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暁の史記  作者: 焚火卯
第一章
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第五話『策にはまれば』

「アレキスはね、イカれてるんだよ」


 アレキスの残影をなぞりながら、ルステラはポツリと呟いた。

 まるで最初から、彼がこうすることを予期していたような声音を受けて、フレンは瞑目する。


「だから、大丈夫。あなたが苦しむ必要なんて一つもない」


「だが、私がアトリエに来てしまったせいで……」


「それは違うよ」


「え?」


 自責を連ねようとするフレンの手をルステラは強く握る。

 暖かみのあるその手は、フレンには少しだけむず痒かった。


「あなたが来たんじゃなくて、わたしたちが招いたの。だから任せて。アレキスに養ってもらうんでしょ?」


「……逞しいな」


「図太いの後は逞しいか……。これでも華奢な乙女なんだよー?」


「痛い痛い! 華奢な乙女の握力じゃないぞ!」


 握られていた手に力が込められて、思わず叫んでしまう。推定だけど、リンゴなら砕けていただろうぐらいの力だった。

 だが不思議なことに、肩の力がストンと落ちたような気がした。

 もちろん脱臼したとかではなく、もっと精神的な話だ。念のため。


「━━誰も死ななくて、誰も殺さなくて済む未来は、存在するのかな」


「そんなの、進まなきゃわかんない。でも、アレキスが向かったんだから、心配ご無用だよ」


 微塵も疑うことなく断言するルステラに、フレンも同意と手にちょっとだけ力を込めた。

 未来に思いを馳せて、過去の過失を魂に刻んで、アレキスの顔を思い浮かべる。


「あいつは、本当に何者なんだ?」


「さあね。わたしも毎日のように思ってるよ」


 苦笑しながらお手上げとばかりに、ルステラは手を振った。

 しかしその後すぐに「だけど……」と言の葉を紡いで、


「たぶん、世界で一番強いよ」


 それを世界最強と手を繋ぎながら言うのだから、ますます疑問は深まるばかりであった。





 レガートは、協力するかしないか決まったら軍の野営地へ来いと言い残して去っていった。

 彼の言葉を真剣に議論した結果、叩けば叩くほどおかしな点が浮かび上がったので、もはや疑う余地がないほどに罠なのだけれど、アレキスは構わず草木をかき分け森の奥へと進む。

 最初からここまで見えていたと言えば嘘にはなるが、無論、まったく予期していなかったわけじゃない。

 想像とはある程度違えど、少なくとも軍の野営地へ向かう現状は、十中八九起きるものだと覚悟していた。もっとも、『影跋』の存在などは前代未聞だが。

 ちなみにだが、フレンには分かりやすさ重視で伝えたが、ポーコは実際に認識阻害の内側━━つまりは、フレンの姿形が見えていたわけではない。

 本来、ルステラの認識阻害は突破できる代物じゃない。洗練された魔法なので、よほど魔力に鋭敏でないとまず不可能だ。

 だが、『影跋』は特別魔力の流れを感知できるような操作はされていない。━━彼らが操作されているのは、五感の方だ。

 主に視覚、嗅覚、聴覚の三つを伸ばされている。

 認識阻害といえども匂いまでは誤魔化せない。ポーコがフレンを発見したのは、そういう理屈だ。

 そしておそらく、その情報を使って軍と業務提携行ったのだろう。

 利害の一致とは、まったく恐ろしいものだ。

 『影跋』一人でも戦うのは面倒なのに、加えて軍隊━━三十名ほどを相手に、無血開城とは難題にもほどがある。

 ━━無理というわけではないが。


「着いたな」


 森を少しだけ開いて均した場所に、簡素だが天幕が並んでいる。それを遠目で監視しながら、ずかずかと乗り込まなくて正解だったと息を吐く。

 野営地には確かに天幕が連なっていた。しかし、人の気配が一切しなかったのだ。

 おそらくはこれが相手の策になるのだろうが、何を行ってくるのかがほとんど読めない。大方、奇襲の類いだとは思うが。

 だとしたら、相手は離れた位置にはいないだろうけれど、それを折り込んで考えると、気配のなさは些か異常だ。

 アレキスは別段、気配を感じ取ることに関して秀でているとは思っていないが、それでも普通の兵士が数十名も姿を隠しているのに、気づけないほど劣っているとも思っていない。

