第一話『音沙汰』
此処へは無意識の内に訪れてしまっている。足が動き始めたり、思考に一区切りついたりしたときは、既に此処にいると言って差し支えはない。
だがしかし、そこに到達するまでには意識的な過程があったはずだ。
それを忘れたとは言わないが、いちいち思い出すこともなかった。━━最近までは。
あのことがあった以来、無意識にかまけていた行為は、意識に裏付けされた行為に戻った。
━━視界一面を占めて、鼓膜全体を揺らす演奏をしている、その『楽団』と彼女を重ねていたから。
「━━毎度のこと、当然のようにおりはるなぁ」
揶揄するような物言いで隣に座ってきたのは、鈍色の髪を纏めた男。訛りのせいで見ずとも分かる。━━メレブン・ラプソードだ。
「あなたも、そちらの方が助かるでしょう?」
「助からんわ。場所遠すぎるねん。自分もシュネルはんも、普段どこで仕事してんのか考えてくれんと困るわ」
疲れぎみに息を吐くメレブンに、大袈裟すぎると苦笑する。
「まあ探す手間がないってんのは、助からんこともないけど。━━最近は、えらい頻度で通っとうみたいやないの」
「そんなことありませんよ」
「そんなことあるわいや」
否定してみたが、さらに否定返される。それほど断言できるなら、曖昧にする必要はなかっただろう。
それとも━━、
「━━なんや、責任でも感じてけつかるんか」
天井を見上げるぐらい背もたれにだらけながら、しかし、繰り出す言葉は強く深かった。
だがしかし、ここまで言われた以上はもう誤魔化さなくても良い。
「責任……。あるいは義務、監査。おおよそ、そのような感情は抱いているでしょうね」
「大変やの」
「淡白ですね。あなたが聞いてきたんでしょうに」
「自分はなんとかできる立場や無いからな。シュネルはんのことフレンちゃんのことも、もっと大きなもんも」
メレブン興味がないわけでも、どうでもいいと思っているわけではないのだ。
彼はただ、自分の身の程を弁えているだけである。
「意見がかち合って、シュネルはんはフレンちゃんを尊重した。そうなった以上、行く末を見守るしかない。責任とか、逆に侮辱やで」
あえて勝ち負けの話をするならば、シュネルはフレンに負けた側だ。自分で能動的にそちらを選んだ。
故に、メレブンの言うとおり、侮辱には当たるのだろう。それは納得できる。
だが、一つ言うとするならば━━、
「信じることと、気に病むことは、相反はしないと思いますよ」
「……頭良い奴の感情は分からんなぁ」
どれだけ言葉を並べても、メレブンは干渉する範囲を定めているため、これ以上は踏み込まない。とはいえ何か言えるわけでもないのだが。
「そんで、頭良いシュネルはんが信じてるフレンちゃんは、どう動くと見てる? ファミルド王国行ったけども」
言い回しが気になるがスルーして、問いかけに少し思案する。
シュネルはあまり、問いかけに対して考え込むということはしない。大事なことは事前に答えを用意しておいてしかるべきだと考えているからだ。
今回も用意していなかったわけではない。質問の想定はあり、返す言葉も考えていた。
それに確証が無いというだけで━━。
「━━シュネルはんは全知やないし、フレンちゃんは万能やない。とりあえず答え出しぃや。アルトちゃんに毎日毎日詰め寄られんの、そろそろキツいんや」
シュネルがあまり語らない以上、メレブンに矛先が向くのは申し訳ないと思っている。メレブンが大した答えを持っていないのも含めて。
「……アルトはどうしてもファミルド王国に行かせたくありませんでしたから。あそこ三人が揃うと、レガートが選択を変えてしまう」
「━━。具体的には?」
「みんなでこちらに戻って来てしまいます」
「なんでや?」
「フレンとレガートは『魔法国家』の目的に辿り着くでしょう。きっとフレンはそのまま受けとるでしょうが、レガートは物事を俯瞰して考える。━━フレンを殺すということは、すなわち国を盗るということです」
「フレンちゃんはもうウチのものちゃうんやけど」
「戦力の不保持……。あれはフレンの意思まで縛れませんからね。大した契約じゃないですよ」
「じゃあ別にやらんでええやんけ」
効力としては、ほぼ無いに等しい。持たせるなら、フレンの記憶を消すぐらいのことはしなくてはならない。
それでも、契約にそれを含めたのは━━、
「━━フレンの正義が、私にねじ曲げられたものだと思われてほしくないですからね」
