第二十四話『宣戦と宣誓』
相見えてから敵対し、戦闘し続けていたネイア・アナリシス。
存在自体を感知していなくとも、いる予感はあったレーア・ジオメトリ。
まだ全容の見えない、想定外の闖入者であるダイス・アルジェブラ。
いったい誰から対処すれば━━、
「━━ああ、もう、知らないからな!」
そう不満とも憤慨とも取れる気持ちを吐き出しながら、最初に対処したのはレーア・ジオメトリだった。
何か確信があったわけではない。ただ、彼女がダイスの命を脅かそうとしていた。
だから、フレンは動いたのだ。
「ふっ」
飛来するレーアの腕を取り、地面に組み伏せる。
関節を捻りながら叩きつけ、浮き上がったところを横に蹴って━━、
「振り抜いてはダメだ!」
ダイスの声が届く。しかし、フレンの蹴りはそれよりも早くレーアを━━砕かなかった。
見れば、膝から先の脚が失われていて、
「━━っ!」
直後、フレンは苦鳴を噛み潰し、超速で廊下の外へ飛ばされていた。
理解を成し遂げる前に、外で滞空していたネイアとぶつかりそうになる。
「ちょ、流石に無理です~」
当たって砕ける直前、ネイアは転移を発動し間一髪でフレンを避ける。
最悪、殺しかねないスピードだったので避けるのは正解だが、しかし、フレンの身体から勢いが減衰することはなく、美しいまでに直線を描いて飛んでいく。
だが、ネイアと邸とフレンが一対二ぐらいの距離になったとき、フレンは優しく受けとめられた。
背に感じるのはのは、生命の源である大地。それが浮かび上がりフレンを受けとめた。
「他に拘うなんて余裕じゃねーか」
フレンを受けとめるのに意識を割いたダイスは、復帰するレーアの猛追を受ける。
地雷原を走り抜けているかのような爆音が鳴り響いていた。
「さてと~、いい感じに分断されましたが……」
「━━さっき、触れられたな」
浮かぶ壁面の大地から伸びている根に片足で立ちながら、フレンは手に架かる一筋の光を見つめる。
それは陽光を吸い込み輝く、美しいネイアの銀髪だった。
「思えば、避けたのも妙だ。避けたということは接触の可能性があった……」
「━━━━」
「案外、簡単に届くかもしれないな」
光明━━ネイアの髪ほど細いものだが、それでも一本通ったのは確かだった。
「な~に勝ち誇った顔をしてるんですかぁ~。まだまだ、遠いと思いますが?」
「そうだな。━━だから、近づけていく」
根を起点に背面跳びをし、大地の裏側に回り込む。そして、その上半分を散弾のように蹴り飛ばした。
当たれば確実に血煙になるような攻撃だが、もちろんネイアには当たらない。
消滅する。消滅していく。だが、それはネイアの正面にあるものだけだ。
「露骨に見せれば対処は可能と━━」
大地の一粒がネイアに到達したのを観測するのと同時に、フレンは残しておいた下半分を足場に飛び出す。
正面切って━━ではなく、ネイアを越えた土塊の一つにだ。
そして、そこに爪先をかけて空中で旋回。死角からネイアを掴んだ。
「そん━━」
「落ちてこい」
空中戦の利を阻害するため、ネイアを邸の方向に投げ飛ばす。
しかし、貫通してしまいそうな速度のネイアを、レーアが衝撃を受け流しキャッチした。
━━その隙をダイスが逃さない。
「━━━━」
自分ごと大地を押し上げて、屋根を突き抜けたところで止まる。その隆起した大地から蔦が一本伸びて、フレンはそれを伝ってダイスたちに合流した。
「無茶を言うが……ここからは合わせてほしいのだよ」
「だいぶ無茶だな。だが、任せておけ」
地に足が付いている状況ならば、一番速いのはフレンだ。早急に立て直し、レーアに向かって突貫する。
しかし、
「避けたな?」
レーアはネイアを抱えたまま、転移を発動する。
二人には何故か攻撃が当たらない。しかし、彼女らは回避も行うのだ。
そこには条件が必ずある。
それを解明するためにも━━、
「使いたまえ」
フレンの行く手に、ダイスが先んじて土を固めて作った剣を、空に描いていた。
その柄を握りしめ、この剣が生み出せる最初で最後の斬撃を放つ。
━━世界がぶれるような衝撃とともに得られたことは二つあった。
一つ目は、やはり衝撃に耐えきれず剣が消滅したこと。
二つ目は、その斬撃が彼女らに届かなかったことだ。
しかし斬撃は消滅したのではなく、二分され、邸を縦に切断したのだった。
「レーアの魔法に関して、一つ事実を教えておくのだよ」
「攻撃が当たらないやつか?」
「いかにも。━━あれは、位相の変換だ」
