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暁の史記  作者: 焚火卯
第一章
13/122

第十二話『お助けジジイ』

 今さら、何かを為したいとは思わない。

 夢を抱くには、エールは少し歳を取りすぎた。

 だけどエールは願う。希う。

 不自由のない幸せを、せめて手の届く人たちには享受してほしいと。



「お助けジジイ! 人死んでる!」


「なんじゃなんじゃ、急に」


 無邪気に先行したフラムをはや歩きで追いかけていると、建物の陰でフラムが突然しゃがんだ。

 人が死んでいるという報告を反芻し、視力の落ちてしまった目でフラムの足元を注視する。

 確かに誰かの脚が、物陰からひょこっと出ていた。


「待てフラム! 死体になぞ触るな」


 ひょこっと出ている脚をフラムがバシバシと叩くのを、すぐさま止める。そしてフラムの首根っこを掴んで死体から引き離した。


「お前さんは何も見なかった。━━さあ、行くぞい」


「━━この人、お母さんの匂いする。でも冷たい」


 目を開けて涎を垂らしている死体に、フラムは再度近づく。そしてまたしゃがんだ。

 全身をまじまじと見ながら、満足したのか、上目遣いでエールを見据えた。


「助けられる?」


「いくらジジイでも、死者を蘇らせるなど……いや、生きておる……?」


 杖で小突く触診をしてみると、まだ生命であることを身体が主張していた。

 身体が発熱しなくなり体温が無くなるというのは死体特有の状態だが、どうしてかまだ生きている。

 症状的には呪いに近かったりするが、術式の気配もない。ということは、つまり、よくわからないということだ。

 ただなんにせよ生きている。持ち前の生命力が強かったのだろう。


「……もしかして、『暁の戦乙女』なのか?」


 全身を再度観察すると、一つの可能性が過った。

 『暁の戦乙女』をちゃんと見たことはない。だが、ちらっと後ろ姿を見かけたことがある。

 もちろん顔を見たわけでもなく、それに赤橙色の髪など珍しいものでもない。

 ただ、エールの勘が━━否、強者を見抜く眼が、彼女を『暁の戦乙女』と言っている。

 それに、


「なにしとるんじゃ!?」


「冷たくなったら服を脱がすって……」


「それは服ごと水に浸かったりしたときだけじゃ!」


 偏った知識で身ぐるみを剥ごうとするフラムを急いで止める。が、小首を傾げて再開したので、説得は諦めて運ぶことにした。


「━━━━」


 ━━どうしてか、フラムが積極的である。

 直前の記憶を引っ張り出せば、確か母の匂いがすると言っていたが━━。


「お助けジジイ! 力持ち!」


 担ぎ上げたことにフラムがなにやら反応しているが、考え事をするエールにはそれが入ってこなかった。


「『暁の戦乙女』……ならば、第一部隊じゃと聞いたの……。数年でどれほど変化した……? シュネルはまだ兼任しておるのか……?」


 ぶつぶつと呟きながら、家までの道のりを歩く。

 助けるのに意欲的なフラムに、まるで城壁を越えてきたみたいな姿勢で倒れていた『暁の戦乙女』。

 過去の記憶も照らし合わせて、吟味する。


「━━難しい顔してる!」


 ぶつくさと歩くエールの進路を、フラムが小さな身体をめいっぱいに広げて妨害してくる。


「なんかイヤだ!」


 フラムの直情的な感想が、エールの心を穿つ。だいぶ攻撃力が高かった。

 しかし、そうだった。フラムの言うとおりだ。

 人を助ける理由なんてシンプルでいい。

 彼女が『暁の戦乙女』だから助ける。否。母の匂いがすると言われたから。否。彼女が、とても無念そうに倒れていたから。否。


 ━━彼女もまた、未来を担う若者だから。


 その若者の顔が幸せそうには見えなかったから、エールは手を差し伸べた。

 彼女にはまだ、エールも手を届かせられる。

 それだけでいいのだ。


 ━━あの日逃げた来た自分よりは、少しだけ顔が晴れやかな気がした。





 ジリジリと、ジリジリと、エールは後ろへ下がる。

