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暁の史記  作者: 焚火卯
三章
88/125

第三十二話『賽は投げられた』

 風を切る感覚が、そのまま痛覚を刺激している。

 馬上で腹を押さえながら、メレブンは必死に持ち堪えていた。

 

「やっぱ戻った方が……」

 

 腹を押さえる手に、フラムは手を重ねる。

 心配してくれているし、ということはそれなりに危ない状態なのだろう。

 だがしかし、

 

「このまま、行く。無理そうなら、撤退するだけや。そのための道は、あんたさんが作ってくれんねやろ?」

 

「……絶対絶対、約束だからね」

 

「当たり前や。自分も死ぬなんてのはまっさらごめんや」

 

 予想が正しければ、本部でも戦いは起きる。

 考えられる相手は、およそ四人。

 悲しいことに、アメリはそれに含まれている。

 そして、残酷なことを断言するが、メレブンがアメリに負けることはない。

 だから、戦うならアメリが一番良くて、一番最悪だ。

 しかし逃げるだけなら、アメリに限定せずとも可能だ。

 屋内なら、基本的にメレブン優位だ。

 

「どうやって入るの!」

 

「正面や! 正面そのまま突っ切れ!」


 近づく本部を前にフラムが指示を仰ぐ。

 立ち並ぶ大小様々な扉の、最も真ん中に位置するものに突っ込む。

 メレブンは炎を両手で編み出し、扉にぶつけることで破壊した。

 

「入った……けども」

 

 天地のバランスを誤りそうなほど高い天井。豪華絢爛な装飾は煌びやかだが、不快感を催すほどいやらしくはない。見事な調和だ。

 メレブンも内装を見るのは初めてである。

 圧倒されるほどに芸術的で、絶倒するほどに極地点。

 

「すごいね……」

 

 フラムもその景観に、思わず言葉が溢れていた。

 純真な少女だからこそ、感動もあるいは本質的なのだろうとも思えた。

 

「……と、見惚れてる場合やなかったな」

 

 感動に水を差すようで申し訳ないが、軽く咳払いをし視界と思考を引き戻す。

 

「どうや、なんか分かるか?」

 

「うーん、なんとなく、こっちかな……? アメりんは、でも、ここにいると思う」

 

「ほんなら確かめに行こか」

 

 フラムが指を差したのは廊下の右サイド。アーチ状の梁をくぐって、反響する音と共に進んでいく。

 内部構造はシンプルだ。

 真ん中に大きな通路があり、そこから左右に二本ずつ伸びている。

 さらにその左右の通路の行き止まりで、また上下に通路が伸びている構造だ。

 おそらく左右対称になっている。

 その上下の通路の、上方向に上って行くと、一つの扉があった。

 

「物物しい扉やなぁ」

 

 黒で塗り固められた扉が、射し込む太陽光を吸い込んで闇を加速させている。

 こういう扉は総じて、何かを閉じ込めるために生み出される。

 ひょっとするとここは——、

 

「メレブン、開いちゃダメ!」

 

 扉に手をかけようとすると、フラムが飛びついて阻止してくる。

 

「アメりんもマルティちゃんも、この先にいる。でも、行っちゃダメ! 人の……人の、嫌な臭いがする!」

 

 嫌々と頭を振って、フラムが訴えかけてくる。

 

「お城にあった石のところと同じ! 嫌な血が染みついてるの!」

 

「城……ノンダルカスのか。——あっこ、でも、なにがや……?」

 

 フラムが言っているのは、おそらく古書庫の裏の石室のことだ。

 地下水路を抜けて、梯子を上ったところにある出口。

 シュネルが罠として用いた場所。

 ——そこで、フラムは何を感じたんや?

