第三十話『隷う者』
それが過ちであるほど、愚かしいほど、因果は残酷に巡る。
つまりそれが、正しいことなのだ。
向き合わなくてはならない。
逃げてはならない。
——犯した罪から。
◯
偶然の邂逅だった。
示し合わせていない人間が出会うというのは、たとえ目的地が同じでもそう起こることはない。
だからこそ、偶然であり数奇であり、アクシデントなのだ。
しかし手放しには喜べない。
実際、喜ばしいことではあるのだろうけれど、なぜ自分だったのかという考えが先行してしまう。
「よもや、会えるとは思わなんだ」
木々を掻き分け、傾斜のきつい坂を登ると拓けた場所が見えてくる。
切り立った崖から視線を上げると、『魔法連盟』の本部をすっぽりと視界に収められる。
観察のための絶好のスポットだ。
だからこそなのかもしれない。
「ハゼル……か。合流できたのか」
「ルステラの手紙のおかげでな」
「お前も間が良いな。あの貿易商に送る手筈だったが、正直、お前が来るかは半分半分だと思っていた。——あっちは落ち着いたのか?」
アレキスは淡白に聞いてくる。
しかし、彼は無愛想ではない。態度には表れにくいが、思慮深い人間なのだ。
ハゼルとは似ても似つかない。
「うむ、一先ずはな。——それに、我にはこちらでも果たさねばならぬこともある」
ファミルド王国の王都は、すぐには癒えぬ傷を負った。
だが、ハゼル一人居ただけで、建物が生えてくるわけではない。
それに、未来の話をするには、ハゼルは過去にしがらみが多すぎる。
皆が未来を見始めるようになったならば、ハゼルは早々に退散しなくてはならない。
断じて、逃げるわけではなく——。
「——おい、誰だァこのおっさんはよォ〜」
痺れを切らしたように声を上げたのは、凶悪な三白眼が特徴的な男だった。
中肉中背で、特別な強さは感じない。顔面は殺人級だが、有体に言うと凡庸である。
「不躾だなァ、おっさん」
「すまぬ。観察するのが癖になってるおる次第でな」
「別に気悪くしてはねェよ。というか誰だってのが知りてェんだわ」
ハゼルは武装こそしているが、身分を特定するようなものは着用していない。
だから、一目で分かるよう胸に手を当てて、
「ハゼル・ルーメイトだ。ファミルド王国騎士団団長を務めている」
「へェ。ってことはだ、テメェがもしもの時の助っ人というわけだ」
「話していたか」
「こうして自己紹介することもできなかったかもしれないからな。乱入した時、誰か分からなかったら困るだろ」
味方か敵か分からずに同士討ち——というのは最悪すぎる想像だが、戦場では刹那の思考の淀みが命取りになる。
情報共有不足は、その最たる例だ。
「ってなことだから、たぶんテメェは知ってんだろうが、一応名乗んぜェ。ラジアン・フォーミュラ。付け足せる肩書きはねェぜ」
「ラジアンだな。しっかり覚えた」
互いに軽く自己紹介を済ませると、向かいの『魔法連盟』の本部に注目が行く。
「お前なら、どう攻め込む」
「……フレン・ヴィヴァーチェを用いるのであれば、その問いには即答できるであろうよ」
「フレンはいない。ルステラもな。あいつらは招かれた側だからな」
「招かれたか……。相手方の意図も気にはなるが……」
「俺たちに考察している時間はない」
勝つのなら、招くというのを選択するのは余程のことがない限りできないだろう。
相手にフレン・ヴィヴァーチェがいるなら尚更だ。
ならば余程のことがあるのか、あるいは、勝つことが目的ではないかだ。
——いや、考えても仕方のないことだろう。
ハゼルはアレキスの問いかけを反芻し答えを出す。
「はっきり言えば、攻め込むのは限りなく不可能に近い」
「おいおいおっさんよォ、弱気なんじゃねェのか? あんなもん、ガーッて行って、バーだぜ」
「命がいくらあっても足りない策であるな」
「ハッ、そりゃァテメェにとっちゃそうだろよォ」
