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暁の史記  作者: 焚火卯
三章
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第二十九話『血』

 霧が晴れれば何かが変わるなんてことはない。

 夢幻に騙された愚か者がいたなんてことはない。

 霧は晴れた。彼女は血だまりに臥していた。

 

「流石に死にそーだな」

 

「まーな。なにせ得物が特別製だ。どーする? トドメを刺そうか」

 

「特に……価値もねーしな。そうしよう。……『アタシ』が一撃で仕留めてくれてたらよかったんだけどな」

 

「悪かったな。急にこいつの身体がブレて——」

 

 不手際の理由を説明しようとする『レーア』を、言い切る前に力いっぱい突き飛ばした。

 ルステラを貫いた剣を持ちながら『レーア』が飛んでいく。

 それを右腕で行ったことは、大した問題ではない。

 ——だって、首が捻じ切られてしまっていたのだから。

 

「アタシ——」

 

 宙で回る、自身と同じ顔をした生首と視線が交わり、意図を察する。

 いくら『再生』を刻んでいるとはいえ、彼女はもう助からない。

 だから命を一個使わせたことを、最大限に活用しなければならないのだ。

 

「狙いは……!」

 

 右手に掴んでいた剣をレーアは空に仕舞う。


「やらせるかよっ!」

 

 接近してくる何かが、剣を仕舞い込んだ場所に突っ込んでいく。

 だから、位相の変換を閉じて強引に掴んだ。

 遅れて、それが腕だと認識する。

 そしてそのまま閉じ切って、腕を裁断した。

 

「あんたは、見知った顔だな」

 

 無の極地まで消えていた存在が輪郭を成す。

 黒髪黒瞳。体躯はしっかりしており、立ち振る舞いからその強さが計り知れる。

 さらに彼は治癒魔法の使い手だ。

 まさに非の打ち所がない。

 

「まさかあんたから来てくれるとはな」

 

「……俺はお前のことは知らないな」

 

「アハハッ! 確かにアタシは厳密にはあんたを知らない。一発で見抜くかよ?」

 

 姿形は全く同じだ。見破るとしたら、おそらく微細な動作、所作からになるだろう。

 彼はそれを見逃さない。


「……御託はいい。さっさとさっきの剣を渡せ」

 

「ということは、あんたはさっきのが何か知ってるってわけか。……まあ、じゃねーと狙わないか」

 

「『血深剣』。傷の深化。その傷は、対象が死ぬまで治らない」

 

「だったら貰っても無駄だろーよ」

 

 不治を押し付ける剣。

 故に、もし狙い通り心臓に刺さっていたら、ルステラの命は既に失われていただろう。

 彼女も運が良い。——いや、

 

「まさかあんたか? なら酷なことをしたんじゃねーか」

 

 地面に臥せるルステラと、目の前のアレキスを今後に眺めて肩をすくめる。

 

「どうせ死ぬなら、一思いにやってあげるほうがよかっただろ」

 

「————」

 

「まさかここから救うつもりかよ?」


 アレキスが何かを狙っているのは明白だった。

 救うための手立てがあるやつの目をしている。

 気味が悪いが、一つ確実に言えることがある。

 

「『血深剣』はもう出せねーな」

 

 空から剣を引き抜きながら、レーアは武器庫の在庫を確認する。

 武器残量は潤沢だが、確かめたのは『血深剣』の存在だ。

 さっき腕を突っ込まれた時に、万が一でも盗まれていたかもしれなかった。しかし、しっかりとまだあった。

 一応、『もう一人』にも警告をしておき、ルステラの命を潰えさすのに万全を期す。

 

「あいつは、もう死ぬ。絶対に殺す」


 最後に挑発をし、レーアに向かわせるようにする。

 ルステラを持って武器庫に向かわれたら面倒だ。

 その前に死ぬだろうが、ルステラにはまだ不明瞭な部分があるので、油断はできない。

 結局のところ彼はここから離れられないのだけれど、彼はそんな盤面を覆すような人間だろう。

 だからこそ、相手にとって不足はない。

 

「だったら、殺してみろよ」

 

「——ひ」

 

