第十八話『少年の日はいま』
上空に漂う二つの影がある。白色とクリーム色の二つ。
そして真下にも二つの影がある。赤色と銀色の二つ。
その前者の前者━━ルステラは、レクトの表情をちらと窺う。
「憂いが、ありそうな顔だね」
アセシアは無事に成し遂げてくれた。あの首なしは総員彼女の支配下に送られただろう。
はっきり言って最上の結果だ。
だけど、それが転じてレクトの憂い顔になったのだろう。
「やっぱり、アセシアさんのことだよね?」
「そう、です……」
無理もないとルステラは思う。
セーラが母親じゃないと知っていても、ずっと傍にいて育ててくれた人を、母親じゃないと認識するのは難しいだろう。
だけど、
「いま、君が揺れてちゃダメだよ。折角ここまで来たんだから」
レクトの気を強く持たせるために、ルステラは声をかける。
詳細は不明だが、これで『星王の啓示』が鈍るなんてことがあったら大変なのだ。
「揺れてるわけじゃないんです。ただ、どうしたらいいか分からなくて」
レクトはずっと前向きだ。前向きだから、後ろ向きみたいな言葉が飛び出てくる。
━━セーラを助けたあと、そのあとを考えるような言葉が飛び出てくる。
「それは……」
━━終わったあとに考えたら良いんじゃない、と続けようとしてルステラは中断する。
それを言えば、きっとレクトは切り替えてしまう。そして、セーラを救うだろう。
目的は果たされる。しかし、それで良いのだろうか。その先延ばしが、楽観視が、セーラの暴走を招いてしまったのではないか。
セーラの様子がおかしくなったとき、ルステラがもっと向き合っていれば、防げていた。
レクトはきっと、飛び出せていただろう。
アセシアも力を使うことを躊躇わなかっただろう。
二人はその失敗からちゃんと学んだ。━━ならばルステラは、何を学んだ。
きっと、ここなんだと思う。
「━━私は、あれで終わりは絶対にやめてほしい」
アセシアの心境の変遷を、ルステラは見てしまった。
彼女がどんな人生を歩んだのかなんて知らないが、レクトを大事に想う気持ちはよく伝わってきた。
そんな彼女が、首なしを止める瞬間━━否、予兆はあった。
しかし、それは杞憂に終わった。
なのに、首なしを止める瞬間の彼女は、レクトの背中を押したのだ。
彼女の選択にルステラが口出しする権利はない。
だからこれはただのエゴだ。
「二人は親子なんだよ。血が繋がってるんだよ。それを無視なんてしちゃダメ」
掛け値のない本音だ。本当はもっと前に言いたかった。言わなくちゃ、ダメだった。
だけど、ルステラに芽生えた本音は一つだけじゃない。
初めは名前に興味が湧いただけだった。セーラの台詞が気になっただけだった。
だけど、レクトと接したことで、違うんだって気づいたのだ。
「でも……それだけじゃない。本音ではあるけどね」
目を細めて、思い出すようにルステラは続ける。
「以前君の名前の由来について、話したよね」
「『天つ国物語』の主人公から来てるって……」
「そうそう。覚えてくれていて嬉しいよ」
「一応、自分の名前のこと……だから」
ここまでこれたのも、ひとえにその物語があったからだ。
━━『天つ国物語』。
ルステラはその物語のあらすじを語り始める。
「この物語はね、主人公のレクトが事故で地上に落ちちゃうところから始まるんだ」
「空の上に住んでたってことですか?」
「そういう種族でね。……あ、もちろんフィクションだよ」
念のためだが創作であるという注釈をいれておく。
━━ルステラは続きを語る。
「落ちた所でね、心優しきパン屋の少女と出会うの。まあ、そこから色々あって……本当に色々あって、最終的には大きく仲が深まるの」
起承転結の承転は長くなるので割愛する。なので、次にルステラは結の部分をレクトに語る。
「だけどね、最後にレクトは……レクト・ウェザリウスは家族のところへ帰っちゃうの」
「……なんで、帰っちゃたんですか?」
「それは作者が家族愛を描きたかったから……というのは、品がないね。まあ、一言で言うなら、お兄さんに心を打たれたからかな」
それを鑑みて解釈すると、セーラはもしかしたらハイルを更正させたかったのかも━━なんて、想像も不可能ではない。
ともあれ━━、
