第二十話『カフ・シェダルの史記』
━━カフ・シェダルは窮屈を厭う少女だった。
カフは『気国』の有力な家であるシェダル家の娘だった。有り体に言えば貴族である。
幼少のみぎりから、外に出しても恥ずかしくない教養や品行方正を叩き込まれた。
とはいえ、学ぶのが嫌だったわけではない。むしろ、知らないことを知るのは好きだったし楽しかった。
だからこそ、カフが好奇心旺盛な少女に育ったのは必然と言える。
しかし、父親はそれを看過しなかった。
カフを無理に押し込め、好奇心を満たさせなかったのだ。
父親を嫌いになることはなかったが、窮屈に嫌気が差して、徐々に反抗するようになった。
八歳にして、反抗期が訪れたのである。
もちろんちゃんとすべきことはやっていた。勉強をしたり、社交界などにも渋々出席していた。丁寧な言葉を使うのは、むず痒くて堪らなかったが。
やるべきことはやって、時たま反抗してという生活を繰り返していると、自分の欲しいもの、やりたいことが段々と見えてくるのだ。
『天つ国物語』について深く知ったのも同じ時期だった。
カフは元々『気国』にいたが、父親の事業の都合でファミルド王国の邸宅に身を移した。
新規に建てたものではなく、古くからある家だったため、倉庫なんかに潜ると色んなものを見つけることができた。
とりわけ歴史書や魔法書などが多く、後者は読めないが歴史書はカフの興味を大きくそそったのだ。
同時に『天つ国物語』が、昔と内容が違っていることも知った。
元々、カフは『天つ国物語』━━便宜上『新・天つ国物語』と呼ぶが、これの結末が好きになれなかった。
なんだか、レクトが窮屈そうに見えたからだ。最終的に自分自身の可能性を閉ざしたようだった。
しかしながら、倉庫で見つけた『旧・天つ国物語』━━つまり原本の方はそんな印象は受け取らなかった。
レクトが飛んで家族のところへ帰ったからではない。
たぶん、自分の成長性を信じていたから。
だからこそ、カフはこの物語の原典の方に惹かれた。
他にも改編の加わった物語はあった。
そのどれもがつまらなくなっていたとは言わないが、やはり微妙なものは少なくなかったのである。
ならば、自分の手で復元しよう。そう思い立つのに、時間はかからなかった。
しかし、単純に書籍として出しても人の目には止まらない。それに本を読んでほしい子供たちに届くことはきっとありえないだろう。
よって、カフは絵本を描くことに決めた。
思えば商家の娘だから、その選択はある種の必然めいたものだったのかもしれない。もちろん金が全てではないが。
そうしてカフはやりたいことが見つかった。
しかし、欲しいものはまだ手に入れてなかったのだ。
━━カフは単純に、友達がほしかった。
知り合いこそ多けれ、その大半がおっさんである。
やっぱり、カフは同年代の友達がほしかった。
せっかくファミルド王国まで来たのだから、一人や二人つくりたい。
そう思い、カフは家を抜け出し最寄りの村まで走っていった。山を越える必要があったが、カフには無問題だった。
しかし、最寄りの村はあまりにも高齢化が進み、同年代の子がいなさすぎる。
半ば諦めムードで肩を落としていると、村長からセーラという少女の名前と家を聞いた。そのあと何か言ってたがカフは大して聞かずに、聞いた少女の元へ向かった。
パンの香ばしい匂いをくぐり抜け、目的の家に着く。すると、裏手から楽しげな少女の声が聞こえてきた。
どうやら窓が開いていたらしい。
カフは特に深く考えることもなく、近くの木に上り、窓枠に向かって飛び付いた。
「━━誰とお話ししてるの?」
「ひゃいっ!?」
驚きに声を上げたのは、カフと同じか少し幼いぐらいの少女だった。
夜を思わせるような黒褐色の髪に、星空を幻視しそうな黒瞳。大方の人間が描く動物は夜鷹なのだろう。
しかし、カフは違った。
━━白鳥のような少女だと、カフは思った。
始まりはただの好奇心だった。
彼女が精霊と話していたから、カフはその日以来彼女のところへ訪れるようになったのだ。
