表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暁の史記  作者: 焚火卯
第一章
2/117

第一話『蒼』

 意識が暗く深い場所へと落ちていくとき、何か見るかと思ったけれど、そんなことはなかった。

 例えば、走馬灯。

 だけど自ら死を選んだのであって、誰かの攻撃が私の命を掠め取ろうとしたわけではないので、見なかったことに対する説明はつく。

 他には、夢。

 死の淵で自分の半生を思い出すとき、自死の場合は夢と表現する方が適当ではある。

 走馬灯ほど生に執着しておらず、突発性に欠けるから。

 生憎と、どちらも見なかったけれど。

 死は死であり、以上も以下もありはしない。そんな観念が、この結果を生み出したのか。

 ならば、少し惜しいことをしてしまったなと若干の悔いを感じる。

 それでも大目標は達成してるので、特に問題はない。

 意識が暗く深いところへ落ちていく。

 落ちて、落ちて、そして途切れた。



 目が覚めて一番初めに認識したのは、どこまでも広がる青い空であり、目が覚めて一番初めに意識したのは、自分は死ななかったということだった。

 やはり、急流に身を投じるだけでは不十分だった。

 いや、常人ならば全身の骨が砕けていても不思議はないぐらいの川なのだが。


「頑丈さは売りではないのだがな……」


 上体を起こし肩を回しながら、一人ポツリと呟く。

 個人的に評価としては、耐久力に関してはあまり人並み外れてはいないと思っていたが、少し修正が必要かもしれない。

 なにせ全く身体が痛くない。むしろ絶好調とさえ━━、


「それは、おかしいだろう」


 空の具合から、眠っていたのは半日ほどだ。なので疲労感が無いのは納得できはする。

 しかし、激流に揉まれ、岩などに直撃したであろう身体が無傷であることへの納得は簡単にはできない。

 もしかしたら相当の強運を発揮したのかもしれないが、そちらよりかは、


「治療された?」


 と、する方が納得はできる。無理解が不可解になった程度の話だけれど。

 ━━疑問は二つある。

 一つ目は、治療したのであれば、なぜ私を野ざらしのまま放置しているのか。

 二つ目は、流され戦場から遠ざかっているとはいえ、半日もただ眠りこけているだけの私が、見つかっていないのはどうしてか。

 強運か、敵が間抜けなのか、あるいは━━全て、夢だったのではないか。


「━━馬鹿馬鹿しい」


 頭を振って、雑念を掻き消す。

 私は現実を受け止めて、現実的な判断を行った。夢など見ていない。


「理解できない部分も多いが、いつまでもじっとはしてられんな」


 伸びをしながら、再度身体の調子を確かめる。先ほど同様に不調ではないが、改めて神経を研ぎ澄ましてみると、なんとも形容しがたい感覚が全身を覆っている感じがした。

 おそらくは敵の脅威が収まっていないという意識によるものだ。

 とは言えそんなことは承知の事実なので、今考えるべきは身の振り方である。

 色々と腑に落ちないことはあるが、川に流されて来たのは純然たる真実なので、現在地はあの戦場からほぼ真南といったところだろう。


「どれほど下ったか、川を見れば……むぅ」


 流れや川幅で位置が推定できるかと思ったが、あまり違いがわからなかった。比較的、穏やかになってはいると思う。

 そんなことを思いながら川を眺めていると、もう一つ疑問が湧いてきた。


「この流れの中、私を引き上げたのか」


 川と川岸の高低差も少しあるので、ますます疑問は深まる━━否、人物像が見えてきた。

 治療されたとの仮説を立てたときから脳の片隅にあった可能性だが、おそらく私を助けたのは、


「魔法に長けた人物」


 あくまでも可能性の一つだが、そんな結論を出した。

 これでもまだ突飛と言えば突飛な発想ではあるが。


「まあ、とにもかくにも一先ず戻る……」


 ━━どこへ?

 次の行動を勘案して、私ははたと気づく。自分の居場所など、もうどこにも無いことを。

 だったら、戻る場所など、


「━━━━」


 川に視線をやった。そこでは勢いよく水が流れていて、入れば無事じゃ済まなそうだ。

 いや、確実に死ねるだろう。

 無理解も不可解も、もっと以前に芽生えた問題でさえからも、解脱できる。まさしく水に流すとは、こういうことなのだろう。

 だけど、


「誰によるものかを確かめてからでも、遅くはないか……?」


 引き上げられた謎。治療されただろう謎。放置されている謎。

 三つもあれば流石に気が気ではなくなって、安らかにあの世へいけない。


 ━━それが欺瞞であることには一片も気づかずに、私は進行方向を変更し、川ではなく森へと足を運んだ。



 マレットの森。

 しかしながら森と言えども名ばかりで、起伏の少ない土地で、危険な動植物が見受けられることもない、世界でも有数の安全が担保されている森である。強いていうなら、面積が広いという欠点があるが、構造が縦長の長方形型なので、さしたるものでもない。

