第二十四話『他言無用』
明確な勝算があったわけではないし、具体的な方策を練ったわけでもないし━━言うなれば行き当たりばったりみたいな感じで、最終的にはシュネルへの信頼━━とはまた違うのだけれど、とはいえ完璧に言い表せる言葉が思い浮かぶかと言われれば、ちょっと難しい。
そもそも話した内容も内容で、要点を掻い摘まめば、そのほとんどが『フレンのこと』であった。
もちろん嘘はついてないし偽ることもしてないけれど、捉え方、穿った味方をすれば、あまりにも利己的だったと言われても仕方がない。
やはりルステラのようにはいかないなと、フレンは思う。
しかしフレンはやりきった。別に燃え尽きてはいないけれど。
まだやることはある。やってくれることもある。
━━フレンが歩み始めるまで、もう少しお付き合いいただければ。
「久しいな、フレン・ヴィヴァーチェ」
決して大きくはないのに、鼓膜に深く沈み込む声が打ち鳴らされる。
声の方向に目を向ければ、そこには白髪の老人。━━否、
「小半年振りぐらいでしたか。━━アーティス陛下」
目の前の老人こそが、今代のノンダルカス王国の王━━アーティス・オーケストラだった。
アーティスはフレンの瞳の奥を見透かすように目を細め、
「……そなたの用件は概ね把握しておる。お互い、くだらぬ遠回りはよしとしよう」
「それは助かりますが……」
「━━予のことも含めて、端的にいくとしよう」
挟み込んだ言葉の先を読んで、アーティスはもう一言付け足す。
つい先刻、シュネルとの対話を経て、シュネルの思想信条を知ることができた。フレンの可能性と危険性は表裏一体という旨を語られ、その点は理解した。
ただあくまでも、これらはシュネルの話で、流石にこれだけで完全に納得できるほどフレンはよくできていない。
国を、世界を、シュネルほどの一個人でも容易く動かすことはできないだろう。
そこには大きな力の関与がある。━━例えば、王とか。
とはいえシュネルの言いなりになるほどの存在だとは思わない。よって考えられるのは協力協定だ。
そこに至った最後の一押しを、フレンが王に求めることだった。
「予はこの王国の王になって三十年以上は経過しておるが、無論、先代の王はいた」
「ええ、そうですね……」
「その王にも先代はいて、遡れば必ず初代にたどり着く」
アーティスは当然のことを、当然のように述べた。
共和制なんかではまたややこしい話になってくるのかもしれないが、ことノンダルカス王国においては当てはまらないので、除外して考えるのが道理だろう。
「王の変遷は国の歴史だ。仮に血が途絶えていようと、そこには必ず繋がりがある」
またもや当然のことを、微塵も変化させずにアーティスは言い切る。
頭がすげ替わる、血統が途絶える、国が内部分裂を起こす。歴史の中では色々なことが起きるが、確かにそれは急に発生するものではなく、しっかりとした繋がりに沿って展開される。
別に国じゃなくとも、家系なんかも同じことだ。
フレンだって両親がいて、その両親にも両親がいて、ある日突然なんか爆誕しましたということはない。
当然であり、確かめる方がおかしいぐらいの事柄だ。
だけど、
「━━なれば、予が何代目の王か、答えるのは難くない。どうだ、そなたには答えられるか?」
フレンはそれなりに教育を受けた側の人間だ。中には当然、歴史の科目もあった。
いつの時代に、誰が何をしたか━━正直、全然覚えていないけれど、流石にアーティスが何代目かぐらいは━━、
「……わからない」
「だろうな。まあ無理もない。なにせ━━予とて、知っていないのだから」
アーティスはフレンの無知を責めるでもなく、共感した。━━一国の王が、共感したのだ。
「王族が必ずしも全てを知っているとは限らない。与えられた歴史は、みな等しい」
「━━━━」
「それはこの王国に限った話ではなく、世界中のみながだ。━━しかし、その枠組みから飛び出した者がいた」
「……シュネルですか」
確信まじりの言葉がアーティスの頷きにより首肯され、確定に変わる。