そんなことを言ったら、もしかしたらショックを受けてしまうかもしれないけれど。
だけど、精霊に惹かれてしまったのだ。珍しく父親に嬉々として話すぐらいには。
カフが真に彼女のことを友達だと自覚したのは━━━否、大切な存在だと自覚したのはとあることがきっかけだった。
セーラを、傷つけてしまったのだ。
自分の浅慮な言葉で、彼女の心を踏み抜いてしまった。
こんなとき、カフはどうしたらいいのかを知らなかった。
なにせカフは、まともな友達付き合いをしたことがない。社交的な、表面だけの言葉しか思い浮かばなかった。
これでセーラに会いに行くなんて、到底できやしない。
カフは自室で蹲っていた。
「やはは……アタシ、こんななっちゃうんだ……」
初めての経験なのだから、この状態もまた知らぬものであった。
頭では、分かっている。
らしくないことも、自分はこれ以外のことができることも。
しかし、動けないことが今起きている全てだった。
「弱いな……あだっ!?」
ポツリとこぼれた言葉を咎めるみたいにして、額に痛みが走る。
その衝撃も利用して顔を上げると、瞳の奥で黄色い光が明滅した。
「えっと……ミモザ?」
それはカフが唯一視認でき、そして名付けた精霊だった。
ミモザはカフの目の前を交差しながら飛ぶ。まるで、何かを訴えるかのように。
「いや、そういうことだよね……」
セーラは以前、精霊の意思はなんとなく理解できると話していた。思念みたいなものが薄く流れてくるらしい。
その感覚はカフもミモザと接して得ることができた。
だが今回はそうでなくとも、言わんとすることは、意思は伝わってくる。
━━セーラのところに行って。
ミモザはそれだけをカフに伝えに来たのだ。
「ミモザは……ううん、アタシは、だ。これはアタシのこと。見なければならないのは、そっちなんだ」
カフがどうしたいか。そんなものは、ずっと自分の行動を決める指針だった。
果たして蹲っている状況は、自分のしたいことなのか。
━━違う。
「ミモザ、ありがと。アタシの顔を上げてくれて」
カフはまだ子供だ。だから何度も間違える。
でも、間違えても立ち上がらなくてはならない。人生はまだまだ長いのだから。
そして、その人生にセーラがいてほしい。
彼女は、友達だから。
「もちろん、ミモザもね」
黄色い光を擽って、カフは立ち上がる。
セーラのところに行く。
それから始まりだ。
○
ある日突然、屋敷を出られなくなった。
それを指示した父親は、そのことについて何も話さない。
だから、カフも反抗して忍び出たりしているが、出る度に警備が固くなっていく。
セーラに会いたい。
━━何か、嫌な予感がするから。
「━━━━」
一週間も村に行かなかったのは、初めてのことだった。
セーラには一過性のものだと伝えているが、あまりにも異常だ。
だから━━、
「今日は、絶対に行くから」
「━━禁止。カフ様、お戻りください」
薄桃色の髪をしたメイド━━アルマが、恭しくカフの前に立ちふさがる。
カフにとっての一番の障害は彼女だった。
今まで本気で立ちふさがった場合の彼女に、勝てたことはないのだ。
無論、その本気度もまたカフを村に行かせる理由を強くしているが。
「━━━っ!」
「不可能。諦めてください」
窓から逃げようとするカフの間に、素早くアルマは簡素なスティックを差し込み行動を阻害する。
「……アタシを殺す気?」
「否定。有り得ません。━━ですが、躊躇わない」
「恨むぞ、父さん……っ」
アルマは『号国』の精強民族である。とはいえ、かの国の特色はそこにはない。
語っている余裕はないけれど。
「アルマ! 何か知ってるんでしょ!」
「命令。私が動くのはそれがあったからです」
「それが一番困るよ……っと」
廊下を派手に跳び回りながらカフはなんとか隙を窺う。
別にアルマを倒せというわけではない。屋敷から出ればカフの勝ちなのだ。
しかしながら、あまりにも隙がない。
━━『風読み』を用いて、カフは模索しているが。
ちなみに、『風読み』は『気国』特有の技能である。