 だがそれ故に、


「ここに逃げ込む可能性が高い。大当たりだな」


 正確には、逃げ込んだではなく流れ着いたなのだが、結果的にこの森にいる時点で関係のないことだ。すぐそこで野営している軍を監視しながら、そんなことを考える。

 あの男からどこまで情報が漏れているかがわからないが、おそらくは自殺の件は伝わってないと思われた。

 伝わっているのであれば、あんな武装して念入りに準備しているのはおかしいだろう。

 大方、川に飛び込んで逃げたぐらいの認識だろう。あるいは、男の話を誰もまともに受けなかったかだが。


「どちらにせよ、私が狙われていることに変わりはないんだ」


 依然変わらず、木の上から様子を眺めつつ、今後の方針を立てる。

 探し人を見つけるにしても、当然ながら情報は全く持っておらず、魔法に長けているかもしれないなんてか細い線が精一杯だ。

 なのでどこかで情報収集をしたいのだが、近隣の村なんかへ足を運ぶのが愚の骨頂なのは明白だ。

 なので代案を立てなければいけないのだが、それができるなら苦労はしない。


「私は参謀じゃないんだぞ……」


 戦闘教義がからっきしな頭を抱える。

 一応、代案が皆無というわけではないのだが、物騒な手段ではあるため自重したい。

 四の五の言ってられる状況じゃないのはしっかり理解しているが、やはり、


「兵士全員を拘束して、情報を吐き出させるのは……なしだな」


 可能不可能の話をすれば、確かに可能な策ではある。あの規模なら、そう時間はかからないだろう。

 それに一般市民相手ではないところも良い。別にどちらでも殺したりはしないが、全員無傷で事を成し遂げられるほど器用でもないので、攻撃するなら兵士側を選ぶ。

 しかしそれでも、私にはできない理由があった。


「ノンダルカスの人間に、攻撃などしたくない……っ」


 眼下の軍は、紛れもないノンダルカス王国のものだった。━━つまりは、私の元仲間なのだ。

 誰が率いているかはまだ判明していないが、もし、もしもと思えば思うほどに、行動に躊躇が生まれる。

 たとえ相手が先に裏切ってきたのだとしても。


「村はダメ。軍に攻撃はできない。……行商人ならば、まだ知らないやつがいるかもしれんな」


 王国全域に通報されていれば終わりだが、その可能性は薄いように感じる。

 せいぜいここ周辺の村に、それとなくぼかしながら通報するのが関の山だろう。

 だったら勝算は十分にある。目指すは、街道だ。そこで━━、


「━━おい」


 瞬間、全ての感覚が警鐘を鳴らす。

 視線が街道の方角に向かった一瞬の時間に、誰かが私の背後を取った。それもただ取ったわけじゃない。声をかけられる直前まで、私の感覚に一度も引っ掛からず、なおかつ木の上だったことを加味しての背後取りだ。

 異常が突然降り落ちてき、しゃがみ込んだ体勢のまま裏拳を声を遡るようにしてぶちこむ。が、焦っていたのか滑り落ちてしまい、裏拳は虚しくも空を切った。


「━━━ッ!」


 無防備に落ちる身体を狙われないように、私は咄嗟に枝を足蹴に遠くへ跳ぶ。折壊音とともに、枝がキリキリと舞いながら後方へと飛んでいくのを確認して、同時に声の主を探す。

 すでに元の場所にいなかったが、場所を移動したのが一瞬だけだが視認できた。


「体躯のいい男。軽装で、武器は目に見える範囲では確認できなかった。━━だが、相当にできる」


 忘れないよう口に出して入念にチェックする。

 ちゃんと顔が見れたわけではないが、記憶にない男だった。私に気取られずに近づけるほどの人間は、そうほいほいと存在していないと思うのだが。


「それに……」


 咄嗟だったとは言え、野営地の方向に全力ジャンプしてしまった。このままでは気づかれるのは必至なので、枝を掴んで急ブレーキをかけようとするが、


「耐え……れないか」


 枝が半ばで折れて、そのまま私ごと地に落ちる。頑張ってはみたが、やはり枝葉を踏みつける音は鳴り響く。

 これじゃ兵士達にだけでなく、得体のしれない男にも位置を教えてしまう。


「焦りは禁物だな。しかし、どうするか……」


 顔を両手で挟み込み、自分の置かれている状況を確認する。

 得体もわからない男がまだどこかに潜んでいて、さっきの音で兵士の一団が近づいて来ている。足音から察するに五名。ちゃんと訓練を行っているのがよくわかるが、今はその感傷は捨て置く。