 全員が『影跋』なら納得はできるが、あくまでも相手の大部分は兵士だ。どれだけ息を潜めようと、専門家ほど上手くはできない。できないのなら、感知できるはずだが━━、


「ないな」


 風が通り抜け、木々が揺れる音だけが鼓膜を叩く。それが嫌な予感に説得力を持たせているみたいで、アレキスは僅かな不快感を覚える。

 以前変わらず、周囲を目線だけで探ってみたり、天幕を凝視したりするが気配が━━いや、一番手前の天幕に、一人いる。


「まぬけか……」


 はたまた作戦か。一人だけ存在を認知させて、誘きだそうとしているのだろうか。

 色々と想定しながら野営地を観察すること数分。先に相手側に動きがあった。

 ついさっきいると確信した天幕から、緑髪の男が一人だけ外に出てきた。そいつは周囲をキョロキョロとしながら、何かを探しているようだった。


「━━━━」


 奇妙な仕草に気をとられている間に攻撃を仕掛けてくるのかと、あえて男に集中して隙を与えてみたが、そんな様子はなかった。

 どうやらこっちが動くまでは、相手は行動しないつもりだ。

 実際、夜まで粘られたら、こちらの不利は必至だろう。まだ何時間も猶予はあるので、そんなことには陥らないだろうが。


「とりあえず……」


 緑髪の男を捕まえるなりなんなりしようと、足に力を込めた。迅速に肉薄して、迅速に無力化する。

 じっとしてても進行しなさそうなので、ここはあえて策にはまってやろう。そう考えた矢先だった。


「あれは……」


 空から赤い色のものが、緑髪の男へ一直線に飛来していた。

 アレキスは赤い色のものの正体を知っている。あれは、火の魔石を使った砲弾だ。

 今飛んできている魔石は、サイズが小さく爆発規模はさほど大きくはないだろうが、直撃すればあの兵士の命は確実に刈り取られるだろう。

 これは罠だ。確実に罠だ。だがしかし━━、


「━━ちっ」


 舌打ちをしながら、アレキスは走り出す。一瞬のためらいのせいで、兵士ごと回避というのは厳しそうだと判断する。

 だから、アレキスは兵士の正面へと躍り出て、魔石へと右の拳を打ち合わせた。

 直後、中指辺りで砲弾が炸裂する。緑髪の男を守り、アレキスは爆風へと吸い込まれた。


「━━ここまで上手くはまるとは、さすがに予想外っすね。そう思いませんか、リゾルートさん」


 爆風から這い出た緑髪の男━━リゾルートは、軽い調子で手を振ったポーコを見据えた。


「あ、爆発したから、耳やられちゃってますかね。もしかして聞こえてないっすか。━━まあ、別に殺すからいいんすけど」


 ポーコは袖の下から短剣を取りだし、リゾルートの命を奪おうと━━。


「おい、勝手に殺すな」


 爆風から伸びてくる腕に、ポーコは飛びずさる。その腕は、まさしくさっき爆発に飲み込まれたアレキスのものだった。

 焦りを滲ませたポーコに、アレキスは話しかけられる。


「い、今のはどちらにかかってたんすか?」


「━━━。どっちもだ」


 戯言を話すポーコに、アレキスは渋々返答する。一応、無傷をアピールする機会になったので、まったくの無駄というわけではなかったが。


「しっかし、無傷なんてすごいすね。魔石を殴りにいく人、人生で初めて見ましたよ」


「威力が低いやつだったからな」


「そうっすか。これは、ケチんぼが仇となったすね」


 軽口を叩きながら片目を伏せるポーコが、反撃を試みようとしてるのをアレキスは肌で感じた。

 油断はそのまま死に繋がる。できれば、さっきので掴めていればよかったが、過ぎたことにぐちぐち言っても仕方ない。

 アレキスは一層気を引き締めて、ポーコと相対する。


「ところで僕は無駄話をたくさんしたりする性格なんすけど、実は無駄じゃない話もいっぱいしたりして……」


 アレキスはポーコを注視して━━それが、間違いだったと遅まきに気づく。

 ポーコの策略から逃れるため、リゾルートを掴んで思いきり後ろ飛び。瞬間、さっきまで立っていた場所が爆発し、砂煙が舞う。


「━━━━」


 砂煙の裏にポーコが隠れて、アレキスは完全に見失ってしまう。

 上下左右へと頭を振って、見つけようと頑張るが━━、


