第十一話『未詳の白金』
『そのもの』と対峙したことはない。
そもそもフラムのたった十年の人生で出会ったものなんて限られる。
ここ数ヵ月で劇的に増えはしたものの、フラムの周りを取り巻く輪はまだまだ小さいだろう。
故に忘却こそあれ、記憶違いは起き得ない。さらに言えば、匂いにも覚えがなかった。
フラムは、目の前の『そのもの』が、自分の人生に介入するのが初めてだと確信する。
だったら当然、『そのもの』もフラムのことは初めてだろう。
━━だから、変だ。
『そのもの』は、何故か━━、
「━━どうして、フラムを助けようとしてくれるの?」
フラムと同じ紅の瞳に、すっぽりと収まってしまう。そのさらに内側には、なんらかの望みが秘められているようだった。
それがフラムを助けることなのか、はたまたそれは望みの途上に過ぎないのか、読み取るのは至難だった。
しかし助けてくれようとしているのは本当のようで、暗闇のなかに味方が一人できて頼もしい。
━━フラムは友好を確かめるため、そのものの『鬣』に触れた。
「━━━ッ」
嬉しそうに息を鳴らす。━━白金色の体毛を持つ馬だった。ちょうどいい触り心地と伝わってくる体温に安堵する。
紛れもなく馬のはずだが、フラムの見知った馬とは少し姿形が違う。
脚は足袋を履いているみたいにモコモコとしていて、尾が何故か三本に別れている。
そういう種類なのだろうか。判断がつかない。
「……って! そんなことより出る方法探さないと……」
生きていることなど色々と幸運は重なっているが、出なければそれも無意味に消費してしまうことになる。
しからば今やるべきは、考察より行動。ルステラの見えていないところで犬死になんて悲しい結果だけは避けなくては。
フラムは両手を前に突き出して、薄暗い部屋を進む。暗いと方角が分かりにくくなるが、入ってきた方向とそう大外しはしていないだろう。
そうやって一歩二歩と進むと━━、
「わっ!」
後ろから突然、光で照らされる。思わず驚いてしまった。
驚きつつも光源を確かめようと振り返る。すると━━、
「おめめが光ってる……?」
何度も瞬きしても、光は白金馬の眼から照射されていた。
馬とは本来そういう生き物ではなかったと思うのだが、どうやら違うらしい。
馬は眼から光を出す。知識を上書きしておく。
「ありがとう、えっと……お馬さん!」
名前が分からなかったので個体名で呼ぶ他なかった。
「お名前は……そっか」
尋ねてみると、白金馬は首を振った。どうやら名前は無いらしい。
何か申し訳なかったので、首筋を撫でてフラムは探索を再開する。━━が、すぐそこが壁だった。
さらに━━、
「重い……」
ドアを見つけたのだが、重すぎで開きそうにない。フラムが子供で非力なのもあるだろうが、それを抜きにしても重すぎる。
たぶんアメリやメレブンにも開けないと思う。力だけで攻略するならと前提は付くけれど。
なので白金馬と力を合わせても、同じ結果だった。
ただ、なんとも合理的だなと思う。
子供を閉じ込めておくのに大がかりな拘束は必要ない。何故か馬がいるけど、それは例外としておくべきだろう。
子供、一人閉じ込めるだけ━━、
「あの人は、あの子を殺そうとして……あれ?」
何か重大な見落としをしている気がする。
男はまるで用意していたかのように、フラムをこの場所に連れてきた。
思えば━━、
『おいおい、マジかよ』
何かの介入を予想していたかのような態度で振り向き、
『もう爆発するってのに……ああ、ダリぃな、おい』
男はフラムの首根っこを掴んで、倉庫から飛び出した。その瞬間、フラムは女の子の手首を掴んだ。
男は女児一人の体重が加算されたことなど気にも留めなかった。
直後に爆発が起きる。
━━その後は、ルステラに繋がれたのだった。
「もしも、偶然じゃなかったら……」
フラムの介入に多かれ少なかれ予測があったとしたら━━狙われているのはルステラだ。
と、仮説を立てるのが一番筋が通っている気がする。
とかく、ここから抜け出す重要度が高まった。
フラムのせいで危機に陥るなんて、ましてや死んでしまうようなことがあれば最悪だ。そんなことなら今ここで舌を噛みきって死ぬべきだ。━━それを伝える手段がない。だめだ。
やはり脱出しかない━━。
「━━━ッ!」
焦るフラムを諌めるように白金馬は嘶く。
それから自分に任せてほしいと言わんばかりに一歩前に出た。
白金馬は頭を少しだけ下げると━━首の根本から頭が超速で回転し始めたのだ。
キュイインと掘削音を鳴らしながら、白金馬は壁を掘り進める。
穴が開くのに、一分とかからなかった。
「……すごいっ!」
それがいかに異様かをフラムはあまり分かっていなかった。
ただただ状況が一転したことに喜び、一転させてくれた存在に感謝していた。
空けられた穴から射し込む光を辿って、フラムは呆気なく外に出る。
白金馬もフラムように空けられた穴を、さらに広げて後を追う。
「早くルスちゃんのとこに行かないと……!」
焦るフラムを白金馬はひょいと掴まえて、背中に乗せる。ちょっとビックリして、すぐに首もとに抱きついた。
すると白金馬の四つ足が折り畳まれて、地面と平行に浮き上がる。そのままフラムと白金馬は空に昇った。
もはや馬の生態もアレテーも馬鹿らしくなるほど異常な様相ではあった。
しかし━━、
「すごいすごいっ!」
フラムはなんら気にせず、白金馬を褒め称えるばかりであった。
○
屋根から転がり落ちたので当然だが、ドシャッという嫌な音がした。それに対して、ルステラは「ああ、嫌な音がしたな」と思った。
魔法を制限すると、ルステラは急激に弱くなる。
やっぱり自分は武闘家ではなく、魔法使いなのだと再確認せざるを得ない。
足りないところは魔法で補う他ないのだ。
それができないのだから、困っているのだけれど。
「━━━━」
ここは『魔法国家』。そうでなくても街中で魔法なんか使えば、異質な魔力として検知されるだろう。
自対象の━━認識阻害なんかは上手く紛れてくれるが、さっきの炎はまずかった。
結局やられてしまっているので、あの炎に大した効果はなかったのだけれど。
「━━━━」
故に、魔法の制限を求められる。
だけど、それがなくても、ルステラはあの男と同じ土俵に上がろうと思っていた。
突然現れて、ベラベラと自分の哲学を語って━━否、彼は人を傷つけた。
だからルステラは許さない。相手と同じ土俵で捩じ伏せる。
それからでないと、ああいう手合いは反省しない。
しかし怒ってはいるが、驕ってはいない。彼の強さは身に浴びた。
その上でルステラは立ち上がる。
そして━━、
「忠告、二度目。━━女の子の顔は殴らない方がいいよ」
一瞬きよりも早く、ルステラは男の前に舞い戻る。
尊大も傲岸も不遜も慢心もないけれど、再び舞い戻ったルステラの決意は、紛れもなく傲慢だった。