「突っかかるなラジアン。当然、お前のことも話してるんだ。その上で判断してる。だろ?」
血気盛んなラジアンを落ち着けつつ、アレキスが確認してくる。
「呪いに侵蝕された『呪隷』。死すら拒むその力は聞き入れている。その上で、断言しよう。命がいくらあっても足りないと」
驚異的な再生能力と身体能力を後付けされた呪いの奴隷。
しかし、
「貴公とて物理法則には逆らえない。貴公の突破力は並大抵ではないのであろうが、並大抵ごときでは寿命尽きるまで届かないだろう」
「そこまで言うかよォ……。ならァ、どォすんだ」
荒々しい若さも時には必要だが、それだけではどうしようもないことは世の中に溢れている。
ならば、少しでもそれを導けるように——。
「限りなく不可能に近い。——だが、不可能ではない」
防衛を三人で崩すのは、どんな豪傑だろうと容易いことではない。
だが、戦とは自陣の力量だけで全てが決するわけではないのだ。
相手の士気や、環境、体調などの作用は大きい。
「綻びは『魔法連盟』側の目的であろうな」
「目的だァ?」
「うむ。貴公は彼らが何故、我々の侵入を拒んでいるかわかるか?」
訝しげに眉を顰めたラジアンに、質問を投げかける。
彼は一瞬だけ考えて、すぐに答えを出した。
「そりゃァ、オレたちがクソ強ェからだ」
「もう一声欲しいところであるな」
「……あー、分けて戦いてェからか?」
「そうだ。そして、実際それは叶っている。機運が『魔法連盟』側に味方したか……」
「——内通者」
言いかけた言葉の端をアレキスが引き継ぐ。
どうやら、相手側に情報が筒抜けになっていた可能性があるらしい。
そしてその正体は、絞り込めているらしい。
伝聞なのでそう言うしかないが、あえて客観的に述べるなら、ハゼルは内通者には懐疑的である。
行動がいまいち腑に落ちないのだ。
明かす必要のない情報の、無意味なほとんど解のヒントを投下する。
愉快でなければ、作為だ。
とはいえ、内通者に関する話題は脇道に逸れるだけなので、余計な口出しをせずにおく。
「ハッ、全部ブッチめるだけだ。今はそのための話だろォよ」
「同じく、我も話を進めたい。——分断は叶った。ならば、中のものが皆死ねば自ずと道は拓けよう」
こうして議論する必要もない。
むしろ、彼らはいとも簡単に、上客をもてなすかのように招き入れてくれるはずだ。
「——ッ、そんなカスみてェな作戦できっかよォ!」
「——ああ、できぬ。だが、彼らの目的がそれを達成するまでの足止めと知れば、やりようも見えてくるだろう」
今のは提案ではない。
もちろん適当に言ったわけではないが、当然、許容できることではない。
「……? 見えてこねェが」
「そうだろうか? 足止めが目的なのであるぞ。ならば、その目的が達成できないと判断されたとき、すなわち……」
「突破されたら撤退していく可能性が高いってことかァ〜?」
思い至ったラジアンに、ハゼルは首肯する。
『魔法連盟』としても、兵士を失うわけにはいかないだろう。
彼らは兵士であると同時に、大半が研究者でもある。
もちろん全員が集まっているなんてことはないだろうが、彼らが失われれば、誇張抜きに世界の魔法技術の発展が停滞する。
「でもよォ、正面突破ないとして、あの妙ちくりんな壁を突破しなきゃならねェ」
ラジアンは親指で後方の景色を指す。
『魔法連盟』の本部は一般的な都市の形を模倣している。
中に居住区はなく研究施設が立ち並んではいるが、俯瞰して見たとき様相は大きく違わない。
目を引くべきは、ラジアンも指し示した防壁だ。
「柱の間を埋めるアレァなんだ。見たこともねェ」
等間隔に生える柱を結ぶように、壁が——光の壁が本部を取り囲んでいる。
「アレはどちらかと言えば、守るためのものではなく攻めるためのものだ」
「おっさん、知ってんのかァ!?」
