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暁の史記  作者: 焚火卯
二章
39/124

第十話『誰も予期せぬ邂逅』

「結構本気でまずったよなぁ……」


 腕を組みながら、男はうんうんと唸る。

 この行為も、ここに連れられてきてから何度目だろうか。どれも虚しく、壁に吸収されていったのだけれど。

 ただ、それが当然とも言える。━━なにせここは、檻の内側なのだから。


「━━━━」


 男の眼前には、格子状に嵌め込まれた無骨な鉄棒の壁がある。

 等間隔に嵌められたその格子は、一見穴だらけでも、赤子が一人通れるかという幅しかない。成人男性にはどうあがいても無理な幅だ。


「無事だと、いいんだけど……」


 しかしながら、男はあまり自分の心配はしていない。想うのはたった一人。思うところはいっぱいあるけれど。


「でもな、なにが……うーん……」


 男は自分がここにいる理由を全く分かっていない。

 自分を盤面から遠ざけたということは、すなわち厄介な芽を予め摘み取っておきたかったからだろう。

 だからといって、ここにいる理由になるかと言われればそんなことはないのだが。

 なにしろ、本気で邪魔されたくないのなら手っ取り早いのは殺すことなのだから。

 それを行わなかったということは、事態の深刻さを測る指標になったりするけれど。


「僕は、信じていいんだよね」


 あの子の強さを、あの人の弱さを━━自分の価値を、結局のところ信じるしかないのだろう。

 これはたぶん、除外の側面に保護というのもあるはずだ。

 あの人の考えなんて分かりはしないけれど、それは自分が『魔法国家』にいないことから判断できる。

 ━━そして、そろそろ悩むだけでなく何か動かす場面なのではないか。

 おおよそ十日。考察はやり尽くした。

 これだけの月日があれば、多かれ少なかれ外でも何かが起きたはずだ。

 そう、考えると━━、


「僕の行動としては……」


「━━なにをぶつぶつと呟いてやがる」


 頭が落ちそうなくらい首を捻って悩み続けていると、横から低めの声が飛んでくる。とはいえ、格子を隔てて向こう側からだが。

 そちらに目をやると、青い制服に身を包んだ看守が立っていた。


「今から、お前のところに一人入居者が入る」


「すっごい急ですね。空きがないんですか?」


「ここが埋まれば、国として相当危ういだろうよ。まあ理由はお前の意思次第でわかったりわからなかったりするぜ」


 看守の言ってることはあまり要領を得ていないので分からなかったが、男はとりあえず了承の意を示す。もっとも、断る選択肢なんてないのだろうけど。


「ま、上手くやってくれや。機嫌を損ねて殺されたら困るだろ? お互いに」


「困るのは上の方でしょ。あなたは命令されているだけだ」


「はは、違ぇねえ」


 看守は男と談笑しながら、手際よく錠を外す。はっきり言って無防備すぎるが、それは男が暴挙に走らないという信頼から来ているもの━━ではない。

 これから来る、ルームメイトが男に対する抑止力となるのを信じているからだろう。

 ━━だとしたら、なんとも間が悪い。


「━━ちょっと、あんまし適当なこと言わないでくれない? ただでさえ、こんなビジュアルなんだしさ」


「━━━━」


 看守から僅かに遅れてやってきた人を目に入れて、男は思わず息を呑んだ。

 なんといっても、最初に目につくのは━━頭部を完全に覆うように巻かれた鎖だろう。

 そして、その鎖はまるで髪を流すかのように、後頭部から手首へ編まれながら伸びていき、手枷のように手を縛っている。

 拘束されていないのではない。━━彼女は元から、自身を拘束していたのだ。


「真に受けないでね、青年くん。あたしは君と、仲良くしたいって思ってるんだからさ」


 豊満な胸に、肉感的な肢体。艶やかな声音も合わさって━━『彼女』なのだと、改めて認識させられる。

 彼女は、掌の形をとった鎖を目の前に差し出すと、


「あたしは、セーラ・ミルヒカペラ。鎖で悪いけど、よろしくね」


 自己紹介をして、彼女━━セーラは掌形の鎖を半歩前に出す。

 初見は確かに度肝を抜かれた。ビジュアルの驚きだけで言えば、彼女は今後死ぬまで男のトップに君臨するだろう。

 だが男はずっと、驚きの最高点を更新し続けてくれる子とともに居たのだ。何てことはない。

 男は鎖の手をとると、


「━━僕はレガート。僕も仲良くしたいって思ってるよ」


 男━━レガートは、新たなルームメイトにそう微笑みかけた。





 一人ぼっちの無機質な部屋に新たな人間━━セーラ・ミルヒカペラが加わった。

 尋常でないくらいに存在感が強いので、こんな狭い部屋の中じゃ、意識を向けないという方が難しい。


「やっぱり、気になる?」


「気になりますね……」


 鎖を擦らせる音を立てながら、セーラは気さくな感じで話しかけてくる。

 レガートが意識してしまっているのなんてバレバレで、ばつが悪いというわけではないが苦笑ぎみに返す。


「でも、あたしはどうもできないよ。申し訳ないけどね」


 セーラは本気で申し訳なさそうにしているようだった。

 だからたぶん、本当に自分ではどうすることもできない。つまり━━、


「……呪い、とか?」


 呪い、呪術という概念は、ここ数十年で一気に進化した概念である。とはいえ、レガートが生まれるずっと昔ではあるけれど。

 呪いの台頭により、魔法属性が一つ足されたほど影響は凄まじかった。

 ━━その発展の裏に、何があったのかを考えれば嫌になるほどに。

 しかし、そんな憂慮を吹き飛ばすかのように、セーラは笑った。


「やっははっ! 急にぶっこんでくるね、君。でも、呪いではないよ。それだけは本当」


「じゃあその鎖は何のために?」


「不安だから」


 止めどなく溢れるというような呪いではないのであれば、それは自主的なものだ。そしてその理由が不安と来た。

 そこまでする、不安要素とは何なのか━━、


「━━これは、踏み込みすぎかな?」


「ま、この辺が引き際だろうね」


 僅かに拒絶が鎖に滲んでいたため、レガートは潔く身を引く。どうしてかも一応は察したつもりだし。


「というか、そういう君はどうなのさ」


「僕がどうとは?」


「なんでこんなとこ入ってんのってこと」


 とうとうやって来たその質問に「あー」と間を継ぎながらレガートは頭を掻く。

 理由は一応わからなくはないのだが、誰かに話すには論拠が薄すぎる。

 そうして話し方に困っていると、先にセーラが二の句を継いだ。


「ここって王城直下の牢なわけだから、入ってるのは基本的に問題を起こした文官とかばっかなんだよ。当然だよね。危険人物を王の近くに連れてくるなんて頭おかしいし。━━でも、君は違う」


