第二十話『魔法使い対決』
フレンが突如発生した亀裂に呑み込まれたとき、ルステラが助けられなかったのには三つ理由があった。
一つ目は、亀裂に飛び込んでいくフラムを止めるのに気を回したため。
二つ目は、想定外の魔法に反応ができなかったため。
そして、三つ目は━━、
「━━止めてくれてありがとさん。一緒に巻き込んでたら、シュネルはんにさぞかしどやされてたわ」
鈍色の髪を揺らしながら、落ち着いた足取りで男が近づいてくる。
「メレブン・ラプソード」
「なんや、知っててくれとるなんて嬉しいわ。最近は研究研究で、表に出る機会も少ななったもんで」
「だったら、なんでこんなところにいるの?」
「あっはは! せやね、それ言われたらぐうの音も出んのやけど、今回ばかりは堪忍な。━━シュネルはんのためやから」
「堪忍って……。わたしは別に望んでないんだけど?」
「ほんまやね。言葉が間違うとるけど……まあ、なんでもええやん。うん」
適当な物言いで、すぱすぱ進行させるメレブン。
そんな精神性に若干の苛立ちを感じつつも、ルステラは目の前の男から離れない。
「━━あなたはここで倒しておかないと、面倒なことになりそうだ」
「その心は?」
「魔法使い対決。やったげるよ」
○
幼いフラムにとって━━否、おそらくフラムに関わらず、大多数の人間が付いていけないだろう戦いが、目の前で繰り広げられていた。
フレンとルステラが戦ったとき、フラムはちゃんと見れていたわけではなかった。
偽シュネルに人質に取られていたし、何を話していたのかとかあまり聞き取ることもできなかったのだ。
だからこそ、目の前の戦いが目に光る。
「すごい……」
舞台は古書庫前からさらに前へ行った、中庭になっていた。
暴力的なまでに三原色が輝いて、相手に襲いかかったり、逆に守りに転用している。
その派手さが、戦闘とは無縁のフラムには、剣戟なんかよりも激しいものだと錯覚させてもいた。
『古書庫で、待っててね。絶対に出てきちゃダメだよ』
ルステラの忠告が頭蓋の裏で鳴る。
しかし実際は、フラムはルステラの戦闘を覗き見ていた。
好奇心は確かにあった。だけども、それ以上に━━見届けなければならない気がしたのだ。
古書庫で蹲っているのは、なんとなくダメだと思った。
もちろん危険は承知しているので、ルステラとは適切な距離を保っている。
なにもなければそれでいい。むしろ、それがいい。
「━━━━」
だけども、何かが起きたから━━フレンはここにいない。
あのとき本当は、ルステラの制止も、フレンの大丈夫も、無視して駆け寄るべきだったのではないか。
たとえ、気づいたときには救出が不可能だったとしても、フレンの胸の中にはいることぐらいはできただろう。
引っ張りあげるのではなく、一緒に。
フレンの大丈夫は、きっと大丈夫だから言っていて、決して嘯いたりしているわけではないのだろうけれど、もしも━━あの亀裂の先で大丈夫じゃなくなったとき、誰かが隣にいてあげないといけない。
そして、これはフラムのエゴだけれど、隣にいるのはフラムがいい。
フラムはフレンの標だから。標でありたいから、隣にいたいのだ。
でも、それはフラムのわがままだから。
大切なのは、フレンが大丈夫でいてくれること。
そのためなら━━、
「━━ルスちゃんは渡さない」
小さな身体を簡単に覆う亀裂に、フラムは飛び込んでいった。
○
━━それは、あまりにも唐突な出来事だった。
「当たらない……」
メレブンの実力は、さすが宮廷魔術師と呼ばれるだけのことはある。
だがしかし、ルステラも決して劣っては━━むしろ、魔法に関して言えば確実に勝っている自負があった。
それでも、こうして嘆いている理由は━━、
「初公開の代物でっせ。やから名前は未設定。なんがええと思う?」
「……ゼロ」
「それは流石に適当すぎやがな! ……いや、あ、意外と悪くないかもな……」
今しがた未設定とメレブンが言った魔法とは━━ありとあらゆる魔法効果を打ち消すものだった。