フレンが吹っ飛ばされたのも、位相が変えられたと聞けば説明がつく。
つまり、フレンは自分の蹴りを自分で受けたのだ。
「できればもっと早く言ってほしかったな」
「申し訳ないとは思うのだよ。しかし、相性を量りたかったのだ」
「相性?」
「そう━━」
「━━アタシらのこと、べらべらしゃべってんじゃねーよ」
空間が撓み、不自然に切り取られたレーアの腕が伸びてくる。
それを脚で跳ね上げて、本体に向かおうと━━、
「━━待つのだよ」
ダイスの囁き声が、風に乗ってフレンの耳にだけ届く。
「最低限の情報だけ語るが……全力の君とレーアが戦えば、君以外の全てが死ぬ」
「━━━━」
「後は君の判断に委ねる」
レーアに向かう足を加速させ、フレンはネイアに焦点を合わせた。
投げ飛ばしたときのダメージはない。だが、一矢報われたが故の躊躇いはネイアに植え付けられた。
「死角を作らないように必死だな」
「どう思ってくれても~。それが一番強いので」
煽りには対して乗っかってこなかったので、行動で焦らせることにする。
フレンは屋根を滑り降り、邸の最上階の窓を突き破って、まだ無事な廊下に入る。
目の前の扉を引きちぎり上に投げて、途上の家具も蹴り上げて、フレンは向かいの窓を破り屋根に戻った。
━━同時に、下から家具が飛んでくる。
粉砕した屋根も舞い散って、目眩ましになった。
「━━━━」
ネイアがフレンを見失ったのを、逃すほど愚かではない。
万物を切り裂けるような手刀を構えて、致死にならない程度の力で振り抜いた。
━━それが、盛大に空を切った。
外したのではない、避けられたのだ。
ネイアは視認していない手刀を回避すると、フレンに手を伸ばしてくる。
触れてはいけないと直感しているのに、咄嗟に避けられない。
未知の死香がやって来て━━、
「━━セイル・レーン」
魔法の詠唱とともに、超高圧の水が列をなしてネイアを切り裂かんと襲う。
致命的な一撃は当たらないが、意識はそっちに向かった。その隙に手首を払って、危険信号の発生源を遠ざける。
それから、魔法を使ってフレンを救ってくれた人物に目を向ける。
「フレンちゃん、結構危なかったんとちゃうん?」
「メレブン! それにフラムも! あと、変な馬!」
いまだ正体の分からない馬にフラムが跨がり、メレブンは背に立っていた。
「フレたん! フラムたちも戦う!」
一度、逃がしたフラムが復帰してくる。正直、危険な場所だから来てほしくはないが、メレブンが一緒で彼が連れてきていいと判断したので、それを信用する。
その代わり━━、
「メレブン、ちゃんと守れよ」
「もちろんや。任しとき」
━━ネイアには、まだ隠している切り札がある。
「当然と言えば当然か……」
そうぼやきながら、フレンは気を引き締め直す。
さっきのはまさに間一髪だった。だが、それだけではない。
今度は立場が逆転した。━━躊躇いを植え付けられたのは、フレンの方になってしまった。
「互いに厄介ですね~。レーアの方ほどじゃないですけど。━━あの子はまた、別のアレですけどねぇ」
視線の先にはレーアとダイスと━━ルステラが居た。
距離的には離れていないが、とりあえず分断は成功している。
しかし、あちらは少し噛み合わせが悪そうだった。
「ちょっと、大雑把すぎるのだよ。ワタシも巻き込むつもりかい?」
「頑張って避けて」
二十ばかりの火球が発生し、ルステラを起点に拡散する。
それは乱れながらレーアの行く手を阻み、止まった彼女をルステラが追撃した。
「へぇ、あんたもそういう戦い方か」
「よく驚かれるよ」
足裏を腕で受け止めるが、パワーの差が大きくレーアは吹き飛ばされる。
並みのパワーでは、ルステラの徒手空拳を捌くことはできないのだ。
浮いたレーアの身体が、乱れ飛ぶ火球の一つに激突━━否、どちらも目の前から消滅した。
火球の方は、視界の端から迫っているのが見えて━━、
「━━レーアを!」
ルステラは山勘で回し蹴りを放つ。手応えを手繰ると、腕を上げそれを受けるレーアの姿があった。
今度は飛ばされないように、しっかりと足腰に力を入れていた。
一方で火球はルステラに到達する前に、ダイスが水で包み込み無力化させてくれていた。
「流石の身体能力って感じだな。恵まれてて羨ましいよ」
「……どうだろうねっ」
振り上げた脚を戻し、ルステラは下から拳を振り抜く。しかしそれは、レーアの頬を掠めるに終わる。
続いてレーアは、振り抜かれた腕を取りルステラを投げ飛ばす。