「公開されている情報だ。防壁であると同時に、魔力の増幅機の役割も果たしている。重宝しているのは後者だろうな」
「へェ〜」
ラジアンが知識を吸収しながら三白眼を丸める。
それに反応したのはアレキスだった。
「まさか、聖地の伝説を知らないのか?」
「聖地だァ? なんだそりゃァ。そんな大層な呼び方されてんのかよォ。……どったよ、アレキス」
「いや、お前が想像以上に考えなしの馬鹿野郎で絶句していたんだ。レオーネの心労がよく分かるな」
「テメェ……! オレは常識までいちいち覚えねェんだよ。オレの専門は、もっとアレだ。内部機密とかなんだよォ。知ってか? 精霊とかいるだろォ、アレって——」
「——そこまでだ」
アレキスとラジアンが口論になる前にハゼルは止める。
「聖地の伝説は後で調べれば良い。『宗教国家』テレステオの聖都とは特に関連がないため注意することだ。——と言ったところで、話を進めるがよろしいか?」
「お、おォ……」
微かに気圧されながら、ラジアンがおとなしくなる。
威圧するつもりはなかったが、ともあれ、
「あそこは聖地であるが故、魔法・魔術的に非常に最適化されており、使用時に多大な恩恵を受けられる」
「常に絶好調を引き出す感じだ。敵味方問わずな」
「って言われてもなァ、オレァ魔法使えねェしよォ」
「我も魔法はからっきしである」
「俺は治癒魔法が使えるが。恩恵を得られることは少ないだろうな」
魔法が使えないのが二名。一人使えるが、そもそもの能力値が高すぎて恩恵が少ない稀有なパターン。
つまり、
「ただひたすらに不利なだけじゃァねェか!」
ラジアンの叫びが高く高く空へと吸い込まれていく。
しかし、今さら魔法の特訓をするわけにもいかない。
不利は承知の上で、どう覆すか。
「魔法は使えぬ。だが、聖地の力を利用することはできる」
そう言って、ハゼルは背負っていた武器——黒光る大斧を取り出す。
これはハゼルが愛用しているものだ。
素材は特殊な金属で出来ている。その金属は特殊性は、曰く、
「魔力を無限に内包できる」
それを聞いたアレキスが、思い当たる節があるように眉を上げた。
「『夜泣き星』か?」
「……その呼び方は『号国』特有のものであるな」
「————」
アレキスは失言をしたとばかりに、少しばかり視線を落とした。
感情がいまいち読めない男だが、なにか渦巻いているのか一層分からない。
だが、追及はしなかった。
「まあ良い。ファミルドではこれを『黒零』と呼んでいる故、『黒零』で進める。——用いれば、聖地の魔力を汲み上げることが可能だろう」
「そォか! 汲み上げて、ぶつけんだな!」
「何を言っておる」
「あァ?」
的外れなことを言い始めたラジアンを、ハゼルは一閃する。
「『黒零』は魔力を内包し続けることができる金属であるぞ」
「だから、溜めて撃つんだろォ?」
「——誰が放出できるなどと口にした」
「はァ……?」
溜める。留める。包み込む。言い方はなんでも良いが、『黒零』にできるのはそれだけだ。
溜め続ける。溜めて溜めて、ただ溜めるだけ。
「夜な……『黒零』は希少鉱石だ。無限に内包できると言っても、注ぎ口が小さければ意味がない」
「その憂慮は必要ない。この斧の『黒零』含有量は、九割以上だ」
「……ほとんど独占の域だな。だが、それだけあるなら十分だ」
「おい、ちょっと待てやァ……」
ラジアンが指をわなわなと震わせながら、大斧の確認をもう一度する。
「それは魔力を溜め続けられる」
「うむ、その通りだ」
「だけど、放出したり打ち出すのはできない」
「そうだ」
ラジアンは否定して欲しかったのだろうが、ハゼルは何も言い間違いなどはしていない。
ラジアンにも、改めてしっかりと事実が伝わったようだ。
彼は自身の膝を叩いて、天に向かって叫んだ。
「クソザコ武器じゃねェかァ!」
◯
