第十七話『張り子の魔王』
先の話し合いより、ルステラ、フレン、フラムの三人は西側の入り口へ。アレキス、リゾルートの二人は東側の入り口へ向かうことになった。
場所を把握している者であるフラムが一人しかいないので、どちらかはアバウトな印を頼りに見つけなくてはならない。
なのでフラムは、記憶に自信が少ない方へと━━つまりは西側の方へと同行することとなった。
合理的な判断を下したが故のメンバー構成だったが、しかし、これは正しかった━━と、言い切れる結果にはなったのだと思う。
もっとも自衛手段の乏しいフラムが、危険に晒されることがなかったのだから。
だけど、妙に歯切れが悪いのは━━、
「━━なんも、起きなかったね」
ひっそりと砂に被れていたハッチを眺めながら、ルステラは呟く。
この道中、驚くぐらいに何もなかったのだ。一応、巡回している騎士などは見かけたが、別に認識されたわけでもなく、ただ闇雲に穏やかだった。
もちろん、西側は元居た場所からそれほど距離がないという理由もあるのだろうが。
だけどやっぱり、恐ろしいぐらいに穏やかだった。
「でも、それが一番!」
「だね」
同意して見せるが、心中が穏やかかと言われると微妙なところだ。
無事に何もなくここまで辿り着けたのは事実なのだけれど、それは普通に認めるのだけれど、どうにも誘導を感じたりする。
虎穴に入らずんば虎子を得ずとはよく聞くが、なにもむやみやたらに頭を突っ込んだらいいという話ではない。
考えすぎも不安視しすぎも自覚しているけれど、懸念材料が確かにあるので許してほしい。
もちろん相手の思い通りになるとは一欠片も思ってないけれど、それが心配しない理由にはならないのだ。
「ルステラ?」
やはり偽物とはいえシュネルとの接触は意地でも避けるべきだったか。こうして悩んでいるのも計算通りなんて言われたら、それこそ打つ手がない。といってもここから━━。
「ルステラ?」
「え、あ、なに?」
「いや突入するからと……。もしかしてなにか、引っかかることがあったか?」
ハッチを開くというか、もはや引き剥がすような感じで開けたフレンが上目遣いでルステラの顔色を窺う。
その質問は大いに正しいのだが、ここはひとまず━━、
「別になにもないよ。いこっか」
虎穴に入らずんば虎子を得ず。今はこの言葉を信じて進む。━━たとえ張り子の虎であっても。
「━━━━」
想像力に果てはないけれど、きっと想定には限界がある。ルステラもシュネルも誰だって。
だから、
「アレキス、頼んだよ」
誰にも聞かれないボリュームで一人吐き出す。
アレキスたちはきっと今頃━━シュネルと相対しているはずだから。
○
━━ルステラの呟き、そこから時は僅かに遡る。
「首尾は?」
貧民街とは別種のアングラな雰囲気が漂う場所で、アレキスは今しがた戻ってきたリゾルートに問う。
とはいえ非合法の限りを尽くしているわけでも、良心が著しく欠如しているわけでもない。
ただ暗がりを好む人間は存外にも多く、巡りあって集まって、この場所が形成された。
「悪くはないが……決定的な物もないといった具合である」
「━━━━」
「しかし、王城に赴けば得られるやもしれん」
「そうか」
リゾルートの報告がどうであれ王城には赴くのだが、その有益さが増すに越したことはない。
もちろん不安の種は尽きぬが、メリットという部分に食いついてしまうのも事実。
「━━━━」
「━━━━」
実を言うと、連絡やら報告やらを済ませれば、それ以上の会話は生まれない。
沈黙を気まずいと思う感覚はアレキスにはなく、おそらくだがリゾルートにもないのだから当然だ。
かと言って不仲では決してなく、王都までの道中でそれなりに気心も知れた関係だ。むしろ恩まである。
彼がいなければここまでスムーズに来ることはできなかった。足の確保やら、村の警備の問題やら、片っ端から解決してくれて助かった。
もちろん今だってそうだ。リゾルートしかできないアプローチで、模索し検討している。
たとえ無駄足に終わっても、恩義は必ず返そうと思う。
「━━フラム嬢は、この辺りを指し示していたが……」
複製された地図をしげしげと眺めながら、場所の特定を始める。
東側の入り口は、西側と違って曖昧な記憶だったため、こちらで絞り込む作業が必要なのだ。
とはいえ中心部の興盛な場所からは遠ざかっているので、じっくり探しても悪目立ちはしない。
おそらくは地面に設置してあるので、下を注視しながら歩く。そしたら━━、
「━━上への警戒は疎かになりますよね」
死角から悪意が飛来して、アレキスは本能を働かせながら掌を掲げる。なにもない場所に向かって伸ばすと、無が掌を突き破り鼻先を掠めた。
しかし血潮が弾けるのも厭わずに、アレキスは━━、
「小職は大丈夫だ! 攻撃を受けていない!」
すぐさま剣を抜いたリゾルートは、端的に現状を伝えた。
