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暁の史記  作者: 焚火卯
二章
37/124

第八話『まだうまく飛べないけれど』

 セーラの立場上、レクトは居住地を持っていないため、この時もとある森のなかにいた。

 レクトは普段となんら変化のない日常だと思っていたが、セーラはそうではなかったらしい。

 荷物をまとめて移動するというタイミングで、セーラはこんなことを言った。


「包囲されてんね。しかも、盗賊とかって感じでもなさそうだ」


 声音が普段とあまり変化がないので、緊張はしていなかったと思う。

 けれど面倒事に巻き込まれたという煩わしさは滲んでいた。


「けどまあ一応……。━━あたしたちに争う意思はない! できれば話し合いたいのだけど……っと、問答無用かい……」


 大声で呼びかけるセーラに返ってきたのは、一本の矢だった。それをセーラは危なげなく鎖で打ち落とし、嘆息した。

 どうやら、相手に対話の意思はないらしい。


「だったら……」


 セーラが目を向けたのは今しがた矢が飛んできた方向だ。

 その方向には街道があって、おそらくそこより奥から飛ばされてきたのだろう。

 だが、セーラにとって距離は大したディスアドバンテージではない。

 数百メートル。何もなかった視界に、突然地面を断ち切るように鎖が一本ピンと張られる。

 そして、それをすごい勢いで引き戻すと━━、


「━━━━」


 鎖に足を絡めとられた茶髪の男が驚愕を顔に貼り付けながらついてきた。


「クソッ!」


 男は抵抗するが、すぐに鎖に手足を拘束されて身動きがとれなくなってしまう。

 たった一人拘束したところで、包囲が緩むことはないが、どんな集団かは測ることができる。

 セーラは男の白いマントに手をかけて━━、


「六芒星に、鳥の羽……!? レクト逃げ━━」


 言いきる前に、包囲していた者たちが急速に近づきセーラたちに斬りかかる。

 遠くから矢も飛んできて、絶体絶命━━に、陥ることはなかった。

 ━━セーラは攻撃の全てをいなし、誰一人として傷つけずに拘束を完了したのだ。


「━━いや、まだ……」


 もう一人だけ気配を感じて、セーラはそちらへ鎖を伸ばす。

 そして、引き戻すと、クリーム色の髪をした男が鎖の先に拘束されて立っていた。

 しかし焦る素振りなどは見せず、男は口笛を鳴らすと、


「無傷で鎮圧は想定外。面白いぐらいに完敗だったなぁ……」


 まるで拘束なんて無いという雰囲気で、淡々と語る男。

 どうして平気でいられるのか━━、


「別に、勝てるとは思ってなかったからなぁ。結果はどうあれ、この状況は作れる想定だったしな」


「拘束されるのが目的? いい趣味してんね」


「━━なわけねぇだろ」


 セーラの冗談に、男の口調が荒くなる。そして、男はその口調のまま、


「俺に従え、鎖女」


「そっちがあんたの素ってわけね」


 偉そうに発言する男だが、彼にこの状況をひっくり返せるだけの力があるとは思えなかった。

 拘束されてなくても、セーラに勝てる感じじゃなさそうだ。


「あたしはあんたに従わないし、用もない。あんたの目的も果たされない」


「━━そうか」


 レクトはセーラに連れられて、この場を離れさせられる。

 だけど、レクトは何故か強気な男から目が離せない。━━何か大切なことが胸を叩いている気がする。


「レクト」


 しかし、セーラに呼びかけられて、レクトは思うところを振り切って男に背中を向ける。

 そのすぐのことだった。


「━━死ね」


 ピチャりと水が滴るような音が鼓膜を叩いた。

 それは幻聴などではなく、また一回また一回と音が連鎖する。

 なんだかやけに不快感をそそられて、レクトは足を止めて振り向いた。━━そして、一秒後にはそれを後悔する。


「え……」


 セーラに拘束されて座らされていた剣を携えた男のうち三名の、頭が無くなっていたのだ。

 首なしの男が三人。三人━━と、思考が追い付く前に、鎖で目元を塞がれる。


「クソ野郎……っ」


「ちゃんと調べてるに決まってるだろ。セーラ・ミルヒカペラ」


 視界が塞がれていて、目からの情報が入ってこない。

 しかしながら男の声音から判断するに、有利不利が逆転してしまっている様子だった。


「とはいえ、そのガキの存在は全く認知してなかったがな」


「……あたしの抱いた違和感はそれか」


「ああ、そっちが本命だと……。お互い、すれ違ってたわけだ」


 二人の会話が耳に入ってくるが、レクトは自分の理解力のせいかあまり意味が分からなかった。


「今となっては別にどうだっていい。生かす理由もないが。……お前が来るなら、一旦見逃すくらいはするぞ? まあ、答えは決まってんだろうけどな」


 力なく鎖が落ちるような音がして、同時にレクトの視界が開ける。目の前には、視線を合わせたセーラがいて━━。


