ」
フララは泣きだしそうな面持ちであったが、何かに気づいたらしくハッと目を見開くと、
「そういえば、わたくしも一応アレンの幼馴染ですから……そっか。それで、わたくしに相談してくださったのですね!」
なぜ、顔をそんなにも輝かせている?
まぶしいじゃないか。
それはそうと、本題だ。
どう思う?
「そうですね。精霊が夢を見せるという話は聞きません。おそらく、アレンの祝福が関係しているのかと。鑑定してみますか?」
「頼むよ」
俺は軽く頷いて、手を出した。
フララは俺の手を取ろうとして一瞬ためらい、使い古した雑巾をつまむみたいにして指先にちょこんと触れた。
恥じらいのつもりか?
普通に傷つくのだが。
でもまあ、たしかに、薄暗い密室で二人きりというシチュエーションには青春の鼓動を感じなくもない。
修道服をダイナミックに押し上げる魔性のカラダに嫌でも目がいってしまうというもの。
いかんな、懺悔が必要だ。
目をつむり、うんうんなるほどー、などと独りごちっていたフララだったが、
「精霊の残滓が信じられないほど濃いです」
と反応に困る論評をした末に、こう締めくくった。
「すごいです、アレン。あなたには『未来視』の祝福があるようです」
うん。
まあ、やっぱりかという気分だ。
別段驚きはない。
感覚的にわかっていたことだからな。
「アレン、時渡りの祝福は非常に稀なのですよ。時間や空間の壁を越えて力を及ぼすなんて、女神様の御力にすら匹敵しうる権能です。すごいのですよ!?」
フララは反応の薄い俺からなんとかリアクションを引き出してやろうと躍起になっている。
レアスキルかどうかは、どうだっていい。
要するに、アレだろ?
俺が妻に刺されて死ぬ未来がいずれ現実のものとなる、ってことだろ?
目下、最大の懸案はそこだ。
「大丈夫ですよ、アレン」
黙りこくった俺の手を、フララの両手がそっと包み込んだ。
「未来は変えられます。あなたがそう望むなら」
おっとりというか、ぽわぽわというか。
普段のフララは春のたんぽぽを擬人化したような奴なのだが、こういうときには頼りになる。
『聖女』に一番近いとか言われているらしいが、過言ではないのかもな。
「それに、わたくしがアレンのことを刺すだなんてあるはずがないでしょう!」
少し天然なのが玉に瑕だ。
「相談しに来てよかったよ。おかげで、少し落ち着いた」
「は、はは、はい……! 光栄でひゅ!」
頬を真っ赤にしながら両手を引っ込めるフララであった。