 今必要なのは、優先順位の施工だ。

 事を構えるのか、はたまた逃げるのか。前者ならばどちらと、後者ならばどのルートで、それぞれ選ばなくてはならない。


「クソっ、情報が足りなさすぎるぞ……」


 やや男の方に比重を寄せて、警戒を続けながら呟く。

 にわかに発生して声をかけてくる男は普通にやばいのだが、それに留まったという部分は一考の余地があるかもしれない。

 不意打ちではなく、不意に声をかけたということは、会話の意思があるのかもしれない。

 だとしたら優先すべきは、


「そこに誰かいるのか!」


 兵士の一人が大声を出した。

 それを受け止めながら、私は覚悟を決める。あくまでも武装解除。攻撃じゃない。怪我はさせない━━。


「お前」


「なっ!?」


 意を決して飛び出す直前、男の声が耳元で炸裂する。

 進もうとした足がすんのところで空回り、思いきり兵士の前へずっこけた。先ほど声を上げた兵士と目が合い━━、


「━━お前は……そこの村の者か? いいやなんにせよ、現在ここら一帯は立ち入り禁止だ」


 まるで私に気づかぬ様子で、兵士は注意したのだった。

 この軍は私を捜索するものではないにしても、私に気づかないのはおかしいだろう。

 先ほど声をかけた謎の男もいつの間にかいなくなっていて、もう何が何やらだ。


「どうして森に入っている?」


 低い声で二つ目の質問を投げかけられる。

 しかし一つ目の質問をまだ消化しきれていないので、答えることなどできなかった。


「述べよ」


「━━まあまあ、急に決定したことなんだし、ちゃんと連絡が行き届いてなかったんすよ」


 黙り込みながら目を合わせていると、別の兵士が仲介に入ってくれた。

 その兵士は冑を外すと、眉を上げて「そうだろ?」と伝えてくる。


「は、はい……」


 部下━━元部下に対して、思わず敬語で返答してしまった。

 だが、冑を外してくれたおかげで、軍の全容がわかった。

 冑を外した男の名前はポーコ。低い声の男はリゾルートだ。すなわち、この辺の警備を担当している隊が軍を展開している。

 こことは直接的な関わりはないが、しかし、気づかれないというのは異常だ。


「ふん。連絡はちゃんと耳にいれておけ。そういう積み重ねが、死を招くのだぞ」


「すみません……」


「ああ、大丈夫大丈夫。こいつ別に怒ってないっすよ。心配かけさせるなって遠回しに言ってんすよ」


「黙れ」


 調子よく意訳するポーコを、さらに低い声で諌める。

 上司の立場から見ていれば中々に面白い光景だが、いつまでもこうしてはおられない。とりあえずただの村娘っぽい感じを演出しているが、平常のようにまかり通った不思議の前では正しいのか間違ってるのかすらわからない。


「自分らもよくわかってないんすけど、どうやら危険人物がいるとかなんとからしいので、よければ村まで……」


「いえいえ、そこまでお世話になるわけには。みなさんも忙しいでしょうし」


「いや、我々の仕事は民を守ることだ。無事に送り届けるのも責務の一つである」


 心がけは立派でしかないが、今だけは遠慮願いたかった。私はブンブンと手と頭を振って、強めに否定する。


「いえ、本当に大丈夫ですので! 本当にすみませんでした! それと、ありがとうございました!」


 何に謝って何にお礼したのか自分でも説明できないが、とりあえずいい感じの事を言って退席させてもらった。

 ポーコが手を上げ、リゾルートが鼻を鳴らしたのを尻目に、街道方角へ早歩き。二人が見えなくなった瞬間に、常外のスピードで駆ける。

 ━━わからない。わからない。わからない。

 疑問は著しい速度で育つのに、それを回収する手段が一つも手に入れられない。ただがむしゃらに走り続けても、不可解から逃げ切れられない。

 走って走って走り抜けて━━ふと足を止める。

 このまま街道に出たところで何かが解決するとは思えない。しかし、この森で燻っていても同じことだ。

 もう、何でもいいから縋りたい気分だった。


「━━おい! いるんだろ! 出てきてくれ!」


 謎の男が敵か味方かわからないが、そんなことはもう知らない。たった一割でも疑問を解消してくれるなら、敵味方上等だ。

 声が木々に吸い込まれていって、やがて消える。

 男は出てこなかったのでもう一度━━と息を吸うと、後ろで人の気配がした。


「ややっ、見つかっちゃうか。アレキスみたいにはいかないね……」


 木の裏から顔を出したのは、探し求めた謎の男━━ではなく、謎の美少女だった。

 腰ほどまで伸びた美しい白髪に、宝石を埋め込んだみたいに綺麗な蒼い瞳。端正な顔立ちには、万人が唸ってしまうが、とりわけ目につく部分は他にあった。

 ━━獣耳が、生えているのだ。

 つまるところ彼女は亜人だ。しかも数の少ない獣系。

 だがそんなことは今は全部うっちゃって、私は問いかける。


「説明してくれると思って、いいんだな?」


「いいけど、まずは剣の柄から手を離そうか」


 その蒼い瞳に射すめられ、私の脳内では過去最大の警鐘が鳴り響いていた。  


第一話と銘打っておりますが、十五話ぐらいまではプロローグみたいなものです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