第十二話『驕れるものは久しからず』
今度は立ち位置が真逆だ。
男がマルティの前に立って、ルステラはその向かい側。
決定的に違うのは、マルティの前にいるのが、彼女を守る者ではなく殺す者であることだ。
男はルステラに一瞬だけ意識を向けるが、すぐさま無感情にマルティを殺害しようと足を振る。その姿はある種の兵器のようだった。
「━━あんまし魔法を使うなよ。後で面倒になるだろ」
男の前に転移したルステラは、少女を狙う殺意を跳ね上げる。
そして体勢を僅かに崩した男の腹に、足裏を追撃した。
男はそれを自ら後ろに跳ぶことで威力を殺す。
━━ルステラはまだ追いかける。
後ろ足で地面を蹴って、前方に飛び上がり、すべらかな肢体を叩き込んだ。まるで、あの男の戦闘スタイルを模倣するように。
「でも、所詮はお前のセンス頼りだろう? 研鑽には勝てんよ」
「かもしれないね」
中空で身を翻し、男と距離を取る。
見よう見まねで構えをとった。
「……あくまでも俺と同じ土俵でってことね。━━くはは、悪くないぜ、その傲慢さ」
中くらいの間合いを詰めて、男が腕を伸ばす。ルステラを一度沈めたのよりかは格段に遅い。
だが、鼻を掠めながら、ルステラは避ける。鼻血が降りてくるのを感じるが、しかし、腕を掴んだ。
「そんな最低な括り方はやめてよね」
腕を引っ張り足をかけて男を転ばせる。途中、首根っこを掴もうとするが、男は身をよじらせて拘束を抜けた。
屋根を器用に転がり、間合いをとった。
「わたしは、人を馬鹿にして、嘲って、自分の力を誇示する。そんな厚顔無恥な生き方は、憐れに思うよ」
「そりゃ、どうも」
男は心のこもっていない声音で返答した。
「あなたはどうしてそんなことに拘うの?」
「人を見下してると心安らぐから」
直球の返答に、ルステラは鼻血を拭うことも忘れて面食らう。
男にとってそれは大きな隙だった。ルステラは間合い管理をおざなりにする。
男の爪先が脇腹を掠めた。
「でも、誰でも言い訳じゃない。見下すなら自信過剰な強い奴の方がいい。甲斐がねぇからな」
「━━━━」
「自信とは驕りだ。━━だからやっぱり、お前は弱者だ」
酷い人生哲学だ。聞いて損をした。マルティに聞かせてしまったなら申し訳ない。
当然だがルステラはそうは思わない。
自信と驕りは必ずしもイコールで結ばれるものではないだろう。
ルステラにだって自信はある。自負ある。ずっと向き合ってきたものがあるのだ。
「どうした? 折れそうか?」
脇腹を押さえるルステラの同じところを再度蹴りながら男は問いかける。
骨が、という意味ではない。心が、という意味だろう。むろん、骨も折れかけているが。
「だが、この土俵に上がってきたのはお前だぞ」
男の中段蹴りがルステラの脇腹に刺さる。エネルギーの方向に跳んで威力を殺そうとするが、一朝一夕で出来るようにはならない。殺しきれずダメージを負う。
肋骨がキシキシと痛む。ただまだ治せる傷なので、そこは安心できるが。
「あの妙な魔法は使わないのか? 一撃ぐらいなら透かせられるだろう」
「その次が当たるからだよ。タネ分かったんでしょ?」
「……ズレてんだろ? ただ全部ズラしたら、マズイことになるから一ヵ所保つ必要がある……正解みたいだな」
男は存外にも頭が回る性質だった。その通りすぎてぐうの音も出ない。
一ヵ所だけ透過せずに保つ必要があるのが弱点だ。ただその一ヵ所は自由に変更できるし、そこまで大きくなくてもいい。もちろん爪とかは難しいが。
ちなみにもう一つ弱点がある。それは時間制限だ。長いこと継続はできない。
もっとも、それは大した問題ではないが。
やはり一ヵ所の秘密が見破られたのが大きい。
フレンと戦った時もそうだが、対策された技は安易に使えない。
それに対応できる蹴りなどを透かしたところで意味はないのである。
「━━━━」
男の嵐脚を避けて、受けて、堪え忍ぶ。
彼も人間ゆえ、連撃には限度がある。どこかで一拍呼吸を置く必要がある。
━━問題は、ルステラにその一拍を穿つ技量が無いことだ。
「そこ、入るよな」
読めていたと男は歯を見せて、隙を突いたルステラのさらに隙を衝く。男の脚が屋根と平行に伸びて、ルステラの顎に刺さり、身体が真上に打ち上がる。
