第二十二話『転回』
フレンは決して、平穏などと思っていてはいけなかったのだと、回顧して悔恨する。
相手に主導権を握られる恐ろしさは、フレンが一番知っているのだから。
「あっかんわ……」
特有の訛りを使いながら、男は机に突っ伏す。鈍色の髪がだらしなく机上に広がった。
心なしか疲れも溜まっているように見えた。
「どうぞ、粗茶ですが」
「ありがとぉな、アメリ……って、フレンちゃん!?」
頬を机上に滑らせながら、メレブンは首を傾ける。その視界に思っていた人物ではなく、フレンが写っていて驚かれた。
「まさか、フレンちゃんが淹れてくれたん?」
「いや、私はアメリの代わりに運んだだけだ。そもそも茶の淹れ方など私は知らん。アルトがやってくれてたからな」
「アルトちゃんはちょっと、甘やかしすぎやわ……」
アルトの淹れる茶は絶品なので、ぜひともまた飲みたいものである。
そうして味を思い出している横で、メレブンは頭を起こして紅茶を口に入れた。
「うん、美味やね」
「━━さっきは何をぼやいていたんだ?」
「一息つくって、ほんまに一息なことないやろ!」
休憩の一歩目が地面に着くか着かないかぐらいで、最初のぼやきを回収しようとする。
一息でも待ってあげれば十分だろう。これから戦うってわけでもないのだし。
「別に大したことやないで? ちょっとシュネルはんから返事が返ってこんなぁって、思ってただけや」
「慎重になってるだけじゃないのか?」
「実際、それもあるとは思うで。元々、事態はシュネルはんとフレンちゃんを支柱にして、螺旋状に連なってた。やけど、その二つの支柱が消えて、各地の思惑は拡散されて宙ぶらりん。間違っても、間違えられへん」
複雑化する事態の終着点は、本来、定められていたのだ。
それを無理矢理解き放ったせいで、最善にかかる重さが激変した。
「とはいえ、それでもやや変よりかなとは思うで。そも、『魔法国家』におる理由は、リミットの引き延ばしや。でも、上限も下限も分からんまんまなんは変わってへんさかい、早く動かせるんなら、それに越したことはあらへん」
「だが、シュネルは次の一手を示してこない」
均衡も抑止もどこまで作用して、どれだけ継続されるのかは不明瞭だ。
そもそも今フレンの手元には、二つの抑止力がある。━━レガートとダイスだ。
後者は自己申告で一週間、前者はそれすらもない。
それに関してもシュネルから何かあればと思ったが、ないなら仕方がない。
「━━なら、私たちで考えるしかない」
初めからシュネルにフレンを助ける義理はないし、そもそも助けることもできない。
フレンが勝手に、自分の夢を彼にも見てほしいと願っているだけだ。
証明は、そして実現は、何より自分達の手でしていくしかないのである。
「せやね。今一度、ちゃんと会議でもやりまっか。なにか提案がないわけとちゃうしな」
「なら、ルステラたちを呼んでくるよ」
「頼むわ」
ルステラとフラムは一緒に、上の階に居たはずである。
だからまず最初に、同じ階の台所にいるアメリとマルティを呼びにいく。
さっき通りがかったときは、まだ作業をしそうな感じだったので、まだ残っているとは思うが━━、
「あれ? どこ行ったんだろ」
台所にアメリたちの姿はなく、フレンは回れ右をする。掃除の時間帯ではないので、おそらくは部屋に戻ったと思われる。
なので覗いてみたが━━、
「いないな」
アメリたちが見つからないので、フレンは探すのを後回しにして、ルステラたちの方へ向かった。
「フレたん!」
部屋に入ると、フラムからの熱烈な歓迎を受ける。腰に抱きついてくるフラムを撫でながら、ルステラと目を合わせる。
「どうかした?」
「少し会議をすることになってな。呼び出しにきた」
「了解」
床に正座していたルステラは、膝をはたきながら立ち上がった。
「魔法を教えてたのか?」
「そうだよ。進度については……ま、楽しみにしといて」
「フレたん! 期待しててね!」
どうやら、魔法授業は順調らしい。
まだフラムの適性すら教えてもらってないが、それも含めて楽しみに待つとしよう。
「そういえば、アメリたちを見てないか?」
