第十七話『王妃として、母として』
━━アセシア・スカイラークにとって、我が子はなによりの宝だった。
アセシアは四人の子を産んだ。
その理由は至極単純で、自身に兄弟姉妹がいなかったからである。
寂しかったとか、憧れがあったとかが皆無だったかといえば嘘になるが、一番の理由じゃない。
王族として血を途絶えさせないようにという使命感でもない。
アセシアが子を四人産んだのは、子を一人しか産むことをしなかったのは━━可能性を、閉ざさないためだ。
アセシアの両親は、望んで一人しか産まなかったわけじゃない。ただ少し、相性が悪かっただけである。
しかしそれならそれで方法はあった。━━母じゃない人と、子を成すなど。
思えば、父は愚かだったのかもしれない。
子孫を残すためとはいえ他の人と交われば、たった一人を愛す美しさが失われてしまうと考えたのだろう。
もちろん、真意を聞いたことはないので、推測にしかならないけれど。
結局、スカイラークの血筋は、アセシアにしか残らなかった。
それに対する反発や糾弾が無かったわけではない。ただ、結果としてアセシアに兄弟姉妹はいない。
やはり父は愚かだったのかもしれない。━━母も、愚かだったのかもしれない。
母にスカイラークの血は流れていないが、危うさは自覚していたはずだ。
母が背中を押していれば、こんなことにはなっていなかったかもしれない。
かといって腹違いの兄弟姉妹が溢れかえっても、困るところだが。
しかし一人に比べれば、それもましなのかもと思えてしまう。
だって、血を継ぐのが一人だと━━その人に全ての負担がいってしまうということだから。
幼年期のアセシアには自由意思なんてなかった。
青年期のアセシアには自由意思なんてなかった。
あなたしかいないのだからと、耳にタコができるまで言われた。
両親はそれを気の毒に思っていたという。だから、なに。
婚姻相手も、アセシアが選んだ人じゃない。
信用できるかも、できないのかも判断できない内に、気がつけば隣にいた。
だから、これだけは譲れなかった。
━━子供のことだけは、譲れなかった。
具体的に何人という目標があったわけじゃない。最低でも三人ぐらいの思いはあった気がするが。
最初の子は結婚してから一年で産んだ。十八の頃だった。次の子は翌年に。その次の子も翌年に。
そこで無意識に安心してしまったのか、不思議と身籠ることはなかった。そもそも数が減ったというのもあるけれど。
それから十数年、ウィリアムを身籠った。
まだ三十代だったが、これが最後の子になると不思議と思っていた。
━━そして、産まれてきたウィリアムは、ある日突然姿を消したのだ。
王族誘拐事件だと話題にはなったが、すぐにそれは収まった。
ウィリアムは死んだ。そういうことになったから。
それでもアセシアは地道にだが、探し続けた。
見つかることはなかったが、しかし、現れたのだ。
だが、そこへ何らかの意思が働いていることはすぐに判った。そして、それはアセシアにとって最悪のことだった。
ウィリアムを発見したとアセシアの前に連れていくと提案した者はなんと残酷なのだろうと。
本当は気づいていた。誰が犯人なのかぐらい。
だって、アセシアは四人の子の母親だから。王を夫に持つ王妃だから。
ハイルがやったことぐらい、夫がそれを隠したことぐらい、お見通しだ。
理由はきっと、王位絡みだろう。上の子二人は、ウィリアムを身籠った時点で、それを放棄していたから。
そこまで知っていてなにもしなかったのは、単純に証拠が無かったと、アセシアにとって我が子は宝だったから。
だから、欲しかったのはウィリアムじゃなかった。━━生きていてくれれば、それでよかった。
捜査を続けていたのも、本当はそのためでもあった。
でも、ウィリアムが抱きしめられるところまで帰ってきたとき、そんなの全部吹き飛んでしまった。
自分は一度もウィリアムの味方をしなかったのに、今さらになって都合が良すぎる。
それにほら、ウィリアムにはセーラという立派な母親がいた。
だったら、アセシアは何でもない。ただの、血の繋がったおばさんだ。
理解している。
なのに、アセシアはこんなことを提案しようとした。