「封鎖。出ることは禁じられています」
「聞いたってば」
正攻法では、というより単純に手数が足りない。
自分の動きが段々と良くなっているのは、身に染みて感じるが、あくまでもそれは個人の域を出ない。
もう一人誰かが味方をしてくれれば、また変わってくるとは思うが━━、
「━━なんだ、いるじゃん」
カフは走った。八重歯を見せ、笑いながら走った。
不合理を吹き飛ばすように、不条理を切り裂くように、駆け抜ける。
アルマはわずかに面を食らったような顔をするが、すぐに対処しようと構え直す。
正しい。こんな隙だらけの少女に、慎重になる必要はない。
━━それで、正しい。
「瞬いて! ミモザ!!」
閃光がアルマの目を焼く。隙ができた。
カフは勢いをつけながら地面に両手を付け、自分の身体を押し出す。
そして━━、
「アタシの邪魔を、するなぁ!」
身体に回転を加えながら、アルマの頬に爪先をねじ込んだ。
アルマの身体が空を舞い、壁に叩きつけられる。
その間に、カフは屋敷を飛び出した。
「行くよ、ミモザ。━━待っててね、セーちゃん」
惨劇という言葉の意味を、カフは今ここで初めて知った。
村の家屋は片っ端から荒らされて、血溜まりに伏す人々は全員見知った顔だ。
そして、その中心にいる唯一の生存者が━━、
「セーちゃん……だよね……」
異様な状態だった。
緑色の茨に青色の荊に赤色の棘と、色とりどりにセーラの周りを取り囲んで、むやみやたらに破壊を撒き散らしていたのだ。
そしてそれはゆったりと進軍していた。
「このままだと……」
━━世界が滅んでしまうかもしれない。
誇張表現でなく、まさにそんな有り様だった。
だがしかし、ただの村娘が何をして、されて、強大な力を手にいれたのか。
「ミモザ、知ってること全部アタシに教えて」
「━━━━」
ミモザの思念が、カフの思考を浸す。
セーラが謎の女性に付いてあの建物に入ったこと。そこで捕らえられたこと。精霊を無理やり摂取させられたこと。
そして、その精霊がおそらくセーラの魔力に当てられて大精霊に成ったこと。
「━━━━」
カフは頭の回転が速いと思う。だからこそ、気づくのも結びつけるのも速い。
カフ、研究所、精霊は全部繋がっている。
どこから情報が洩れたのかなんて明白だ。━━カフの父親だ。
だけど、父親に話したのは紛れもなくカフのせいである。
「アタシのせいだ……」
アルマの行動にも合点がいく。
偶然でも不幸でもない。因果で繋がった必然的なものだ。
━━ならば、それを止める責務はカフにある。
「……ミモザは、同じ気持ちだと思ったんだけどなー」
ミモザがカフの目の前に出てきて、存在を主張する。
きっとカフの感情を読み取ったせいだ。
「ミモザはさ、結局どんな立場なのさ」
ミモザは元はといえばセーラにくっついていた精霊だ。というより、大半がそれでミモザが例外なのである。
カフに見える、精霊はミモザだけだ。
ミモザは二人の仲を取り持ってくれたこともあった。
思いやりの強い精霊。説明と矛盾している。精霊とは利己的な存在なのだろう。
「やっぱり、セーちゃんを救いたいんじゃん。━━わかってる。ミモザの気持ちはよくわかる。だから、いいのさ」
「━━━━」
ミモザは献身的だ。セーラのことも、カフのことも、幸せを望んでる。
だから止めたのだ。━━カフの願いが潰えぬように。
だけど、だからこそ、それは必要ないのだ。
「━━今のアタシの願いは、セーちゃんを救うことだよ」
責務といったが、あれは訂正する。義務でもない、贖罪でもない。
たった一つの、カフの願いだ。
それを届けにいく。━━かつて約束したのと、形は少しだけ違うけれど。
「だから、ミモザ。教えて」
「━━━━」
「隠している、君の全てを」
荒れ狂う茨に距離制限はないのか、どこまでもカフを追ってくる。
風切り音が耳を撫ぜ、致命の一撃をもらわないように回避行動を起こす。
その度に距離は遠ざかっていく。
「熱……では、あるんだけど、近づくだけならそこまで影響はないって感じかー」
セーラの茨を分析しながら、カフはステップを踏む。