「そういうのは本人ないしアルトちゃん辺りに言った方がええんとちゃう? フレンちゃん察せへんで。鈍ちゃんやもん」
ビシッと指を差しながら突きつけてくるが、シュネルはそれに取り合わない。静かに目を伏せて、
「━━話を戻しましょうか」
方向を修正して、先の会話を思い出す。
「フレンとレガートの二人だけでは、片方は『魔法国家』、もう片方はこっちに戻ってくるはずです。私の意図を読み取って」
「『魔法国家』の動向を読みきれてないことかいな」
「……気づいてましたか」
「それは自分が言いたかったなぁ」
おそらく全知ではないという言葉を拾ってきたのだろう。言われなければ、確かにシュネルは気づいていなかった。━━少し、焦りがあるようだ。
「しかし、アルトが同行していると、準備万端だと受け取られかねません。レガートのことを開示しているということになりますからね。私が意図して均衡を壊したと思われる」
「なるほどなぁ。レガートくんはシュネルはんを信頼しすぎてるきらいがあるし」
「おおよそ見抜いた上でみたいなところもありますしね」
レガートをファミルド王国に送ったのは、均衡を生み出すためが大半だ。
しかし盤面から排したのは、物事を少しでも単純にしようとしたからである。あまりにも複雑だと、シュネル自身手に負えなくなる。
「でも、手紙の一つでも送ったら、もっと直接的にできたやろ」
「無理ですね。━━契約がありますから」
「なんや大したことないって! バチバチに効いとるやんけ!」
シュネルがフレンを操作しようとする行為は全て弾かれてしまう。それ故に、迂遠な方法を取らざるを得ない。
「声が大きいですよ。演奏の邪魔になります」
「大丈夫や。ずっと声は聴こえんようにしてる。どう見ても、口パクパクさせてるだけの奇人にしか見えん」
シュネルも魔法がかけられていることは把握していた。ただの戯れである。
「まあ大体理解できたわ。━━それからはどうなんねや」
「十中八九『魔法国家』とは、やり合うでしょうね。故に、そろそろ私も動かなければいけませんね」
「それが聞けてよかったわ。アルトちゃん喜ぶで」
何度もアルトを引き合いに出してくるのは、本当に聞かれることにうんざりしていたからだろう。アルトにではなく、その要因を作っているシュネルに。
「それで何をしたらええ?」
「……あなたには近々『魔法国家』に行ってもらいます。そしてフレンに合流してください」
「現状把握かえ?」
「それと困っているようなら可能な範囲で手助けを。それ以上は特に必要ないです」
必要ないとは言ったが、現状それ以上がないというのが事実だ。『魔法国家』の前であまり迂闊なこともできないし。
「ところで、それはアルトちゃんやアカンのか?」
その言葉は提案ではなく、単なる悪足掻きだった。嫌そうな顔をしているメレブンの、覆らないと信じた悪足掻き。
「はい」
清々しいまでに言い切ったシュネルの横で、メレブンは諦めたように息を吐いた。
「今『魔法国家』に正規の方法で入るのは難しいでしょう。ですが……」
「自分なら、やってやれんことはない。親父がそっち方面強いからなぁ」
「そういうわけです」
嫌そうな顔をしているが、メレブンは特に父親と険悪というわけではない。ただ純粋に反りが合わないというか、一方的に毛嫌いしているのである。
シュネルもメレブンの父親には会ったことがあるが、そう思うのも納得だった。シュネルはメレブンほど嫌がってはいないけれど。
「ほな、仕方ないから、やったるわ」
メレブンの役割を理解して、たるそうに背もたれにさらに沈み込んだ。だが、彼はしっかりと成し遂げてくれるだろう。
メレブンに言いたいことは言った。だから、次の言葉は彼に向けたものではない。遠くにいる彼女に向けたものだ。
「━━自分でよく考えて、答えを出しなさい」
そうしてシュネルに見せてほしいのだ。
━━彼女の求める、よい世界というのを。
「これで、フレンちゃん帰ってきたらおもろいねんけどなぁ」
予想はあくまでも予想。
シュネルの言った通りに事が運ぶかもしれないし、メレブンの言った通りフレンが帰ってくるかもしれない。
その結果が得られるのは、未来のことだ。
フレンからの音沙汰はないが、眼下の『楽団』の演奏は第三楽章に差し掛かる。
穏やかな笛の音色が、行く末の暗示であることを、シュネルは夢想していた。




