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暁の史記  作者: 焚火卯
三章
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第十七話『バーゼル侯』

「改めて紹介する。俺がドモルで、こいつはガンズ」


 金髪の男━━改め、ドモルは順にアレキスへ紹介を済ませる。

 そう言えばドモルの名前は聞いていなかった。紹介されるまで失念していた。

 あの後、アレキスは二人と合流し、今は酒場に来ている。酒場というと、客が気になるが━━、


「安心しなよ、お前さん。ここにお前さんを恨むような奴は入って来ないさ。まあ、そもそもあんな試合を見た後で、お前さんに歯向かう度胸がある奴はいないだろうが」


「……、同感だな」


 酒杯を呷りながら、ドモルはアレキスの不安を潰す。

 あまりそういう態度は出さないようにしていたが、気取られてしまったらしい。彼は存外にも人をよく見ている。


「試合といえば、お前さんのアレは何だったんだ? 正直、終始ハラハラさせられっぱなしだったぞ」


「アレとは?」


「殴られて、立ち上がっての繰り返しのことだよ。……本当に身体は無事なのか?」


 心配そうに全身を一見するドモル。当然、外傷なんか見つかったりしないだろう。

 理由は明確で━━、


「ああ。治しながら闘ってたからな」


「治してたって……お前さん、治癒魔法を使ってたってことか!?」


「それ以外に何がある」


 大して隠すことでも、引っ張るような話題でもないので、アレキスは堂々と明かす。


「……、まさか俺と闘ったときもか?」


「もちろんだ」


「へぇ、俺はてっきり上手く受け流したんだと思ってたが、治癒魔法なら納得……とはならんだろ。そっちの方が規格外だ。いくらここが『魔法国家』と言えど、限度があるだろう」


