番外編『ダイアモンドクレバス』
本編が更新できそうにないので、番外編です。とはいえ丸っきり関係がないわけではありません。
━━これはまだ、フレンが無気力だった頃の話。
付いてきて、連れられてきて、やってきて、自分の意思なのだけれど、やはり居心地がよろしいとは言えなかった。
気にかけてくれる人がいて━━というかみんな優しくしてくれるのだけれど、なんだか落ち着かない。
もちろん満更じゃないが、フレンは王都の詰め所にいることが次第に減っていた。
代わりにどこに居たのかというと━━王城だった。
シュネルの口利きなどもあり、フレンは半ば自由に王城を出入りできていた。
とはいえ好き勝手歩き回っているわけではなく、フレンは決まって同じ場所━━北側にある、きっと誰も入ってこない、たぶん武器庫的な場所に入り浸っていたのだ。
年季の入った武器群をかき分け、フレンは武器庫の端っこで灰をかぶりながら佇んでいる━━謎の剣士像の裏の壁との隙間に、小さい身体を特に苦労することもなくねじ込んでいた。
「━━━━」
ことに考え事をするわけでもなく、とみに何かが思い付くわけでもなく、こうして無益な時間を過ごすのも、かれこれ一週間になっていた。
どうしてこんな風になっているのかなんてのは明白だ。
フレンはまだあの日に取り残されているのだろう。
別れなんて言葉はそぐわない。ただ無情に引き裂かれたあんなのを、別れとは呼ばない。
でも、過去はやり直せないのだ。
だから、認めなくちゃいけない。言えなくてもいい、呼べなくてもいい、だけど認めなくちゃ。
それは、できると思う。━━ううん、できてると思う。
フレンに足りないのは、そこからなのだ。
人は認めて━━一歩踏み出さなくてはいけない。━━その一歩が、フレンに足りないものだった。
出来事を思い出にできない。
色づけて装飾して心にしまって置きたいのに、まだ手を開けばそこにあって、絵本を読み進めるみたいにあの日のことが鮮明に流れる。
その度に、痛んでしまうのだ。━━手が、深く裂けたみたいな痛みに襲われてしまうのだ。
ごしごしと拭って、紛らわそうとするのだけれど、全然収まってくれない。
たぶん、心にしまえないのは、このせいだ。
こんな痛み、心に持っていったら━━耐えられなくなる。
だから、
「大丈夫……大丈夫……」
裂け目を強引に閉じるみたいに力を込めて、必死に押さえつける。
いつもこれで上手くいってるから━━強固な裂け目を閉じる方法をこれしか知らないから、フレンは懸命に頑張る。
落ち着いて……落ち着いて……。
痛くない……痛くない……。
大丈夫……大丈夫……。
━━━━。
「━━消えてよぉ……っ」
なんで今日に限って、こんなに酷く痛むのだろう。━━否、兆候はあったはずだ。
日に日に深くなっていく痛みを感じ取っていたはずだ。
だから、早くどうにかしなきゃって焦っていた。
「消えろ……消えろ……」
痛みとひたすらに格闘するフレン。しかし一向に収まる気配がない。━━無駄な足掻き。
このまま自分は痛みに飲み込まれてしまうのだろうか。
だとしたらシュネルには悪いことをすることになる。こんなことなら、初めから来なければ良かった。
誰かのためにこの力を? 自分のこともままならないくせに。
わかってた。だから、無気力だったんだろ。
痛みで変な汗が流れる。視界の端がなんだかチカチカと光っている。
このままじゃ、まずい。
ぐるぐる、もやもや、ズシズシ、ズキズキ。
━━お父さんは死んだ。
「知ってる!」
━━お母さんは死んだ。
「わかってる!」
ぐるぐる、もやもや、ズシズシ、ズキズキ。
認めたら、進めなくても、収まってくれるんじゃないの?
今日までそれでなんとかなってきた。━━きっと、今日までが間違いだったんだ。
本当はもっと早く進まなきゃいけなかった。その遅れのツケが今になってやってきたんだ。
でも、
「教えて……」
進み方なんて、お父さんにもお母さんにも教えてもらったことない。
「教えてよ……っ」
涙がこぼれて、手のなかにある深い深い裂け目にポタポタと落ちていく。だけど、満ちることはない。傷つき、壊れることもない。
この裂け目は、フレンを蝕むことしかできないのだから。
だったら、もう━━どうにもできないじゃん。
「━━深呼吸してっ!」
幼い少年の声が弾けて、フレンは言われるがままに深呼吸をした。━━どうして、彼の言葉に素直に従ったのかはわからない。
しかし、彼は真っ直ぐにフレンの手を掴んでくれたから━━それだけは真実だった。
「ちょっとは、落ち着いた?」
ゆるゆると顔を上げてみると、丸い琥珀色の瞳が目に入り込んできた。
「だれ……?」
手を掴まれたまま、フレンは小首を傾げた。
それに対して少年は、わずかに間をおいて、
「━━僕は、レガート」
「━━━━」
「君と友達になりたいんだけど、いいかな?」
どうしてか、あんなに強固に刻み込まれた痛みは、すでに砕かれていた。
なんと脆く、打ち砕かれてしまえば━━なんとも美しい。
あの日の出来事が、思い出として輝きを放ち始めて、フレンはコクりと頷いた。
━━これが、レガートとの出会いだった。
……。
………………。
…………………………。
「まったく、シュネルさんも人使いが荒いわよね」
「しかしまあ、気軽に雑用を任せられる間柄というのも、良いものだろう」
「フレンはちょっと良い感じに纏めすぎよ。こんなのただのパシリだわ」
不満を垂れるアルトに苦笑しながら━━フレンは今、王城の北側にある武器庫に来ていた。
任務は、とある鍛冶士が作った剣があるかどうかを確認するというものだ。
「う……やっぱり埃まみれね……」
武器庫の内情を見て、アルトが盛大に顔をしかめる。それにはフレンも同感だ。━━幼い頃、少しとはいえ入り浸っていたのが信じられないくらいだ。
「とりあえず、こっち側から探すわよ」
「いや、二手に別れた方が……ああ、そうだったな。一緒に探そうか」
二手に別れる提案をすると、アルトは高速で顔を横に振った。
アルトは幽霊みたいなものが苦手なのだ。つまり、こういう薄暗く古くさい感じの空間は一人で歩けない。もちろん、それは日常ではだけれども。
加えて、アルトが指し示した方向は、フレンとしても行きたい方向だった。
確か、剣士像があるのが、その方向だ。
そうして、捜索すること数十分。かなり奥の方で目当てのものが見つかった。
「……これね」
「━━━━」
「見つかったから帰るわよ、フレン。━━フレン?」
「ん、ああ……」
アルトに呼びかけられて、フレンは視線をアルトの方へ向ける。
呼ばれたのでアルトのところへ向かおうとすると、先にアルトの方が近づいてきた。
「剣士像……。結構立派ね。ここに置いておくのが惜しいぐらい」
「持って帰ろうか?」
「フレンなら容易にできてしまいそうだけれど。━━冗談言ってないで、普通に帰るわよ」
さっさと引き上げようとするアルトにフレンは付いていく。
━━最後にちらっと、剣士像を見た。
そして、
「行ってきます」
フレンはタンッと一歩、踏み出した。
【補足】
・武器庫へはレガートが自力でたどり着いたわけではなく、シュネルがレガートに場所を伝えました。行ったのはレガートの意思ですが。
・描写していなかったけれど、あの剣士像の下に隠し通路があって、それがフラム&リゾルートが送られた地下闘技場に繋がってます。