「あの防壁は聖地でなければ成立させられない。それは再現を防ぐという点で強みだが、転じて致命的な弱みでもある」
ラジアンの高らかな嘆きの後、作戦の詳細が詰められた。
彼の言う通りクソザコ武器だろうが、これに頼るほかないのだ。
「聖地と『黒零』を接続し、防壁——光壁に穴を開ける。その時間を稼いでくれ」
「盾になれってこったろォ。——何分いる」
「二十——否、十五分だ」
「いいぜ。いい感じだぜ」
十五分。
簡単なミッションだと思っていた。
なんなら、待たず打ち壊せるのではないかという期待もあった。
それが打ち砕かれる。
「ぼがぁっ!?」
突風がラジアンを吹き飛ばしていく。
そして仰け反ったところを、
「放て!」
火炎がラジアンを灰に変えようとする。
それを全身で無防備に受けながらラジアンは地を転がる。
五転したぐらいに腕が戻ったので、地面に突き刺して強引に回転を止めた。
「対策してやがんなァ。風を使ってくるのが一番ダルいぜ」
柱の間を埋めるように並ぶこと百人と言ったところだ。
反対側の防衛にもう半分回していると考えれば、些か数に不安がある。
「やっぱ足止め要員で、勝ち負けはどォでもいいってのかよ」
ちらっと後方を見ると、斧頭を地につけて魔術の繋がりを結ぼうとしているハゼルがいた。
——アレキスは見えない。
「それァムカつくなァ」
三白眼を歪めながら、魔法兵たちを睥睨する。
「帰ってきてやったぞ、オイ! ちゃんとデータ取れやコラァ! あと報酬も貰ってねェぞ! 未払金寄越せやァ!」
血反吐吐くぐらい叫んで、ラジアンは吶喊する。
また突風がラジアンを襲うが、
「飛ばしてみろやァ!」
足の指で地面を掴みながら、爪をボロボロにし、指が千切れることも厭わずに進む。
どうせすぐに再生する。むしろ、
「再生したらちょっとブーストかかんぜェ〜!」
指が地面の中で再生し、身体が少し押し出される。
それを連続で行えば、風にも負けない。
「——ッ! おっさん! だらァ!」
ハゼルに飛んでいく矢を象った炎に突っ込み盾になる。
全身で守りほとんどをを撃ち落としたが、
「やべェ、一本貫通した!」
火矢が一つラジアンの腹を突き抜け、ハゼルに迫る。
目を瞑り、精神を集中しているハゼルに避ける術はない。
火矢は彼の肩を貫通し、通り道を焼き焦がした。
しかし、彼は眉ひとつ動かさない。
「ハッ、心配ねェってか」
とはいえ眉間にぶち込まれたらマズいので、引き続き注意を払う。
「オラァ! ダッラァァ!」
両手に掴んだ剣を振り回しながら、器用に振り払っていく。
剣を習ったことはないので、完全に我流だ。
アレキスにも、一度見せたとき、
『お粗末だな』
と鼻で笑われてしまった。ムカつく野郎だ。
「この世のことは大体、根性でどうにかなるからいいんだよォ」
がむしゃらでいい。
腕が千切れ飛ぶ。眼球が弾ける。頭蓋が割れる。頸椎が折れる。血が流れて、撒かれて、染み込んでいくって、溢れきっていく。——だけど、死んでない。
死ねない。
死ねないから、守れる。
死なないから、これでいい。
「そんなもんかァ!? オイ! 殺してみろやァ!」
剣は吹き飛んだ腕と共に持ってかれたので、今は一本だけ。それを突きつけて啖呵を切る。
これは怒りだ。
ラジアンを作っておいて、ラジアンを殺すこともできないのかという怒り。
怒気を撒き散らすと、身体の底から力が湧いてくるように感じる。
怒れ、怒れ、怒れ、怒れ、イカれるほどに、怒れ。
「クソがァ!」
魔法兵が一列に並び、両手を掲げる。
——ずっと、魔法を練っていやがった。
だからこそ、弾幕は心なしか薄かったのだ。
この一撃で勝負の命運を分けるために。
「————」
水だ。
膨大な質量の鉄砲水が、まさしく一切合切を押し流していくだろう。
ラジアンまでは二分の一秒。ハゼルまでは一秒で到達する。
ラジアンは死なない。だが、水を押し戻すことはできない。