「━━━━」


「相当強いよね。それこそ、こんなとこに置いてたらダメなくらいにね」


 なにげに、レガートはここが王城の地下にあることを今初めて知った。

 加えて、さっき看守が言ってたことの意味がわかる。確かに、ここが埋まれば国は相当危うい。

 ともあれ、セーラの質問としては、レガートがここに居るのはおかしいということだ。

 正直、それに対する答えは持ち合わせていない。あるのは確度の高い推論だけだ。

 だから、とりあえず事実を先に話す。


「……僕は、この国の人間じゃない。隣のノンダルカス王国で、軍人をやっている」


「へぇ、それは驚いた。……ってことは、君は捕虜に近い感じで」


「そうなるのかなぁ……」


 自分で言うのもなんだが、レガートは自身の価値をよく理解している。━━高いことを、理解している。

 だからこそ、レガートを使って何かを得る。捕虜ではなく、取引材料にされたというのが正しいか。

 もっとも、レガートを使って何を得たのかまでは分からないけれど。


「もしかして、外はだいぶ危うい感じだったり?」


「それはこっちが聞きたいくらいの情報だね。……僕より来るの遅かったよね?」


「生憎あたしは森暮らし。何が起こってるのかなんて知りっこないよ」


 軽々しく言葉を並べてはいるが、セーラの口調には若干の焦りのようなものが含まれていた。そして、それはレガートも同じで━━、


「━━お互いに、気がかりがありそうだ」


 レガートは、やっぱりなんといっても、フレンのことが気になって仕方がなかった。

 自分が盤面から外されている以上、おそらくはアルトも同じようなことになっているだろう。レガートと違って、ノンダルカス王国内にはいるだろうが。

 ━━だったら、フレンの側には誰がいてやれる。


「君はなんなのさ」


「親友、軍の仲間、村の人たち。おおよそ軍人として大切なものだよ。━━セーラは?」


「あたしは……」


 セーラの首の角度が下がり、会話の間からは憂慮が感じられる。

 残してきたものへの心配だったり、自分の置かれている状況に対してこともあったり。

 だけど一番は、言ってしまうことへの躊躇いのようだった。

 それでも、セーラは口を開くと、


「━━あたしも、大切なものだよ……」


 それは真に言いたい言葉ではなかったようで、しかし、嘘偽りのないものでもあった。

 顔は見えない。判断材料は、口調、会話の間、首の角度、鎖の音色とか、多くある。

 事情までは推し量れない。しかし彼女は、ここに居てはだめな気がした。


「だったら、付いてきてよ。今からここを出るつもりだからさ」


 立ち上がり肩を回しながら、セーラに提案を投げかける。

 だがしかし、簡単には頷いてくれないだろう。なので、レガートは少しだけ切り込む。


「大方、セーラの役割って僕のお目付け役だよね。セーラがここを出ないって確約させた上でのね」


「だったらなおさら、意図がわからない。分かってるのなら、頷かないことも分かるよね」


「━━迷ってるからだよ」


 セーラの言葉には迷いがあった。選択を何度も頭のなかでやり直しているのが見てとれた。

 ━━否、鏡写しだった。

 レガートもそうだから、今もそれが続いているから、ありありと分かる。

 だからこそ、今なのだと思う。


「動き始めるのはやっぱり怖いけど、動かなければ始まらない。だったら、二人いる今なら怖さも半減じゃない?」


「━━━━」


「セーラから見て僕は相当強いんだろう? そして、僕から見たセーラも相当強い」


 一人じゃ無理なら二人で。レガートはどらかと言えばタイマン向きだけれど、セーラは明らかに一騎当千タイプだろう。

 もちろん武力がどうこうという単純な話ではないが、やはり力を持っていると掬えるものが増えるのは必至だ。


「どうかな? 悪い話じゃないと思うけど」


「━━━━」


 セーラは黙り込んで、返答することはなかった。

 沈黙が場を支配して、数十秒経過しても、返答は来なかった。

 ━━もしかしたら実証した方がいいのかもしれない。

 なにも一回限りということでもないのだし、いまいち信頼が足りないというのなら見せてみてもいいだろう。