 何かが崩れ落ちる音と同時に、無遠慮に何者かが入ってきたからだ。

 白を基調とした制服を身に纏い、優雅な雰囲気を漂わせている彼らは━━、


「━━騎士様がこのジジイになんの用かの?」


「王国を守るためです。エールさま」


「はっ! 形だけの礼儀なぞいらん。ジジイはもうただの老人。そもそも、会うたこともないじゃろう」


 目の前に相対するは三人の騎士。見覚えのない顔なので、おそらくは軍にいたときにはまだいなかっただろう。

 とはいえ、それは逆に実力を知らないということに繋がるが。

 しかし、エールは長年の経験で解する。━━彼らとなら渡り合えると。


 杖を握り直し、相手の騎士剣と同じように構えた。すると、それを合図だと判断したのか、先ほど声を出した一人が飛び込んでくる。


「━━はっ!」


 剣に立ち向かうは、ただの杖。打ち合えば杖が折れること請け合いだろう。

 ━━だから、受けない。

 単純な縦振りを半身を下げる最小の動きで回避。そして━━机に置いてあった金貨袋で思いきり殴り付けた。


「これで一対二じゃ」


 金貨袋をジャラジャラと鳴らしながら、残りの騎士二人に現実を突きつける。

 そしたらやっと理解したようだ。一対一じゃ敵わないと。

 二本の騎士剣がエールに襲いかかる。


「━━そうそう、言い忘れておったがの」


 刃が届く直前、エールは床を強く叩きながら、二人に告げる。


「あんまり強く踏み込むと、床が抜けるぞい」


 瞬間、二人の騎士が大きく体勢を崩した。━━足元の床が陥没したのだ。

 隙が生まれた二人の間を、杖を横向きにしたエールが軽い足取りで抜ける。そして、騎士二人の顔に引っ掛かった杖を渾身の力で、顔ごと下方向に叩きつけた。


「━━━━」


 轟沈したのを確かめて、エールはすぐに二階へ向かう。

 さっきの崩落音は二階からだった。そして、エールが倒した騎士の中にはシュネルはいなかった。

 つまり━━。





 フラムの必死な叫びと、天井の破砕音が鼓膜を穿った。そして、刹那遅れてから、なにかが床を濡らす音もやって来て━━。


「━━シュネル・ハークラマーッ!」


「お久しぶりです、フレン。あと一応、そちらのお嬢さんも実は初対面じゃなかったりするんですが……まあそれは置いといて」


 天井からお出ましたのは、フレンが王都に来た目的━━シュネル・ハークラマーだった。


「それにしても、たった数日でだいぶ勘とファッションセンスが鈍ったようですね。━━止血しないと死にますよ?」


 シュネルが光沢のある剣を掲げる。

 ━━反射率の高いその剣に写し出されたフレンは、右肩から先がなかったのだった。


「服のことは触れてくれるな。それにどんな格好だろうが、止血しようが結局は殺すだろうに」


「ええ、殺しますよ。なんとなく、訊いとくのがセオリーかなと思いまして」


 止めどなく血が溢れるフレンを前に軽口を叩くシュネルだが、まったく警戒は解いていなかった。

 事実、その警戒は正しい。

 フレンならば片腕の状態でも、シュネルが隙を見せたら、反撃して形勢をイーブンまで持っていける。

 それ故に、シュネルは警戒を解かない。

 しかし、彼は知らない。フレンの目的を。


「ならば早くやってくれ。痛いのは嫌いだ」


「……やけに潔いですね?」


「ここからじゃどうにもならないからな」


「なにか最期に言い残すことは?」


「ない……いや、フラムとエールは見逃してくれ」


「最初からそうするつもりでしたが……死にゆく者の願いを聞き入れたとする方が体裁がいいのでそうします」


 肩をすくめて、剣をさらに強く握るシュネル。

 さしものフレンでも、首を飛ばされれば死に至る。というか、普通に失血死もする。

 早かれ遅かれ死んでしまうのだから、早い方がいい。

 振り払われた剣が直に首に届く。━━だけどやっぱり走馬灯は見えなくて。

 だから、フレンは気づかない。自分の心に、気づけない。


「━━ダメぇっ!」