「わたしはこのラストが好きなの。このラストがあったから、この物語が好きと言えるぐらい」
故に、レクトには向き合ってほしかったし━━なんなら、アセシアのところへ帰ってほしいと思うぐらいだった。
そしておそらく、セーラも似たようなことを考えていたのだろう。
「だけど━━」
「━━ルステラさんは、お兄さんがいるんですか?」
言い終わってレクトは、遮ってしまったとハッとする。
ただ仕方がないので、ルステラは答えることにした。
「いないよ。……たぶん」
ルステラに兄はいない。
だが、最後にたぶんと付け足してしまったのは、ルステラが━━、
「って、それは関係ないね。━━レクト・ウェザリウスは家族のもとへ帰った。だけど、君はレクト・ウェザリウスじゃない」
とある物語の主人公と、同じ名前を持っている少年。
━━彼は、ただそれだけの少年だ。
「家族は大事だよ。でも……」
「━━━━」
「━━君は、君だ」
後追い星のようなことを、する必要なんてない。
セーラが育てたのは、フラムが助けたのは、アセシアが背中を押したのは、ルステラが運んでいるのは、ここにいるレクトだ。
「━━━━」
これ以上、ルステラが言うことはなかった。━━レクトの顔が、晴れていたから。
家族は大事だとエゴをぶつけた。だが、レクトと出会って自分が感じたことはそれだけじゃなかった。
━━知らず知らずのうちに、ルステラも心が晴れていた。
「さて、談義も終了。そろそろ行くよ」
「分かりました、ルステラさん」
意気込むレクトの台詞を聞いて、ルステラは一つ思い出す。
それは━━、
「その、ルステラさんって呼ぶのやめにしない?」
「じゃあルステラ…………さん」
「なんで付けちゃったの」
「やっぱり、ちょっと難しくて」
とはいえいきなり呼び捨てというのもハードルが高い。こういうのは意外と、愛称とかの方が呼びやすかったりするのだ。
「そしたら━━ルスちゃんって呼んでいいよ」
「それフラムちゃんが呼んでるやつじゃ……」
「いいのいいの。パッと思いつかないし」
「……怒られないかな……」
ルステラも、一瞬思わなくはなかった。口を膨らませて不満顔をするフラムは想像しやすい。
レクトになら、いいよと言うフラムも想像しやすいが。
「それじゃあ……ルスちゃんさんで……」
レクトが折衷案をひねり出して、ルステラに出してくる。
想定外の呼び方で、ルステラは笑ってしまった。だが、
「あははっ! でも、いいよ。それでいこう」
不思議としっくりきて、ルステラはそれを通す。もう無理だなんて、言わせない。
レクトもそれを理解したのか、ちゃんと「ルスちゃんさん」と言い、
「お願いします」
「お願いされました。━━フレンにも、後でちゃんとお礼言いなよ」
「はい!」
それを最後に、レクトの身体がルステラから離れる。
フレンにはすでに合図を送っている。
━━あと数十秒で全てが決まる。
○
━━戦闘は、フレンの防戦一方のまま進行していた。
「防御も出来ないんだがな……」
セーラの周りを走りながら、フレンは致命の一撃をもらわないように懸命に回避する。
全てを溶解する熱を帯びた鎖を用い始めてから、まともに攻撃を加えられていない。
倒すことが目的ではないので、何度も攻撃する必要はないが、このままだとルステラに合図を送られても応えられない。
それに━━、
「規模が……」
下手をすると、向こう一年ぐらいは人が住めなくなってしまうかもしれない。
そうなればレクトがセーラを救っても、彼女が気負ってしまう可能性がある。
そして━━、
「このタイミングで合図か……」
フレンの足裏が、コツコツと何かに叩かれた。これが合図だとフレンは確信する。
そしたら、レクトが来るのは数十秒後。
転移だとフレンに合わせられない可能性がある。走っているフレンに当たるなどすれば、十中八九レクトは死んでしまう。
それにやるなら、そう言ってくるだろう。それがなかったということは━━、
「━━なるほどな」
遥か上空に二つの気配を感じて、ルステラの意図が判然とする。さっきの大きな音は、ルステラそうするために仕方なく発生したものだろう。
ともあれ、うかうかとはしていられない。
「━━━━」
ここまで、ただ逃げ回っていたわけじゃない。観察をして反撃のシミュレーションも行った。