その挙動が不自然なことに、男はすぐに気づく。
そして陰惨な笑みを浮かべて、
「そこも俺の土俵だぜ」
男は少し助走をつけると、一息で空を翔け上がった。その上昇量、おおよそ五メートル。
それは高所に攻撃を与えるために特化した技なのだと、ルステラは身をもって体感させられる。
「━━━━」
━━まだ、ここじゃない。
かかとがモロに入って、ルステラを打ち落とす。マルティにぶつからないよう、必死にブレーキをかけた。
後ろでマルティが心配そうな顔をしている。ルステラが衆目から逃れるために屋根に連れてきた。そのせいで逃げようにも逃げられない。逃がそうにも難しくなった。
本当に申し訳ないなんて言葉じゃ謝りきれない。
だからせめて、
「大丈夫。わたしは、負けないよ」
男に聞かれたら、またうだうだとよく分からないことを話し始めそうなので、そっと呟いた。
「回復、間に合ってなさそうだな」
「間に合ってないけど。普通に」
アレキスなら治せた。フレンなら弾けた。何故なら彼らの強みがそこにあるからだ。
だとしたらルステラの強みはなんだ。
何度も同じような議論をして忍びないが、それは間違えないようにするためだ。
━━ルステラの強みが、魔法なのだと間違えないようにするため。
「……そういやお前、名前は?」
何かを感じ取ったのか、男が唐突に訊いてくる。
「聞くならまず名乗るのが筋ってものなんじゃない?」
「ねぇよそんなの。誰の言葉だよ。どこのルールだよ」
この期に及んで、非常に面倒くさい。素直に乗っかってくれれば良いのに。
仕方なくルステラは自分から名乗る。
「━━ルステラ。あなたは?」
「俺は、ゴーマ。『七躙』が参。ただのゴーマだ」
「しち、りん……?」
聞き慣れない単語に眉をひそめるが、一瞬で切り替える。そういうのは終わらせてから話させればいい。
「ああ、そうだ。勝つものは得る。負けるものは無様に終わるだけだ」
何度も聞いた哲学は相も変わらず馴染まない。
でも、何かを得るのに勝つという行為が必要なことが多いのは分かる。
「見切れるか?」
一度沈められた縦拳が、再びルステラを襲う。ゴーマはフェイントを混ぜるが、言ってしまえばそれは意味のない行為だった。
だって、見えないから。
右拳か左拳か、はたまたブラフの蹴りか。━━否、ここで蹴りを選択するような人間じゃない。見誤るようなことはしない。
彼の拳が飛んでくる。まさに、跳んでくるのだ。
予備動作すら消えた、もはや美しさを孕んだ一突き。
それが━━それが、ルステラの身体をすり抜ける。
「━━━━」
透過術を看破しているゴーマは、確信したようにルステラの膝を狙う。一ヵ所の弱点を狙ってきたのだ。
それも、すり抜ける。
場所を入れ換えたのでは━━ない。単純な入れ換えじゃ、彼の手数に押し切られる。
ならばやることは簡単だ。━━全て、透過させればいい。
ゴーマはそれに気がついて、呆然としてしまった。だから、ルステラの勝ちだ。
「種明かしなんかしないから」
一拍は難しくても、二拍ならルステラにも突き通せる。
ルステラの回し蹴りが、ゴーマの顎を砕く。
「分かったでしょ? これがわたしの白兵戦だよ」
ゴーマの中に固定観念を植え付けるのに、ルステラは尽力した。
弱点がある。しかも自身で見破ったなら、疑いは薄れやすい。彼はまんまと引っ掛かった。
とはいえあまり使いたい手段ではなかった。なにしろ、生きた心地がしなかったから。
ともあれ、勝ちは勝ちだ。目下、障害は取り除かれた。
「あとは……」
「━━ルステラさん!」
ダメージの余波が残る身体をほぐしつつ、もう一踏ん張り。そのタイミングで、アメリが帰ってくる。
「さっきの男……! それに━━ルステラさん、血が」
「あはは、ちょっと派手にやっちゃってね。一応、深刻なのは貰って……残ってないから」
端々は微妙にぼかしつつ、無事を報告する。アメリはその報告を受けて胸を撫で下ろした。
「だから、あの子のことお願い」
「━━はい!」
ルステラの安易な行動で危険に見舞われたマルティには、後で十分謝罪をしなくてはならない。
と、心に決めて、ルステラは一撃で意識を持ってかれたゴーマに向き直る。
失神も一時的なものだ。だからこそ、起きる前に拘束をする。