「あたしは、あんたのそばにはいられないみたいだ」


「セーラさん……?」


「大丈夫。死にはしないさ。ただ、そばにいれなくなるだけ」


 優しく言い聞かせるように、セーラは鎖でレクトの頭を撫でた。

 いつもそうだった。レクトはセーラの手に触れられたことがない。だっていつも後ろで、自分の手を自分の鎖で縛っているから。

 それだけじゃない。

 レクトは、セーラの素顔を見たことがない。だっていつも、鎖でぐるぐる巻きにしているから。

 でも、今日は違って、素顔の口元だけが露になった。

 今まで一度もそんなことはしなかった。だけど、初めてされて━━だから、だろうか。


「行きなさい、レクト。━━どこまでも、飛んで行きなさい」


 レクトは、逃げ出してしまった。

 セーラを置いて、走り出してしまった。

 訊かなければいけないことがあったはずだ。たとえ教えてくれなくても、走り出すならば、セーラ以外の走り出す理由が必要だった。

 それがないのなら、残らなくちゃいけないのに、レクトの脚は動いていた。


 もっともっともっと、何かできることがあったはずだ。

 もっともっともっと、しなきゃいけないことがあったはずだ。

 どうして走った、何故、動いた。


「━━━━」


 もう、戻れない。もう、この道しかない。

 ━━もう、レクトがセーラのためにできるのは逃げ続けることだけだ。





「レーくん悪い子だね」


 その声がとてつもなく憎らしく聞こえるのは、きっと自分が不甲斐ない弱虫だからだ。━━否、虫なんかよりもっと酷い、何も成し得ないなにかでしかない。

 だからあんなに綺麗な青空も、救世主である彼女の声も、レクトは受け止めきれないのだ。


 憎しみ恨みは八つ当たり。そんなことは承知の上で、だけど撒き散らすほどに荒んではいない。

 レクトはそこまで落ちれない。ただでさえ、地面から離れられていないのだから。


「フラム、ちゃん……」


 初めて名を呼ぶので迷ったが、呼び方は落ち着くところに落ち着く。

 流石に彼女みたいに、いきなり愛称を付けだすというのは難しい。関係が深まればということでもないけれど。


「レーくんまだ動いちゃダメだよ。ルスちゃんもあんせーにって言ってた」


「……大丈夫だよ。傷も疲労感も全部なくなってるし」


 後者は本当。前者は━━ちょっぴり本当だ。

 嘘の部分は、彼女からもらった大丈夫より遥かに遠い響きであるということである。


「それでも、戻るの! そうじゃないとダメなの!」


 彼女がこうも強く主張するのは、ルステラから言われたことを守らせんとする使命感からか、はたまたレクトを心配する気持ちからか。

 ━━お願いだから、前者であってほしい。お願いだから、


「じゃないと━━大丈夫じゃ、なくなっちゃう!」


 これはダメだと、脳が命令を出していた。

 踏みとどまれ、踏みとどまれ、踏みとどまれ━━。

 別に今じゃなくてもいい。意固地になって、離れることを貫き通そうとしなくていい。

 戻ればひとまず彼女は納得してくれる。だったら、その後で、また同じ事をすればいい。

 冷静になって、彼女の顔を見て━━、


「━━やめてよっ!」


 思い描いていた言葉は、こんなのじゃなかった。

 なのに、口からではなく心から、堰を切ったように溢れ出る。


「離れたら大丈夫じゃなくなる? 戻ったら大丈夫? ━━そんなわけない!」


 根拠のない大丈夫には反吐が出る。

 最初からそうだ。わかってた。どこに行ったって大丈夫なわけがない。

 ━━セーラさんを置いて逃げた時点で、もうどうにもならない。


「ぼくが大丈夫でいられる場所なんて、一つしかないんだ! だけど、それを自分で放棄した。言葉に背中を押された振りをして……」


 何故、動いたかの理由を、レクトはすぐに見つけてしまった。

 とても単純な、見つけたと呼ぶのも烏滸がましいぐらいの理由。


「怖かったんだ……。目の前で人が死ぬのなんて、初めて見たから……」


 今までに襲われる経験は何度かあった。

 だけどセーラさんは守ってくれた。レクトも敵も傷つけたことなんて一度だってなかった。

 それだけじゃない。セーラさんが、レクトに逃げろなんて言ったこともなかった。

 だからこそ、あのときは急に恐怖が湧いてきてしまったのだ。セーラさんの不変が、大きく覆されたのだと知って。


「だから、もう無理なんだ」


「━━━━」


「こんな思いをするぐらいなら、ぼくはあのとき終わっておくべきだった」


 恐怖で逃げて後悔を積み重ね続けるぐらいなら、レクトは恐怖に呑み込まれた方がましだ。

 雲みたいに揺蕩う夢を見ささせられるぐらいなら、レクトはもうずっと地面にうつ伏せに倒れていたかった。


「━━そんなこと、言わないでっ!」


 ペシンと、小さな平手がレクトの頬を叩く。

