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暁の史記  作者: 焚火卯
二章
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第二十三話『レクト・スカイラーク』

 アセシア・スカイラークのことを、レクトは刹那も思い出せない。

 一緒に居た期間は大体半年から一年ほどといったところだろうが、当然赤子だったのだから思い出せるわけもない。

 王家の血筋だの何だのと言われても、まるでピンとこないのだ。

 レクトの世界は、ずっとセーラの隣にしかなかった。

 それなのに急に広がりだしたのだ。追いつけるわけがない。


 だったらもう、頑張って追い付く必要なんてないのではないか。

 ただそれができるほど、レクトの心は強くはなかった。

 何かを諦めて人は大人になっていくとは言うけれど、そうやって誕生した大人が、果たしてレクトに順応するのか。

 ━━否、それは結局のところおためごかしの強さだ。

 せっかく、飛べたのだから。せっかく、教えてもらったのだから。せっかく、気づけたのだから。

 諦めて、前に進むことは、やらないでいよう。



「━━━━」


 本来、ここは戦場になり得ない場所だ。

 人々が愉快に笑い、暮らすべき場所であるべきなのである。

 それが、唐突に壊された。

 人々は傷つき、家屋は破壊され、見映えのする景観が台無しだ。

 しかしながら、滅んではいない。それどころか、死傷者はいなかった。

 それはひとえに奔走してくれた人たちがいたからである。

 全員で力を合わせて頑張った。いま出せる限りの総力戦だ。

 そのなかで、民を守るということに対して多大なる寄与をした存在がいた。

 それは突如発生した、謎の首なしの兵隊を一体も余さず停止させたのだ。

 アセシア・スカイラーク。

 彼女はレクトの━━、


「━━母親」


 否定することはできるのかもしれない。だけど、切り離すことは絶対にできない。

 血が繋がってるという意味は正しく理解しておかなければならないのだ。。


「アセシアさん……」


 背筋を伸ばし、レクトに背を向けるアセシア。

 だがしかし、その実ダメージは大きい。

 怪我こそ存在しないが、『星王の啓示』は魂に強く負荷がかかる能力だ。気丈な雰囲気も、ほとんど形だけだろう。

 それでもアセシアが膝を折らないのは、きっとレクトの前だからだ。


「アセシアさん」


 もう一度、呼びかける。その背中に呼びかける。

 するとアセシアは、背を向けたまま━━、


「━━どうして来たのかしら?」


 突き放すような声色で告げ、アセシアはレクトから一歩離れた。それは瞬く間に二歩、三歩と数を増やす。


「ま、待ってください! 話があるんです!」


 引き止めると、アセシアの足は止まる。だけど、何故かずっと遠ざかっているような気がしていた。


「話をするのは、得策ではないわ。私がきっと……抑えられなくなるから」


「それでもです! むしろ、そのために来ました」


 アセシアの恐れを肯定すると、静かに向けていた背を翻した。

 しかし、その顔には驚きが張られていて━━、


「何を言ったか、ちゃんと自覚はあるのかしら? それとも、無自覚?」


 さっきの言葉が失言に近しいものであったことには気づいていた。ただ、程度の大きさについては測り切れない。

 それでもレクトはアセシアのことを信頼していたし、そうでなくとも不公平なのでしっかりと明示しておく。

 向き合うということは軽いものではないのだ。


「わかっています。だけどせめて、ぼくの話を聞いてほしい……」


「━━━━。聞かせて」


 嘆願が受け入れられてレクトは顔を明るくする。

 今ある話したいことはそう多くはないが、しかし少なくもない。

 順序もなく次から次へと話してしまえば纏まりのない、よくわからないものを提出するしかなくなってしまう。

 それがちゃんと練られているかと言われれば、ちょっと怪しい。

 だけど、一つだけ決めていたことがあった。

 一番始めに言うことだけは決めていた。


「━━ぼくのお母さんはセーラさんです」


 これを告げてしまえば何もかもが変わる。

 それでも言わなくてはならなかった。


「だけど、アセシアさんはぼくを愛してくれました」


 身体を張って命を懸けて、アセシアは助けてくれた。

 それだけじゃない。アセシアはずっとレクトのことを想ってくれていたのだ。

 しかし、


「最初はそれが、ちょっとだけ怖かったです」


 王城でまみえて抱き締められたとき、レクトはそれを怖いと思ってしまった。

 アセシアのことをまったく覚えていなかったから━━ではない。

 彼女のことを心の底から母親だと思ってしまったのが、堪らなく恐ろしかったのだ。

 ずっとレクトの世界にはセーラしかいなくて、言うことはなくても、レクトにとっての母親はセーラだった。

 それが急速に塗り替えられていく恐怖は尋常ではない。


 だけどそれは、レクトが完璧に振りきれてなかったからだ。

 セーラが母親である自覚が乏しかったからだ。━━否、考えないようにしていた。

 しかし今のレクトは違う。


「それはやっぱりぼくにとって母親はセーラさんだから。……でも、アセシアさんのことを、今さら母親じゃないとは思えない」


「……え?」


「変なことを言ってるのはわかってます。それでも、思ってることだから」


 愛を知り、アセシアを知った。たったそれだけで、母親だと思わせるのには十分すぎるくらいだった。


「つまり、あなたにとって母親は二人ということ?」


「……難しいです。簡単にそうとも言えなくて……」


 ニュアンスで受け取ってもらう他ない。

 しかし、アセシアは納得とばかりに微笑んで、


「━━セーラさんと、一緒に居たいんでしょう?」


 レクトの瞳の下に微かに残る血の跡を、すべらかな指で優しく拭った。


「あなたのこと諦めようと思ってたわ。だって迷惑になってしまうから」


「━━━━」


「でも、あなたのことを愛していてもいいのよね?」


 アセシアの返しはまさにレクトが言いたかったことだ。レクトは全力で頷く。


「これじゃもう……諦められないじゃない」


「だけど、行かせてほしいです。セーラさんと一緒に」


「当たり前よ。子供の門出を祝福しない親がどこにいますか」


 少年は飛び立ち、自由に空を駆け回る。

 それはきっと祝福される行いで、何人も阻害することはあってはならない。


「どこへ行っても私はあなたを愛し続けるわ。覚悟してよ?」


「もちろんです」


「だから……いってらっしゃい。━━レクト」


 その名前をアセシアから呼ばれるのは初めてだった。

 たぶんウィリアムではなく、一人のレクトとして向き合ったからだ。

 これだけできっと、意味はあったのだろう。


「困ったらいつでも頼るといいわ。でも、その代わり……」


「━━━?」


「レクト・スカイラーク。レクトにはスカイラークを背負っていてほしいわ」


 重みがのし掛かるが、それでも飛ばなくてはならないのだろう。スカイラーク家の人間として。


「ぼくにも、できますか?」


「できるわ。私の自慢の子なんだから」


 アセシアには敵わない。それは彼女もまた母親だから。

 彼女ができると言えば、きっとレクトにはできてしまう。

 なんといったってレクト・スカイラーク。これが進むべき路である。

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