━━三人で、一緒に暮らさないかしら。
どれだけ自分勝手に生きるのだろう。
こんなことなら、自由意思なんてない最悪な過去のほうがましだった。
辟易とする。気持ち悪い。
父は愚かだったのかもしれない。
母は愚かだったのかもしれない。
━━私は、最低だ。
○
「身長差があるから、どうしても不格好になっちゃうね」
「━━━━」
「どうかした? 持つの下手くそ?」
「いえ、想像以上に力持ちで……」
ルステラは今、アセシアを抱えレクトをおんぶしている状態だ。たぶん二人合わせたら、ルステラ一人の体重を越えているだろう。
しかし、中々に不思議なことが起きたものである。まさか亜人に抱えられるなんて。
「レクトくんもちゃんと掴まってる?」
「ばっちりです」
「そしたら、行くよ」
周りに誰もいないことを確認し、ルステラが軽く踵を鳴らす。
するとその音から一拍遅れて、凄まじい轟音が耳をつんざき、次の瞬間には都市を見下ろしていた。
思わず「すごい……」と感嘆してしまうが、反面ルステラは不満げだ。
「ホントはもっとスマートに飛びたいんだけどね。一応、破壊を抑える方法もあるんだけど、それだと高度が稼げなくて。空中で炸裂もできないし。不便すぎるよ……」
真下に目を向けると、ルステラの居た場所から円形に爆発したような跡があった。
とはいえ実際に炎上を見たわけでもないし、本当に音と破壊だけなのだろうが。
「でも、これで第一段階は終わり。セーラさんも……うん、フレンに夢中だね」
遠くの方で壮絶な戦いが繰り広げられており、ますます不安が加速する。
ウィリアムは今からあそこへ行くのだ。ルステラですら介入できないと諦めた所へ。
「フレンさん、苦戦してないですか……?」
「なんかセーラさんが、変な手を使ってるね。……熱?」
目を凝らしながら考察に没頭しかけていたので、アセシアは身を動かして目的を思い出させる。ルステラはごめんと言わんばかりに舌を出した。
「考察はいらないね。フレンならやってくれる」
ルステラは瞑目し、セーラの方向を向いていた身体を反転させる。
王都は阿鼻叫喚というほど酷い有り様ではない。
だがしかし、それは妥協して良い理由にはならないのだ。
「準備はいい?」
「ええ、いつでも行けるわ」
深呼吸し、心を落ち着かせる。
これは初めての挑戦だった。きっと、スカイラーク家の歴史の中でも初めて。
不安はある。恐怖も感じる。手が微かに震えていて、自分の意思に反して動くから、まるで自分の手じゃないみたい。
それでもやると決めた以上はやるのだ。
自分はきっと、この国が好きなのである。自分を縛りつけたこともあったけれど、この国が好き。
そして、それよりも、もっともっと━━、
「━━やっぱり……心配、です」
ウィリアムの手がルステラの肩を越えて、アセシアに触れる。
きっとそれはアセシアだからしたのではなく、相手が誰であっても彼は同じようにするのだろう。
━━でも、その優しさが勇気を与えてくれる。
「ぼくはセーラさん一人で、どうなるかわからないって言われて……。それなのに、百を超える数を相手にするなんて……」
ウィリアムの顔が、瞳が心配で揺らぐ。━━それは、尊いことだけれど、甘い毒でもあった。
彼は真っ直ぐ進まなければいけない。途中で揺らげば、力が翳る。
だからアセシアは、触れられている成長中の手をくすぐって、
「貴方が心配して、どうするの。私は大丈夫よ」
母親は勝算もなしに動いてしまう生物だけれど、今回ばかりは無謀じゃない。
『星王の啓示』は、後天的に宿ることはない。素質は生まれながらにもっている。
つまり、
「貴方は十年。私は四十年。力の使い方ぐらい心得てるわ」
年季が違うのよと、徐々にこちら側に向かってくるウィリアムの頭を弾いて元の場所に帰らせる。
「ルステラさん。お願い」
「あいあいさー」
軽い言葉からは想像もつかないほど、大規模な術が王都に展開される。
それはルステラがアセシアと会うとき自身にかけていた魔法だ。
━━認識阻害。その拡大版だ。
それが首なしの騎士以外の全ての生物に適応される。