 喉がか細く鳴り、急に歯の根が噛み合わなくなる。

 恐怖だ。

 しかし、頭では分かっているのだ。これが作り出された、人工的な恐怖なのだと。

 だが、そんなものに心が竦み上がっている。

 迫り来る死の気配。

 使い捨ての命なのに、あまりにも惜しく恐れてしまう。

 このまま何もできないというのか——、

 

「っっけんなぁッ!」

 

 レーアは腿を叩き、一歩踏み出しながら剣を振り抜く。

 恐怖のくびきから放たれた、剣撃が華麗に舞う。

 アレキスは後ろに跳んでそれを回避するが、レーアはまた一歩踏み込んで剣を振る。

 そして今回は、

 

「剣先を飛ばしたか」

 

 あらぬ方向から飛んできた剣先を、アレキスは難なく避ける。

 それを予測して、返す剣技でアレキスの胸を深々と切り裂いた。

 しかし、

 

「治すか……。だけどよ、そっちの右腕は治さないのか? それとも……」

 

 欠けた腕をなぞりながら、レーア口端を上げる。

 彼の治癒魔法に腕を再生する力はない。

 あるいは、途轍もなく時間がかかる。おそらくこっちだ。


「アタシの命一つと腕一本なら充分安い」

 

 次の方針は決まった。

 状況が整うまで、レーアは、

 

「全力で戦い続ければいい」

 

 手に持っていた剣を投げ飛ばし、新たに剣を二本、空から引き抜く。

 ——その剣先が、何を斬ったでもないのに血に濡れていた。

 滴る血液が、地面に模様を描き始めて——、

 

「お前は、思考パターンが単純だな」

 

 アレキスの振りかぶった拳を——無かったはずの右の拳を、捻った手首で眼前に出した剣で防御する。

 何故か剣が打ち負け、レーアは地面を転がっていく。

 

「今もそうだ。何故、お前は剣で守る」

 

「————」

 

「剣があったからだろ?」

 

 もんどり打つ身体を、地面に剣を突き刺し止めた。

 すると、嫌でも垂れ流れる言葉が耳に入ってくる。

 

「言い換えれば、お前は視野が狭い。意識が一つのことに持っていかれすぎる」


 いつの間にかアレキスは、ルステラの側に膝をつき、彼女を癒していた。

 彼は『血深剣』の効果を打ち消していたのだ。

 その真相を探るべく、左目で武器庫を除くと——、

 

「————」

 

 たくさんの武具が収納されている空間に、浅く血液が満たされていた。

 発生源は、アレキスの裁断された右腕からだ。

 そこから溢れ出て、武器庫を満たした。

 そして、

 

「——解析、完了だ」

 

 『血深剣』に自身の血を触れさせて、効果の実証、しかるのち打消しの計算式を構築——実行。

 

「そんなことができてたまるかよ……!」

 

 彼は一足す一をやるような感覚で、世界の法則を新たに追加するようなことを成し遂げたのだ。

 天才などというのにも限度がある。

 彼はもはや神域にすら踏み込んでいて——、

 

「——誰も『天』には届かない」

 

 乾いた声と共に、歩いてくるアレキスにレーアは抵抗しない。

 それどころか、持っていた剣を投げ渡した。

 

「お前は止まらないんだろう?」 

 

「アタシたちはまだ途上だ。——だけど、ここでは一旦負けてやる」

 

「次は勝てるか?」

 

「次は勝つ」

 

 啖呵を切り取るように、レーアの首が美しく斬り落ちる。

 だけど、レーア・ジオメトリはここで終わりではない。

 全ては受け継がれる——。

 

「くだらない評価だ。俺にはむしろお前らの方が……それこそ益体のない評価か」

 

 評価や実績だけが人を定義づけるのか。

 そんな記録があれば人は何にでもなれるのか。

 言うまでもなく、なれない。

 人を定義するのは、まさしく人生だけだ。

 理想を押し付け合ったところで現実は変わらない。

 その点では、アレキスも戦った『二人の』レーアも同類なのだ。


「ルステラ、起きろ」

 

 肩を揺すって、瀕死だったルステラを呼び起こす。

 傷は治し、血液も戻した。

 他人の血を作るのはそれなりに苦労するが、ルステラならそこまでではない。

 治療が済み呼吸の安定したルステラが、睫毛を震わせながらゆっくりと目覚める。

 瞳孔が揺らぎながら、少しづつ焦点が合っていき——、


「アレキス、遅すぎ」

 

