第六十四話『陥落』
ヒタヒタと、押し寄せてくるモノがいる。
——いやだ。
ヒタヒタと、にじり寄ってくるモノがいる。
——いやだ。
ヒタヒタと、核を侵そうとしてくるモノがいる。
——来るな!!
最後の砦を『◼️◼️◼️』は必死に、必死に守る。
ここは、自己だけが回帰していい場所なのだから。
だから、ぁ、
「————」
あ、あ、あ。
あ。
◯
冷酷な鎖と氷が打ち合わされて、甲高い音を散らし続ける。
戦況は拮抗しているが、わずかばかりの焦りが——セーラ・ミルヒカペラにはあった。
「級数……は、分かる」
病弱だった頃に、時間だけはやたらあったので勉強していたのが功を奏した。
しかし、
「最初は、あの魔法についてだけかと思ってた」
ネイアの魔法は二つある。
一つは、今も戦闘に使用している氷魔法。
もう一つは、不可視の謎の魔法。
だが、
「まだ、何か……」
その二つだけと言えば、それで十分な気もするが、もう少し深く踏み込める気がする。
そして、踏み込まなければ、勝てない。
「———っ」
飛んでくる二枚の氷の円盤を、鎖で逸らす。
セーラは張り巡らせた鎖を伝い、ネイアに近づく。
「たあっ!」
右腕に鎖を巻き付けて、膨大な質量となった腕を振り下ろす。
しかし、それはネイアを中心に破壊され、上を向いた彼女と目が合う。
「————」
右巻きの花と左巻きの花を重ねて、螺旋を結んだどす黒い瞳。
その特徴的な瞳が閃いていて——、
「————」
ネイアを打ち抜いた鎖の腕が、凍らされていく。セーラは咄嗟に根本から手を抜いて、脱出するが、
「——っ」
凍らされた鎖の根元が急速に伸びて、セーラを猛追する。
直線的な追従に、セーラは背後の張り巡らせた鎖の一本を掴み身を捻ろうとするが、
「っ」
それの端っこを、返ってきた二枚の円盤が切り取り、力が入らなくなる。
自由に空中に放り出されて、セーラは咄嗟に鎖の防護を纏った。
「———う」
防護の中にまで響く衝撃に苦鳴を漏らしながら、セーラは吹き飛んでいく。
しかし、その横向きの方向を、腰に回した鎖で強引に殺した。
「今のは、氷魔法の方に適用してた……」
ある一定の長さまで、魔法の範囲を伸ばした。
簡単なことだし、悩むようなことじゃない。
ネイアの周りだけ鎖が消えたのだって、マイナスを足し合わせただけのこと。
説明はつく。しかし、まだ、違和感が——、
「考える暇も、与えてほしいね……っ」
宙ぶらりんのセーラを打ち抜くための氷杭が、ざっと三十。打ち落とし、打ち砕き、受け流し、対処する。
彼女の物量に負けないように、セーラも鎖の数を増やしていく。
「見てますね〜」
砂埃に紛れようとする、ネイアもしっかりと見逃さない。
だが、
「届きませんから〜」
彼女に伸ばした鎖は、彼女を掴まず切り落とされる。
とはいえ、牽制程度には役立っていてほしいと、セーラは思うが、
「高望みか……」
雑な鎖での攻撃は意味がない。それが悲しい現実だった。
「———っ!」
氷杭の最後の一本を叩いた時だった。
それが真ん中で放射状に分かれて、網のようにセーラを捕まえた。ガチガチに固められたそれはびくともせず、セーラは完全に籠絡させられる。
それが上昇し、上で待ち構えるは、氷の処女——串刺しを目的とした、冷徹な器具だった。
「リグレ・メイデン」
自らのドメインを施行し、眼下でネイアが嗤う。
セーラは檻ごと押し込められて、針山の中に閉じ込められる。
そのまま、扉が閉まれば、鮮血が舞い——、
「『恒火鎖』」
セーラを串刺しにするメイデンが、融解する。
メイデンの中からは、恒星のように煌々と光を放つ蛹が現れる。
それはすぐさま羽化し、眩い瞳をさらに燃え上がらせた。
「あたしの力さ」
それはかつて、全てを終わらせた力。暴走、アンコントロール。もちろん恐怖は急には消えてくれない。
だけど、今は止めてくれる自慢の息子がいるのだ。
恐怖はあっても、躊躇いはなかった。
「——可哀想ですね〜」
ネイアが、セーラを見て——否、その奥側を瞳に投影して哀れむ。
彼女には、セーラの抱える二十あまりの大精霊が見えているようで——。
「ともあれ、その瞳が捉えるものを暴かないと、届かなさそうだ」
そのためには——、
「————」
足元の鎖の熱を消しながら、鎖の上を走る。