「アメリとマルティちゃん? 見てないし、来てないよ」
「フラムも見てない!」
もしかしたらルステラたちのところに居るのではないかと思ったが、来てはいないらしい。
すると、ますますどこへ行ったのやらだ。トイレだろうか。
「いないの?」
「まだ見つかってないって言うのが正しいな」
「まあ、入れ違いの可能性もあるし、とりあえず行こうよ」
「そうするか」
フレンはフラムと手を繋いで、廊下に出た。
手入れの行き届いたカーペットは柔らかく、安心感を与えてくれる。等間隔に飾られた花々も瑞々しく、歩くだけで心が豊かになっていくようだ。
磨かれた窓は光を正確に屈折させ、フレンたちを照らし出してくれている。
支柱で陰り、また光に躍り出る。陽日がフレンの暁色の髪を透かして煌めかせた。
━━破壊の奔流がフレンを襲ったのは、同時のことだった。
○
透き通る髪を、鮮やかな血が染色していき、余った液はカーペットに滴り落ちる。柔らかなカーペットがフェルト化してしまうのをひどく申し訳なく思う。
「あらら~、外しちゃいましたか」
破砕された窓の向こうから、気の入ってない声が聞こえてきた。
前下がりに切られた銀髪を指で弄くっている女だった。彼女は片手に杖を持ち、中空に膝を曲げて座っていた。
「魔力~、ケチらずにもっと大胆にいけばよかったかもですね」
淡々と反省を述べると、女は杖の先端をフレンたちに向けてきた。
「正面切って来るなんて、上等だね」
杖の照準にルステラが割り込み、女の三倍もあろうかというサイズの火球をぶつける。
その中心に、ちょうど女がくぐれる穴が開いて━━、
「━━まだだ!」
フレンは叫びながら、フラムとルステラを掴み横に跳んだ。
彼女の攻撃方法は不明だが、下半分を削られた右耳の痛みが、フレンの嫌な予感を掻き立てた。
「流石~、やっぱり一回見たらお手のものって感じですかね」
「勘だけは昔から……。っ!」
「フレン!」「フレたん!」
右耳に痛みが鋭く入って、返答の途中で声が詰まってしまった。そんなフレンを心配して、守られた二人は支えてくれた。
「大丈夫だ。見た目ほどじゃない。それに、こうして話してる余裕もないみたいだ」
窓の外の女から再度攻撃を受けて、廊下が横に削られていく。フラムを抱えながら避けていくが、無論それだけでは勝てない。
故にフレンは抱えたフラムをルステラに引き渡して、
「二人はここから離脱して、メレブンのところへ。あいつは私が抑える」
「魔法使い相手ならわたしが……」
「フラムも、フレたんの役に立つ!」
「いや、私の方が向いている。ルステラも分かったはずだ」
さっきの攻撃で、ルステラは反応できていなかった。
フレンも女の力を解明できたわけではないが、だからこそ勘の働くフレンの方が相手取るのにに適している。
「フラムは残る!」
「ダメだ」
「なんで!」
「━━フラムはまだ子どもだから」
慈しむように、血の付いていない方の手で愛しい愛しいフラムの頬を撫でる。
そして、
「ごめん。止血しかできないけど」
「それでも大助かりだ。━━メレブンは自室に居る。合流してくれ」
ルステラはフレンの流血を止めて、フラムと退いてくれた。
その背中に茶々を入れられないように女を警戒する。
「熱烈ですね~。何もしませんよ。こちらとしても三対一は嫌だったので、実は嬉しかったり」
「私と戦って勝つつもりか?」
「いやいや~、それは流石に。とはいえ簡単に負けるほどやわじゃないですよ。一応、矜持はあるので」
杖を構え直す女に合わせて、フレンも戦闘の気を高めていく。
耳はまだ痛むが、無視できる範囲だ。問題はない。
「━━三賢人が一人。ネイア・アナリシス。どうぞ、よしなに」
合わせられる杖の先端が、フレンの眼前を貫いていった。
○
ネイアの襲撃は驚くべきものであったが、同時刻、メレブンにも別の驚きがもたらされることとなる。
フレンを見送り、空に思案を描いていたときだった。
━━背後で、爆発音が聞こえたのは。
「いないか……。アタシも運が悪い」
ずけずけと遠慮もなく、招かれざる来訪者が入ってくる。そもそもここは二階だ。