 衝撃と、にわかに生まれた痛みが、レクトの思考を阻害する。


「フラムの前でそんなこと言ったら、許さないからっ!」


 フラムの二言目が耳に入ってきて、レクトはやっと思考が追い付く。

 自分はビンタされたのだ。目の前の、赤毛の、彼女に。


 彼女は怒っていた。レクトを見て、レクトの発言を聞いて憤慨していた。

 彼女はそれを継続したまま、さらに続ける。


「命は大切にしなきゃダメだよ! 終わっておくべきなんて冗談でも言わせないっ!」


「━━っ、でも、ぼくは逃げた! 惨めになるぐらいなら、そっちの方がましなんだ!」


 恩を一方的に受けたままで居続けるのがどれほどの痛苦か。彼女に軽々しく口に出せるようなことではない。

 この思いは、レクトにしか分からないのだから。


「━━レーくんは逃げてないよ」


 なのに、彼女はレクトを捉えて離してくれない。愛らしい顔が真剣な面持ちになって、彼女は確信しているかのように、レクトの手を掴んだ。


「レーくんは、生かされたんだよ」


「……そんなの、言い訳だ」


「でも、生かされたことを否定しないで」


 逃げたと生かされた。二つはただの解釈の仕方が違うだけのことだ。

 レクトから言わせれば逃げただし、フラムから見れば生かされた。たったそれだけのこと。

 ━━だけど、レクトにはその発想はなかった。

 生きていることが役に立つのではなく、心を救うことに繋がっているのだと。

 しかし、


「ありがとう、フラムちゃん。でも、ぼくは━━生かされただけで終わりたくない」


「うん」


 フラムの表情を見て、レクトはもしかしたらという考えがよぎる。


「セーラさんがそれを許しても、ぼくがそれを許容できない。ぼくは、生きてるだけ以上の恩返しをしたい」


「━━━━」


「ぼくは、セーラさんを助けたい。だから……」


 あのとき躊躇った言葉。フラムの人となりを知った今なら言える。

 彼女はああいうときに、黙っておけるタチじゃないと。

 だけど、口を挟まれることはなかった。それは何故か、


「ぼくに、手を貸してください」


「うんっ!」


 フラムはもしかしたら、突拍子もない考えだけれど、あの時点でこうなることを予期していたのではないか。

 ━━なんて、まさかとは思うけれど。

 しかし、大きくにこやかに頷く彼女からは、そんな印象が見受けられた。


「それと……」


「━━━?」


 継いだ言葉にフラムが首をかしげるが、レクトの目的はそっちではない。

 フラムの背後の虚空に目をやって、


「ルステラさん、居ますよね……?」


「━━うん。いるよ。ただし、君の後ろにだけどね」


「ルスちゃん!?」


 肩をそっと叩かれて振り向くと、綺麗な白髪の女性━━ルステラがいた。

 ルステラの気配を感じたとかではなく、むしろ全く気配とかは感じなかったけれど、奇妙なことに居ないとは思っていなかった。


「ごめんね、フラム。黙って立ち聞きしちゃって」


  ルステラの発言とフラムの反応より、フラムはルステラの存在を把握して動いていたわけではなかったようだ。


「今度は、ちゃんと君の気持ちを聞かせてくれるんだよね」


 ずっと聞かせていたからこそ、改めてもう一度言うべきなのだ。


「セーラさんを助けるのに、手を貸してください」


「はい、よく言えました」


 これを聞いてきた時点でルステラのスタンスは決定されているのだろうから、この返答は適当だ。

 やっぱり彼女も━━たぶんみんなが、あのときレクトが躊躇った言葉の先を理解していたのだろう。


『行きなさい、レクト。━━どこまでも、飛んで行きなさい』


 セーラの言葉を、レクトはまだ語っていない。だけれど、レクトに機会を与えてくれた。

 ━━飛び立つための、機会を。

 もちろん、まだうまくは飛べないけれど。


「あ、そうだ。これは伝えておかないとね」


 ルステラがレクトの前に出てきて、中腰になると、指を鳴らした。

 すると、今まで何もなかったルステラの頭に、耳が現れる。


「わたし、亜人だから」


「━━━? それだけですか?」


 急に耳が現れたのは驚きだったが、それ以上は特に何もない。

 なにか重要な雰囲気を醸し出していたが━━まあ確かに、亜人というのは初めて見た。

 だからビジュアルに驚かないでねということなのだろうか。

 もっとも、ビジュアルという話をすれば、セーラさんに勝る人間には出会ったことがないので、現れたことに驚きはすれ付いていることに驚くことはない。

 ━━なにやら、ルステラは愉快そうに笑っていたが。


「やっぱり君の養育者には感謝だね。━━さて、帰ろ帰ろ。もうすぐ日が昇っちゃう」


 ルステラの背に続きながら、レクトは一瞬、空の美しさを瞳に入れた。

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