第十五話『溶ける』
『フレンはとりあえず、セーラの注意を引き続けて! できるだけ最小限でね!』
「まったく無茶を言う……」
鎖の猛攻に耐えながら、フレンはルステラの言葉を思い出す。
どうやらフレンが抱いた疑問は的中で、彼女は話に聞くセーラ・ミルヒカペラらしい。
ああして暴走してる理由を詳しく聞く時間はなかったが、おおよそ何らかの悪意に当てられて暴走してるのだろう。
ルステラはそれを引き剥がすつもりだ。レクトの力がどうたらと言っていたが、フレンにとってそこは重要事項ではない。
ルステラも信じる。レクトも信じる。
だったらフレンは、やるべきことを遂行することに全霊を注ぐ。
「合図があったら、顔の鎖を剥がせか……やっぱり、無茶を言ってくれる」
だがしかし、フレンの目は死んでいない。むしろ心臓の鼓動が高鳴っているぐらいだ。
この鎖の弾幕を凌いで、セーラの鎖を剥がすという無茶を、フレンならできるとルステラは信じてくれたからだ。
とはいえ一筋縄ではいかないのも事実。
なにせさっきより、明らかにフレンを襲う鎖の量が増えているのだ。
「私に集中してるのは狙い通りだが、さらに上がるのは勘弁願いたいものだな」
おそらくフレンを全力をもってして排除しなければならない敵として、認定されたのだろう。
切っても切っても減るどころかどんどん増量する鎖。
あれが魔法的なものならばやがて魔力切れを起こして勝手に沈むだろうが、ルステラがそれを少しも口に出さなかったことから、不可能と見ていい。
「とはいえ、一度大きく削りたいが……」
火花を散らし、弾き飛ばす。剣を折り返し切り落とす。
さっきからずっとそんなことばかりをしているが、目の前のものに対応するだけだったらいつまでもジリ貧だ。
それに、これでどうにかできる脅威などと思われたら、フレンをほったらかしにして別の人を襲いに行くかもしれない。それだけはダメだ。
だったら━━、
「━━━っ」
額に真っ直ぐ伸びてくる鎖を膝を折り曲げて避ける。そしてその鎖に、先ほどから切り落とし続けた、セーラともう接続されていない鎖を拾い上げ、強引に結ぶ。
引っかけて、両端を思いきり自身の腕力で締め上げた形だ。
そして地面から足を離すと、鎖が伸びていくスピードでフレンは後方に下がっていく。
「切ったか……」
自切と、さらに生み出した鎖の分解もできる。今しがた移動に使った鎖も、既に手から失われていた。
だがしかし、フレンはただ距離を稼ぎたかったわけじゃない。
そもそも、セーラ相手に距離はほとんど意味をなさない。だったら何故か。
それは━━、
「━━悪いな」
フレンは後ろに背負った壁をぶち抜き、中に転がり込む。━━そう、フレンが求めていたのは家だった。
比較的損傷の激しかった家に目をつけ、苦肉の策だが使用させてもらう。
「人は、いないか。よかった……」
住人はちゃんと逃げてくれていたらしい。そしたら心置きなく戦える。
もはや上階を経由するのも面倒なので、天井をぶち抜いてそのまま屋根もぶち抜いて、家の屋根に上る。セーラを見下ろす形だ。
下からフレンを追いかけて鎖が迫ってきているのを聞き入れながら、上から鎖で叩きつけようとしているのを目に入れながら、脚に力を込める。
そして屋根を踏み砕きながら、伸びている鎖の真ん中まで跳んだ。
「は━━っ!」
剣を掴んだままフレンは一回転。明らかに剣の射程より広い範囲の鎖が断ち切られる。
セーラの鎖にはほとんど溜めがなく、次から次へと身体から出すことができるのだが━━それはフレン以上ではない。
地面に向かって跳んだため、滞空時間はほとんどなかった。
「━━━━」
まだ合図はないが、接近戦に持ち込む意味はある。
フレンの反射神経なら発生する鎖に対応できる。ならば近づいた状態が好ましい。
今すぐ顔の鎖を剥がすことも可能だが、一度やって警戒でもされたら面倒である。もっとも、そんな意識があるのかは懐疑的だが。
フレンは剣を握り直し━━、
「━━━ぅ」
わき腹に尋常でない衝撃が走り、堪えられず横方向に吹っ飛ばされしまう。
そしてさらに、フレンを殴り飛ばした鎖は解けて右足首に絡まった。
「しまっ━━」
右足を掴まれた以上に、セーラの様相の変化にフレンは息を呑む。
先ほどまでの鎖を伸ばし攻撃するスタイルではなく、鎖を自身の腕や脚に巻いて武装していたのだ。
そして今、フレンはその武装したセーラに引き寄せられて━━、
「━━はっ」
合わせて迫ってくる右腕を、フレンは冷静に左足で下から跳ね上げさせ回避する。同時に、右足の拘束も切り落とす。
一度は自分から距離を詰めたが、分が悪いと一旦距離をとった。
「さっきの攻撃は……なるほどな」
さっきのわき腹への攻撃は死角からかつ、フレンが事前に鎖を切り落としていたこともあり対応できなかった。
だが、元いた地点を見て合点がいった。
「地面の中を這わせたのか」
足裏などから気づかれないように地面の中に伸ばして、フレンの後ろに出現させたのだ。思ったより頭脳的である。
だがしかし、もう通用しない。
鎖の猛攻も、鎖の武装も、死角からの一撃も。全て対応できる。
後はルステラからの合図を待つだけで━━、
