第十九話『決然』
「出たが……」
フレンたちが王城に着いたときから数十分遅れて、アレキスたちも地下水路を通り王城へ侵入した。
水路の天蓋に取り付けられた戸を開くと、埃っぽい部屋に出迎えられる。
「ここは、なんだ?」
「━━東側……骨董蔵であろうな」
部屋の床面壁面にびっしりと骨董品が積み上げられていた。
アレキスたちはそんな部屋の一角、積み上げられた骨董品でうまい具合に隠されていた場所から出たというわけだ。
「ここは……けほっ、埃が尋常ではないな」
「長居するつもりはない。━━行くぞ」
舞う埃を最小限に留めるよう慎重に骨董品を踏み越えながら、出口━━部屋の入り口を目指す。
途中、それなりに良い代物などが散見されたが、泥棒をしに来たわけではないので、見向きもせずスルーする。
「━━━━」
王城の廊下は、廃城と錯覚するほどに閑静としていた。
質の良いカーペットが足音を完璧に吸収して、空間に反響するような音は一つもない。
それ故に、荘厳な雰囲気が後押しされているということもあるけれど。
「━━━━」
だけど、こんな時に、何が起きるのかをアレキスは知っている。
何もないように見えるのに、そこにはきっと、並々ならぬ誰かの感情とやらが渦巻いているのだろう。
愛だったり憎悪だったり、目に見えないけど、確かにそこにあるものが━━渦巻いている。
それをアレキスは知っているのだ。
だから━━、
「━━今は、お取り込み中ですので」
つい数十分、数時間前に相対した男━━シュネルは相も変わらず、偽物の方でアレキスたちの前に登場する。
「招かれざる客人は、これ以上踏み込めませんが━━」
「知らん」
「ならばもう一度━━今度は、引きませんので」
人の根源的な恐怖心に障るシュネルの気配が、前とは比べ物にならないほどに膨れ上がる。
互いに力の種は見せ合った状況で━━否、互いにきっと底は見せていない。
そして━━その一端だと言わんばかりに、
「━━っ! リゾルート!」
背後のリゾルートの足元に亀裂が生じて、爆発的に広がっていく。
亀裂は黒い稲妻みたいに空間を切り裂いて、助ける間もなくリゾルートを呑み込んだ。
「安心してください。あれ自体に誰かを害する力はないですよ。━━それだけは、お伝えしておきます」
含みのある声音に、アレキスは歯噛みする。
亀裂の正体が、所謂━━転移のようなものであった場合、その先の想像は容易い。
だがしかし━━、
「使える戦力は限られている。俺の予想が正しければ━━抜かったんじゃないか?」
「━━━━」
「一手、だな」
分断してちまちまと削っていく戦法は、確かに有効だ。アレキスも、それを理解しているので、目の前のシュネルとは戦うつもりはなかった。
しかし、彼の反応を見て気づく。
━━アレキスは、リゾルートを助けにいかなくて良いのだと。
「今度こそ、本物を拝んでやる」
○
自分がひどく場違いな人間なのではないかと、王都を目指し始めてすぐに、鏡の中の自分へ問いかけたことがある。
━━そのときの答えは、まだ出ていない。
だけど、ずっと感じるのだ。
鏡の中の自分は答えてくれなかったが、たぶん自分は足手まといでしかないのだと。
そうならないために自分にできることを考えて、実行してきた。
馬車の確保も、空いた村の警備問題も━━現在進行形で集めている情報も。
ルステラもアレキスも、感謝してくれていた。
━━だけど、やっぱりまだ足りないのだ
。
王城のことも、地下水路のことも、本当はリゾルートが提案すべきだったことだ。
みなと並び立てない自分の、唯一の取り柄は軍歴ぐらいしかない。
なのにそれを提案したのはフラムだった。
━━だから、やっぱりまだ足りないのだ。
フレンがかつてリゾルートを、村を、窮地から救ってくれて、その恩返しにはまだまだ及ばない。
誰かを護る人間が、誰かに護られてちゃ世話がないのだ。━━軍人は、誰かを護る職業なのだから。
「━━━━」
身を襲った闇から、リゾルートは解放される━━。
真っ黒く塗りつぶされた闇から解放されたリゾルートを迎えたのは、薄暗い━━明度で言えば地下水路と同等の空間だった。
まさか逆戻りということはないだろうが━━、
「━━ォ、オォッ!」
周囲に首を巡らすと同時に、びりびりと振動させられるような雄叫びが響き渡る。
薄暗い空間━━その奥にとりわけ異質な黒色が佇んでいた。
大きな体躯を剛毛が包み込み、与える印象は大木だ。━━『黒狒々』と呼ばれるその魔獣が、リゾルートを睥睨していたのだ。
「オォォッッ━━━━━!」