 

「すまん、王城のことはよく分からへん。でも、伝えたいことはなんとなく伝わった。——それでもや」

 

 メレブンはフラムをゆっくりと引き剥がす。

 

「怖いんよな、フラムちゃん。人の——無垢な悪意が」

 

 彼女の物差しは、エールやフレンで作られている。

 その中で、生み出された善悪——世界に対する、もしくは人間に対する理想が、崩壊してしまうのが恐ろしいのだ。

 そして、メレブンにも同じことを思ってくれている。

 メレブンの物差しの中でのそれは、フラムと異なってはいるのだけれど、近い位置で重なってはいる。

 しかし、物差しのレンジが等しくても、フラムとメレブンには決定的な違いがある。

 

「でも、自分は大人や。自分のことは、自分でなんとかできる」

 

「フラムは……」

 

「——自分の理想を思い描け」

 

 不安そうに瞳を揺らめかせるフラムと視線を合わせる。


「理想が崩れそうになった時こそ、理想を思い出すんや。——君の、最も強き輝きは誰や?」

 

 揺らめく紅の炎が静けさを取り戻し、輝きを増していく。

 彼女を守り、育てた老人が浮かび上がる。

 ——彼女はもう、大丈夫だ。

 

「ほな、行くで」

 

「うんっ」

 

 扉を押し開けると、さらに下に続く階段があった。

 それを下ると、ただ冷たいだけの無機質な通路が広がっていた。

 

「臭い。気持ち悪い。でも、アメりんたちその中心にいる」

 

「曝されとるんか、もしくは……やな」

 

 アメリがこの濁りを生み出すものだとしたら、きっとこの世界のために生かしてはおけない。

 でも、もう薄々と気づいている。

 アメリは悪意に翻弄された、ただの被害者なのだろうと。

 

「——音が」

 

 通路を少し進めば、音が聞こえてくる。

 ガンガン、ゴンゴンと、鉄を何かで叩くような音。

 絶え間なく流れる音が、何故か悲痛めいて聞こえて——、

 

「——アメリ!!」

 

 その音の発生源がアメリだと理解した瞬間、メレブンはフラムを置いて走り出していた。

 何故、アメリがこんなにも必死に音を出していたのか、どうやって音を出していたのかを視界に入れてしまったから。

 

「ぉ、兄様……」

 

 牢屋の鉄格子に組み付き、アメリはへたり込んでいた。

 言葉は弱々しく、身体には汚れが目立つ。失踪した時と同じメイド服だ。

 しかし、それよりも、

 

「もう、ええ。もう自分が来たから。もう、やめてくれ……」

 

 アメリは、自分の拳を何度も何度も鉄格子に打ち付けていたのだ。

 鉄格子を破壊するために。

 両拳は、何度打ちつけたのか、砕け散って血に塗れている。

 メイド服にも返り血が飛び散り、白いエプロンがどす黒く染まっていた。

 

「アメリ!」

 

 鉄格子の錠を融解させ、檻を開いた。

 檻に組みついて拳を打ち付けていたアメリが。そのまま倒れるようにメレブンの胸に収まった。

 

「そんな顔、しないでください。こんなのじゃ、死にませんから……」

 

「死なんかったら、どれだけ傷ついてもええわけやあらへんねん。ほんま無事で……」

 

 不意に檻の中を見ると、暗がりの中に浮かび上がる塊があった。

 ——塊。

 

「フラム、来んな!」

 

 メレブンを追いかけてきたフラムを止める。

 止まらない。

 しかし、馬がフラムの首根っこを掴んで、強引に止めてくれた。

 

「ようやった」

 

「メレブン、なんで! アメりん!」

 

「フラム、ちゃん……」

 

 フラムに呼びかけられたアメリが、メレブンと同じように来るなと頭を振る。


「アメリ、あの子は……?」

 

「マルティちゃんなら、気絶させました……。あれを見せるぐらいならと」

 

「いや、それでええ。——あれは見せられへん」

 

 檻の奥で浮かぶものこそが、フラムの感じた濁りの淵源であり、悪意の結晶。

 こんなことをしたのは、一人しかいない。

 

「——報いは受けてもらうぞ、おんどれ……!」



 

 

 心臓を掴まれるような恐怖を味わった。

 まだ、その余波は残っている。

 それでも、

 

「ここで、叩く」

 

 震える腿をガンガンと叱咤し、フレンは己を鼓舞する。

 あの恐怖は紛い物の恐怖だ。アレキスが作り出した虚仮威しの気配だ。

 だから、

 

「ちょっと、止まれやァ」

 

 走り出す瞬間、誰かに肩を掴まれて止められる。

 振り返れば、凶悪な三白眼がフレンを射抜く。

 一度見れば忘れない顔だ。だが見覚えがないので、つまり、初めて会うということになる。

 しかし、

 