 愛しむように憎まれ口を叩くのだった。


「お前が先走りすぎなんだ。……油断したな」


「いやぁ、ちょっと強かったね。傷が治らなかった時は、もうダメかと思ったよ」

 

 自分の胸を摩りながら、九死に一生を得たと笑う。

 

「でも、助けてくれた。——ありがとね」

 

「そう思うなら、もう少し自分の身を案じろ」

 

「む……。そこはどういたしましてでいいじゃん!」

 

 お礼甲斐がないと口を膨らませるが、彼女の態度にアレキスはますます頭を抱える。


「いいか、今回は本当に危なかったんだ」

 

「……ぅ」

 

「……手札は惜しむな。危なくなったら何でも使え。死ねば俺でも、どうすることもできない」

 

 死という概念を甘く見てはいけない。

 たとえ、それが——、

 

「『再現者』は死を超克したわけではない」


「……いざとなれば、なんて無いってことだよね。分かった……分かりました」

 

 ようやくもっともらしい反省が表れて、ひとまずルステラの無茶への言及は終わりだ。


「——っ、アレキス!」

 

 それを見計らったかのように、ルステラが血相を変えた。

 そして、

 

「来る」

 

 端的に告げられただけで、アレキスは完璧な対応を見せる。

 ルステラを抱きかかえて、アレキスは上に跳んだ。

 

「もう一回!」

 

 さらに、ルステラが生み出した足場を踏んでもう一回跳ぶ。それだけでだいぶ高度を稼げた。

 眼下、覗くように見てみると、たくさんの兵士が取り囲んで、アレキスの元いた場所を串刺しにしていた。

 それも、お互いを突き刺すことを厭わずに。

 

「嫌な戦い方だ……」

 

「どうする、ルステラ。俺が先に行ってもいいが……」

 

「ここはわたしが出るよ。多数相手ならわたしの方が有利だろうし」

 

「いけるか?」

 

「任せて」

 

 腕の中のルステラが下に向かって手をかざす。

 しかし、


「……まさか。でも、何で動けてるの……?」

 

 ルステラの態度が変化し、かざした手を引っ込めながらアレキスと見合った。


「ごめん、アレキス。無茶振りしていい?」

 

「……言ってみろ」

 

「一人捕まえて、残りの全部引きつけて」

 

「分かった」


 数はおよそ三十。しかし見るべきは人数ではない。

 その服装だ。彼らが纏っているのは、


「そういうことか。——ここで、まみえることになるとはな」

 

 統一された制服。それも、ノンダルカス王国の軍服だ。

 彼らは、ポーコによって殺害され、行方が分からなくなっていた者たちだ。

 それが巡り巡って、アレキスたちに刃を向けている。

 助けられなかったことに対する恨み。そんなものはなく、もっと大きな意思に動かされているようだった。

 恨みでも、何らかの感情があれば、きっと良かったのだろうけれど。

 

「お前らは何者か? それとも、何者でもないのか?」


問いを投げても返事は来ない。返礼の刃で、身体が傷つくのみだ。

 自我という自我は失われているのだろう。

 

「だが、お前らには還る場所がある」

 

 それがどれだけ幸運なことなのかも、彼らにはきっと、知り得ないことなのだ。

 

 

 

 

 打開策があった。

 というのは厳密には適切ではない。

 傷が治らなかった時は、ものすごく焦っていた。

 ルステラを貫いた剣に何らかの作用があって、治癒を阻害していたのだと思うが、それを上書きするのは即座には難しい。

 そもそも、肺に穴が空きながら活動し続けられる人間は異常だ。

 だから、一手で状況を変える必要があった。

 その、手段はあった。

 実行に複雑なプロセスはない。

 しかし出し渋ったのは、単純で致命的な理由だ。

 敵味方関係なく、ルステラ以外が消滅してしまうというだけのこと。

 

「……フレンは大丈夫かもだけど」

 

 彼女の限界値も、それなりに長く付き合ってきたがいまだに分からない。

 彼女は割と自分の限界値を低く見積もっている節がある。かといって、ほどほどに自信家でもある。

 生活力に対しての自信は改めた方が良いとは思うけれど。

 ともかく、切れない手札というのは誰にでもあるのだ。

 アレキスは意識的に、フレンは無意識的に秘匿している。

 無論、ルステラも。

 