前々から物知りだとは思っていたが、今回の件でその度合いが並外れているのが判明した。
「全てを鵜呑みにし盲信しているわけではいないと誓えるが、あれが語る歴史に少なくとも矛盾点はない」
「大部分が空白ならば、でっち上げるのも簡単なのでは?」
「そこは予の説明が不十分であったな。……歴史自体は断続的にだがちゃんと残っておる。その合間合間の全てを矛盾のない整合性のとれた嘘で語るには、些か無理があろう」
歴史に対する知識があればあるほど、シュネルに反駁する材料が減っていく。フレンとはまた違うアプローチで、アーティスも追い込まれたのだ。
「それで、歴史と引き換えでシュネルに協力したのか」
「━━━━」
黙り込むアーティスにさらに言葉を募ろうとしたが、黙り込んだのではなく考え込んだ仕草なのだと気づいて、前のめりになりそうな身体を直前で引き戻す。
アーティスは長考を開始し、考えがまとまったのか口を開いた。
「━━全ての国で例外なく行われていることが二つある」
一変した空気を纏わせながら、アーティスは口にした二つのことを話し始める。
「一つは、亜人差別。そしてもう一つは……」
「━━━━」
「━━強者の追放だ」
二つ目の情報にフレンは瞠目する。
これはシュネルが始めた物語じゃなかった。世界がそもそも━━フレンという存在を許さなかったのだ。
「先に挙げた二つは一見関連性がないように見えるが、そうではない。二つは密接に関わっている」
「━━━━」
「亜人は大昔、人間を大虐殺したという記録がある。強大な力によって、何もかもがねじ伏せられたらしい」
「だったら……こうして人間本位の時代が来ているのはおかしいだろう」
「そこは欠落した歴史だ。亜人という存在が、突如衰退を見せた理由はどこにも存在していない。━━重要なのは、過去の人間は亜人に恨みを募らせたということだ」
「━━━━」
「そこから迫害の歴史が始まったのは、簡単に推察できる」
話される一つ一つに絶句する。過去にあった、歴史がそうだった。つまりは━━、
「しかし、目をつけられたのは亜人だけではなかった。世界を脅かす可能性のある━━圧倒的な強者も、過去の者にとっては迫害の対象であったのだろうな」
「━━━━」
「強者を排し均衡を保つ。そうやって世界は安寧を守ってきた。━━そなたが想像している何倍も、世界というのは平和なのだ。見えない部分で、理念が共通しているのだから」
おかしいのは国家じゃない。異常なのは王様じゃない。━━世界の体系が、狂っているのだ。
シュネルの言葉はあまりにも本質をついていた。それを再認識する。
「理由は、今までがそうだったからってだけか……!」
「そうだ」
ただ、歴史をなぞってきただけなのだ。それもところどころが欠落していいる歴史書をだ。
アーティスだけじゃない。全ての国の王が、おそらく同じ事を語るのだろう。
何かを犠牲にした『安寧』とやらを守るために。
「結果として、有害な戦争は減少し、亜人の存在により貧困層の団結による反乱は起きにくくなった」
━━有益な戦争は幾度も発生し、貧困層は自分より下がいるというどす黒い希望に縋って生き続けている。
シュネルのことは許せないし、やり方にも賛同できないけれど、明らかに今のこの状態が健全なものだとは思えなかった。
「━━予とてこれが正しいとは思っておらぬ。しかし予は王だ。民の安全を保証しなくてはならぬのだ」
「他国との軋轢を生まないためにってことか」
「あの男は、そこを理解してそなたを使ったのであろう」
来る大戦に備えて、フレン・ヴィヴァーチェを引き込んでおく。しかしシュネルの言い分では、フレンはあくまでも計画の補強程度でしかなかったらしい。
すると、少しばかり食い違うのではないか。
初めから全て嘘だったか━━、
「━━そなたがこの選択をするとは、微塵も思っていなかったのであろうな」
シュネルの考えていた流れというのはフレンにはわからない。その流れはぶち壊してしまったから。
「予も、こうなるとは想像しておらなんだ」