リゾルートが攻撃を受けなかったのは僥幸だが、むろん、そこには理由がある。
アレキスを早く仕留めたかったか、もしくは、
「狙えない位置に居た」
「━━どうやら、実力に偽りはないようですね」
先ほどの声と同じ方向から、シュネルは通路に降り立った。
「俺の実力を知っていると?」
「ええ、あのポーコを倒したと、そうお聞きしていますが」
「抜かりないな」
ポーコとの戦いは、どうやら見られていたらしい。たぶんもっと偵察能力を伸ばした『影跋』にだろうが。
「その上で初撃で仕留められると踏んだのですが……やはり、強さの度合いというのは実際に体験しなければわからないですね」
「そうだな」
「なので━━」
シュネルが剣の柄に触れた瞬間、また無がアレキスを穿った。
風魔法も確かに視認しにくい系統ではあるが、それとは一線を画している。━━不可視、透明、無形。原理はわからないが、そういうものだとして対処しなければならない。
「リゾルート、剣を置いて目的地へ。頼む」
目下捜索中のハッチ。そこへ向かうよう促す。
「━━わかった! どうかご無事で!」
迅速な対応にアレキスは感謝しながら、剣を受けとった。
アレキスの強みは治癒魔法によるところが大きいが、しかし、得物を利用するのとしないのとでは格段に差が出る。
シュネルは、気合いをいれなければ戦えない相手だ。
「━━なるほど、報告に受けていた通り、ものすごい回復力ですね」
瞬きほどの時間で傷が塞がるアレキス。それをシュネルは観察するように見つめた。
「ですが……」
「━━━━」
「致命傷ならば、十五回といったところでしょうか」
観察結果を口に出すシュネルにアレキスは反応しないが━━十五回というのは概ね正解である。そして、
「さっきの二つの傷で一回分……の半分ですかね」
「━━━━」
「あなたのその回復力には目を見張るものがありますが━━崩せないものではない」
淡々と所感を述べるシュネル。それがまったくの的外れでないのだから、タチが悪い。
圧倒的なまでの観察眼と慎重さ。━━フレンと事を構えようとしただけのことはある。
だが、アレキスとて治癒魔法一辺倒ではない。
「少し、お付き合いしてくれれば」
不可視の刃が、アレキスを襲う━━。
○
荒れ狂う不可視の刃。全てが死角で、次の瞬間には首がハネられていてもおかしくはない。
しかしアレキスはこうして五体満足だ。首はおろか裂傷すら付かない。何故なら━━、
「━━『魔切輪』。元は『祭国』ローテンスの遊興で編み出されたのでしたか。まさかここで初めてお目にかかるとは」
魔力の刃とただの市販の鋼で打たれた剣。合わせれば確実に後者が負けてしまう。
故に、魔力を断ち切れるようにしなければならない。そこで生み出されたのが『魔切輪』だ。
どんな武器でも、魔力への対抗手段となる。━━もっとも、シュネルの言った通り、本来は戦いを目的として生み出されたわけじゃないのだけれど。
「刃の位置は……『風読み』ですか。まるで一人雑技団ですね」
やはりシュネルの観察眼は尋常でない。『魔切輪』に『風読み』と、知っていてもすぐに紐付けるのは難しいだろう。しかも、『魔切輪』は初見ときた。
正解か不正解かアレキスは答えないけれど━━これまでに間違いはなかった。そしてたぶんこれからも。
「しからば━━」
剣の柄に触れながら様子見していたシュネルが一息に距離を詰めてくる。
依然、不可視の刃はアレキスに襲いかかっており、対処に困ってしまう。『魔切輪』は基本的に何でも使えるが、弱点として受け止めてはいけないというものがある。
原理としては所謂、相殺になるので、受け止めるのではなく打ち合わせなければならないのだ。
万が一にもそんなヘマはしないけれど、億が一ということもある。なので、振り分けとしては━━、
「━━━く」
シュネルの剣を素手で受け止め、背後から踊りかかる不可視の刃に剣を打ち合わせた。
痛みが神経を刺激し苦鳴が漏れてしまうが、傷は治るので気にしない。
掴み取った刃をさらに強く握って、剣を振ったシュネルの腹部に足裏をお見舞いする。相手は咄嗟に腕でガードしたが━━、
「━━がっ! 『空抜き』……っ!」
隔たりがあっても、衝撃を百パーセント向こうへ与える。シュネルはそれをモロに食らって、よろめきながら後ろに下がった。
そこにすかさず追撃を入れようと踏み込むが━━、
「━━━っ!?」
つま先が沈み込んだ地面から、赤々とした火柱が吹き出る。それをすんでのところで避けながら、追撃を中断する。
「風じゃない……いや、二属性か……?」
思いつくところで言えば、その二つだ。もっとも二属性以上に適正があるのは稀有な才能なので、個人的には前者を推したい。
魔法の専売はルステラなので、アレキスの推測は参考にはなるが正解かどうかは保証できない。
━━保証できない。
「━━ちゃうちゃう、助っ人や」
訛りと共に火柱の影から現れたのは━━、