拘束具なんて持っていないので、魔法は使いたくないが、仕方なく火の輪っかで手足を縛った。ちなみに熱がないなんてことはなく、しっかり燃焼している。
「━━━っ」
火に手首足首を焼かれて、ゴーマは短い失神から目を覚ました。そこで、ルステラは忠告する。
「妙な動きをしたら脚を落とす」
「━━くはは、出来るのかよ、お前に」
ゴーマの言葉が瞳を透かしてルステラに刺さる。見透かすような態度は、やっぱりいい気分はしない。
彼はそこまで感じ取ったのか「だが」と続けて、
「妙な動きなんかしないから安心しろよ。━━もう、終わる命だしな」
「……え?」
眼下、ゴーマの生命力が急速に薄れていく。
あれだけ傲慢だった者が、簡単に今生を手放そうとする姿はあまりにも気味が悪く、なにより不可解だ。
「正直、納得はしてねぇけどな。けど、この道を選んだのは俺なわけで。━━あの野郎のこと、屈服させられなくて残念だ」
「ま……待って! そのまま逝くなんて……わたしが勝ったんだから、何か得させてよ!」
無様に終わるという部分だけを有言実行してもらっては困る。
ゴーマは器用に身体を起こすと、アメリの方を━━否、マルティを顎でしゃくった。
「あいつの殺害は目的じゃなく、手段だ。以上」
端的に淡々と情報を残していく。その有益性を確認する前に、ゴーマは辞世の句を語り始めた。
「最期の相手が、つまんねぇお前で最悪だった」
「━━━━」
「だからこそ、いつかお前が驕り高ぶる獣に変貌するのを、期待しておくことにするよ」
ゴーマの瞳から、光が消失する。
彼はいったい何者だったのだろうか。……不満では、あったのだろう。
━━だとしたら、ルステラは間違えたのか?
きっと、最善ではなかった。
かかる火の粉は振り払うだけでは不十分なのだ。振り払い方まで、考えなくてはならない。
ルステラはそれができていなかった。
故に、受け止めなくてはならない。━━ルステラが彼を殺したのだと。
「━━ルステラさんっ!」
アメリの清廉とした声がルステラを呼ぶ。少し暗いとこに潜っていた意識が、一気に引き戻る。
「……ね。しっかり、しないと」
ルステラは頭を振って強引に気持ちを切り換える。
これからの一挙手一投足は、重要さが尋常ではない。フラムもまだ見つかっていないのだ。
「アメリは、どうするべきだと思う?」
「……弁明は、不可能だと考えるのが妥当かと。ただでさえルステラさんは、置かれている立場が特殊ですし。━━だから、私が身代わりになります」
「━━━! それは、ダメだよ!」
「他に方法がおありですか? 私はないと思います。だから、私はここに残り、ルステラさんはフラムちゃんを見つけて帰ってください。大丈夫です。そんなに大変なことにはなりませんから」
葛藤は当然あった。
自身の行いの結果をアメリに背負わせるということには、簡単には頷けない。
しかし、現状それしかないのも事実。
葛藤はあった。葛藤する時間はなかった。だから━━、
「ありがとね」
「いえいえ、弱音を聞いてくれたお礼です」
恭しくお辞儀をする様は、彼女がメイドであることを強く確認させてくれる。
彼女は一介のメイド。その身分に助けられる。
彼女には大きな借りができてしまった。いつか返すその日のために、今は全力でフラムを見つけなければ━━、
「━━あ、あの子っ!」
マルティは突然声をあげて、空を指差していた。ルステラはその指を追いかける。
何か珍妙な乗り物に乗っている、フラムが視界に入った。
「あれは……馬?」
形は非常に酷似している。だが、あれを馬としてカウントしてもいいのだろうか。
ボリュームのある四本足を折り畳み、地面と平行に浮き上がって飛行している存在を、馬として受容できたなら、大したやつだと思う。
アメリも、マルティもおおよそ同じ反応だった。
フラムと推定馬は、三人の前に身体を寄せてくる。
「ルスちゃんっ! フラム、気づいたのっ!」
「気づいた?」
「うん! さっきの人、たぶんルスちゃんを……」
推定馬の首に組み付き、焦りぎみにフラムは話す。
しかし、後ろにいたゴーマを見つけてすぐに瞠目する。
「さっきの人……! ルスちゃん勝ったの!?」
「勝った……うん、勝ちはしたんだけどね」
「どうしたの?」
歯切れの悪いルステラを心配して、フラムが顔を覗き込んでくる。