さらに強い雄叫びを追加して、黒狒々は猛然とリゾルートに迫る。
そしてその勢いを乗せながら拳打を入れて━━、
「━━ふっ」
近づいてくる黒狒々から逃げず、逆に走って近づいたリゾルートは、軽やかにその拳打の下を抜けた。
そしてそのまま、背後に走り抜けて距離をとる。
薄暗の中に見えた、場所を目指して━━、
「━━こっちこっち! 来て!」
壁際にあった、おそらくは通路に繋がっているであろう場所に飛び込む。
黒狒々の体躯じゃここには入れないだろうし、とりあえずは一安心といったところだ。
ただ、それよりも━━、
「━━フラム嬢……?」
「ピンポーン! フラムだよ!」
ぴょこぴょこと跳ねる赤毛が彼女━━フラムの存在を確かにさせる。
「……亀裂に呑み込まれて?」
「うん! なんか目の前が割れて、気づいたらここにいた」
「なるほど……小職と、同じケースであるな」
不自然な亀裂に呑み込まれると、どうやらこの謎空間に運ばれる仕組みらしい。
もっとも原理を解き明かすほどの知識はないので、そういうものとして受け入れるしかないが。
「だから、フレたんも一緒にいると思ったんだけど……」
「フレン女史が?」
「フラムのちょっと前に、フレたんも呑み込まれてたから」
しかし、フレンのがいる気配はない。そもそもいれば、リゾルートたちが黒狒々に襲われることはないだろう。
なので、結論づけるなら、
「フレン女史は、小職たちとはまた別の場所に飛ばされたのであろうな」
「やっぱりそうなのかな……」
「おそらくは」
フレンはいないとして事を進める必要がある。
後でルステラやらアレキスやらが現れる可能性もあるが、こちらもフレン同様無いものとして扱うべきだろう。
「ルスちゃんも、フレたんも大丈夫かな……」
「小職も、アレキス殿を置いてきてしまった。お三方に限って、負けることはないだろうが……」
「でも、心配!」
「そうであるな。そのためにも……」
一刻も早く、ここから出なければいけない。
「フラム嬢、この辺りを見回ったりはしたか?」
「したけど、なにもなかった。通路が半分ぐらいあっただけ」
「━━━━」
「あ、でも、気づいたことがあって! あのデカモノは、絶対に通路に入ってこないの!」
奥の方に鎮座する黒狒々を指差しながら、フラムは発見を述べる。
実際、この通路に入ってから、黒狒々はピクリとも動いていない。なので、フラムの発言はそこそこ信憑性が高いだろう。
ただ、もう一回外に飛び出せば、黒狒々は容赦なく襲ってくるはずだ。━━思えば、最初に気づくべきだった。
この場所がまるで━━闘技場のような形状をしていることに。
魔獣には戦のいの字も分かりはしないだろうが、通路にいる間は戦うべき相手ではないと判断されるのだろう。
だがしかし、
「その情報は有益だが……通路沿いに出口がない以上、危険を冒す必要が出てくるだろうな」
「危ないこと?」
「例えば━━」
百聞は一見に如かずと、リゾルートは自分の身を通路から飛び出させた。
その行動にフラムが目を剥くが、大丈夫だとハンドサインを送る。
これまでの予想通り、外に出たリゾルートのところへと、黒狒々は猛然と迫って来て━━リゾルートが通路へと戻ると、諦めたように奥の方へと帰っていった。
「あの魔獣は同じ場所に戻っていくが、それはいったい何のためであろうな」
「━━っ! 出口!」
「に、繋がる可能性が高い」
黒狒々の背後に、うっすらと空間が見える。そして黒狒々は守るように前に鎮座していて、疑うなと言うのは少し無理がある。
ただ━━、
「あれを掻い潜ってというのは、厳しいだろうな」
「……でも、リゾさん攻撃避けてた」
「あれは時間稼ぎにはなるが、出口まで奴の目を欺けれはしない。逃走時は最も隙が生まれてしまう故、二撃目が来れば一溜まりもない」
「二発目は厳しい?」
「逃げに徹するのであればな」
せめてフラムだけなら出口まで運べなくもないが、きっと彼女はリゾルートのために戻って庇ったりしてしまうだろう。
それに、死ぬなんて一番愚かしい行為だ。恩にも仇にもならない、ただの無である。
だから、そんなことは絶対にしてやらない。
そのために━━。
「━━フラム嬢、小職を信じてついてきてくれるか?」
「もちろん!」
屈託なく間髪入れず、返ってくる言葉が本当に心強かった。
フレンほど強くもなく、アレキスほど逞しくもなく、ルステラほど知識があるわけでもないが、リゾルートにもできることがある。
「━━魔獣を、倒そう」
決然と、リゾルートはそう宣言した。