両手からジャラジャラ鎖を出して、下に流していた。
その全てが熱を帯びているため、触れられないネイアは距離を取る。
「物量が一番厄介ですね〜」
氷のチョーカーを撫でながら、ネイアは氷柱を立てて鎖の波濤から逃れる。
しかし、地面を流れる鎖は、ネイアの乗る氷柱を足元から誘拐していく。
「おっとっと〜」
倒れそうになりながら、ネイアは気の抜けた声を出しながらバランスを取る。
その身体にベールをかけるように、面状の鎖を落とす。
「だから〜、——っ!」
呆れるようにネイアが呟くが、その呆れがすぐに塗り替えられる。
一枚目の鎖は見事に穿たれたが、その上にピッタリと重ねられた茨がネイアに襲いかかっていた。
「鎖はただの一手段さ」
自分を縛っておくという戒めのために鎖を用いていたが、その気になれば何でも出せる。茨でも、蔦でも、糸でも、黄金でも、筋肉でも、革でも。
だが、鎖が一番馴染む。だから使っていただけということだ。
「————」
熱を帯びた茨という、物理法則にやや反している攻撃を実行して、セーラはネイアの対処を分析する。
ネイアは一枚目の鎖こそ穿ったが、二枚目の茨には驚きを見せた。
それどころか——、
「いっったい、ですよ〜」
ネイアはくず折れる氷柱を伸ばし自分にぶつけ、強引に茨の範囲から逃れたのだった。
同じように穴を開ければ良いのに、そんな強引な方法をとったのか。
「後者の魔法は、単一の対象にしか実行できない……?」
鎖と茨。根底の部分では、セーラの内側の大精霊の力を使っているという点で同じだ。
ただもちろん物体として認識するのなら、それらは違うものである。
しかし、そういう単一性ではないだろう。
魔法に自認が大きく乗るのは、セーラもよくわかる。
しかしながら、ネイアほどの大魔法使いならば、そこの曖昧な弱さは持っていないと考えられる。
単一とみなしているのは、おそらく魔力だ。魔力を見て判断している。
ならば——、
「あたしの中に流れる魔力は、あたしだけのものじゃない」
自分、二十あまりの大精霊、そして、最も愛しい親友の魔力。
内側に抱えている魔力の種類では、セーラを超えるものはいないだろう。
あくまでも、まだ仮説だが、もう少しそれを押し付けてみても良いかもしれない。
「——舐めないでください、ジブンを」
ネイアは宙で身を翻して、氷結を撒き散らす。
それが天井にくっつき、伸びる氷柱の先で無数のゴンドラが作られる。
鎖の合間を縫うようなゴンドラが揺れて、空を回り出した。
熱鎖に触れて切断されても、自然落下が始まる前に、天井との繋がりが保たれる。
その天空船の一つに乗る、ネイアと瞳が合って——、
「深度ニです」
ネイアの瞳の螺旋。その奥が拡張される。その意味は——、
「分からないけど、とにかく——っ」
ひとまず自分の仮説を検証するため、セーラは飛び出した。
——それが、誤りだとは知らずに。
「———っ」
鎖の装甲を纏い、セーラはネイアに肉迫した。
しかし、ただの吶喊ではない。
装甲は、鎖という部分が共通しているが、頼っている大精霊の魔力が違う。
また、張り巡らせた鎖も、幾本か構築する魔力を内生的に変換した。
つまり、ネイアは今、数十人と戦っているに等しいのだ。
彼女に近づいて、鎖の剛腕を、鎖の剛脚を振り回す。その背後からは放射状に伸びた鎖が、大口を開けた大蛇のようにネイアに襲いかかる。
四面楚歌どころか、十六面楚歌ぐらいの状況で、ネイアの対処を再び確認して——、
「言いましたよ〜」
窮地のネイアが嗤う。
「ジブンを舐めない方がいいですよって」
閃いた瞳に呼応して、全てがゼロになった。
鎖の装甲も、大蛇の様な鎖の脅威も、セーラの次の行動さえも、先から崩されていった。
「——リグレ・トラベル」
セーラの背後に大きな柱と、それにくっつくクロスした短い柱が出現する。
「ばん」
ネイアが指を振ると、不可視の圧力に押されてセーラが柱に押しつけられる。
両手両足が柱のクロスした部分に当てられて、拘束される。
「それでは〜、おやすみなさい」
足先から凍らされて、すぐに脳にまで浸透する。
セーラは、生きたまま冷凍保存された。——すなわち、コールドスリープ。
決して覚めない夢へと、陥落する。
「————」
そして、暴走が、始まる。




