第十話『傲慢』
「……マルティ」
事態の深刻さがどの程度なのか見えない現状、出来ることも限られる。
ルステラは、さきほど救出した少女に名を聞いた。
戸惑いは残っているようだが、しかし、しっかりと答えてくれた。
「マルティちゃん、率直に聞くね。━━どうして、あんなことになったの?」
駆け引きを行う余裕はない。心を見過ごしたくはないが、踏み込まなくては助けるもなにもないのだ。
マルティは何拍か呼吸を行って、そして、口を開いた。
「━━わからない」
言葉は単純で、形になればただそれだけのことだった。
マルティが悪いわけではない。
ただ彼女にこだわる理由が薄れただけだ。保護をして、すぐにフラムの捜索にいかなければならない。
幸いにも、大まかな方向はアメリが見ていてくれたので知っている。流石に、最後に視認したのと真逆に向かっている可能性はほぼないだろう。
ルステラは進むべき方角に首を向けると、腕のなかでマルティが震えた。
「私には、わからないって。パパも、誰にもわからないって。━━殺さなきゃだめなだけだって……!」
痛ましさを感じるほどの訴えに、ルステラは意識を引き戻される。
殺人の理由として真っ先に検討するのは怨恨だろう。
父親が誰かから何らかの恨みを買って、マルティはそれに巻き込まれた。そんなところが妥当だと考えていた。
しかしながら彼女の言い分は、それを汲み取れない。恨みつらみではなく、不条理がなるべくしてなった結果と━━、
「━━━━」
一瞬、過ってしまった考えをルステラは破棄する。魔力を探ればすぐに判明した。
もしかしてを解消しただけで、スタート地点からは微塵も動いていないが。いや、遠ざかったとも言える。
彼女が狙われる理由はなんだろうか。あるいはそのアプローチすら間違っているのだろうか。分からないというのは本当にもどかしい。
━━しかし、状況は唐突に転じる。
「おねえちゃ……」
ルステラの行動が一拍遅れたのは、マルティに意識を取られていたからではない。
━━認識阻害をかけているという慢心が、ルステラの行動を鈍らせた。
「っ━━」
慢心のツケは傷をもって払わされる。
質量をもった風のようなものが、頬を掠めて血飛沫が舞った。
「おねえちゃん……!」
「大丈夫。それとありがとう。あなたがいなければ危ないところだった」
慢心が致命傷に繋がらなかったのは、マルティのおかげだ。
もし彼女がいなければ━━頭を砕かれていた。そこまでいくとルステラの治癒魔法じゃ治せない。
アレキスが近くにいない今、基本的に致命傷は受けられないのだ。
意外に深く入った傷を押さえて、ルステラは間合いをとった『男』に向き直る。
「顔面なんてひどいね。それも女の子にさ」
「━━女だからなんてのは関係ない。お前が弱いから、傷がつく。自分の顔は自分で守れ」
男は尊大な態度で指を伸ばし、そう突きつける。
「子どもも同じだ。そもそも女子どももって考え方が変だな。俺が強くて、自分が弱いことを噛み締めるだけでいいんだ」
「なんとも傲慢な考え方だね」
「強者の権利だろ」
不遜男は、しかし、それを吐けるだけの実力を感じられた。彼はルステラが出会ってきた中でも上位の強さだ。
さらに場も悪い。
フレンと戦った時や、セーラにレクトを送り届けた時のように、周囲を巻き込むことができない。
加えて、今は屋根の上なのだ。衆目から逃れるため移動していたが、裏目に出た。足元がおぼつかない。
「強者は驕る、弱者は虐げられる。━━野暮なことは捨て置こうぜ!」
互いの目的は互いに理解している。だから確かめ合うなんてことはしない。
男はマルティを殺し、ルステラはマルティを守る。言葉は不要だった。
男は後ろ足で屋根を蹴り、距離を一瞬で消す。
「━━マジか、合わせるかよ」
風すらも置き去りにするような男の上段蹴りに、ルステラも足をかち合わせる。
力が拮抗し━━均衡はすぐに崩壊した。
ルステラの体制が崩され、男は再度後ろ足でステップを踏む。そしてルステラの顎に、蹴りをぶちこんだ。
━━それがすり抜ける。
フレンとの戦いの時に一度見せたものだ。
「驕れないぜ、それじゃ」
男は突き抜けた右足を返して、左足、右足と連撃を叩き込む。空振りし続けるその姿は、マルティから見れば滑稽に見えたかもしれない。
しかし、男は唯一の弱点を衝いていたのだ。
瞬きほどの時間で叩き込まれた十連撃。その一つがルステラの掌にヒットした。
「っ━━!」
手首から先が持っていかれそうな衝撃に、ルステラは悶絶する。
のけ反る身体じゃ、降り下ろされる脚をガードできない。だから、ここは魔法の出番だ。
『魔法国家』では可能な限り使いたくなかったが、四の五の言ってられなかった。
ルステラは弾かれた掌から炎を出し、牽制と距離の確保を同時に行う。
「━━やっぱり、そうだな」
空いた距離を眺めて、男は不愉快げに足を鳴らした。
「俺のこと、厄介だなとか思ってんだろ?」
「……だったらなに」
眉をひそめてルステラは返す。
それが男は気に入らなかったのだろう。腕を広げて声を荒げた。
「もっと傲慢になれよ! 俺の蹴りに合わせておいて、小さくなるなんて……悲しいよ」
「え?」
「悲しい悲しい悲しい悲しいよ、俺」
両手で顔を覆って、男は本気で嘆き悲しんでいた。内側では涙さえ混じっていたかもしれない。
かと思えば、恐ろしいほどに冷めた闘争心をルステラに浴びせて、
「驕り高ぶれ、でなきゃ死ね」
ルステラの返答は待たれない。開戦と同じだ。会話せずとも、理解してしまえる。
男が地を蹴って跳躍した。何度も見た動作で、ルステラの視力はそのスピードに慣れていた。
━━慣れていたのは、男の蹴りに対してだった。
ルステラの動体視力が捉えた頃にはすでに手遅れだった。━━眼前に迫る拳が、ルステラを深く打ち据えていた。
身体が舞って、屋根の上を豪快に滑り落ちる。
「お前は強いが、強者に必要なものが欠落している。━━故に弱者だ」
「━━━━」
「ヘボすぎてお話にならん」
男は不遜に鼻を鳴らし、退屈そうに欠伸をした。