「お前……まさか、アレキスの友達の……」

 

 当然、アレキスの気配を感じたのだ。

 アレキスから伝え聞いた彼がいないはずもない。

 

「ラジアン・フォーミュラだ。だが、アレキスはダチじゃねェ。協力者だ」

 

「友達じゃなく協力者……まあ、何でもいいが」

 

 特に必要のない訂正のように思えるが、ちゃんと覚えてフレンは駆け出そうとする。

 すると、さらに強く肩を掴まれた。

 

「まてやァ、何で駆け出そうとする? 止めてんだろうがよォ」

 

「いや、てっきり自己紹介のために引き止めたのかと。あ、そうだ。私はフレン・ヴィヴァーチェという。よしっ、じゃあ……」

 

「だァから、一回止まれやァ!」

 

 逸るフレンにラジアンが激昂する。

 息を切らしているが、何かあったのだろうか。

 

「そのキョトン顔、ムカつくぜェ。——あのネイアは確実に罠だろうがよォ」

 

 フレンの前方で、背を向けて倒れているネイア。

 捕えるには絶好の機会だと思ったが、

 

「罠か。じゃあ気をつけないとな」

 

「おォ、そうだ。警戒して……って、何で進んでやがる」

 

「——? 気をつけたらいいんだろ?」

 

「あァ? ……あァ! 違ェよクソがァ! なんなんだよこいつはよォ」

 

 頭を掻きむしりながら、ラジアンがたたらを踏む。

 もう、爆発してしまいそうな雰囲気に陥って、

 

「——隙だらけですね〜」

 

 空から不可視の破壊がフレンたちに迫る。

 フレンは勘を頼りに範囲から逃れた。

 しかし、

 

「ラジアン!」

 

「問題ねェよ。むしろ、狙ってた」

 

 範囲を見誤ったラジアンの左半身が丸々持っていかれる。

 だが、

 

「——『呪隷』。やっぱり、驚異的な再生力ですね〜」

 

「テメェらが作ったんだぜェ。お母様」

 

「——おぞましいこと言わないでくださいよ〜。最終的に選んだのはあなたですよね。——だから、一度は見逃してあげたじゃないですか〜」

 

 生み出した氷で足を掴み、宙吊りになったネイアは、過去を語りながら髪を弄る。

 

「お母様……? 母親なのか!?」

 

「文脈の読めねェ奴だなァ! オイ!」

 

「あはは〜、流石にこんな息子は欲しくないですね。それにジブンの息子なら、もっとプリティーで優しい顔つきになりますよ〜」

 

「んな、張り付けたような表情いらねェよ。テメェのエゴは、そんなもんじゃねェだろ」

 

「——なんの、ことか分かりませんね〜」

 

 宙吊りのネイアが張り付いたような笑みを浮かべる。

 再び巻いた眼帯の裏の瞳で、彼女は何を想っているのだろうか。

 さっきのあれこそが、彼女のエゴだと言うのだろうか。

 

「少なくとも〜、あなたには分かりませんから」

 

 横合いから会話ごと粉砕するようにフレンが飛びかかる。

 宙吊りのネイアが髪を弄りながら、自由落下する。

 そして、落ちながら、

 

「ばん」

 

 指を振ってフレンに突きつける。

 その射線から逃れるために、ネイアを吊り下げていた氷を掴むと、

 

「不用意に触れてはダメですよ〜」

 

 ネイアが薄ら笑いを浮かべると、フレンの右手に熱が生まれる。

 掴んだを氷から突起が生まれて、フレンの掌に穴を開けていたのだ。

 そこに、

 

「ばん」

 

 隙をつくように、逆手で破壊を撃つ。顔を貫くその一撃が迫って、

 

「だらァ!」

 

 血を噴くフレンの手を握って、ラジアンが破壊の射線から逃す。

 抱き抱えられて、近くの建物に乗った。

 

「ありがとう、助かった!」

 

「テメェ、オレのフォロー前提で動いてただろ!」

 

「ああ、だから期待に応えてくれてありがとうだ」

 

「イカれてやがんなァ、テメェも大概よォ!」

 