「━━━っ!」
直後、全身を嫌な予感が走り、フレンは全力で横に跳んだ。
それで正解だった。
━━だって、フレンのいた場所が跡形もなく『溶けて』しまっていたのだから。
「鎖……だよな」
煌々と赤い光を放つ鎖が、今のことをやってのけたのだろう。
赤い。赤。そして、溶けて━━、
「熱か!」
即座に物質を溶かすような熱を帯びた、フレンめがけて到来する。
当たったら即死亡だろう。
しかし剣を合わせれば、剣の方が溶けて無くなってしまう。
つまり━━、
「あれを掻い潜って、鎖を剥がす必要があるってことか」
急に難易度が上昇して、本当に冗談じゃない。だが━━やってやれないことはない。
しかし━━、
「溶かす、か。まさかな……」
ふと安置所で読んだ記録が思い出されるが、フレンはすぐに目の前のセーラに集中する。
━━絶対に、助けるのだから。
○
首なしの騎士はルステラたちが王城にいた時点ではまだ動き出していなかった。
異様な光景ではありつつも害がないのなら放置するに限る。━━その考えが甘かった。
少し物事が上手く運んでくれて舞い上がっていたが、その分しっぺ返しも大きい。
━━だからって、へこたれてなんかいられない。
「あの、どんどん離れていってますが、大丈夫なんでしょうか……」
ルステラの隣、不安ぎみに声を上げたのはレクトだ。小さい歩幅で、しかし、力強く走る彼の疑問にルステラは答える。
「わたしたちじゃ、あれに介入できないし、してもフレンの邪魔にしかならない。ちゃんと言ったでしょ、セーラさんは助けるって。君のその力でね」
ルステラはレクトの持つ力を指し示すように片目を瞑る。
しかし、セーラはそれで問題ないが━━、
「━━首なしの騎士が、厄介だわ」
ルステラの気持ちを代弁するように言葉を発したのは、アセシアだ。彼女は意外にも走りが速く体力もある。
「ハゼルとアレキス。あとフラムを先行して対処に回したけど、やがて追いつかなくなる。一気に叩くんなら、わたし以外じゃたぶんできない」
アレキスとフラムは、負傷者の治癒と首なしの相手。ハゼルには避難誘導を任せた。
とはいえ対処療法でしかなく、大元を叩かなければ問題の解決には至らないだろう。
そしてそれはルステラが適任だ。━━もう一人の適任は、現在セーラを相手してくれているため頼めないし。
しかし、それをすると、レクトをセーラのところまで運べない。
はてさて、どうするか。
「━━ルステラ」
どうしようかと悩んでいると、フラムを背負ったアレキスが建物を飛び越えてルステラに話しかけてくる。
「なんとなく見えた?」
「……まず、あの首なしたちは市民を攻撃はするが殺しはしない」
アレキスの持ってきた情報は一見良いもののように思えるが、その実あまり喜ばしいことではない。
アレキスの言ったこと。それはつまり━━、
「負傷させて転がしたまま。放置してたら失血死。……アレキスがいるからまだましに見えるけど、場合によっちゃ殺すより最悪」
負傷者はアレキスが完治させられるが、それも無限ではない。やはり機能を完全に停止させるに越したことはないだろう。
「そして、もう一つ判明したことがある」
淡々と情報を話すアレキス。声音からして次も悪い事実が繰り出されそうだが、アレキスにあまり焦りは乗っていなかった。
「首なしたちは、市民以外の相手に対して、尋常でない膂力を発揮する」
その事実が大きく戦況を変えることはない。ただ、ルステラの中で燻っていた疑問が、ほとんど解消される。
ハイルが、どうしてこんなことを引き起こしたのかというのは、判然としなかった。
セーラを支配し、民を傷つけ、わけのわからない力まで用いて、何をしたかったのか。
━━本来、首なしから民を救うのはセーラだったのではないか。
それがルステラたちのイレギュラーな介入によって壊れた。
しかしそれだと、ハイルがやろうとしてたのはマッチポンプというやつである。セーラの犠牲が前提の。
だったらそんなの、ますます許容できないし、ますますムカつく。
「それはあんまり影響ないって考えていいんだよね?」
「ああ。力押しで大した脅威じゃない」
だとするならば、先行させて向かわせたハゼルは心配いらないだろう。
アレキスとフレンを隣においた時点で大体の人は霞んでしまうが、ハゼルも相当な実力者だ。あんなものに不覚は取らない。
「そしたらアレキスは━━」
具体的な策もまだ組み上がっていないが、アレキスには引き続き救護をしてもらおうとして━━ボゴンッという音とともに、ルステラたちのところへ何かが送られてくる。
首のあるその人物は━━、
「━━ハゼル!?」
ルステラは一切の逡巡なくハゼルを治すが、なにやら様子が変である。
身体の傷はバッチリ治した。というよりそこまで深い傷はなかった。頑丈だ。
ただ、ハゼルはわなわなと指先を震えさせながら、心ここにあらずという具合だった。
「どうしたの、ねえ!」
「我は……」
ルステラの言葉に答えたというよりは、独りごちた雰囲気だった。
ハゼルは自身の分厚い手で、顔を覆うと、
「我は、もう、無理だ……」
それは、ハゼルの磨きあげた心意気が完全に溶けてなくなった言葉だった。