当たれば即死だが、熱が完全に内包されているため近づくのは意外と出来た。
「……づっ」
鼻血をボタボタと垂らしながら、バク転で茨の猛攻を避ける。
ミモザも心配して駆け寄ってきた。
「大丈夫。ちょっと『風読み』を回しすぎた。━━でも、上がってる」
技というのは使えば使うほど、磨けば磨くほど強く輝きだすのである。
今のカフじゃセーラに辿り着けない。━━だったら、今のカフから脱却すればいいのだ。
「成長するのは主人公だけでも、セーちゃんだけでも、ないのさ。アタシだって、成長するんだ」
九歳にしては太めの腿を叩いて自身を鼓舞する。
魔法も技術も精霊術だって、大切なのは想像力だ。
「できるよね、アタシ」
ミモザに掴まってもらうよう指示を出し、カフは軽く肩を回した。
そして脱力感を巡らせ、自然に前に倒れる。身体が地面と接する━━直前に、爪先で地面を蹴り、自分の身体を弾き出した。
茨の下を潜り、セーラに迫る。
「━━━━」
しかし新たな茨がカフを捉えようと出現する。カフは両手を地を撫でるように付け、指をしならせて、ひねりを加えながら斜め前方に身体をやる。
だが、浮き上がれば格好の的だ。空中というのは人類にとって、あまりにも頼りが無さすぎる。
だからこそ、人々は空に憧れを抱くのかもしれない。
カフも空は好きだ。青空が好き。星空が好き。曇天模様も嫌いじゃない。
手を伸ばせ、カフ・シェダル。セーラのところまで届くよう。
「━━た、ああぁぁっ!」
自由落下の体勢が静止し、さらに上昇する。
━━カフは手を伸ばし、空気を掴んだのだ。
『風読み』の真価は、流れを捉えることだ。流れのなかには確かな面が存在する。
空気しかり魔力しかり、カフはそれを捉え離さない。
無論、茨の追随は止まらない。だがしかし、上と下の関係に持ち込まれて優位性は明らかに変化した。
タンブリングの要領で、カフは徐々にセーラとの距離を詰める。
茨も触れずに削れるようにもなった。
そして━━、
「━━アタシを見て、セーちゃん」
セーラの背後に滑り込み、カフは呼びかける。鼻血を拭い、軋む心臓を抑え、八重歯を見えて笑った。
「そんな辛そうな顔、セーちゃんには似合わないよ」
セーラに表情と呼べるものはなかったが、カフには辛さが見て取れた。
だから、カフは憤りに牙を剥いて言葉をぶつける。
「セーちゃんを蔑ろにするあんたたちは赦さない。━━ミモザ!」
セーラの口に手を伸ばし、強引にミモザをねじ込んだ。
セーラには精霊と同調する力がある。魔力には精霊を進化させる親和性がある。
だからミモザもきっと大精霊になってしまうだろう。
しかし、ミモザは、ミモザだけはセーラを救い出せる。━━ミモザは、セーラと対だから。
「……ぐっ、行、て!」
セーラの両手が、きりきりとカフの首を締め上げる。むしろ、へし折る力だった。
本当はセーラが悲しむから、死にたくはない。
だけどたぶん、この方法じゃないとセーラに届かない。彼女の魂に、自我に近づかなくては。
カフは必死に笑みをつくって、言葉を投げかける。
━━最期の言葉を投げかける。
「セーちゃん」
「━━━━」
「……どう、か……しあわせに━━」
カフの願いは果たされる。
━━空気がとても澄んでいた。
○
この機会を予期していたかと言われると、微妙なところである。
強いて言うならば、希望は遺しておいたという感じだろうか。
とはいえ大半が奇跡の産物だ。
でも、やっぱり、セーラが大切にしていたから、ここへ導けたのかもしれない。
━━セーラの『息子』には、直接感謝を伝えたかったな。
「さてと、話をしようか、セーちゃん」
夜を思わせるような銀色のメッシュが交じっている黒褐色の髪も、浮かぶ恒星のように煌めく黄色い瞳も、最期に見たセーラの姿からは変わっている。
それはきっと、カフとミモザのせいだろう。当の本人はたぶん、気づいていないだろうけれど。
「あんな紛い物じゃなくて、本物のカフ・シェダルとさ」
活発に腕白に、カフは大きく八重歯を見せながら笑った。