ちなみにアセシアは、術があることは魔力の揺らぎを感知できる関係で見破れるが、実際に見えているわけではない。
そう言えば━━、
「先ほど、耳のことを……」
「いらないって、そういうのっ!」
最後に言い残そうと切り出したが、ルステラは苦笑しながらそれを遮る。
「わかってるから。━━無事に戻ってきたら、チャラね」
「……はい」
いたずらっぽい表情をしたルステラに、アセシアは頭が上がらない。
アセシアは、耳を隠す魔力の揺らぎを指摘したとき━━悪意があった。
ウィリアムを助けてくれた恩人だからじゃない。それは人として一番してはいけないことだった。
それをルステラは気づいて、ああ言ったのだ。
だからきっと、ウィリアムも彼女を逡巡なく庇えるのだろう。
アセシアがこれから行うのは、贖いも含まれている。自己満足だとしても、しなくてはならない。━━それもきっと、見透かされているのだろうけれど。
だけど、これだけは譲れない。この一番だけは譲れない。
「ウィリアム。私が大丈夫な理由はもう一つあるわ」
身体が落下体制に入る。落ちて落ちて、決着はきっと一瞬。
それを迎える前に一つだけ、言っておきたいことがある。
「━━私は、貴方たちを愛しているから、きっと大丈夫だわ!」
全身を空気がなぜ、連れられて王都の景色が眼に広がる。
やっぱりこの国が好きだと、アセシアは思う。
だから、このような狼藉は見過ごせない。
「━━━━」
『星王の啓示』は、全てが後生に伝わっているわけじゃない。
起源は初代の王とされているけれど、何故これを身につけたのか、どうして遺伝していくのかは解明されていない。
ただ、原理自体はそれなりに判明している。
この力は、瞳を通じて両者の魂に道をつくる。
しかしながら、その道に干渉できるのは発動者だけで、相手に塗り替えられるということはない。
意識をこちらに向けさせるというのは、魂が繋がっているから無視できないに過ぎないのだ。
例えば、双子が互いに遠く離れていても、存在をうっすら感じとれる場合がある。『星王の啓示』はそれに近い。
ともあれ、この力は両者を繋げられるのだ。
そして、その繋がりから相手の魂を引っ張りあげる。
しかしながら、人の魂は自分だけで満席だ。本来、誰かの席なんて用意されていない。
魂の強度などと呼べるのかもしれないけれど、それが強ければ強いほど呑み込まれやすくなる。
だが例外はある。セーラなんかはその具体例だ。
カフと呼ばれていた謎の少女が現れて、彼女の魂は弱まった。精神的に不安定になったという方が分かりやすいか。
そういう状態だと、道をつくっても呑み込まれにくい。
これはアセシアの仮説だが、『星王の啓示』の保持者はそこらへんが、そもそも常人より強いのだと思う。
とはいえ、アセシアがこれから相手にする騎士に意思なんてものが、果ては魂が宿っているのかすら懐疑的だ。
だが、魔力は確実に流れている。
魂は言わばスタートとゴールだ。どちらがということはなく、繋がった時点で循環する。
今回は便宜上、首なしの騎士をゴールとするが。
ゴールがなければ、一瞬掴んだ後にすぐに解けてしまう。だが、一瞬は掴めるのだ。
魂があれば、全員と繋げるのではなく、全員で繋がる方法がとれる。
そして魂がなければ━━首なし全員の魔力を合算して、一つの魂として捉えられるかもしれない。
約四十年。この力を抱いて生きてきた。使用する機会は少なくても、自分のものだ。
だから、これはきっとウィリアムには出来ない。魂を直に解することは。
それに、アセシアはウィリアムと違って出来る理由はまだある。━━なんてたって、母親だから。
一体も余すことなく、アセシアは瞳に焼きつける。
「静まりなさい」
六芒星の刻印が瞳から浮き上がる。
意識的に発動させるのは、何年ぶりだろうか。
あまり覚えていないけど、確信して言えることはあった。
━━誰かを救うために、この力を使ってきたと。
ウィリアムが見てる。
だから、教えてあげなくてはならない。王妃として、母として、教えてあげなくてはならない。
最低な私でも、それだけは胸を張って示してあげられる。
「六芒星の導きの下に」
最後に、示してあげられる。




