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暁の史記  作者: 焚火卯
二章
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第二十一話『星になんかさせない』

 もはや、会話など不要だった。

 むしろ、会話などしたくはなかった。

 ━━会話をすれば、生きていることを実感してしまいそうだったから。


「━━実感なんかじゃないよ」


「━━!?」


「やはは! なんで、分かるのって思ってる?」


 色褪せないその笑顔に、セーラは安心感と疼痛を覚えてしまう。

 その笑顔を、かつて奪ったのは紛れもないセーラなのだから。


「まー、セーちゃんのことは友情パワーで何でも分かるって言い切りたいところだけどね、実際はもうちょっと深い結びつきの話」


 指を絡めて、カフは大きく揺らす。糸を紡ぐみたいに、カフは語りだした。


「あの日の……」


「━━いらない」


「え?」


 それをセーラは強引に遮る。


「もう、奇跡はいらないから。死後にこんな幸せ受け取れない。カフちゃん、早くあたしのこと、ちゃんと殺してよ」


 これはきっと死ぬ行くものへの最後の慈悲なのだろう。

 だけど、ないのだ。セーラには、それを貰う権利が。

 だから━━、


「━━アタシにしたみたいに、か。セーちゃんは、よくそんな残酷なことが言えるね」


「━━━━」


「親友を殺す辛さは、セーちゃんが一番分かっているだろうにさ」


 カフの瞳に、セーラは恐怖心を抱いた。━━否、カフの瞳に映っていた自分が、酷く恐ろしい存在に見えたのだ。


「ちがっ、あたしは……」


「━━うん、違うよ。セーちゃんは違う。根本から食い違ってる」


 取り繕うとしたセーラをカフが肯定し上書きする。

 違うという言葉の意味が、若干だが変動したような気がした。


「そもそもさ、セーちゃんは死んでなんかいないんだよ」


「死んでないなら、今の状況に……」


「説明がつかないって?」


 セーラはコクンと頷く。生者である自分が、死者であるカフと交わるなんてあり得ないことなのだ。


「アタシも実は完璧に理解してるかっていうと怪しいんだけどさ……少なくとも、アタシたちがこうして話せているのはミモザのおかげだよ」


「ミモザ……」


 その名前を聞くのは、かれこれ二十年ぶりぐらいだった。

 セーラの側にいることが最上の喜びだと語っていた、ちょっとだけみんなと違った精霊。それがミモザだ。


「やっぱり気づいてなかったんだ。━━瞳の色とか疑問に思わなかったの?」


「黄色……。あ……」


 セーラを自身の顔を見ることをしない。

 しかし思い返せば、先ほどカフの瞳に映っていたセーラは黄色の瞳をしていた。

 セーラは昔、瞳の色は黒色だったのだ。それがどうしてか、変色している。

 思い出すのは、名前も分からぬオッドアイの男の存在だった。

 彼は精霊を取り込んで瞳の色が変わったと言っていた。


「ミモザはずっと君の傍にいたんだよ。ミモザは全ての存在から独立しているから、色も大きく現れる。それに肖ったアタシの色もね」


 自分の前髪をとんとんと叩いて指し示すのは、セーラに走った銀色のメッシュだ。

 なんとなく、変な髪の毛があるなとはセーラも薄々と気づいてはいた。

 カフはその説明をしてくれたのだろうが━━あまり、理解が追いつかなかった。

 しかしそれを読み取られて、カフは詳しい話をし始める。


「━━ミモザはさ、セーちゃんと対だったんだよ」


「あたしと、対……?」


「対極の位置に居たってことね。━━セーちゃんは全ての精霊と同調でき、ミモザは全ての存在と同調できなかった精霊だったんだよ」


 当たり前のようにそこにいたミモザが、実は奇跡的な事象の上に成立していたのだ。

 しかしながら、ミモザの特異性が薄れるわけではない。むしろ、セーラの強力さが浮き彫りになった。


「セーちゃんだけが、唯一ミモザを見つけられたんだよ」


「でも、カフちゃんはミモザと話せてたよね……?」


「それはミモザが天才だったおかげだね」


 全ての存在と同調できないというのなら、会話していたカフに説明がつかない。カフは別に、精霊との親和性があるわけではないのだから。

 その理由を、カフはミモザの才能によるものだと結論付けた。


「セーちゃんと結び付いたところから逆算して、自分の魔力を解析したんだってさ。そしたら後はアタシの魔力に近づけていくだけ。ミモザだけ見えたのも、それが理由」