「残念、後ろでした」


「━━だろうな」


 嘲るような答え合わせに、アレキスは拳で応答する。

 偽の隙を作ったというほど大したことはしていないが、警戒されていたらそうせざるを得ないだろう。

 加えて、ポーコの狙いがアレキスでないこともちゃんと見破っている。

 ポーコは短剣をすれすれで避けながら、リゾルートの喉元へ短剣を突き刺そうと、


「あら、それは予想外っすね」


 リゾルートの身体を動かして短剣の刺さる場所を喉から肩になるよう調整する。

 ポーコは潔く短剣を手放すと、リゾルートが呻くより先に手刀で意識を落とし、距離をとった。


「怪我して意識が落ちて、足手まといがさらに足手まといっすね」


「怪我はしていない」


「いや、確かに……ああ、そういうこと。あんた治癒魔法が使えるんすか。それで魔石をまともに食らっても無傷だったんすか。……納得できねー」


 首を鳴らしながら、ポーコは不満を口にする。

 実際、客観的に見てアレキスの治癒魔法は、やや常軌を逸している。

 本来ならば治癒魔法というのは戦闘を行いながら使用するものではない。なぜなら、多大な集中力を必要とするから。

 それに、大きな怪我では時間もかかってしまう。

 だから治癒魔法はどこまでいっても後方支援特化なのだ。━━故に、アレキスは異常なのだ。


「それで、これも無駄じゃない話ってやつか?」


「いや、これは普通に無駄話っすよ。それにもう撃ち込む魔石もないっすし。そもそも、もう通用しないだろ」


「かもな」


 実を言うと、砲撃にはさしものアレキスもぼこすか撃ち込まれると対処に難儀する。

 ポーコの言葉をどこまで真に受けていいやらだが、砲撃がもう来ないというのは本当みたいだった。


「ま、通用しないならしないで趣向を変えるだけなんすが。……そういや僕の正体にはお気づきで?」


「『影跋』だろ」


「流石に気づいてますか……。そうっす。僕は『影跋』なんすよ。━━だから、それらしく戦っちゃうすよ」


「そうか」


「いやいや、現実が見えてっすか。そんな手荷物ぶら下げてちゃ、よしんばあなたでも無理があるっすよ」


 手荷物と言われて指を差されたのは、リゾルートだ。

 本音を言えばアレキスも早々に手放してしまいたいが、無血開城を謳った限りは遂行する義務がある。別に、フレンには言ってないけれど。

 それにアレキスの脳裏には、とてつもなく最悪な想像が生まれている。━━だから、なんとしてもリゾルートだけは守りきらなければならない。


「いいや、できる。こいつを救ってお前を捕まえる」


「捕まえる? 殺すんじゃなくて?」


「ああ」


「なんで難易度上げてんすか……」


 ポーコは信じられないとばかりに呆れを口にした。アレキス自身も、無茶を言っていることは承知しているつもりだ。

 だが、


「なにがそんなにあんたを駆り立てるんすか。ただの傭兵っすよね」


 図星を突かれて、アレキスは片目を伏せる。

 確かにアレキスはただの傭兵だ。金で雇われ、金額分の働きをするだけの、傭兵。

 だが、傭兵には傭兵なりの信念がある。

 要するに、今回はそこに触れただけのこと。━━ただ、それだけのこと。


「ただの傭兵だ。だから、教えてほしいのなら金を払ってくれ」


「━━っ! それが、答えってわけっすね?」


「そうなるな」


「じゃあ、もう容赦しないっすよ」


「勝手にしろ。━━どうせ、お前じゃ俺に勝てないんだから」


 挑発を口にしながら、アレキスは短剣を掴みながら指を突き立てて、さらに言い募る。


「リゾルートは救う。お前は捕まえる。楽しみにしとけ」


 これが理想論だと一笑に付せない文言だとポーコは理解したのだろう。袖の下からまた短剣を取り出して、次は逆手で強く握った。

 そして口端を歪めながら、言い放つ。


「その見上げた英雄願望、砕いてあげるっすよ、伊達男」


「好きにしろ、にやけ面」


 ━━戦いは、激化する。

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