 レガートは思い立ち逡巡も無しに実践しようと勢いをつけて━━思いきり、引き止められる。


「それは、血迷いすぎかなぁ……」


「━━あたしは、行かない。君も絶対に行かせない」


 予備動作なしに繰り出される鎖に、レガートは左腕と左脚を絡め取られる。

 現状は拮抗しているが、セーラが本気で引っ張ればレガートは堪えられないだろう。そんな力もあった。


「悪いけど、僕は行くよ。もう止まる段階は過ぎたんだ」


 左腕と左脚を拘束から抜いてレガートは一気に格子の方へ飛び付く。

 しかし、眼前の地面から牽制するように鎖が飛び出してきて、横に跳んだ。


「次から次へと……っ」


 背を預けた壁から、取り押さえるように鎖が飛び出してきてレガートは咄嗟に上に跳ぶ。壁を蹴って、逆さまに天井へ。

 そして足裏を天井に着けたまま、格子の方へと滑った。


「これで……」


 天井を滑るという芸当に、虚を突かれて━━とは問屋が卸さなかった。

 レガートの進行方向に拳を象った鎖が出現して、思いきり殴りかかってくる。

 そこに腕を差し込んで防御体制をとる。しかし、来るはずのパンチは寸止めされて━━、


「うおっ!」


 鎖に、今度は右脚を絡め取られ、優しく地面に下ろされた。

 仰向けに転がされたレガートの隣、セーラはレガートの腕を掴み━━、


「お願いだから、もう、やめて……」


 声を震わせ、未だ見えぬ鎖の裏側に、今までにない激情を湛えて、


「あたしに、誰かを傷つかせないで……!」


 これはとても酷い感想だろうけれど、このときレガートはセーラの顔が隠れていて良かったと心底思った。

 だって、見てしまったら━━後悔で死んでしまっていた気がしたからだ。


「……ごめん」


 呟けた言葉は、たったそれだけだった。

 もしもレガートが檻から出ることではなく、セーラを倒す方向性でいっていたら、それこそ死人が出てもおかしくはなかったのだ。

 もちろんそれは加味していたしそれ故の行動だったわけだが、傷つくことは勘定に入れていなかった。

 ━━それが、彼女の最上の願いだとも知らずに。


 はっきり言って、彼女の願いより優先すべきことではあった。

 レガートは何に変えても、自分の選択を優先する熱意があった。

 もちろんそれが消えることはない。早く出ていって、ノンダルカス王国に戻りたい。

 だけど━━、


「……ごめん」


 彼女を蔑ろに出来るほどの強さを、レガートは持っていなかった。





「さっきのこと、あたしも謝るよ……」


 壁やら天井やらに裂傷が刻まれた獄中で、それも含めて悔いるようにセーラが呟きを放った。


「あたしさ、ああいうことになると、自分を抑えられないっていうか……普通に駄目なんだけどさ……」


 独白めいた言葉に、レガートは耳を傾ける。

 語れるほど関係は深くないが、確かにさっきのセーラは様子が変だった。

 ━━怯えるように、訴えていた。

 それに打たれた形でレガートは争いを止めたわけだが、しかし、


「それはいいけど、謝罪は必要ないね。セーラの正義がそこにあるのなら」


「━━━━」


「僕はセーラに負けた。まあ、次のことは気長に考えるとするよ」


 欠伸をしながら、レガートは寝台に寝転がる。

 別にセーラを立てたわけじゃない。負けたというのは少しだけ盛ったかもしれないが、この狭い空間で、さらに武器もないという状況では勝てる気はしなかった。それは本当である。


「あたしは……」


 力なく鎖を揺らしながら、セーラは小さくぼやいた。

 そして、


「━━もしかしたら、どうにかなるかもしれない」


 反対に繰り出された言葉は、希望と期待だった。


「……何か心当たりが?」


「そんなに強くはない。けどさ、もしかしたら……」


 希望と期待がセーラの鎖を巡って━━ふっと、ほどけてしまう。


「……やっぱり、忘れて。あたしが望んでいいことじゃなかった」


「そう」


 冷たく感じてしまうが、レガートはセーラのことをほとんど知らないのだから、こう返すしかないのだ。

 だから、レガートは心の中だけで願った。━━セーラの期待が花開きますように、と。

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