 対だったものが、無理やりセーラの力で引き合い、ミモザは同調の感覚を理解した。

 まさに天才だ。すぐさまカフに応用した点も含めて天才としか言いようがない。


「でも……なんで……」


 その問いかけの答えをカフはおそらく持っていない。

 セーラが知っていることだから、ミモザはきっと話したりしないのだろう。

 そんな精霊だから。そういう精霊だったから。

 答えはきっと、セーラの記憶が教えてくれる。


「あたしが、友達を欲しがったから……」


 ミモザがカフを連れてきたわけではない。

 だけど、ミモザはカフを引き止めてくれた。

 思い返せば、仲直りしたときにも一役買ってくれていたのかもしれない。

 それだけじゃなく、色んな場面で、色んな状況で、ミモザはセーラを幸せにするために動いてくれた。


「でも……どうして……」


 その言葉は先ほどのと意味自体は同じものだ。

 しかし追いかけるのが、それをした理由ではなく、それをしてくれる理由だった。


「どうしてなんて、愚問だね。セーちゃんを、身を呈してまで引っ張りあげることができる感情なんて一つしかないよ」


 ミモザは自身の親和性の低さを極限まで高めれば、セーラに取り込まれても結び付くまでに猶予を作れる。

 それを用いて、ミモザはセーラを引っ張りあげた。あの光は、きっとミモザだった。


 セーラは無意識に、自分の右目に手を当てていた。


「ミモザから言付かってるよ。━━見つけてくれて、ありがとう」


 ミモザはずっと、セーラに対して言葉にせずとも感謝を紡いでいた。

 誰もいない一人ぼっちの世界で、二者は互いに光だったのだ。

 瞳の奥で暖かい光が、包み込むように広がる。


「アタシもミモザも願いは一緒。セーちゃんが大好きなんだからさ」


 カフが見つけ、ミモザが引っ張りあげたから、セーラは元に戻ることができた。生き続けられた。

 ━━だからこそ、それは受け取れない。


「━━それでもあたしは、戻れない」


「━━━━」


「また、全部間違えたから」


 自分が死んでいないのだとすれば、外で何が起きているのかなんて容易に想像がつく。

 ハイルに支配され、意のままに操られているのだろう。

 レクトを殺そうとした人間だ。どうせろくでもなくことを行っているに違いない。

 あのルステラという亜人ならば被害を最小限に止められるだろうが、セーラを殺せないのだとすれば甘すぎる。

 あるいは、彼女じゃセーラを殺せないか。

 千日手ならまだましだが、いずれ限界がくるのだとすればそれはルステラの方になる。

 なにせ、セーラに限界はないのだから。


 しかしながら、『星王の啓示』下なら話は別だ。

 ミモザのおかげで今セーラの魂は一番上位にある。だからこそここが弱れば、大精霊たちも同時に力を失う。

 セーラの魂を保護できなくなるのだ。

 故に、セーラは考えた。━━これはセーラを殺しきる力だと。


 本当はレクトがその役目だった。

 ハイルの計画を潰し、レクトの安全を確保して━━その想定を過った。

 否、実際のところでは気づいている。

 本当に甘いのは、何も学ばない愚者なのは、セーラだけなのだと。


「誰かを、救う力。……なのに、生み出してきたのは破壊だけ。どうして、学ばないんだろう」


「━━だったら、もう一回。ダメだったならまた一回。そうやって進めばいいんだよ」


 右足を前に出し、左足を前に出し、カフはセーラに二歩近づいてくる。

 簡単な動作で、だけどそれが恐ろしい。


「そんな、簡単に……言わないでよ!」


 言葉は強く出ているのに、身体はカフから遠ざかる。ちくはぐだった。


「私の一歩は、私だけの一歩じゃ済まないの! カフちゃんだって、ミモザだって、お父さんもお母さんも村のみんなも━━私の一歩が殺した!」


 強大な力を持つものは間違えてはいけない。

 間違える可能性があるのなら、生きていてはいけない。

 それが人のため、世界のためだ。


「だから、諦めるんだー。自分はもう戻っちゃいけないって。だから、死ぬんだ」


「っ、当たり前のことでしょ!?」


「かもね。━━でも、言ったからね?」


 八重歯を妖しくまろび出させたカフは、一息にセーラとの距離を埋めた。

 そして━━、


「づっ、!」


 セーラの脛を、砕くような威力で蹴った。

 痛みに悶絶しながら、セーラは膝を付いてしまう。

 いつのまにか見下ろせるようになったカフの顔がすぐそこにあった。だが、その表情は初めて見るもので━━、