「どん」
レーアが呟くと、ルステラの鳩尾を中心に爆発が発生する。
その爆風を風で散らして、内部からお返しに炎を弾丸のように射出した。
「ちっ」
落ち着いた薄紫色の髪を広げながら、レーアは最小の動きで回避。位相を転換し炎の弾丸を、持ち主のもとへ帰らせた。
「━━ワタシは消火係じゃないのだけれどね」
炎の弾丸はダイスが水で包み込んで消してくれる。そのおかげで、逆さまだったルステラは安全に着地できた。
実際、飛んでいるものを捕捉して魔法をぶつけるというのは、並みの魔法使いなら行えない。
━━彼の魔法技術。その一点だけは確実に信頼できる。
「……そう言えば」
忘れていたが、彼は転移を封じるという提案をしてきたことがある。
フレンはそこが引っ掛かり、信用が切り崩されたと言っていたが、この状況に陥ってしまった以上、頼るべきではないのだろうか。
たとえ、交渉決裂の一因になったと言えど、技術的な観点から見れば有効なのは確かだ。
「ねえ、ダイス。転移封じはどうなったの?」
一応レーアに聞かれないよう、編み終わった転移術式を用いてダイスの隣に移動する。
転移を用いながら、対抗策を当てにするというのは変な感じだが、一旦棚の上に置いておく。
「ちょうど、ワタシも同じ話をしたかったのだよ。……そのことに関してだが、今は条件が整っていない」
「どうやったら出来る?」
「結界を構築するために土地の範囲を導出したい。だが、きっちりでなくともある程度の精確さが求められる。……はっきり言って無理なのだよ」
「━━━━」
「だから、ここでの理想は退かせることだ。━━来る」
弾丸のようにレーアは真ん中に飛んでくる。おちおちと話し合いもしていられない。
術式を編みながら、ルステラは必死に思考する。
退却という浮かび出たプラン。しかし━━それはダメだ。
退けば彼女らは強行してしまう。ノンダルカス王国への侵略を、強行してしまう。
━━ダイスの存在が生み出したモラトリアムは、既に失われたのだ。
「ダイス!」
首を振るジェスチャーで、さっきのプランに対する回答をする。
届きはしたが、レーアがダイスの方へ向かってしまい、さらなる反応は返ってこない。
「わたしは━━」
ここでちらっとフレンの方を見る。あっちもあっちで激戦だ。
攻めきれないのは、やはりネイアの魔法の原理が判明していないからだろう。事実、フレンは既に耳が欠損してしまっているのだ。
だが、このまま戦っていればいずれ━━、いずれ━━。
「━━わたしもちゃんと、いるんだからねっ」
レーアの脚を刈って、浮かせたところを暴風で吹き飛ばす。
数メートル遠くにやって、その間にルステラはダイスに近づいた。
「魔力残量だよ!」
一度は取り下げた案を、別の論拠を挙げて復刻させる。
「なに?」
「今、二人は相当使ってるはずだよ。だったら退いても、すぐには立て直せない」
「つまり……」
「猶予ができる」
転移という反則技を禁止することができない以上、彼女らはほぼノーリスクでルステラたちと戦い続けられる。
だが、戦えば戦うほど彼女らの力は制限されていくのだ。
だからこそ、味方のことも考えて、あえて退かせるというのは妙案だった。
━━ちなみにルステラの魔力は、特殊な事情で勘定しなくてもいい。
「体感で後どれぐらいだと思う?」
「半分強といったところなのだよ。しかし、あまり追い詰めすぎると彼女らも本気を出してくるだろう」
「むしろ、好都合なんじゃ……」
「ここにいるのが、フレン・ヴィヴァーチェのみならそうなのだがね。━━この混線具合ならば、綻びが出て死者が生まれる」
カバーすると言っても、やはり限界はある。
なおかつ、ダイスが想定してる死者はレーアとネイアも含まれているだろう。
彼の信用は、大して交流したわけでもないのでほぼ変動していない。
しかし、現在、彼は彼女らと敵対しているのは確たる事実となった。戦いの中で、彼の語ったことも大方回収されていた。
なればこそ、彼の彼女らに対する気持ちも無視はできない。
死人は出せない。
「でも、どうやって退かせる? どうやったら損益を与えられる……?」
「いやいや、ここは発想を転換させた方がいいのだよ。彼女らには……」
「━━ずいぶん仲良くなったみてーだな」
復帰してきたレーアが、二人の間を破り裂く。まさに破裂だ。
もはや屋根とも呼べぬ頼りない駆使して、どうにかやり過ごす。
片やダイスは空に大地を生成しながら、直線まっすぐフレンの方へ走っていた。