「メレブン・ラプソード。宮廷魔術師の方が通りはええか?」
鈍色の髪で黒い装束を纏った男━━メレブン・ラプソードは飄々と場に現れたのだった。
「たぶんな」
「そりゃよかった。出てきてあんた誰やのんなんて言われた暁には、立ち直れんもん。━━あ、けど、ごめん。自分は言ってまうわ。あんたさん、誰でっか?」
小首を傾げながら、質問をするメレブン。
しかし、アレキスが答えるより先にメレブンが喋り出す。
「……流石にフレンちゃんのツレだってことは把握してんで。訊きたいのはそこやなくて、なんや、強さの秘訣みたいなことや。シュネルはんがここまでって中々ないで?」
「━━━━」
「なんせ、フレンちゃんいなければシュネルはんが……」
「━━メレブン、喋りすぎですよ」
語り続けるメレブンを、立ち直ったシュネルがぴしゃりと止める。
味方だろうと構わず口を封じようとする気配が膨れ上がり、空気がピりつくが、メレブンが両手を上げてすぐに霧散させた。
「ごめんごめん……ってか、マジ気で話すわけないがな。突っ込み待ちっちゅーやつや。な?」
「それも疑わしいですが……まあ、いいでしょう。幸い私は寛容だ」
「そっちの方がよっぽど嘘吐き……ちょいちょい冗談冗談、寛容や寛容。寛容!」
大げさに機嫌を取り持つメレブン。しかし調子はずっと軽いままで。
ルステラしかり、魔法使いとはそういうものなのだろうか。
「それでどうすんねや。自分はシュネルはんに従うで」
「そうですね……」
二対一になられたら、流石に骨が折れるどころの話ではない。殺すと負かすは全然違っているのだから。
「━━今回はここまでにしましょう。どうやらあなたを崩すのは今じゃないようです」
「らしいわ。ほんじゃ、どっかでまた会うやろからそんときはよろしゅうな。━━あ、そうそう、これは言っといた方がええかもしれんな」
去り際、メレブンが半身だけアレキスに向けた。そしてシュネルの止めが入らないことを確認してから、
「このシュネルはん。ほんまもんやないで」
「━━━━」
「知らんけど」
最後に掻き乱すようなことを言い放って、メレブンとシュネルは本当に去ってしまう。
しかし、実際に戦ったアレキスにはなんとなくわかっていた。
今のシュネルは、強くはあったがやけに歯応えがなかった。
偽物と本物。それにメレブン・ラプソード。これで本来ならフレンも入ってくるのだ。
もうほんと、なんというか、
「ノンダルカス王国、疲れる……」
○
「━━シュネルはんは、なにがしたいんや?」
潔く離脱した二人は、アレキスが見えなくなった辺りで会話を始める。
「私の目的は、当初伝えた通りですよ」
「じゃあ、あの男の前に表れる必要なんてあらしまへんがな。リスクしかないやんけ」
「リスクヘッジはちゃんとしてますよ。そのためにこっちで来てるのですから」
「……そもそも顔見せる理由がないやんけって話や」
シュネルの考えを疑うわけじゃないが、意味不明を抱えたままにするほどおとなしくもできない。
そう言えば、フレンの別のツレである亜人にも会ったと言っていた。そちらも同じ理由なのだろうか。
「理由はありませんね。しかし理屈は通っている。私はそう思っています」
「なに言っとんねんカバチタレ。己で勝手に納得すんなや」
「━━植え付けと言えば伝わりますか?」
「伝わるかい、あっぽけ」
メレブンの言葉にシュネルは苦笑する。だが、訳知り顔で気取っているときよかは幾分かましだ。
「まず前提として、私たち━━広くノンダルカス王国の人間と取りましょうか。そんな私たちですが、一人ずつでも束になっても勝てません。フレンはおろか、さっきの方ともう一人の亜人にもです」
「あれは……ほら、ちっこいのと兵士は普通に勝てるやろ。てか、捕らえでもすれば簡単に済むて」
「それは逆効果です。━━いいですか?」
短気に事を済ませようとするメレブンをシュネルは諌める。
「私たちはフレンたちを本気にさせないこと。━━そして、本気にさせない環境を作ること。これが必要です」
「ほんじゃあますます会ったんはミスやがな。警戒を深めるだけやろ」
「ええ、深めますね。━━ですが、それ以上に確認しておきたかった」
「まさか、二人を……!?」
「それは早合点です。言ったでしょう、理由はなかったと。━━言い換えると、意味はないんですよ」
「━━━━」
「無意味を植え付ければ、人は勝手にそこへ意味を与えようとする」
「……で?」
とりあえず聞き返してみるが、きっとメレブンには納得できないのだろうなと思う。というか、シュネルの考えていることは大体わからない。
だから今回も何故そうなるのか、わからなかった。
「━━あの二人は、本気で私に挑めない」
しかし、シュネル・ハークラマーは、決定的な掛け違いをしている。
あのとき『見て』いただけだったから、シュネルは気づけなかったのだ。
━━愚かしくも、気づけなかったのだ。