「隠す必要のないことまで隠そうとするのは悪い癖だね」

 

 この件が終わったら色々と話すべきだと思いつつ、


「そのためにも……」

 

 遠巻きにアレキスの戦闘を眺めていると色々なことに気づく。

 兵士の肉体が再生すること。

 兵士の力が増幅されていること。

 血色が思ったより良いこと。

 だが、それらは既出の情報で処理できる。

 ——一つ、できない問題があったのだ。

 

「アレキス! こっち!」

 

 戦闘の流れを見極めながら、中心地から少し離れたちょうど良い場所を陣取る。

 アレキスに合図が届き、兵士の一人が投げ渡される。

 その間も兵士たちに変わりはなく、ルステラの声に反応したりすることはない。

 命令を完遂するように設定されているのだろう。

 

「ちょっと、ごめんね」

 

 ここにリゾルートかフレンかレガートがいたならば、名前が分かったのだろうかと思い歯痒さを感じつつ、ルステラはやや乱暴に兵士を拘束する。

 

「やっぱり……。でも、どうして……?」

 

 ルステラは、亡き彼らの状態を保つようにしていたのだ。

 保つということは、すなわち、外からのあらゆる要因を防ぐということだ。

 例えば、術式などもそうだ。

 刻めるはずがないのだ。持ち帰ることは可能でも、稼働させるなど——、

 

「その領域にまで迫っているの……?」

 

 だとしたら、三賢人に対する脅威度はこれまでと比べものにならないくらいに跳ね上がる。

 対策できるということは、対応できるということは、そこに対する知識を持っていることの証左なのだから。

 

「——ううん、知られてるはずがない。わたし個人に対しての理解は、絶対に浅い」

 

 レーアがルステラのことを知り尽くしているのなら、剣で刺したとき悠長に構えてられなかっただろう。

 その態度が一つ。

 そして、それが確定させたならば、兵士の件にも一つの仮説が生まれる。

 

 その前に、まず時系列をおさらいしておこう。

 シストル村の軍隊がポーコによって壊滅させられたとき、ダイスは『魔法連盟』に与していた。

 だから、兵士を持ち帰った。

 しかし不測の事態が起きる。——シュネル・ハークラマーの敗北。

 それにより発生した、ダイスの裏切り。否、手を引いたというのが適切か。

 なんにせよ、持ち帰るからシュネルの敗北までの期間はおよそ三日から四日。

 ——ダイスに、兵士に術式を刻む余地はある。


 だが前述の通り、彼らにルステラの『保存』を解く術はない。

 つまり、その時点で——ダイスが持ち帰った時点で、既に解かれていたとするのが自然である。

 ——何故か。


「フレン・ヴィヴァーチェ」

 

 フレンと戦ったときだ。

 あのとき、致命的なダメージはなかった。というより怪我はほぼなかった。

 だが、激化した戦いの中で、フレンが無意識に、魔法の繋がりを絶っていたとするならば、辻褄は合う。

 自身を半歩ズラし、フレンの攻撃を避けたときが怪しい。

 とはいえタイミングの考察は本筋ではない。

 重要なのは、彼女がそれをやったかもしれないということだけだ。

 

「フレンには言えないね」

 

 実際、荒唐無稽には近い。

 だが現状、もっとも可能性が高いのが、フレン無意識説だ。

 これこそ、フレンには口が裂けても言えないが、その説が一番安心できる。

 三賢人は、運が良かっただけということになるのだから。


「アレキス! 大体わかったよ!」

 

「なら、引きつけた甲斐はあったな。——ルステラ、ここは俺一人でなんとかする。行け」

 

 アレキスが視線で行先を示す。

 広場を抜けて、通りの最奥で聳える『魔法連盟』本部。おそらく、そこが一番戦力が足りてないのだろう。

 彼の判断なら、信用できる。


「死ぬなよ」

 

「死なないよ。アレキスが治してくれるから、死なない」

 

 きっと彼は勘弁してくれと思うのだろうが、それでも彼は必ずルステラを助けてくれる。

 肉が朽ちようとも、血が枯れようとも、彼がいれば死ぬまで死なない。

 彼の治癒魔法は、人を助けるためのものなのだから。

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