火を放てば途上で消え、水を放てば途上で消え、それなのに相手の攻撃はこちらに届くのだから、たまったものじゃない。
「スペル・ゼロ。こんなところで、どうやろか」
「好きにしなよ。━━っ!」
「無駄やて、魔法は届かん」
何度か、出力やら角度やらを変えながら当ててみるが、悉く掻き消される。
一応、原理自体は推察できているのだけれど、それをすぐに再現したり、ましてやアンチ魔法を構築したりなんかはいくらルステラでも無理な話だった。
━━手立てが、一つもないわけではない。
本当は早々に決めにいってもよかったのだけれど、万が一などもあるし、ある程度メレブンの力量を把握してからにしたかった。
しかし、それももう終わらせた方がいいだろう。
そろそろ決めにいく。
「━━━━」
相手の攻撃をいなしながら、ルステラは指を前に突き出し続ける。狙いを定めるみたいに一直線に。
そこへ、メレブンが放った渦巻く火の輪が迫る。これを凌げば、攻撃を与え━━、
「━━シュネルはんには見られたら、止められてまうんやろけどな」
迫る火の輪が、メレブンの言葉と同時に『割れた』。もしくは━━『亀裂』が入った。
それは、紛うことなくフレンを呑み込んだのと同じものだった。
━━魔術を、また別の魔術で隠して発動する手法がある。
古典的な騙し方で、単なる魔法を使っているならさしたる脅威にはならない。
だがしかし━━単なる魔法でなければ、どうなるか。
「━━━っ!」
爆発的に広がりを見せる亀裂に、ルステラはすでに足を取られていた。
一拍、反応が遅れてしまったのだ。
今、この場で分断させられてしまうのは非常にまずい。━━フラムが危険すぎる。
なんとかしてこの亀裂から逃れて━━、
━━それは、あまりにも唐突な出来事だった。
「━━ルスちゃんは渡さない」
横合いから、赤い影に押し出される。
━━フラムが、ルステラを亀裂から離したのだ。
しかし、その代わりに、
「フラムっ!」
上げた声は虚しく、亀裂に吸い込まれたフラムには届かなかった。
「ナイスタイミングで出てきたやんけ。……まあ、あのちっこいのでもええか」
「……どこ」
「なんて?」
「フラムをどこにやったの!」
「そんなもん、言えんがな。でもまあ、十中八九無事じゃ済まんのとちゃう?」
非常事態が発生してしまった。
メレブンの言葉から考えるなら、フラムはきっとフレンと同じところに飛ばされていない。一人で━━いるかもしれない。
「てか、あれがなんなのか気づいとんねやな」
「……次元落とし」
「古典魔法やのに、よう知っとるやん」
次元落としとは、空間に不自然な亀裂を生み出し、そこへ人やら物やらを落とす魔法だ。
しかし、この魔法自体に転移させる力はない。
不自然に生み出された亀裂は、自然な状態に修正される。そのとき、落ちた人やら物やらは排出される。━━その排出先に指向性を与えれば、擬似的な転移となるのだ。
よって、移動距離はそんなに長くすることができない。王都全域すら覆えない、そんな代物なのだ。
故にこの魔法自体に殺傷力はない。だが、害するために使えないわけでないから厄介なのである。
「いやぁ、再現すんのも苦労したわ。なんとか━━」
「━━うるさい」
煩わしいことこの上ないメレブンを、一喝で黙らせる。
フラムが心配だ。心配で心配でたまらない。━━だから、目の前の男に拘う暇などない。
「これで最後」
指をメレブンに突きつけて、極小の水柱を射出する。
しかしながらメレブンは避けようとしない━━だって、無効化できるから。
当たらない魔法を避ける必要なんてない。普通のことだ。
━━そのおかげで、狙いがつけやすくて助かった。
「━━づっ!」
射出された極小の水柱が、メレブンに接近し━━鎖骨を深く穿った。
その一瞬の怯みをルステラは見逃さない。
一息に距離を埋めて、メレブンの腹に渾身の肘打ち、さらに足を払って、浮いた顔面に掌底をぶちかました。
「━━ぐ」
小さな苦鳴を上げて、止めどなく鼻血が出ているメレブンの意識は完全に途絶した。
「魔法使い対決ってやつ━━これでも、文句言わないでよ」