マナーや礼節が著しく欠けた行為だ。
「さて……」
「━━こらこら、ご客人。玄関はそこやないよ」
椅子ごと飛び上がり、女にその存在を露にする。足を組み、傲岸不遜に見下してやると女は不愉快げに鼻をならした。
「王国一の魔法使い。メレブン・ラプソード……ッ!」
「王国一やなんて恐れ多くて名乗られへんわ。ちょこーっと才能に恵まれただけの、ただの凡人や」
「━━━━」
「もっとも、そんな凡人に負けたら、君も言い訳つかんやろうけどね?」
「……ッ、お前ッ!」
「目的明快。なら、だらだら喋るとかアホやん? 欲しいもんはその手で掴まなな。レーア・ジオメトリ」
女━━レーア・ジオメトリを、メレブンは挑発する。
ここまでやって来ている時点で、無駄な会話は悪手だろう。
フレンは大丈夫だろうが、ルステラも遅れを取ることはないだろうが、特にフラムとマルティとアメリが心配だ。
フラムとマルティは言わずもがな子どもだし、アメリも戦いの心得がないではないが、国家の要と渡り合えるほどではない。
安否確認は何よりも優先すべきなのだ。
「フレンちゃんなら……」
彼女は、襲撃される直前に皆を集めていた。
そしてレーアが来ているなら、ネイアもいると断定していいだろう。故に、フレンの方にはネイアがいるはずだ。
襲撃のタイミングが同じだとすると、フレンが部屋を出ていった時間から推察するに、フレンの所には全員がいる。
そこから思考を発展させ、フレンの行動を予測する。彼女はたぶん、皆を逃がしてタイマンに持ち込もうとするだろう。何故ならそれが一番強いから。
ならば━━、
「自分は動かん方がええね」
役割を正確に把握して、メレブンは立ち位置を明確化する。
おそらくルステラたちが合流してくるだろうから、下手に動くと余計なすれ違いが起きそうだ。
「おっと」
宙に浮く椅子に足を組んで座っていると、レーアは跳躍しメレブンの顔めがけて殴りかかってきた。それを椅子ごと旋回して避ける。
「君、魔法使いやのに近距離タイプなんや。そういうの流行っとんの? 正直、やめてほしい潮流やねんけど……」
「何と比べてんのかは知らねーが、アタシみたいなタイプは珍しいだろうぜ。魔法使いが一番嫌がることやってるからな」
「ホンマ嫌やわぁ」
言わずもがな、魔法使いは近距離戦闘に弱い。ルステラの身のこなしはイレギュラー中のイレギュラーなのだ。
だから基本的に、メレブンは相手と距離を取ることに躍起になる。過去アレキスと相対したときも、ルステラと戦ったときもそんな素振りは見せなかったので、やや説得力に欠けるが。
「動きが鈍いぜ」
レーアの拳が椅子を掠め、その接触面から爆発が膨れ上がる。
使い物にならなくなった椅子から離脱すると、回り込んだレーアの前蹴りがメレブンの鳩尾に突き刺さり、
「ぐ、ぁ」
溢れる爆発がメレブンを包み込んだ。
空中でもらった爆発は、そのままメレブンを壁へと打ち付ける。
━━しかし、レーアの追撃は終わらない。
「あんたは殺しといた方がいいからな」
肩、腕、足、膝と順番に攻撃されていき、最後に━━、
「━━顔やろ」
飛んできた拳を受け止める。しかし、レーアの打撃はおまけに爆発がついてくる特別製だ。
だが、爆発は起きない。かつて考案した、魔力を分解する魔法━━。
「スペル・ゼロと、どんなもんでっか」
「━━━っ」
「あきまへんで」
距離をとろうとするレーアを、メレブンの指が追いかける。
掴んでいる手をなぞるように親指を滑らせ、レーアの額を親指で押した。
「てめー、これは……っ」
「ちょこまかされると不利やから、封じさせもらったわ。動き」
レーアが拳を突きだした間抜けな姿で、彫像のように硬直する。
接近戦が不利だとわかっているのなら、対策を講じていて当然だろう。
彼女は対策の対策を怠った。━━否、出し渋った。
だから━━、
「君の負けや」
その勝利宣言と同時に、部屋の扉が開け放たれる。
先に居たのは麗しい白髪の女性と、それに抱き抱えられる紅髪の稚けない少女。
少女━━フラムは、入ってくるなり血相を変えて叫んだ。
「油断しちゃダメ! まだ、終わってない!」