 悪罵めいているが、フレンをとても丁寧に下ろしてくれた。根は優しいのだろう。

 そして、彼がいればそれなりに無茶できる。

 また宙吊りのネイアを視界に入れて、

 

「じゃじゃ馬と組まされて大変ですね〜」

 

「いや、その通りすぎて困るんだわなァ」

 

「そこは強く否定してくれ!」

 

 拳を握って、ラジアンの同意に抗議する。

 何故、二人から詰られないといけないのか。

 ちょっと頑張ってもらっただけではないか。

 

「とはいえ〜、分が悪いっちゃ悪いんですよね」

 

「オレとは相性有利的なことを、前に言ってなかったかよォ」

 

「ええまあ〜。でも、あの時から時間経ちましたし。——どれだけ、重ねました?」

 

 ネイアの質問の意味がフレンには分からない。

 ラジアンだけに伝わる質問だったようで、

 

「十ぐれェはいったかもなァ」

 

「痛みで?」

 

「痛みで」

 

「馬鹿ですね〜」

 

 ネイアが嘲笑しながら身体をブラブラと動かす。

 そして、そのまま引きちぎるようにして、地に降りた。

 

「転移封じられちゃいましたし〜、空飛ぶのもそれの応用でしたからね」

 

 髪を弄りながら、ネイアがため息をつく。


「——テメェ、なんのつもりだ」

 

 ネイアが髪を弄るのをやめて、両手をあげる。

 それは紛れもなく降伏のポーズで——、

 

「そんなんで、許されるわけねェだろォがよォ! ふざけたマネしてんじゃねェぞ!」

 

「馬鹿! やめろ!」

 

 激発しネイアに飛びつこうとするラジアンを、フレンは間に割り込み制止する。

 

「どけやァ!」

 

「どかない。歯向かうなら、無理やりにでも止める」

 

「やってみろや、最強ッ! オレを殺せんのか! あァ!?」

 

 ネイアとラジアンの間に入ったフレンに、怒号を飛ばす。

 隙だらけだ。弱すぎる。

 ——瞳の光が弱すぎる。

 そして、だからこそ、なおのこと、彼の意思は尊重できない。

 

「でも、どうすれば……」

 

「——ばん」

 

 ネイアの軽い声が聞こえたと同時に、ラジアンの頭が爆ぜる。

 脳漿が飛び散って、フレンの胸を汚した。

 

「降伏してるのに、聞き分けのない人ですね〜。ね?」

 

「お、お前……!」

 

「いやいや〜、別に殺してませんよ。てか、死なないですし。ちょこっと黙らせただけです。あなたも迷惑だったでしょう?」

 

「それは……」

 

 無邪気に問われて、フレンはネイアから目を逸らす。

 極論、言ってしまえば迷惑ではあった。

 でも、仕方のない、どうしようもない迷惑なのだ。

 それは悪いことではないし、むしろ普通のことだ。

 フレンが彼を止めたのは、彼が過ちそうで——勝手に過去の自分と重ねていたからであって、でも、それはフレンの傲慢でしかなくて——、

 

「ま〜、何でもいいので、降伏です。フレンさん」

 

「……っ、わかった」

 

 首から上を失ったラジアンに背を向けて、戦闘意思の消えたネイアを拘束しようとする。

 一歩、踏み出して、

 

「——君は必ず降伏すると思っていたのだよ」

 

 あるはずのない声が、フレンの足音を上塗りして聞こえた。

 その声の主は、今、捕えられているはずで——、

 

「——ダイス」

 

 その男の名を呼んだ。だが、そこに意識は籠っていない。

 別のところに持っていかれていたから。

 

「————」

 

 ネイアの生首が、コロコロと地面を転がる。

 首で切断された、頭がコロコロと、コロコロと、身体から解放されたのを見せつけるように転がっていた。

 ダイスは、つま先でそれを止めて、

 

「フレン・ヴィヴァーチェ」

 

 私の名前が呼ばれる。

 笑う彼は、首から先を失ったネイアの肩を組み、手中を明かすように手を開いて、

 

「さあ、賽は投げられた」

 

 ——フレン・ヴィヴァーチェの世界が乱転する。



三章、開幕です。

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