「……結局、陛下はどういう立ち位置だったんだ?」
「予は、概ねあの男と同じ思想だ。━━予は、全ての亜人を民と呼びたい」
「━━━━」
「だが、そなたがいればそれは叶わぬ。しかし、そなたがそれを叶えてくれる。可能性と、安易に言うには重すぎるがな」
結局のところ、王やシュネルが悪人かと言われれば、見方によればそう捉えられてもおかしくないし、それはきっとフレンにだって当てはまる。
人の『想い』を曲げたという事実は一生まとわりついてくるだろう。
フレンは命が大事だと思う。フレンは幸せが大事だと思う。フレンは夢や希望が大事だと思う。自他ともに。
「予はあの男ほど、そなたに傾いておらぬ。間違いだったと詫びることもせぬ」
「わかってる」
「それでよい。━━予が、そなたの明日を保証しよう」
期待じゃない。信用じゃない。━━フレン・ヴィヴァーチェは生き証人になるのだ。
フレンは嫌なものをいっぱい見たし、どうしようもないことをいっぱい体験した。
それでもフレンは世界に夢と希望を持っていたい。そこに確かにあるのだと証明したい。
「強者の追放と予は言ったが、その実、みなが殺害されておる。しかし、先々代の王━━つまりは予の祖父が、一度だけ無理をして、とある男を殺害しないという結論に持っていった」
「━━━━」
「━━その一週間後、その男は謎の死を遂げた」
アーティスが語るのは、フレンのあるかもしれない未来だ。
だから要するに、
「それを、はね退けろと」
「言わんとするところはそこだ。だが、条件がある」
「条件?」
「━━不殺だ」
追放されるほどの強者が、どうして殺されてしまうのか。当然、数の暴力などに押されて負けてしまったりするだろうが、不殺という条件が与えられているなら納得だ。
相手は本気でこちらを殺してくるのに、こっちは相手を殺せない。
「契約によってそこを縛る。だが……」
「━━ですが、それだけでは納得されないでしょう」
突然割り入ってきた声が、とても聞き馴染みのあるもので、フレンは反射的に振り向く。
背後には淡い藍色の髪が特徴的な男が━━シュネルが立っていた。
「予の言葉を遮るとはな。よほど恐れ知らずと見える」
「すみません。ですが、ここからは私の出番でしたので」
「納得がどうとかって……」
「ええ。最初に持ちかけるのは不殺の契約だけでいいですが、相手は必ずさらに求めてくる」
予想を立てるシュネルに、フレンは完全に説明を受ける体制でいると、
「これは、あなたが決めることですよ?」
「不殺ともう一つだろ?」
「そのもう一つが、あなたにとって酷なものになるかもしれない。━━我々は不殺ともう一つ、フレン・ヴィヴァーチェという戦力の不保持を提言します。すなわち……」
「私が軍人ではなくなるということか」
フレンにとって軍を離れるということは、その言葉の意味以上に大きな意味を持つこととなる。
軍というコミュニティがある種の我が家のような大事な居場所になっていたフレンにとっては、そこを手放すのは断腸の思いなんていうレベルじゃない。
大切で、唯一無二で、手放したいなんて思ったりすることはきっとないだろうけれど。
だけど━━、
「━━これが、シュネルの言う、妥協なのだろうな。受けいれるよ。だが、最後に一つやりたいことがある」
「最後に……ああ、なるほど。把握しました」
心残りをあと一つだけ終わらせて、それからフレンは歩み始めよう。
幸せに彩られた道だったとは言えない。だけど、辛いことばかりではなかった。ほんのちょっぴり、その成分が多かったけれど。
だけどフレンは明日を好きになれた。未来を望めようになれた。━━その大切を忘れない。
「ところで……フレン、その言葉遣いはなんですか? 陛下の前ですよ?」
「あー……いや、最初はなんとか保ってたんだが、気づいたらなんか変わってたな」
「指摘しても話の腰を折ることになる故。そも、今さらだろう」
「はぁ……私はもう知りませんからね」
王が一人と、強者が『二人』。あるいはこれは、フレンの望む世界の、一欠片と呼べるのかもしれなかった。