「上等だ! 全部、飲み干してやらァ!」
剣を投げ捨て、両手を広げる。水が到達する。接触——止められない。
飲む。飲みまくる。飲みながら太陽に手を伸ばす。
上を何かが通った。
「凡策だな」
意図的に隠れていたアレキスが、満を持して登場した。
全てを押し流さんとする水流が、真ん中で綺麗に等分される。
ラジアンも巻き込まれて、縦に割れた。
体感したから言える。
——あまりにも、剣筋が美しすぎる。
「往け!!」
再生の完了と同時に、ハゼルが激発する声を出す。
ラジアンはグチョグチョの地面を踏みしめながら光壁まで駆ける。
その、穴の空いた光壁まで。
「限界見てェだなァ!」
頭上、さっきの魔法を行使した代償に、兵たちが倒れていく。
あんなもの、魔力切れを起こして当然だ。
いよいよ、相手も限界らしい。
抜ける——そう、確信したとき、
「押し戻せ!」
「ぶ」
あるはずのない光壁に阻まれ、ラジアンは仰け反る。
穴は空いていた。——そして、閉じられたのだ。
それも、動けないはずの魔法兵にだ。
穴が閉じたせいで、肩口から持っていかれた。それを押さえて上を仰ぐ。
「薬中どもがよォ……!」
魔法兵が『魔力剤』を光壁にぶっ刺していた。
光壁の一番の役割は——魔法効果の増幅。
そして、薬剤効果の伝播。
さらに復活したということは、
「また撃つつもりかァ」
今度はアレキスの剣撃も対策される。
相手にも上限はあるだろうが、時間を稼がれた時点で負けなのだ。
「アレキス」
「次は俺も前に出る」
「いらねェよ、ボケ。——もう、オレらの勝ちだ」
勝利宣言とともに、ラジアンは魂が抜けたように前に倒れ込む。
その表現は正しい。
だって、そこのラジアンには、すでに魂が残っていない。
「『不動』——置換・痛み」
「————」
「魔力は伝播するんだろ? なら『呪』も一緒だよなァ!」
光壁の内側でラジアンは高らかに叫ぶ。
だがどうして、ラジアンがそこにいるのか。
種は取り残された腕にある。
ラジアンは『呪隷』として人生の半分以上を歩んでいる。
再生先の選択など、彼には容易いことだった。
それに、
「おっさんがいなきゃ、一人一人縛るしかなかったぜェ」
穴の空いた光壁越しに、ハゼルへ親指を立てる。
彼のアシストによって、新たに刻む呪いが一つで済んだ。
「貴公が血を撒いてくれていて助かった。おかげで魔力の道を繋げやすかった」
「できればァ、魔力吸い込まねェでほしかったけどなァ」
「そこまで繊細な操作を求めるのは、勘弁してほしいものであるな」
若干、魔力不足の感覚がある。重篤なほどではないので無視するが。
そして壁を越えた先でハゼルと話していると、アレキスが憂え気にラジアンを見つめていた。
それは前にも見たことがある顔で——、
「代価に痛みを払ったのか?」
「それ以外に払えるもんねェからな。ま、親父やレオーネには黙っててくれやァ」
アレキスは痛み自体には、特に何の感情もない。実際、さっきは彼に斬られた。
彼が心配や憂慮を顔に出すのは、恒常的なあるいは慢性的な痛みが身体を蝕んでいるときだけだ。
そういうのを、人はトラウマと呼ぶのだろうけれど、彼の心に配慮して戦闘スタイルを変更してもいられない。
今回で痛感した。最も強い痛みだ。
ハゼルにある経験が、アレキスにある技術が、ラジアンには欠如している。
だから、
「オレァ、曲げねェ。たとえ百人に……千人に付与することになってもよォ、オレァやるぜ」
百も千も一万も、全ての痛みを背負ってみせる。
「ほらァ、行こうぜ。オレァ言われた通り三賢人の転移封じをやる。テメェらは?」
「俺はルステラと合流する」
「では、我は本部の方へ向かおう」
各々が目的を持ち別々に進んでいく。
ラジアンは重要な役割を任されている。
だから、
「オレにしかできねェことだ……!」
呪いの奴隷は、爛々と澱み出でる。