 戦闘しながら治癒魔法を回すというのは、一流の魔法使いと言えど出来るのは限られてくる。

 仮にできたとしても、アレキスの様に致命傷を全快させながら動くことはできない。ルステラなんかも、治癒魔法を使えるが、そこまでの制度は出せない。


「━━お前さん、もしや元三賢人とかなんじゃないか?」


「……ほう」


 訝しむ様にグラスを突きつけてくるドモル。彼の様にグラスこそ突きつけなかったが、ガンズも似たり寄ったりのことを考えているようだった。


「十数年前、三賢人が一斉に変更されただろ? 見たところお前さんは、三十ちょいってとこだ。年齢的にもあり得ない話じゃない」


「━━━━」


「とはいえ目的まではさっぱりだが。どうだ? 俺の勘的には、そこまで大外ししていないと思うんだが……」


 ドモルは沈黙するアレキスの様子を窺う。沈黙をしていたアレキスの返答待ちだ。

 アレキスが元三賢人というのは面白い仮説だ。実際、治癒魔法の技術だけ見れば、世界の中でもアレキスを上回る奴はなかなかいない。

 仮にアレキスと並び立つなら、『魔法国家』の叡知を得てやっとというところだろうか。治癒魔法について、どこまで研究が進んでいるのかは知る由もないが。

 と、そういう思考の進め方をすればアレキスに対する予想も頷けるが、答えはもちろん━━、


「一つもかすってないな」


「隠してる……ってわけでもなさそうだな。ってことは、俺が間抜けさらしただけか。……魔法連盟の関係者ってわけでもないんだな?」


「違う」


 最後の悪足掻きも否定され、ドモルはお手上げと肩を竦める。そしてそのまま、隣のガンズに振った。


「ガンズは、どう思う?」


「……、さあな」


「連れねぇ!」


 ドモルは振って早々に突き放される。

 酒が回ってきたのか、やいやいと若干騒がしくなるドモルを捨て置いて、ガンズはアレキスに向き直る。


「……、お前が何者でも、今さらどうこうという気持ちはない」


「それは結構だが、そんな簡単に信用していいのか?」


「……、お前は約束を守ってくれた。それだけで十分だ」


 ガンズは袋からいくつかの金貨を取り出して握った。

 実は額が額だけに、全て換金しきれてはいない。ルートへの掛け金が莫大なため、バーゼル領の財政を圧迫することはないだろうが。


「……、やはり半分はお前が受け取れ」


「いらん。元よりそういう約束で、俺をここに居れたんだろ」


「━━━━」


「それとも、約束を破るのか?」


 アレキスは金以上のものを、既に二人から受け取っている。

 彼らの本質が悪でないと、それを知れただけで十分だった。


「やっぱり、お前さんは変な奴だ」


 グラスを持った手で指差しながら、正当な評価を下す。

 変人だろうと奇人だろうと、約束を守れるなら何でも構わない。


「受け取れないというのなら、その金を寄付しろ。孤児院とかあるだろ」


「寄付……寄付か! それは良い。収賄の後ろめたさも薄れるしな」


「それを言わなきゃ、百点満点だったな」


「……、違いない」


 酒を酌み交わしながら、ドモルとガンズと談笑する。

 彼らとは少しの年齢差があるが、酒の前ではそれも些末な問題である。

 予定調和とはいかなかったが、今日は良い日だ。

 良い日で━━、


「━━オイオイ、そんなことあるかァ!?」


 終わり、とはどうやらいかないらしい。

 アレキスたちの後方で粗野な声が立ち上がった。


「テメェら揃って、何も聞きやがらねェ! 待ってたが、もう辛抱ならねェ。ツラ貸せや」


 珍しい黒髪を逆立てて、凶悪な三白眼を嵌め込んだ男が、強引にアレキスの腕を掴む。

 中々の腕力だ。簡単には振りほどけなさそうなぐらいの。

 なんて考えながら腕を見ていると、ドモルがいち早く話って入る。


「おいおい早まるな。気持ちは分かるけどよ」


「あァ?」


「大方、全財産でも掏ったんだろ? 酒の一杯ぐらい奢ってやるから、な?」


 さすがは検問官。宥めるのが上手い。キレ気味の人間相手じゃ百戦錬磨だろう。

 しかし━━、


「オレをそんな、カス野郎共と一緒くたにすんじゃあねェよ!」


「うおっ!」


 侮られたと取ったのか、男は激しく否定した。

 まああんなオーディエンスと同じだと思われるのは、アレキスも嫌である。もっとも、それを推量するのは無理な話だけれど。


「私怨じゃねェよ。別の用があんだ。別の」


「別のって?」


「テメェらが流した全部のことだよ。代わりにオレが事情聴取だ。まあ、悪いようにはしねェよ」


 男の論理に納得がいかないのか、ドモルがさらに食い掛かろうとするが、アレキスは「いい」と静止する。


「俺はこいつと行く。短い間だったが楽しかった」


「アレキス……」


「……、これでいいんだな?」


「ああ」


 首肯するが確証はない。だが、彼らとずっと居るなんてことはできない。

 アレキスの目的は、そこにはないから。


「……、なら行ってこい」


「お前さんは、最後まで変な奴だったな。━━入市証はこっちで適当に破棄しとくよ」


「ああ、助かる」


 条件として書かされた特別な入市証も破棄されれば、アレキスを縛るものは何もない。心置きなく生活できるというわけだ。


「じゃあな、お前さん。またどっかで」


「そうだな」


 手を上げて簡単に別れを済ませる。

 行き掛かり上、関係を持たざるを得なかった二人だけれども、思ったより悪くなかった。


「それじゃあ、来いや」


 そして律儀に待ってくれていた凶悪な顔の男も、悪いやつではないのだろうと、アレキスは思った。





 アレキスのことなど顧みず、三白眼の男はずかずかと前を進む。少し小柄な彼の背中を追いかけながら、都市の喧騒が遠ざかるのを感じていた。


「あんまし、人目がねェ方がいいだろ」


