第二十六話『秘匿されたモノ』
よく、晴れた日のことだった。
その空の美しさは、これからのことを思えば、ひどく場違いだったように思える。
しかし、『魔法連盟』本部の本来の美しさを際立たせていたのは間違いがない。
どこか、俗世から隔離された空間だ。
大きな路が一本通っており、中間地点が広場になっている。そこを越えると、荘厳な建物である本部に辿り着く。
周囲を取り囲むように建つ家屋は、民草が住むためのものではなく、世界の魔法の発展に多大なる寄与をした研究室だ。
そこを主戦場にするのは、豪胆さか傲慢さか、あるいは思惑があってのことか。
きっとそうなのだろうと理解しつつ、しかし、踏み込まずに済ませることなどできない。
そして、踏み込んだからには、
「ここで、終わらせる」
広場の中央に聳え立つ碑石——その頂点に気怠げに座るネイアと、正面で勇ましく仁王立ちをするレーア。
両者を睥睨し、フレンは呼吸を整える。
「準備万端〜、って感じですね」
杖をフリフリと振りながら、ネイアはいつもの調子を崩さずにフレンへ語りかける。
否、怠そうな雰囲気に、僅かだけ勝ち気が滲み出た。
「ですが〜、あなたたちがそうなら、ジブンたちは準備億端です。——レーア、歪んだ盤面を正しましょう」
「ハッ、誰だろーがぶっ潰してやるぜ」
思惑と悪意と謀略で作られた舞台の上で、彼女たちは踊り始める——。
◯
——時は少し遡る。
フレンたちは『魔法連盟』本部に向かう馬車に揺られながら、作戦の最終協議を行なっていた。
とはいえ、メレブンとフラムは馬車の手綱を握っているので、本格的に会話を進めるのはフレンとルステラだけということになる。
その、ルステラが口を開く。
「まず、アレキスたちと合流するのはほぼ諦めた方がいいね」
アレキスとは連絡が取れたが、今なお別行動中なことには変わりがない。
もちろん、やろうと思えば合流もできななくはないが、それをするには、
「時間が足りないか……」
「そ。しかも、今回わたしたちはどこも経由せず本部に向かうからね。何もない場所で待ち合わせるのは、流石に難しいよ」
「やっぱり街とかに行くのはリスクが高いか」
「認識阻害でどうこうできないくらいには。実際、前にわたしは街で襲撃されてるわけだしね」
フレンはその場に居合わせなかったが、彼女が戦ったゴーマという男は、非常に強かったらしい。
もしもまた彼ぐらい戦闘力の高い人間に襲われたら、消耗は必至だろう。
彼の素性を鑑みると、その可能性は少ないとは思うが——、
「用心するに越したことはないな」
「だから、直接行くしかない。でも、距離的にはそんなに差がないから、日単位でズレるってことはないと思う。あっちの移動手段は魔導車だし、むしろわたしたちの方が遅いかも」
事前に合流は無理だが、目的地も目的地までの距離もそう大きくは離れていないので、戦力不足で押し負けるということにはならないはずだ。
「そこは着くまで分からない。ただ、やっぱり最初はわたしたち四人だけってことを覚悟しておいた方がいいね」
「その時は持久的な戦い方を心掛けるさ」
「転移を封じるまでは、ね。完全にあっち頼みだけど、無理だったら次善の策として……」
「メレブンだな」
転移に関しては、まだ不安が残る。
アレキスの協力者——手紙にあった名はラジアン・フォーミュラ。どこかで聞いたことがある気がするが、それはともかく、転移の件は彼にかかっている。
しかし、それが無理だった場合は、メレブンにその役目が託されることとなる。
「メレブンには交戦じゃなくて、マルティたちの救出を担ってもらうから、その過程で本部とかから転移に関する資料を奪取してもらう」
「資料があれば、逆算して封じる魔法も編み出せる……。本当にできるのか?」
言うは易いが行うのはベリーハードな案件な気がする。
そう思い、フレンは御者台に座るメレブンに話しかけた。
「自分ならって前置きは必要やね。結局はコインを裏返す方法を知ってるか知ってへんかって話や。大抵の魔法家はそれを知らへんねん。だからできへん。自分は知ってる。だからできる。簡単な話やろ?」
「そ、そうだな……」
「あまりピンときてない時のフレンだ」
「そんなことは……ある。逆にルステラは分かったのか?」
「一応、言わんとしてることは分かったよ」
やっぱり同じ魔法使い同士、理解の共有がシームレスなのだろう。
少しジェラシーである。
「ともかく、自分に任しとき。ケツ持ちぐらいやったるわ」
そう言って、メレブンは馬車の操縦に集中し直した。
謎馬は知能が高く自立して走行できるが、やはり誰かが見ておかないと心配ではある。
それに、
「あのコンビでマルティたちの救出をしてもらうから、今のうちに交流してもらわないと」
「そうだな。出会いが出会いだからな……。意外と波長は合ってるようだけど」
「フラムの歩み寄りに、どれだけ自分を許せるかってところだね」
御者台でフラムははしゃいでいるが、メレブンは引け目を感じている様子だ。