 剣が届く瞬間、フレンの視線の高さが著しく低くなる。そしてその低くなった視界も、小さな影に塞がれた。


「これはこれは早いお目覚めでしたね、お嬢さん。━━気を失っていた方が、幸せでしたのに」


「幸せじゃない! フラムのフレたんを殺さないで!」


 衝撃に揉まれて気を失っていたフラムが目を覚まし、尻餅をつかされたフレンの前に立った。その一連の流れが掴めず、フレンは呆然としていた。


「いつからあなたのものになったんでしょうか。彼女は王国のものです。━━だから、殺されるんです」


「じゃあフラムのものにする!」


「そうきましたか。……別に、いいですよ」


 フラムの主張に、シュネルはあっさりと許諾する。

 そしてその許諾に、フラムは虚を作った。


「ですが、持ち主が死ねば、権利はどこに移るのですかね」


 銀閃がフラムの命へと迫る。当然、フラムにはそれを防ぐ術などなく━━、


「━━は、ああぁッ!」


 吠えながら、フレンは残った左腕を合わせにいく。

 白刃取りなんてできない。ただ縦に振られる剣に、腕を縦向きに押し当てただけだ。

 シュネルの力ならば簡単に貫通されてしまうだろう。しかし━━、


「子どもだからと……威力を抜いたな……」


「━━ちっ」


 シュネルは舌打ちをしながら、剣を打ち合わされた腕から引き抜いた。同時に血が噴出して、大量の血がフラムに降り注いだ。

 庇うので精いっぱいだったとはいえ、申し訳ないことをした。

 だがそれ以上に━━、


「フラムには手を出さないと……っ!」


「言いました。ですが、あなたはまだ死んでいない。無効です」


「じゃあ早く……有効にしてくれ━━ぁ」


 急に身体に力が入らなくなって、切断された右腕を下に倒れてしまう。

 失血死の経験はないけれど、命の終わりがすぐそこまで迫っているのはすぐにわかった。


「お嬢さん。フレンは後もう少しで失血死します。それでもまだ庇いますか?」


 シュネルは倒れ込んだフレンを細めた目で見つめながら、フラムに残酷な宣告を告げる。

 フレンの角度からは、フラムの顔が見えない。だけど、目一杯シュネルを睨み付けているのは感じ取れて━━。


「━━ひ」


 ━━あの日の血濡れの少女を、幻視した。


 過去と未来が重なって、フレンはとてつもなく━━恐怖した。

 そう、これは恐怖だった。

 いま目の前に立っている女の子が、あの日の少女と同じ選択をしてしまうことへの恐怖。

 ダメだと叫びたい。全身で、全霊で、叫びたい。なのに力が入ってくれない。

 どうか、せめて、彼女だけでも、正しい歯車の中で生きてほしい。

 あの日の少女に救いはいらないから。

 だから、どうか、彼女だけでも、歪んだ世界に堕ちないで。


「━━うん」


 シュネルの問いかけに、フラムはただそれだけを言って、両手を広げた。

 そして、笑顔をこちらに向けて、


「フレたん、いい匂いするから好きだよ」


 どうして。どうしてどうしてどうしてどうしてどうして━━。

 どうして、その道を選ぶんだ。

 フレンが死ねば解決するのに。フラムだってそれはわかっているはずだ。

 フラムだけじゃない。エールも、ルステラも、アレキスも、シュネルも、フレンも、みんみんなみんなみんなわかっているはずだ。


 どいつもこいつもどうかしてる。

 幸せを馬鹿みたいに投げ出して、命をいとも簡単に投げ捨てて。

 フレンは一度だってそんなこと望んでいないのに。


「━━━ぅ」


 剣を振り切ろうとするシュネルと、それを受け止めようとするフラムと、ただ何もできず眺めることしかできないフレン。

 やめてくれと魂が叫んでいるのに、やめてくれなんて音は部屋には鳴り響かない。

 フラムの名を呼びたいのに、吐き出す息が文字列になってくれない。


 ━━フレンお前、早く死ねよ。


 早く死ね。死んでくれ。勝手に生きてんじゃねぇ。死ね。死んでくれ。早く死ねよ。シュネルの前にいるんだから、目の前で死ね。そのために王都まで来たんだろ。早く死ね。死んでくれ。早く━━誰か、私を殺して。