 振り返りもせず、しかし、心境を読むような言葉を投げ掛けられる。

 口調こそ荒々しいが、内実は配慮のできる人間なのは、短い時間ですぐに理解できた。

 おかげで随分と人気から離れられた。そろそろ頃合いかと判断して、アレキスは自身のポケットに手を入れて━━、


「お前の目的はこれだろう?」


 一息で彼の前に移動して、透明な液体っぽいものが入っている注射針を掲げる。

 ルートを倒す直前に奪った、『戦利品』だ。


「おォ、まさか素直に見せてくっとはなァ。なるほど、お互い腹の探り合いは無しってことだ」


「ああ、そんな不毛なことはしたくない」


 アレキスに残された時間は一週間━━これもどこまで信用できるか分かったものではないが、いずれにせよ何らかの仮定は持っておくべきだ。

 一週間。移動のことも含めたら、もう少し巻きでいくのが安心だろう。


「だがよォ、その意思はありがたくても、オレにも色々あんだ。話をするに当たって、まだ足りねェピースがある」


「……人か?」


「そう警戒すんな。言って……まあ、いいか」


 頭を掻きながら少しばかり悩み、男は結論を出す。


「━━バーゼル侯だよ。テメェもそっちの方が、良いと思うんだが……って、聞くまでもなかったか」


 非常に嬉しい誤算だった。ルートから奪った『戦利品』━━もとい撒き餌は、想像以上に大きなものを釣り上げた。


「ま、細けェことは後だ。━━ほらよ、見えてきたぜ」


 迂回して辿り着いたのは、つい数時間前に居た『闘賭場』だった。まさかの出戻りである。

 人の気配の消え失せた『闘賭場』は、何というか不気味だ。

 閑静とした空間に足音が響き、洞窟を突き進んでるかのような頼りなさがある。見知った光景でも、人がいないだけで雰囲気は様変わりだ。


「━━適当に腰かけとけや」


 案内されたのは、闘技場を一望できる━━すなわち客席だった。

 言われた通り適当に座ると、男はアレキスから少し離れた位置に座った。

 彼は足を組ながら、何もない闘技場を眺めていると、そのまま視線も合わさずに不意に口を開いた。


「そォいや名乗ってなかったな」


「━━━━」


「オレァ、ラジアン・フォーミュラ。テメェはアレキス……でいいのか?」


 三白眼の男━━ラジアンは、確かめるように聞いてきた。懐疑が混じっているのは、闘うときはフーガと名乗っていたからだろう。

 思えば、アレキスもしっかりと名乗ってはいなかった。


「ああ。フーガは、ただの偽名だ」


「ハッ、紛らわしいなァ。偽名なんざ大して意味ねェだろ」


「どうだろうな」


 偽名で出場したのも、結局は無意味な行為だったのかもしれない。

 そもそも『闘賭場』に出てる時点で、なおかつ優勝してる時点で、偽名なんか些事になるほど程の目立ちぶりだ。

 ━━やっぱり、必要なかったかもしれない。


「無意味だったかもな」


「急に主張が変わりやがんのな!?」


 頭の内は見せられないので、ラジアンの驚きは仕方なしと言える。


「まァ何でもいいがよォ、テメェにもなんか考えてたことはあったんだろ? 偽名の有用性はともかくとして」


「言われたから何となくやっただけだが……」


「なんだよ! じゃあもうこの話、やるだけ無駄じゃねェか」


 なんとも騒がしい奴だ。アレキスが望んだわけではないが、席が離れたのは良かったのかもしれない。


「━━てか、遅ェな! オイ!」


 せっかちなのか短気なのか、ラジアンは不満を包み隠さずに発した。

 後五分でも遅れれば暴れだしそうな危うさを秘めている。宥めようかと席から腰を浮かすが━━、


「━━その必要はない」


 一文字ずつ丁寧に手紙をしたためるような足音が降り注いでくる。

 音を聞いただけで美しいと思ったのは、これが初めてだった。


「ラジアン。相変わらず、お前の不敬は留まることを知らんな」


「あァ? 遅刻しといて、不敬もクソもあるかよォ」


「遅刻か……。正確な時間を約束した覚えはないのだが」


「オレが先来て、テメェが後。じゃあ、遅刻だろうが」


「それはそれはユニークな意見だ。聞き流しておこう」


 強かさと柔らかさを兼ね備えた声音だった。さらに、自信を証明するかのように正された背筋が、芸術のような立ち姿を生み出している。

 タイトな軍服からは一角の武人の気質が感じ取れるが、肩ほどしかない青白色の髪が落ち着きを醸し出し、見事に調和していた。

 よもや━━、


「女だとは思っていなかったか?」


 驚きを見透かされ、その内を言い当てられる。


「よいよい。私を知らぬものは皆同じ反応をする。特段、私も不愉快ではない」


 腰に手を当てて、鮮やかな朱が麗しく綻ぶ。

 笑えば年相応で、武の面影は微塵もなかった。


「ハッ、そんな小せェことで不愉快になられたら堪ったもんじゃねェだろ。更年期かよって、なァ?」


「黙れ」


 顎を蹴り砕かれ悶絶しているラジアン。自業自得である。痛みが長引くようなら治してやるが、今は放置しておいた。

 バーゼル侯は、軽く咳払いをしてアレキスに向き直った。


「卿のことは少しだけ聞いている。確か、フーガと言ったな?」


「それは偽名だ。俺は、アレキス。ただ……の傭兵だ」


 定型文のような自己紹介。傭兵のくだりは確実に必要なかったが、いつもの流れで「ただ」まで出てしまったので、言わざるを得なかった。


「なるほど、心得た。そしたら私も名乗らせてもらおう」


 彼女は腰に手をやり、大きく胸を張った。


「バーゼル侯レオーネ・マフィムト。見ての通り軍人だ!」


 自尊を見せつけるかのような態度の裏に、フレンと同じような毛色を感じて、アレキスはこっそりと嘆息したのだった。

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