それにフレンがしてやれることはない。フラムが本気で拒絶したのなら、もちろん彼女の気持ちを優先するが、そうではない。
だから、フレンにできることはない。
「あっちの経過は見守るとして、そしたら、わたしたちでレーアとネイアだね。わたしがレーアで、フレンがネイアでいいかな」
「相性的にもそうだろうな。あとは……」
「——アメリ」
彼女がもし、本当に『魔法連盟』側だったなら。——内通者だったなら。
誰かが死んでしまうような選択を彼女が選び取るのならば、すなわち、
「アメリと対立することになったら……」
彼女が障害となるのならば——しかし、
「私はそれでも、アメリを咎めないよ」
「わたしも同じ気持ち。——それはそれとして、わたしたちにも夢がある。アメリじゃなくても、きっといつか覚悟しなければならなくなることなんだよね……」
それはレーアやネイアにも言えることだった。
フレンは別に彼女らを嫌いではない。
対立してしまったから、並び立つことができない限り、対立し続けるしかないのだ。
きっとそれはどうしようもないことだ。だけど、諦めてはダメなことなのだろう。
だから戦う理由はそこにある。
「なんにせよ、アメリのことはまだ分からないから、メレブンたちの『救出』で考えておくしかないな」
覚悟はある。
だけど、その覚悟が無駄で終わることを願う。
「疑問も疑念も尽きないが、私たち『七人』で——」
勝っても負けても、きっと大きく盤上が揺り動く。
「決着を、つけよう」
◯
開戦するまでもなく、戦いはすでに始まっていた。
正面で仁王立ちしているレーアと、石碑に腰掛けているネイアを交互に見て、作戦通りフレンはネイアに集中する。
広場から高く聳える石碑の頂上まで、一直線に蹴り上げながら接近した。
「綺麗な直角三角形ですね〜」
軽口を叩きながら、フレンの蹴りを杖で受け止める。
明らかにネイアの膂力を凌駕した一撃だったが、彼女にダメージは見受けられず、ふわりと石碑の頂上から離れるにとどまった。
「結構、神聖な石碑なんですけど〜。足蹴にするとはなかなか畏れ知らずですね」
「それは、お前も同じだろうに」
石碑に爪先を引っ掛けながら、距離ができたネイアの青い瞳と見合う。
警戒というより、下を見るのがちょっと怖い。高さもそうだが、思ったより足元が危うい。
「心では敬ってますから〜。なんて」
ネイアの攻撃方法はいまだ分からずじまいだが、先の交戦で彼女のことはよく分かった。
目線、会話の間、性質などから攻撃の予測は比較的容易だ。
しかし、なにより、
「欠けた右耳が疼くんでな」
完全に欠損した右耳は、ルステラでは治せない。
その戦闘の余韻が、フレンを突き動かす。
滑り落ちるように落ち、その途中で石碑を蹴って前に飛んだ。
しかし、無目的に飛んだわけではなく、
「フレたん!」
謎馬に乗ったフラムに声をかけられ、フレンは馬の尻尾に掴まる。
それに虚をつかれてネイアの反応が遅れる傍ら、
「ほな、後はよろしゅう頼むで」
メレブンがフレンの頭を飛び越えてネイアに手をかざした。
すると彼女の銀髪が浮かび上がって——否、高度が下がり始めて、
「——っ!」
「かませ!」
メレブンの合図で、フレンはしなる尻尾の力を借りて、ネイアと共に地面に落下した。
噴煙の中で、叩きつけられたネイアが身を悶えさせるのを視認し、フレンは警戒し距離を取った。
「流石に今のは〜、けほっ、死を、っ」
右側頭部から血を流しながら、ダメージに耐えきれず苦鳴を漏らしていた。
メレブンの魔法の効果が絶大だった証だ。
彼が魔法の効果を消してフレンが攻撃するプランはあらかじめ決めていたものだ。
だから最初は、彼に倒してもらうことも提案したが、
『アホぬかせ。わけ分からんもん消し続ける狂った戦いできるかいな。最初にかましたら、後は対策される。ほんなら、避けられるフレンちゃんの方が適任や』
とのことらしい。
実際もっともなことではあるので、特に反論もなかった。
ともあれ——、
「これで、おあいこだな」
顔の右側に負傷を抱える者通しになった。
フレンは右耳が欠けて、ネイアは瞳が割れて——、
「——!?」
何かが蠢めくように揺れて瞳が再生した。——瞳だけが、再生した。
さらに再生した瞳も元の青ではなくて、鮮血に塗れる顔でも存在感を失わないほどの、どす黒い紅だった。
「——な」
ネイアが小さく何かを呟くと、彼女を中心に全てを凍てつかせる氷結が殺意と共に波濤する。
「——っ」
左肩を掠めながら避けると、頭上で待ち構えたネイアが何もかもを削り取ろうと杖を向ける。
その射線を空で身を翻し逃れる。そのまま転がりながら距離を取り、彼女を見上げる。
目を惹くのは、血で染色された銀髪。それと、
「見られるとは〜、ジブンも運が悪いですね」
先ほど見えた紅の瞳を隠すように、彼女は氷で作った眼帯を右目に当てていた。
彼女の言葉には重みが少なくとも、フレンは理解した。
——きっと、彼女の触れてはいけないところに触れてしまったのだと。