「行かせねーよ」
走るダイスに立ち塞がるはレーア。彼女は、いつも一番に彼のところへ向かっていく。
「そう言えば、レーア。魔力の程度はどうなんだい?」
「てめーに教える筋合いがあるかよ」
このとき、この瞬間、この刹那、レーアの意識がネイアの方へ向いた。 おそらく、誰も気づかないであろう微細な反応。
━━ただ一人、ダイスだけがそれに気づいていた。
何故なら、彼は意図的にそれを呼び起こしたのだから。
「ああ、君は……」
レーアが腕を伸ばすが、しかし、肘から先は観測できない。その先は空間を越えて、別の場所に出現しているからだ。
別の場所。
攻撃意思があり、なおかつそれが起死回生の一手になり得るのであれば、切る場所は一つに集約される。 フレン・ヴィヴァーチェ。
彼女を排除するだけで、勝利は確約されるのだから。
だから、レーアは、
「━━━━」
腕の先が遠いところ━━フレンの背後に現出する。
残った手足でレーアはダイスの牽制だ。
悟っても届かせないためのものである。
実際、ダイスはフレンのところには届かない。だが、目の前のレーアには届かせられる。
だから、ダイスの勝ちだ。
「アズ・ミレ━━」
「━━君は本当に単純なのだよ」
ダイスは捨て身で、レーアの作った捻れた位相に腕を突っ込んだ。
爆発が、衝撃が、破壊が、粉砕が、全身を襲おうとも、彼は歩みを止めなかった。
そして、異なる位相の先の手の中で、二人は指を絡め合う。それは、あるいは情熱的とも呼べるもので、
「━━ルム」
魔法の詠唱が完了し、世界はその通りに変換される。
アズ・ミレルム。それは、特定の物を世界から切り離す魔法。
すなわち、
「ダイス……?」
指定した対象の封印だった。
レーアが捻れた位相から手を引き戻すと、そこには刺々しい結晶が握られていた。
その瞬間、ルステラは脳内にあらゆる考えが巡った。
ただ一つ言えることは、
「そんなの……」
ルステラは動くことを諦めたのだった。
何かを成し遂げたように、遠ざかっていくレーアたちを、空中機動力のあるフラムが追いかけようとして、メレブンが必死に止めていたのが見える。
そうだ、追ってはいけない。
追っても無駄だから。
「損ではなく、得を与える……」
発想の転換とは、すなわちそういうことだ。
彼女らを退かせるために、ダイスは身を切った。
退却に賛成はした。だが、だが━━、
「━━そーしとけ。アタシらもこれ以上やり合うつもりはねーよ。予定通りとは言えねーが、概ねここでやることは終わった」
「━━━━」
「だから、次は『魔法連盟』本部でだ。せっかく勢揃いしてんだからな。失ったもん取り返せなくなる前に、正面切って来るのがいいと思うぜ」
「━━改めて宣戦布告ってことかいな」
「それもあるが、半分は宣誓だな。━━アタシらが勝つ」
「ええ度胸や。ちゃんと負かせたるよ」
今度こそ完全にレーアとネイアの姿が消える。
ルステラは、困惑で呆然とするしかなかった。
今のは本来、存在しなかったはずの会話だ。
彼女らが、もうルステラたちに拘う理由は無くなったのだから。
そうでなければ、何が掛け違っている。
そして、それはたぶん━━フレンが死を失敗するところまで戻らないと、修正できない気がした。
「とりあえず安心やー、なんてアホみたいなこと、流石に呟けんやろね」
「むしろ状況は悪い……のか? 私は間違えたのか……?」
「あるいは、間違えてたかやね。さっきは乗っかったけど、あの態度は明らかに変や。助かった事実があるとはいえ、目の前の幸運は総じて落とし穴や」
「かといって、踏み出さない選択はない。……アメリたちのこともあるだろうしな」
「やっぱ、分かるん?」
「不自然なほどに出てこないとなるとな……。言っとくが放置するとかないからな!」
「分かっとる分かっとる。フレンちゃん含めたら満場一致や。そうでなくともこれは譲れん」
結局のところリアリストのような振る舞いをしていても、メレブンは従兄であるのだろう。
「だから、ルステラ……ルステラ?」
「ん? ごめん、ぼーっとしてた。なに?」
「『魔法連盟』の本部に行くしかないって話だ。私はもうこれしかないと思う」
「そうだね。行こっか。━━今度こそ、決着をつけよう」
運命が。
瞼の裏のどす黒い運命が、ルステラたちを嘲笑っている。
嗤っている。
だけど、その張り付くような嗤いを、ルステラはどうすることもできなかったのだった。