「━━やはり、それがお前さんの根幹か」


 鋼が衝突した甲高い音と、すべての空気を一変させる一声が、フラムとシュネルの間に割り込んだ。

 それを為したのは━━、


「じゃがまあ、その頼みは聞き入れられんでの━━」


「━━お助けジジイ!」


 杖と剣を携える異様な双剣スタイルで、お助けジジイ━━エール・オイリアンテは、登場した。


 ━━そこで、フレンはとうとう気を失ってしまった。





「これはこれはエールさん。お久しぶりです」


「ジジイは二度と会いたくなかったがの」


「エールさんが呼び寄せたんでしょうに」


「おおむね合っとるから何も言えんのう」


 穏やかとは言いがたい会話から、二人の睨み合いは始まった。

 エールとしては九年ぶりの邂逅。噂はかねがね聞いていたが、確かに九年前より格段に強くなっている。


「そんなこっそりしなくても……普通に止血してあげてください」


「……どういう風の吹き回しじゃ?」


「いえ、別に血を止めたところで助かるとは思えないので。それに、苦しめるのは趣味じゃありませんしね」


「よく言うわい」


 越えてはいけない領域を越えようとしているフレンを、少しでも遠ざけようと止血した。

 幸い、エールは治癒術こそ使えないけれど、そういう技術には精通しているので、杖で小突くだけで血はすぐに止まる。

 しかし、ただの気休めにしかならない。今すぐに切断された右腕を持って、それなりの癒者のところに駆け込まなければいけないが━━、


「お前さんが邪魔じゃのう」


「それはお互い様ですよ。老いたとはいえ、エールさんを軽くいなせるほどの実力もないのでね」


「じゃあ、今回はとりあえず停戦ということで……」


「━━勝てないとは言っていませんが」


 シュネルはぴしゃりと提案を叩きつける。それから「それに」と続けて、


「停戦というのなら、今までが停戦でしたよ」


「出国禁止にしておいてか」


「ですが、あなたを必要以上に追いかけなかった。別に早々に殺して、そのお嬢さんを奪ってもよかったんですよ?」


 出国禁止と直接下されたわけではなかったが、今の問いかけで本当に出国禁止にされていたと判明した。本当に出ようとしなくてよかったと思う。


「じゃが、しなかった。━━老いるのを待っていたなんて言い出さんじゃろうな」


「そのまさかですよ。あなたが勝手に削れていくのを待っていました。━━まあ、そればかりではないですが」


「教えてはくれんのかのう?」


「はい。冥土の土産にしては、血腥さすぎますからね」


「よくもまあ、減らず口を叩けるもんじゃ」


 殺意を高めながら、戯言を応酬するという状況のなんと異様なことか。

 しかしながらそのおかげで━━、


「お嬢さんはフレンを連れて逃げましたね。━━最期に何か言わなくてもよろしかったんで?」


「そんなもんいらんわい。ジジイはただの━━お助けジジイなんじゃからの」


 お助けジジイとフラムに初めて言われたときは何とも言えぬ気持ちになったが、今はその響きが胸に染みる。


「お助けジジイですか……。確かに、私人となったあなたにはお似合いかもしれませんね。私の目的の助けをしてくれたんですから」


 揶揄するような物言いに、もっともだとエールも同意する。

 シュネルを間接的に呼んで、相手を見誤りフレンに重傷を負わせた。利敵行為と詰られても仕方のないことだ。

 しかし、この部屋に入ってきてエールは思い直す。

 このやり方は、間違っていなかったと。


「二人とも死なせない。二人の幸せはジジイが守るわい」


「ここから巻き返せるとでも?」


「さあな。じゃが、可能性は生み出した。そしてそれはお前さんにとって都合の悪い形で芽吹く。━━ジジイの勘は当たるんじゃぜ」


「それはそれは、大いに困ってしまいますね」


 一笑に付す戯れ言だとシュネルは鼻で笑う。

 だが、エールは知っている。事態とは、いつだって思わぬところへ着地することを。


「ならばさらに困らせよう。今生最期の一騎打ち、相手は『魔王』と言ったところか」


「面白い例えですね。でも、嫌いじゃないですよ」


「お褒めに預かり光栄じゃのう」


「しかし、相手が『道化師』ともなれば興が醒めるというもの。━━せいぜい、抗ってくださいよ」


 直後、張り詰めた殺意の糸が、一本も残らず断ち切れる。

 『魔王』と『道化師』の一騎打ち。自分から始めた言い回しだが、存外にも悪くない。

 フラムが笑顔でいてくれる未来を守れるのなら、エールは━━お助けジジイは、『道化師』だろうがなんだろうが、『魔王』に立ち向かって見せよう。

 

 ━━さらば。





「おじさんはフラムのおとーさん?」


「違う。私はエールだ」


「おにたん?」


「ふふっ、違いますよ、フラム。彼はわたしたちの……恩人でしょうか」


「そんなところだろうな」


「ほー、それじゃあ━━お助けジジイ!」


「なに?」


「お助けジジイ! お助けジジイ!」


「あはははっ、お助けジジイとは、いいですね。わたしもこれから使っても?」


「やめてくれ、ミネリア。そもそも、フラムに許可も出していない」


「お助けジジイ!」


「……この子はもう、止まらないと思いますが」


「う……だったら、フラムだけ特例だ」


「わたしは?」


「ダメだ」


「はいはい、わかりました。━━でも、いつか言わせてくださいね」

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