だけど、それじゃダメだ。切り換えると決めたではないか。
ルステラは一呼吸してフラムと目を合わせる。
「ううん、こっちの話し。ねえ、フラム。後でちゃんと説明するから、今はわたしに付いてきてくれる?」
「それが、一番いいの?」
「じゃないと困る」
「じゃあ……そうするっ!」
フラムが満面の笑みでルステラに飛びついてくる。それを軽く受け止めつつ、ルステラは半回転してマルティの方へ向く。
「マルティちゃんも」
組み付いてきたフラムを片手で支え、もう片方の手をマルティに差し伸べる。
しかしマルティは半歩後ろに下がって、それを拒んだ。
「私、残り……ます。その方がたぶん、円滑に進むと思う、から……っ」
先行きが不安でいっぱいだろうに、今このように発言できるのは、なんと強きことだろう。
だが、まだ彼女の安全が保証されたわけではないのだ。
アメリも少なからず戦えるだろうが、またゴーマのような相手が来たら、きっと守りきれない。
だからこそ、彼女の覚悟は受け取れないと━━、
「━━フラム、待ってる。待ってるからね」
「━━━! うんっ!」
フラムが先んじて、ルステラの否定を潰す。
それに従う理由はない。危険だからやっぱりダメと、突っぱねればいいだろう。
しかし、ルステラは諦める。
アメリとマルティを残して━━、
「わたしも、待ってるよ」
別れの言葉を口にすると、転移が始まる。
あの邸宅ぐらいならば、街から飛べる範囲内だ。
また色々と、要報告、要相談なことが増えてしまった。フレンの知恵は━━期待できると言えば嘘になってしまうが、メレブンなら分かることも多そうだ。
アメリとマルティにもちゃんと説明しなくてはならない。巻き込んでしまったから。
平穏を乱してしまったことを謝りながら、ルステラは邸宅に着いた。
○
「とりあえず通報自体は済ませてますので、少し待てば衛兵やらなんなりが来てくれると思います」
とはいえ通報は爆発の一件に関してなので、また新たに事情を説明しなくてはならない。
ちなみに犯人の男は、アメリが倒したことにするつもりだ。
詳しい戦闘記録は聞いていないが、明らかに顎の一撃が決まり手だった。急に死んだことは、そのまま報告する。
魔法国家の技術力ならば、術式などから男を殺した人間に辿り着けるかもしれない。もちろん男が自ら死ぬようにしていた可能性もあるが。
「お姉ちゃんが居なかったのは……それが理由……?」
「はい。私は急いで出戻って来たって感じです。もっと早くって思いましたけど、私じゃ役に立てなさそうでしたね」
アメリも、最低限の護身術ぐらいは身に付けている。身の程も弁えている。
アメリは真っ向勝負でフレンには勝てないし、メレブンには勝てないし━━ルステラには勝てない。
そんな彼女が、あんなになっていたのだ。彼女は隠しているようだったが、浅いダメージを計算すれば、相当だったと思う。
ルステラじゃなくアメリだったら、きっと守りきれていなかった。
「ルステラさんは、強かったですか?」
「うん、とっても……強かったです。私のこと……守ってくれた」
「だったら、後でしっかりお礼を言わないとですね」
そのためにもこんな任務はパパっと終わらせたい。
そろそろ頃合いかと思い、アメリはいい加減屋根からステージを移行しようとする。
あまり気は進まないが、男の身体を回収しようと━━、
「あれ?」
━━男の身体が、忽然と姿を消していた。
滑り落ちたのかと急いで地面を見るが、やはり無くなっている。
「マルティちゃん、見てましたか!?」
「ごめんなさい……、私、見てない……っ」
申し訳ないという顔でふるふると頭を振る。
違う。これはアメリの不徳の致すところだ。責めたわけではないが、咄嗟に声を上げてしまったのは良い行動ではなかった。
「いえ、責めようとしたわけじゃないんです。これは私が目を離してしまったせいで起きたことです。……ごめんなさい。本当に申し訳が立たない……っ」
目を離したのは、アメリの責任だ。だが、所詮は一秒や二秒程度の時間なのだ。
そんな一瞬で、気配も出さずに男を持ち去れようか。
出来るとするならば、相当な実力者である可能性が高い。
━━事態が、誰しもの預かり知らぬところで大きくなっているような気がした。