━━一つだけ、隙と呼べるものは確かにあった。
「後は扱い方だな」
半端な反撃じゃ、セーラの物量に完全にカバーされて意味がない。
やるなら徹底的にである。幸いもう出し惜しみする必要はないのだ。
ただ、そのためには━━、
「悪いが使わせてもらう」
背面跳びで鎖を避け、比較的手の薄いところへ着地する。そして片足を浮かし━━思いきり地面を粉砕した。
破壊音と附随して振動がセーラに到達する。
もちろんそれが大きな隙になることはない。━━だが、気は一瞬そこに持っていかれる。
「━━穿てっ!」
地面を粉砕したのは、セーラの気を一瞬でも引くこと。━━そして、手数を増やすことだ。
セーラの鎖は恐ろしいほどに強力だ。
伸ばして遠距離攻撃。纏えば近接も可能。さらに、熱を帯びさせて何もかもを溶解させる一撃必殺。
だが、一撃必殺が故の不備がある。━━自分を巻き込んでしまうのだ。
だから、鎖の起点。根本は通常の鎖だ。
触ることはできない鎖は、根本に限り触れることができる。
地面を粉砕して手数を増やしたのは━━瓦礫を得たのは、同時に全てを穿つためだ。
大小さまざまな瓦礫を両手いっぱいに掴み、全力で投げた。
つい最近、似たようなことをしていなければその案に至ったかどうか。やはり、何事も経験しておくべきである。
だが、これで終わりではない。
礫で鎖を削ったのと同時にフレンは、投げたスピードと同等かそれ以上でセーラに近づく。
セーラは反応して、攻撃しようと腕を上げようとするがもう遅い。
━━切り上げた刃の軌跡がセーラの顔を露にする。
「そんな顔、していたんだな」
艶やかな黒髪に、一条銀色のメッシュが走っている。引き立てるのは透き通るような肌。そこに浮かぶのは、恒星を嵌め込んだみたいに輝く黄色の瞳。今はそれが悲しげに煌めいている。
だけど、本当はもっと優しい顔をしているだろう。
「顔を上げろ。そしたら、きっと大丈夫」
フレンは込み上げる血を堪えてそれを伝えると、すぐにセーラから離れた。
○
本当に心の底から空が嫌いになったわけじゃない。
ただあのときは、感情が表象したとき憧れが憎しみになってしまったのだ。
小心翼翼とした自分には、空が大きすぎたから。
いまだって、恐怖がないわけじゃない。
初めて酷使する力で、どうなるかも想像できないのだ。
だけど真に怖いのは、力が不発に終わることや激しい痛みが襲うかもしれないことではない。
━━自分が、セーラに殺されてしまうことだ。
死ぬことではなく、殺されてしまうことが恐ろしい。
おこがましいかもしれないけど、セーラの心はレクトを殺してしまうことに耐えられないだろうから。
そのとき、傍にいられないのが恐ろしい。
それにレクトは話したいことが、まだやり残したことがいっぱいあるのだ。
たとえば、空の美しさとか。
世界の果ての果てまで広がっているこの空の美しさは、いまだけはレクトのものだ。
飛んでいる、レクトだけのものだ。
セーラは言った。どこまでも飛んで行きなさいと、そう言った。
その言葉をいまのレクトは正しく解釈できる。
ウィリアム・スカイラークを復活させるための言葉だったと。
だが、それはあえて否定する。
ウィリアム・スカイラークには助けられた。だって、アセシアに出会えたから。
それでも、レクトは否定する。
だってこの言葉のおかげで、レクトはここまでこれた。
━━ぼくはいま、きっとうまく飛べている。
それをセーラにまず伝えたい。
ウィリアムじゃなく、セーラが与えてくれたレクトとして、一番初めに伝えたい。
レクトはもう、迷わない。逃げたりもしない。ちゃんと向き合うと決めたから、どうするか決めたから。
これは、それの一番だ。この一番だけは譲れない。
だから━━、
「戻ってきて……」
中空でセーラの星が瞬くみたいに光る瞳と交錯し、レクトは吠えるように叫ぶ。
ずっと言えなかった言葉。言っちゃダメだったからなんて言い訳して、口にしなかった言葉。
怒られるかな、困らせちゃうかな。━━認めてくれるかな。
今さらだけど、十一年もかかっちゃったけど、本当はずっと言いたかったんだ。
「戻ってきて! ━━お母さん!!」
空は快晴。
天から授かるみたいに、一人の少年が翔臨する。
━━瞳の奥で、何かが爆ぜた。