「━━アタシの前で、諦めるとか言うなぁ!!」


 憤懣を湛えながら、カフは思いきり額同士をかち合わせた。

 再び割れるような痛みがセーラを襲うが━━カフから目を離せなくなった。


「アタシは易々と諦めるような子を、助けた覚えはないっ! 馬鹿!」


「━━っ、馬鹿はどっち!? あたしを助けるために死ぬなんて、どうかしてる!」


「セーちゃんを諦められなかったんだから、仕方ないじゃん!」


「それがどうかしてるって言ってるの!」


 セーラとカフは言い合いをしていた。それはまさしく喧嘩だった。

 子供の頃にできなかった、二人の喧嘩。


「いいかげん諦めてよ! あたしのために頑張らないで!」


「無理! アタシは諦めない。━━星になんかさせない」


 その願いは、セーラがカフに語った願いだった。

 それをカフは奪い取る。それは諦めさせる言葉のようで━━、


「━━言って! 今のセーちゃんの願いを!」


 カフの言葉がセーラの魂を掴み取る。

 彼女には隠し事ができない。全部、バレてしまう。

 本当は、セーラは、


「……あたしは、星に」


「━━━━」


「……みんなが、居て」


「━━━━」


「……カフちゃんと」


 吟味するように言葉を繰り出しては、また引っ込める。

 そうやって、ちょっとずつ削り出す。セーラの真意を削り出す。

 本当は、セーラは━━、


「━━レクトのそばに居たい……!」


 諦めないという誓いがあったから、セーラはここまでやって来れた。

 だけど、唯一諦めたことがあった。


『あたしは、あんたのそばにはいられないみたいだ』


 あのとき、セーラは諦めていた。

 死人が増えることを厭う気持ちもあるけれど、なにより不安だったからだ。

 ━━セーラが母親でいいはずがない。

 だから、諦めた。

 レクトが親元に戻れる筋道を与えて。


「大切なもの、なんだよね」


「……うん」


 言葉に嘘はない、気持ちに偽りはない。

 大切なものだという自覚は、ずっと抱いていたはずだ。


「大丈夫だよ、セーちゃん。大丈夫」


 カフが大丈夫だと言ってくれると、セーラは大丈夫だと信じてしまう。

 それほどまでに心強いのだ。


「━━あたし、戻るよ」


「うん」


「ねえ……また会える?」


「うーん、難しいかな。アタシとミモザだけ除いて意識を消すというのが、ほとんど不可能に近いからさ」


「そっか」


 今の状況は、ただの奇跡に過ぎない。

 だからこそ再現性は限りなく低いのだ。


「でも、アタシはずっと、セーちゃんのこと見守ってるから」


「いつか」


「レクトも連れて来れるかもね」


「━━!?」


 驚くセーラを見て、カフはからからと笑う。


「やはは! 言ったでしょ。セーちゃんの考えてることなんてバレバレなんだから」


 カフを、レクトにも紹介したい。

 彼女がいたから、セーラはレクトと出会えたのだから。


「諦めなければ、でしょ? アタシは、知ってるからさ」


「━━━━」


「だから、今はお別れ」


 諦めないだけで、世界は広がる。そのことをセーラもカフも知っている。


「行って、セーちゃん。鳥のように飛び立って、アタシを越えて行って」


 羽はなくとも、風はある。力強い風が、セーラの背中を押してくれる。

 この風の始まりを、セーラはいつか見つけに行く。

 だから今は身体を任せて、前に進もう。


「あ、そうだセーちゃん。一つ言い忘れてた。……こっち向いて」


 回れ右をして、セーラは全身をカフに向けた。

 いくらか遠ざかったカフの姿が、今の自分にはよく見える。

 当時のままだと思っていたカフだが、もちろんそれはその通りだが、見たことのない表情はまだまだあったのだなとセーラは思う。

 可愛くて天真爛漫で、八重歯がチャームポイントな女の子。

 セーラはカフの笑った顔が好きだ。言葉じゃ伝わらないぐらい大好きだ。

 だからこそ、言葉じゃなくもっと深いところで繋がっているカフには、届いてくれるだろうか。

 この親愛が、この信愛が、この深愛が。


 カフとは当分お別れだ。

 カフにとってもセーラとは長いお別れになる。

 それを理解してる。だからカフは笑ってくれた。

 笑って、笑いかけてくれて━━。


「セーちゃん」


「━━━━」


「成長したねっ!」


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